先週は、クアラルンプールの話をしていましたね。
そう、「ネズミ女」の話でした。
「ネズミ女」は信仰心の現れなのでしょうが、イラク戦争というものを見ていますと、宗教というのは、人間を狂気にさせるのでしょうか?
イラク戦争は、宗教の衝突などではなく、兵器産業の振興というアメリカ経済の宿命でおこしたものだとか、石油資源の確保という戦略の実践だとか諸説があるようです。
しかし、勉強不足の小生などは、イラクに関するニュースの中で、気になることがあります。それは、あの神風特攻隊のような自爆という自己犠牲による神への忠誠心です。
あの一糸乱れぬ中東の人たちの神に対する信じ方を見ると、どうしてあそこまで信じられるのか、怖い気がしてしまいます。
日本の伝統的な宗教は、仏教ですが、宗教に関する行動や接し方が根本的に違うような気がします。
理屈なしに信じることができるもの、それが「宗教」の根本的な真理なのかも知れませんが・・・。
人間を幸福にし、そして、不幸にもするもの、それが宗教なのでしょうか?
などと気取っている場合ではありませんね。
マレーシアの想い出ですが、まずクアラルンプールですが、この街については、前にお伝えしたとおりであります。
そして、次が赤い建物が印象に残るフランシスコザビエル教会(キリスト教)を中心とした「マラッカ」という街です。
マッラカと言えば、この教会を思い出すのではないでしょうか。
ところで、この街は、長い歴史があり、14世紀末にはスマトラの貴族がここに王国を築いて東西貿易の拠点として発展してきたようであります。
その王宮を再現した建物が「サルタン・パレス」という建物で、私達も多くの記念写真を撮影しております。(写真をお見せできないのが残念です。)
この建物は、瓦屋根のような外観で、近くから見るとアジア的な感じがする建物なのですが、なぜだか分かりませんが妙に心に残る建物でした。
話は、マラッカの歴史に戻りますが、この街は、海峡の中心地で良港に恵まれていたことから、交易地として発展しており、そのことが16世紀からのポルトガルをはじめとするヨーロッパ諸国の支配に繋がるのですから、皮肉なものです。
マラッカに関する西洋人といえば、イギリスの「ラッフルズ」 ですが、彼の功績は、イギリスがオランダからこの街を占領するときに戦火から守ったことだとされています。
このように、マラッカは、ポルトガル、オランダ、イギリスの統治を受けたため、王朝時代からのイスラム教文化とヨーロッパの文化が融合する街になったのでしょうか?
そして、イギリスの植民地開拓のために多くの中国人がマラッカに渡り、現地の女性と結婚したことから、中国とマレーの文化が融合した文化が生まれているそうですから、まことに複雑なところです。
なお、日本も、1942年にマレー半島とシンガポールに侵攻していますが、現在のマレーシア連邦が独立するまでイギリスが統治していたようですね。
ところで、写真を見ていますと、万国旗がある建物の前で家族がにこやかに微笑んでいるものがありますが、ここは、ホテルではなく、独立宣言記念館のようであります。
それにしても、明るく美しい街ですね。ホームページを更新して皆さんにご覧いただきたいと思いますが、いつのことになるやら?・・・・
では、また。