mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

シンガポール

2007年07月16日 | 旅行記

 昨日は、マッラカの話でしたが、マレーシアではこの他に地名は分かりませんが、バスから降りてゴムの木の様子を見たり、マレー鉄道でシンガポール行きの列車に乗ったことが昨日のように思い出されます。

 特に、列車に乗るまでに2時間くらい待たされたと思いますが、その間、「ランブータン」というライチに似た甘い果実の味は、この旅の話では欠かせないものとなっています。

 また、この日のお昼は弁当でしたが、あまり食べずに、現地の添乗員の方に差し上げたと記憶しています。

 どうして食べなかったのか?その理由は、定かではありませんが、大きな肉の弁当でとても食べきれるものではなかったからだと思います。

 それにしても、ランブータンをはじめトロピカルフルーツが豊富で、それが何でもないように植えられ、実が成っています。

 この時のランブータンも現地の添乗員さんが木になっているものを取ってきてくれた品物でした。

 さて、話を本題に戻して、シンガポールですが、列車の旅で面白い経験をしました。

 列車ですから、国境は自動的に越えているのだと思いますが、駅の改札みたいなところで、入国審査があったのです。

 シンガポールは、麻薬持ち込みなどをしますと厳罰が待っているようであります。

 添乗員さんから「列車から降りるときは、人の荷物を絶対預からないこと」という注意がありました。

 もし、預かった荷物が麻薬ですと、厳罰を受けるのは預かった人だからです。

 そんなことを考えながらパスポートなどで入国審査を受けていましたら、何か騒がしいのです。

 どうも、麻薬探知のために犬がいるようで、その犬が日本人に向かって吠えいるのです。

 「これは、やばい」と思っていましたら、どうやらトクホンのようなものをつけていたので、犬が反応したようです。

 それと、小生は愛煙家なものですから、心配していました。

 シンガポールでは、タバコが吸えないと思っていたのです。

 タバコは、「ポイ捨て」が禁止されているようで、吸うことは問題なくできました。

 シンガポールという国は、マレーシアと同じようにイギリスが植民地にしたのですが、開発に当たり、中国人、インド人などの労働者を大量に輸入したために多民族の国家になったようであります。

 中国、インド、マレー人がそれぞれの文化を持ち込んでおり、特に、寺院にその特徴が現れており、仏教、ヒンドゥー教など、それぞれの信仰の寺院が併存しています。

 我々は、シンガポールの夜の街を自転車のリアカーに乗って見学したのですが、その時に「チャイナタウン」や「インド人街」がありました。

 このリアカーでの見学が楽しくて「海外旅行が癖になりそう!」と行っていたツアー仲間の女性がいましたが、今はどうされているでしょうか?

 ちなみに、人口構成は、中国系が77%、マレー系が14%。インド系が7%となっているそうです。

 次に、シンガポール観光ですが、なんと言っても、有名なものは「マーライオン」です。

 しかし、あまり期待しない方がよいですね。

 ここは、近代的なビルが立ち並ぶ街という感じで、観光客の楽しみは、オーチャード・ロードを中心とした有名ブランド品などの買い物と食事でしょうか?

 女性軍には、楽しみなのかも知れませんが、バスで、まちなかに放り出されて、大きなビルの中を「ウロウロ」して、結局、店の椅子に腰掛けていたという有様でしたね。

 結局、タクシーに乗って、ホテルに帰り、その横にある店で靴や小物を買ったのです。

 その小物の中に、髪の毛がぼさぼさで、顔全体がゆがんでいるような人形があります。

 この人形は、母が買ったもので、どうしてこんなものを買ったのか不思議でしたが、よく見ると、とても愛嬌があります。

 話がとんでもない方向にそれたりして理解しにくいと思いますが、マレーシア・シンガポールの話はこれで終了させていただきます。


マレーシア・シンガポール3

2007年07月15日 | 旅行記

 先週は、クアラルンプールの話をしていましたね。

 そう、「ネズミ女」の話でした。

 「ネズミ女」は信仰心の現れなのでしょうが、イラク戦争というものを見ていますと、宗教というのは、人間を狂気にさせるのでしょうか?

