ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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衆院選2024

2024-10-28 22:14:12 | 時事


先日、衆院選が行われました。

結果、与党は大幅に議席減……やはり、直接的にはカネの問題が大きく響いたわけでしょう。
新総裁のご祝儀支持率で選挙を乗り切るという自民党の伝統芸も、今回は不発に。ここは、大きな誤算だったと思われます。
石破茂という人は、自民党内では受けが悪いけど、国民の間では人気がある――という話だったわけですが、自民党の上層部はその“石破人気”の本質を見誤っていたんじゃないでしょうか。
ここで示されているのは、「批判勢力として権力を批判することで人気を得ていた人が、権力をもつ側についたときにどうなるか」という問題です。
これまでは政権と距離を置いて批判的なこともいっていたのに、権力の側に立ったら、これまでいっていたのと違うことを言い出したりする。そうなると、批判勢力としての人気はがた落ちする。そこが剥がれ落ちたときに、石破茂という政治家その人が持っている人気などというものはほぼなかった、と。

批判勢力が批判勢力としてしか人気を得られない……という状態には、ある種の問題も潜んでいるように思えます。
権力の側にいない間は人気を博していられるけれど、政権を獲得したら、もう政権批判で人気を得ることはできなくなり、本人も周囲もぎくしゃくしはじめ……というのは、かつての政権交代が失敗に終わった経緯にも重なるものではないでしょうか。
これはすなわち、二つ(あるいはそれ以上)の政治勢力が、本源的に対等ではない、「権力を持つもの」と「権力を批判するもの」という役割分担になってしまっている――ということで、これは、この国の政治風土がひょっとしたら明治時代以来ずっと克服できずにいる問題ではないかと思えるのです。この役割が交代してしまうと、政治を動かす側も見ている側も居心地が悪くなり、結局もとに戻る、で、やっぱり政権交代なんかしないほうがよかったという認識に……となると、普通に政権交代が起こりうる政治環境は成立しません。今回の衆院選で、足し算のやり方によっては自公系以外の政権も数字上誕生しうるわけですが、仮にそれができたとしても、またかつての民主党政権と同じことが繰り返されてしまうだけなのではないか……そういう懸念をぬぐえないのです。
この状況を解消するために必要なのは、複数の勢力が対等である状況を作るということでしょう。
それが絶望的に難しいわけですが……しかし、まがりなりにも十数年前に政権交代があり、今またこうして自公政権が過半数割れを起こしたというのは、政権交代可能性とでも呼ぶべきものが、この国にある程度定着しつつある萌芽とも見えます。現在野党にある人たちは、今回の躍進におごらず、焦らず、この芽を育てていってもらいたいと思います。



Samson, Rinding with the Angels

2024-10-23 22:56:02 | 音楽批評


本ブログの前回記事で、Raven というバンドをとりあげました。

いわゆるニューウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル(NWOBHM)のバンド……そういう話が出てきたので、このブログではおなじみの流れで、NWOBHMの他のバンドについても、ちょっと書いてみようと思いました。

で、書いていたところ……たまたま、ポール・ディアノが死去したという訃報が入ってきました。

ポール・ディアノは、このブログにたびたび出てくるアイアン・メイデンで初期のボーカルをつとめていた人。
後に脱退してブルース・ディキンソンに交代するわけですが、そのディキンソンがメイデン加入の前にやっていたSamsonというバンドがあります。
ということで……今回とりあげるのは、そのSamsonです。


サムソンは、1976年にデビューしたヘヴィ・メタルバンド。
NWOBHMのなかでも、初期のほうから活動していたバンドといえるでしょう。

あまり知名度は高くないと思われますが、先述したようにブルース・ディキンソンがアイアン・メイデン加入前に在籍していたことで知らています。当時のディキンソンは、ブルース・ブルースという名前で活動していました。
その時期の曲、Riding with the Angelsを。

Riding with the Angels

一方、アイアン・メイデンが活動を開始したのもサムソンとほぼ同じころ。
しかし、メイデンのほうはバンド結成から作品を発表するまでに数年を要し、音楽業界での活動という点では、少しサムソンに出遅れました。
しかし、あるときイベントで共演したアイアン・メイデンのパフォーマンスに、“ブルース・ブルース”は大きな衝撃を受けたといいます。メイデンのステージが終わると観客の半分が帰宅してしまい、ディキンソンも考えるところがあったということです。
そのときに、このバンドで歌ってみたいというのがあって、後に実際にメイデンに加入するわけですが……このサムソンというバンドは、ディキンソン以外にもなぜかメイデンと人的つながりがいくつかあります。たとえば、ドラムのサンダースティック。覆面ドラマーとして知られる個性的なドラマーです。また、別のドラマーでクライヴ・バーという人がいて、この人もメイデンにいたことがあります。中心人物であるポール・サムソンも、メイデンへの加入を打診されたことがあるんだとか。

