塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が思うブランドの心中

2020-01-30 00:34:22 | 日記
 1990年代、ナイキのエアマックス95が盗難事件や恐喝問題を引き起こすほど、爆発的人気を得ました。

 しかし、ナイキジャパンからすればこの人気拡大は不本意だったと感じます。

 エアマックス95の余波を受け、とんでもない注目が集まったエアマックス96は、95を購入できなかったファンの影響もあり、当初は好調な売れ行きでしたが、やがて鈍化していきます。

 また、1997年上半期に発売されたエアマックス97も人気がです、下半期に登場して今でも人気の

 「シルバーアッパーの近未来デザイン」
 「遂にビジフルエアが360度に限りなく近くなった」

 と呼ばれたエアマックス97で再度、盛り上がりを見せます。

 ただ、ナイキとしては

 1・エアマックスはアスリートや市民ランナーのために、まず機能、デザイン、快適性を考慮している
 2・加齢を重ねた方、不幸にも事故で歩くのが困難な方を支援するため

 という意味合いが今でも強いはずです。

 ですから転売や恐喝が続々と起こる現象に、社員は耐えられなかったに違いありません。

 サッカースパイクは街中で履けませんから、バッシュやランニング・シューズのように、現状大きなプレミア価格には至ってないようです。

 しかし今後、有名選手モデルを筆頭に、投機目的で購入するサッカー好きではない人間が、市場を荒らすかもしれませんよね。

 その時、僕らは冷静でいたいものです。

 1995年当時はリーボック、プーマ、フィラなど多くの企業がハイテク機能を盛り込んだ靴を数多く発表しましたが、ナイキの異常人気を見ればされだけ彼らの評価が高いという皮肉な結果をもたらしましたが。
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選手が移籍の際に注意すべき点

2020-01-30 00:22:39 | 日記
 さて、そのエリクセンですがスパーズは契約違約金24億円という、明らかな格安でインテルに譲渡しました。

 エリクセンはチャンピオンズ・リーグ準優勝の後、既に退団を希望していたそうですが、スパーズとしては

 「はした金ではあるが、今売却しよう」
 「無一文で出て行かれるよりは良い商い」

 と考えたのでしょうか。

 単純にモウリーニョ政権へ移行したことで、前任者のポティッチェーノよりもエリクセンへの見解が変わったのかもしれません。

 エリクセンがアヤックスからスパーズへ移籍し、大きな手ごたえを感じたわけですが、今回はどうでしょうか。

 インテルは1993ー94シーズンの2季、同じくアヤックスからデニス・ベルカンプを移籍させましたが、ベルカンプがインテル在籍時、のちにガナーズで魅せた美しいプレイはまず見せませんでした。

 それは単純に、ベルカンプという選手の資質や受けてきた教育ではなく

 「入るクラブを誤った」
 「同時にそのクラブがある国の風潮とも肌が合わなかった」

 にすぎないと考えた方が得策ではないでしょうか。

 彼が凡庸であればアルセーヌ・ヴェンゲルはティエリ・アンリと彼を2トップで起用することは無かったでしょうし、プレミアとセリエAでは何かもが大きく異なるという意味合いでもあります。

 全盛期のミランですら、「単なる穴埋め」という無意味な移籍でオランダ代表の中軸
 
 FW パトリック・クライフェルト
 DF ヴィンストン・ボバルデ ミハエル・レイツッハー
 MF エドガー・ダヴィッツ

 の才能を無駄にしてしまいました。

 ミランは過去「オランダ・トライアングル」で成功したために、本当に彼らの適性がミランと合致するのか、ろくに調べも面接もしなかったのではないでしょうか。

 企業も人事面談は、基本「アマチュア」、つまり重役というだけで指名された人物が行うことが多いようですが、彼らは人間の未来に質問を投げかけていると考えてはいないでしょうね。

 そこに責任や人を大切にと言う気持ちは、さほど無いように見えます。
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インテル、積極的な補強策へ

2020-01-30 00:13:37 | 日記
 インテルがナイジェリア代表ヴィクター・モーゼス、イングランド代表アシュリー・ヤングを獲得しました。

 両選手に続きデンマーク代表のクリスティアン・エリクセンの加入も決まり、ユヴェントスを迎撃する体制が整った形になります。

 モーゼスは指揮官コンテがチェルシー時代に採用した3-5-2の根幹を担いましたが、マウリツイオ・サッリが就任しますと、布陣が4-3-3に移行し、使い勝手が無くなってしまいました。

 ですからモーゼスがインテルに新天地を求めたのは

 指揮官の人物像と戦術にすでに遭遇している
 何よりコンテがモーゼスを必要とした

 という明確な理由があります。

 ただ、恩師と愛弟子というのはモーゼスの古巣、チェルシーのサッリとジョルジーニョの例もあるように、一度クラブが成績不振に陥ると、すぐに批判の対象となるリスクがあります。

 チェルシーでは2008シーズンもフェリポンとデコが、序盤戦が美しいサッカーを披露し

 「さすがにワールドカップ優勝監督だけある」
 「デコを軸に美しいサッカーを奏でている」

 と大絶賛されましたが、中盤戦からは罵倒の嵐でフェリポンはコプハムを去る形となりました。

 そのリスクは当然、モーゼスとコンテの両者がわかっているでしょうし、インテルもスパレッティとナインゴランという前例があります。

 またエリクセンはアヤックス、スパーズ、インテルと海外移籍を経験していますが、ヤングは齢33にして初の海外移籍となります。

 イングランド代表を支えた彼も、はじめての異国は様々な面で面食らうことが多いでしょうし、だからこそインテル首脳陣の手腕が試されます。

 ユヴェントスを止めるには、もはやインテルしか対抗馬がいない現状は、いささか寂しい気もしますが。
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