 イラク戦争は、宗教の衝突などではなく、兵器産業の振興というアメリカ経済の宿命でおこしたものだとか、石油資源の確保という戦略の実践だとか諸説があるようです。

 しかし、勉強不足の小生などは、イラクに関するニュースの中で、気になることがあります。それは、あの神風特攻隊のような自爆という自己犠牲による神への忠誠心です。

 あの一糸乱れぬ中東の人たちの神に対する信じ方を見ると、どうしてあそこまで信じられるのか、怖い気がしてしまいます。

 日本の伝統的な宗教は、仏教ですが、宗教に関する行動や接し方が根本的に違うような気がします。

 理屈なしに信じることができるもの、それが「宗教」の根本的な真理なのかも知れませんが・・・。

 人間を幸福にし、そして、不幸にもするもの、それが宗教なのでしょうか?

 などと気取っている場合ではありませんね。

 マレーシアの想い出ですが、まずクアラルンプールですが、この街については、前にお伝えしたとおりであります。

 そして、次が赤い建物が印象に残るフランシスコザビエル教会(キリスト教)を中心とした「マラッカ」という街です。

 マッラカと言えば、この教会を思い出すのではないでしょうか。

 ところで、この街は、長い歴史があり、14世紀末にはスマトラの貴族がここに王国を築いて東西貿易の拠点として発展してきたようであります。

 その王宮を再現した建物が「サルタン・パレス」という建物で、私達も多くの記念写真を撮影しております。(写真をお見せできないのが残念です。)

 この建物は、瓦屋根のような外観で、近くから見るとアジア的な感じがする建物なのですが、なぜだか分かりませんが妙に心に残る建物でした。

 話は、マラッカの歴史に戻りますが、この街は、海峡の中心地で良港に恵まれていたことから、交易地として発展しており、そのことが16世紀からのポルトガルをはじめとするヨーロッパ諸国の支配に繋がるのですから、皮肉なものです。

 マラッカに関する西洋人といえば、イギリスの「ラッフルズ」 ですが、彼の功績は、イギリスがオランダからこの街を占領するときに戦火から守ったことだとされています。

 このように、マラッカは、ポルトガル、オランダ、イギリスの統治を受けたため、王朝時代からのイスラム教文化とヨーロッパの文化が融合する街になったのでしょうか?

 そして、イギリスの植民地開拓のために多くの中国人がマラッカに渡り、現地の女性と結婚したことから、中国とマレーの文化が融合した文化が生まれているそうですから、まことに複雑なところです。

 なお、日本も、1942年にマレー半島とシンガポールに侵攻していますが、現在のマレーシア連邦が独立するまでイギリスが統治していたようですね。

 ところで、写真を見ていますと、万国旗がある建物の前で家族がにこやかに微笑んでいるものがありますが、ここは、ホテルではなく、独立宣言記念館のようであります。

 それにしても、明るく美しい街ですね。ホームページを更新して皆さんにご覧いただきたいと思いますが、いつのことになるやら?・・・・

 では、また。

 


シンガポールとマレーシア

2007年07月08日 | 旅行記

 おはようございます。

 約束ですので、今日はシンガポールとマレーシアの旅行について投稿します。

 この旅は、93年7月17日から21日までの5日間の旅だったようです。

 この旅のことは、今でも鮮やかに蘇ってきます。それほど印象に強く残っています。

 まず、自宅から成田空港までのドタバタです。この旅行は、私達夫婦と母、そして、兄夫婦の5人で行ったのですが、この当時は、年寄りがいることもあり成田まで車で行っておりました。