といったふうに、アイアン・メイデンとサムソンは浅からぬつながりがあるわけですが……その後のキャリアを比較すると、かなりの差がついていることは否定できないでしょう。
スタート地点ではサムソンのほうがやや先行していたものの、いつしか逆転し、現在ではもう比べ物にならないほどメイデンのほうが巨大になっています。サムソンのほうは、今では知る人ぞ知るバンドといった感じ。サムソンというNWOBHMのバンドを知っているかと人に尋ねたら、サクソンじゃなくて?みたいにいわれてしまうんじゃないでしょうか。
これだけの格差が開いてしまったのは、一つには、それだけブルース・ディキンソンという人の存在が大きかったということでしょうが……私見では、単にそれだけではありません。私が思うに、ディキンソンの移籍は、アイアン・メイデンというバンドがNWOBHMの枠を超越したモンスターバンドになっていく、そのポテンシャルの原因であり、結果でもあったのではないでしょうか。


ディキンソンは、初期のメイデンにジェスロ・タルの影響を感じ取っていたといいます。
以前このブログで、ディキンソンがジェスロ・タルのイアン・アンダーソンと共演している動画を紹介しましたが、そういうところにも支流を持っている点が、ディキンソンの琴線に触れたらしいのです。この点は、アイアン・メイデンというバンドが凡百のメタルバンドとは違う部分の一つでもあったでしょう。

NWOBHMは、基本的には回帰のベクトルをもつムーブメントです。
グラムロックの影響が散見されるのも、そのためでしょう。ジャンル的にはまったく違うものの、そこはブリットポップとも共通する部分があると思われます。
しかし、ブリットポップの話でも書いたように、単に回帰するだけでは、おそらくすぐに飽きられてしまうわけです。そこで、ムーブメントが退潮していくときに、何かプラスアルファの要素を持っているかが問われることになります。そうなったときに、ロックンロールの地層を踏まえていることが重要な意味を持ってくる……ブリットポップでいえば、ブラーやレディオヘッドにはそれがあった。そして、NWOBHMでいえば、アイアン・メイデンやモーターヘッドにはそれがあったということじゃないでしょうか。

で、ディキンソンはアイアン・メイデンに大きなポテンシャルがあることを見抜いた。ゆえに、メイデン加入の道を選んだ。そして、ディキンソンが加入したことで、メイデンは大きく飛躍した……ということではなかったでしょうか。

そうすると、サムソンの側は、アイアン・メイデンになれなかったバンド、ということになります。
後にディキンソンがアイアン・メイデンを一時脱退した際にサムソン復帰の話があったともいいますが、これも結局、ディキンソンがメイデンのほうに復帰したことで流れてしまいます。そのすぐ後に、ポール・サムソンが死去したことで、サムソンはバンドとしての活動を終了するのでした。ニッキー・ムーアやクライヴ・バーなど、その他のメンバーもすでに死去している人が多く、再結成も難しいでしょう。存命のメンバーとしては、サンダースティックが一人気を吐いていて、今でも現役で活動しています。
そのサンダースティックが、自らのバンドで演奏している動画がありました。先ほどのRiding with the Angels もやっています。

Thunderstick - Live at Leos Red Lion 26th July 2019

こういうビジュアル面でのトリッキーな要素は、グラム志向の産物でしょう。後のお面系アーティストたちに影響を与えた元祖ともいわれています。
サクソンにも、アイアン・メイデンにもなれなかったバンド……そんなサムソンですが、ロックの歴史においては、一つのマイルストーンなのかもしれません。



Raven "Born to be Wild"

