今回は、音楽記事です。
前回の音楽記事ではブロードサイド・フォー「若者たち」について書きましたが、そこで森山直太朗さんの名前が出てきました。
……と、いうところから、直太朗さんの母親である森山良子さんについて書こうと思います。
その母子つながりというだけでなく、森山良子という人は、ブロードサイド・フォーのほうとも深いつながりがあります。
前の記事でも書いたようにブロードサイド・フォーの中心人物は、黒澤明の息子、黒澤久雄さんですが、この人は森山良子さんにとって成城の先輩にあたるのです。
同じ学校で本格的に音楽をやっている仲間ということで、アマチュア時代には一緒にコンサートに出ることも多かったとか。
ジャズミュージシャンの両親のもとに生まれ、自身もジャズを志向していた森山さんがフォークにむかうきっかけを与えたのも、黒澤久雄。具体的には、先輩が紹介してくれたジョーン・バエズのレコード……そして、後に彼女は「日本のジョーン・バエズ」という異名をとるようになるのです。
本人は必ずしもそう呼ばれるのを快く思っていなかったようですが……しかし、彼女の歌には、たしかにバエズっぽいものがいくつかあります。
声や歌い方が似ているということもありますが、反戦歌のようなものも。
その文脈ではなんといっても「さとうきび畑」が有名ですが、ここでは「愛する人に歌わせないで」という歌を紹介したいと思います。
愛する人に歌わせないで
作ったのは、森田公一さん。森田公一とトップギャランのバージョンもあります。
歌詞の内容は、兵士として戦場に行った夫が戦死してしまい、残された妻が息子に向かって歌う子守唄……というもの。
後半部分の歌詞を以下に引用しましょう。
あなたのパパは 坊や
私たちのことを
あなたのパパは 坊や
とても心配してたの
戦いに行くその日まで
きっと無事に帰ると
固い約束をして
出かけていったのに
あなたのパパは 坊や
あんなに言ったけれど
あなたのパパは 坊や
ここに帰らないの
あなたが大きくなったら
愛する人に二度と
歌わせないでちょうだい
ママの子守唄を
まさに“日本のジョーン・バエズ”という言い方がふさわしく感じられる歌でしょう。
「さとうきび畑」もそうですが、本当ならこんな歌は歌われないほうがよかったし、二度と歌われないほうがいいわけです。森山良子さんも、特に好んで反戦歌を歌う人ではありません。しかし、こんな歌が歌われる。歌われなければならない現実がある……
「愛する人に歌わせないで」が発表されたのは1968年のことで、直接にはベトナム戦争を背景としているでしょう。そして、それから半世紀以上が経ちますが、その間、9.11.があり、アフガン戦争があり、イラク戦争がある。愛する人に二度と歌わせないでちょうだい――という悲しい歌が、何度繰り返し歌われてきたか。
先日、ジョーン・バエズの歌う「花はどこへいった」を紹介しましたが、まさにそこに通ずるテーマといえるでしょう。そうなるとやはり、日本のジョーン・バエズということになってきますが……それは、この世界の現実がしからしむるところなのです。