 綿密な打ち合わせと事前の準備(初めて海外旅行に行く二人のパスポート申請も含め)を十分していたのです。

 そして、わが家の方は「いざ、出発」と自宅で兄夫婦を待っていたのですが、待てど暮らせど来ないのです。

 もちろん電話もしましたが、連絡が取れないのです。

 兄夫婦の家までは、30分くらいですが、成田の集合時間を考えると、間に合わないくらいの時間になっています。

 しびれを切らした私達は、兄夫婦の家の方へ向かうことになったのですが、お陰で自宅のすぐ近くで会うことができました。

 普通は、ここで「ああ、よかった」ということになるのですが、ここで事件が起こりました。

 そのまま、成田へ向かったのですが、母が靴を履いていないのです。

 慌てていたので、玄関に用意していた靴ではなく、草履を履いていたのです。

 しかも、あまり綺麗なものではありません。

 気がついたのが出発してどのくらいだったか正確には覚えていませんが、30分くらいは経っています。

 お陰で、途中で靴屋さんに寄ることになるのですが、母はその時に買った靴が気に入って自宅でも重宝していました。

 当事者でないと分からないと思いますが、時間が迫ることによる慌てぶりと母の靴の一件は、わが家にとっては、大笑いの種になっている本当に楽しい思い出となっています。

 成田へは、多少遅刻したと記憶していますが、たぶん、いらいらしながらの3時間だったのでしょう。

 さて、次にこの旅では、大変お得な経験をいたしました。

 母と義姉は、初めての海外旅行で飛行機の搭乗手続きの物珍しさなど最初は気分が高揚するが、6時間の旅、狭いシートなどを考えると、二人ともあまり愉快な気分にはなれないのでは?と小生は心配していたのです。

 ところが、乗ってビックリしたのですが、なんと、ビジネスクラスです。

 小生も乗ったことはなかったものですから、驚きました。

 シートの心地よさはもちろんですが、十分な空間が用意されているほか、食事をはじめとするサービスがエコノミークラスとはまったく違います。

 そのお陰で、二人とも海外旅行はこんなに快適なのかと勘違いしてしまったという副作用があったように思います。

 もっとも、小生の母は、子供じみていて最初に飛行機に乗ったのが78才くらいでしたが、「飛行機は、スーット舞い上がるようで、こんなに楽しいものとは!」と感激していましたから、あまり心配はいらなかったのかも知れません。

 ということで、ビジネスクラスの旅としても、心に残るシンガポール・マレーシアでした。

 そんなことより、現地の様子の話をすべきなのですが、写真を見ながら考えています。

 まず、到着したのはマレーシアのクアラルンプールでした。

 クワラルンプールは、広々とした緑の空間の中に高い近代的なビルとイスラム教の寺院のような建物が並ぶエキゾチックな街という印象でした。

 写真を見て思いだそうとしているのですが、最初に市内見学をしたようです。

 旗や銃を持った5人?の兵士を描いた大きな銅像の前で、にこやかにほほえんでいる我が家族の記念写真があります。

 ここは、広場なのでしょうか?

 その後には、赤い花が印象的な緑豊かな公園を歩いている写真があり、その後、イスラム教のモスクに入った写真があります。

 ここに入るには、女性は、肌を見せることができませんで、女性軍は、全員、頭にスカーフ?をかぶり、全身を覆う服に着替えます。

 その異様さは、今でも当時の話をしますと大笑いの種になりますが、小生の母などまるで「ねずみ女」です。

 まぁ、こういった細かい話は、紀行文として纏めたいのですが・・・

 今日は、時間がなくなってきました。この続きは、次回に話したいと思います。


シンガポールとマレーシア

2007年07月07日 | 旅行記

 前回の投稿では、中国の話をしました。

 小生は、中国に何回行っているのだろうかと、考えました。

 別に中国通ではありませんし、南京大虐殺のような歴史問題を外交カードに使うような国は好きではありませんが、たまたま、最初の外国旅行が中国だったことや、見るべき文化、歴史、自然などが沢山ある国が中国であることなどが中国へ複数回、訪問している動機となっているのかも知れません。

 でも、最近の報道を見ていますと、現地の治安に問題はなくなったようですが、食べ物が怖いですね。

 わが家では、元々、家内が中国の食品に手を出さない主義でしたが、儲けや生活のためには手段を選ばないのでは?と勘ぐってしまいます。

 中国も発展の過程で、日本でもあったことだから、大目に見ましょうと言う意見もありそうですが、やはり、信用できませんので、これから「国産!国産」と言いながら食料を買い求めていきたいですね。

 でも、その国産があの「ミートホープ」ようなことですから、国産も疑問ですが・・・人生の楽しみである食事を疑いながら食べているのでは、何とも味気ないことです。

 前にも雪印や不二屋などがありましたが、なるべく加工品を食べないことですかね?