2024-10-15 22:17:27 | 音楽批評

オアシス再結成の話が、まだ巷を騒がせています。

先日は、アメリカのテレビ番組でギャラガー兄弟に扮したコメディアンによるコントが放送され、プチ炎上するなどということがありました。

それだけオアシスというバンドと、その中心であるギャラガー兄弟が注目されているということなんでしょう。

ところで……

ギャラガー兄弟といえば誰もがまずオアシスを思い浮かべるでしょうが、英国ロック史には、もう一組の“ギャラガー兄弟”が存在しています。

今回のテーマは、そちらのギャラガー兄弟。
ジョン・ギャラガーと、マーク・ギャラガー……この二人を中心に結成されたバンド、Ravenです。


Ravenは、いわゆるニューウェイヴ・オヴ・ブリティッシュ・ヘヴィメタル(NWOBHM)のバンド。1974年にデビューし、今年で50周年を迎えるレジェンドです。アニヴァーサリーを記念して、来月には来日公演も予定されています。

オアシスとはまったくジャンルが違いますが、こちらのギャラガー兄弟も、ムーブメントの追い風を受けた成功と、その失速の苦難を味わったといえるでしょう。
NWOBHMは70年代後半から80年代にかけて一つの大きなブームになったものの、80年代が終わるぐらいには失速。後のブリットポップもそうだったように、ムーブメントを享受してきたアーティストたちは時代の変化への対応を迫られることになります。そして、やはりブリットポップの場合と同じように、多くのバンドは、いったん解散し、しばらくの禊のような期間を経て、ムーブメントが完全に過去の一ページになったところで再結成……というような道をたどりました。アイアン・メイデンやモーターヘッドといった超大物でさえ、ムーブメント失速の影響を完全に回避することはできず、90年代を迎える頃には迷走といえるような動きをみせているのです。
レイヴンの場合も、その例にもれません。
彼らの場合、スラッシュ/スピードメタルの元祖ともいわれる疾走感が持ち味であり、これは90年代ロックの主流とは非常に相性の悪い要素だったため、時代との軋轢も大きかったのではないかと推察されます。
しかし、そんななかでもレイヴンは、しぶとく活動を継続しました。
ある種の迷走状態は避けられませんでしたが……ブームの失速で強い逆風が吹くとしても、耐え続けていればいずれ逆風はやみます。レイヴンは、逆風の時代をくぐりぬけ、半世紀にわたって活動を続けるレジェンドとなったのです。
ここに私は、時代の荒波に流されない美学を見ます。
なんのジャンルであれ、それが衰微しようとしていくときに、時流に抗ってそのスタイルを貫き続ける姿勢には、尊いものがあります。

彼らの代表曲の一つに、Born to Be Wild があります。

いうまでもなく、オリジナルはステッペンウルフ。
映画『イージー・ライダー』でボブ・ディランによって起用されたというロック史における伝説の曲ですが、歌詞の中にHeavy Metal という言葉が出てきて、音楽史においてはじめてこの言葉が使われた例ともいわれています。まさに、ヘヴィメタルの元祖といえる曲でもあるのです。その名曲をレイヴンは、ジャーマンメタルの雄アクセプトからウド・ダークシュナイダーを迎えてカバーしました。

Born to Be Wild (feat. Udo Dirkschneider) (7" Single Cover Version)

それから時が流れ……2015年、同じ曲をグリム・リーパーのスティーヴ・グリメットとともにやっている動画です。

Raven & Steve Grimmett (Grim Reaper) "Born to be Wild" @ The Underworld, Camden, London 25th Oct 20

グリム・リーパーもNWOBHMのバンドで、グリメットもまた、逆風の時代にメタルを貫いた人物といえるでしょう。数十年にわたって同じリングに立ち続けた同志というような感覚があるのかもしれません。グリメットは2年前に死去していますが、その最晩年の姿であることを思うと、また感慨があります。


NWOBHMは、言葉でこそニューウェイヴといっていますが、実際にはパンク方面の文脈でいうニューウェイヴとは真逆で、伝統重視が基本姿勢といわれます。英国ヘヴィメタルの伝統に回帰しようと……それが根底にあるからこそ、元祖ヘヴィメタルというべきBorn to Be Wild を取り上げたわけでしょう。NWOBHMのバンドにはグラムロック系の印象的なカバー曲があったりしましたが、それも同趣旨と思われます。

そのヘヴィメタルの伝統を21世紀の今日まで継承し続けるバンドの一つが、レイヴンなのです。
オアシスと違って、こちらのギャラガー兄弟は仲が悪いということもなさそうなので、今後とも末永い活動を期待できるんじゃないでしょうか。