 でも、食料自給率が40%では知らないうちに頂いていると思います。

 ところで、今日は何を主題としているのでしょうか?

 朝から歯医者へ行ってきて、気分は爽快?ではありませんが、これから去年の材料を使って5色唐辛子づくりに挑戦です。

 「食材が腐っていないか?」大丈夫です。

 十分乾燥していますし、材料のほとんどは、自家製の無農薬、有機質栽培のものです。

 そうでした。材料の川海苔を買ってくるのを忘れていました。   

 先ほど、買い物行って来たのですが、「餃子」の材料のことを考えていましたら、すっかり川海苔のことを忘れていました。

 あえて自慢しますが、小生の5色唐辛子と餃子は絶品ですよ。

 ということで、これから畑の野菜取りと調理で忙しくて余裕のあるブログを書くことができません。

 誠に申し訳ありませんが、二度目の海外旅行である「シンガポール、マレーシア」は、次回に投稿しますので、ご容赦下さい。

 あぁ、そうそう、中国へは「北京、西安」「香港、桂林、」「上海、蘇州、北京」「北京、西安」というコースですから4回おじゃましていることになります。

 では、また。


西安と楊貴妃

2007年07月01日 | 旅行記

 <楊貴妃>

 おはようございます。西安の華清池のことを書いていましたら、楊貴妃のことを思い出しました。

 楊貴妃は、皆さんご存じのように中国、いえ、世界を代表する絶世の美女として有名ですが、玄宗皇帝(6代目皇帝)の嫁さんとしても有名ですね。

 玄宗皇帝は、唐の6代目の皇帝として、数々の功績があったようですが、いや、驚きました。楊貴妃は、息子の嫁さんだった人なんですね。だから、年も34才の差があるのです。楊貴妃は、さぞ「いや」であったと思うのですが、お見合いをした華清池では、お互いに一目惚れだったようですよ。

 楊貴妃の本名は、楊玉環というそうで、蜀(四川省)の生まれ、16才で息子の妃に、26才で皇帝の妃になり、皇帝の部下の権力闘争で乱が起こり、皇帝と逃亡途上に37才で亡くなったそうです。

 いや、美人は、世界をも変えてしまうのですね。あぁ、楊貴妃、楊貴妃に会いたかったな!

 旅の醍醐味は、こんな薄い知識でも多いに役に立つものですが、小生は、勉強不足ですね。二人が愛を語り合った華清池も、こうした歴史を考えながら見るとひときわ味わい深いのでしょう。

 <電器屋さん>

 さて、今日は、日曜日ですが、なにもしないで、「ぼんやり」と過ごしたいのですが、買い物などがいくつかあり、また、外食も良いですね。とはいえ、「うどん」好きの二人ですから、そんなにお金はかかりません。

 買い物というば、昨日、ラジカセを机から落として、壊してしまったものですから、電器屋さんを覗いてきました。覗くだけだったらよかったのですが、買ってしまいました。

 でも、電器屋さんは、眺めるだけで楽しいのですが、女性のデパート見学の心理が分かるような気がしました。

 ところで、最近のデジカメ、ご存じですか?画素数とズームの拡大を競っているようですが、昔の機種を持っている小生としては、腹立たしくなってしまいます。

 デジカメに限りませんが、メーカーは、売るために、性能を徐々に上げていく作戦なのでしょうか?高いお金を出して買ったものが陳腐化して、ひどい場合は使えなくなってしまいます。テレビのデジタル化もその一環なのでは、と勘ぐりたくなってしまいます。

 地上波デジタルテレビといえば、アンテナも変える必要があると聞きましたが、本当なのでしょうか?