ドラムの日 ヴィンテージⅩ

2024-10-10 22:04:39 | 日記



今日10月10日は、「ドラムの日」です。

毎年この日はドラマーに関する記事を書いていますが……今年はやはり、ヴィンテージシリーズに合わせていこうと思います。
タイトルの「Ⅹ」は、「エックス」ではなく、ローマ数字の「10」です。10月10日でシリーズ10回目。というわけで、私がYoutubeでキープしていた動画の中からドラマー関連のものを紹介していきます。


コージー・パウエル。
ジャック・ブルースとともに演奏する動画がありました。
キーボードには、ドン・エイリーの姿もあります。

Cozy Powell feat. Jack Bruce - The Loner (Old Grey Whistle Test, 8th Jan 1980)


今年セパルトゥラを脱退してスリップノットに加入したエロイ・カサグランデ。

続報によれば、ツアーのリハ開始直前の脱退となったのは、ぎりぎりまでセパルトゥラと並行しての活動を模索していたためらしいです。スリップノット加入の話が具体的になってきて、スケジュールを提示された時点で、かけもちはどうやっても不可能という結論になり、脱退を決意。なまじぎりぎりまで判断を保留したがゆえに、結果として急なタイミングでの脱退になってしまった……というわけです。まあたしかに、リハが始まってから脱退するよりは、まだその直前のほうがマシではあるでしょう。
さて……そのカサグランデが、スリップノットのドラムをカバーした動画がありました。スリップノット加入前のものですが、この完コピぶりからもスリップノット愛が伝わってきます。

ELOY CASAGRANDE - SLIPKNOT - THE HERETIC ANTHEM (Drum Cover)

この動画ですごいと思うのは、彼が使用しているアプリ。
音源から、特定の楽器パートの音だけを抜くことができるという……これを使えば、憧れのバンドのメンバーになったつもりで演奏できるわけです。


一方、入れ替わりでスリップノットを脱退したジェイ・ワインバーグ。
バンド側は円満な脱退としていましたが、ジェイのほうは解雇という認識になっているらしく……そのショックでセラピーに通わなければならなかったのだとか。
新たに加入したバンドがSuicidal Tendencies (自殺傾向)というのが、またなんとも危うい……
下は、その Suicidal Tendencies で、ジェイ・ワインバーグのドラムが見られる動画です。

Nós Somos Família Music Video


リンゴ・スター。
前に紹介したチャリティ・イベントに、リンゴも出演していました。
ビートルズで同僚だったジョージ・ハリスンとともに、While My Guitar Gently Weeps をやっています。

George Harrison & Ringo Starr - While My Guitar Gently Weeps (The Prince's Trust Rock Gala 1987)

元曲に参加していたエリック・クラプトンもステージ上にいるというところがすごい。
ほかにも、エルトン・ジョンやジェフ・リン、フィル・コリンズといった人たちがいます。


訃報に関連した話ですが……今年、ジェファソン・エアプレインなどのドラマーだったジョン・バーベイタが死去しました。
タートルズというバンドでドラムを叩いていて、タートルズの活動終了後、クロスビー、スティル、ナッシュ&ヤングのバックでドラムを叩くことに。そういう西海岸人脈から、デビッド・クロスビーの紹介でジェファソンに加入することになったとか。
そのときのこぼれ話として、同時期にイーグルスに参加する話もあったといいます。これもウェストコースト人脈でまわってきた話でしょうが……バーベイタがこれを断ったのは、ロック史における重要なできごとといえるかもしれません。もしイーグルスのドラムがドン・ヘンリーでなかったら、その後のロック史は大きく変わっていたでしょう。

で、ジェファソン・エアプレインで、バーベイタが参加する動画としてWooden Ships。
CSNの曲で、ジェファソンもカバーしました。このライブバージョンでは、バーベイタがドラムを叩いています。

Wooden Ships (Live at Winterland Ballroom, San Francisco, CA 9/1972)


スコット・トラヴィス。
ジューダス・プリーストのドラマーです。最近、この人が通常とは逆の握り方でスティックを持っているという話を聞きました。ニール・パートなどの影響で、そのほうが音の粒が際立つからということなんですが……はて、ニール・パートはそんなスティックの持ち方をしていたかな、という疑問もわいてきます。
しかし、スコット・トラヴィスは確かにスティックを逆さまに持っています。
以下の動画で、それがはっきり確認できます。

Judas Priest - Invincible Shield (Official Video)

ちなみにこの曲は、今年ジューダスが発表したニューアルバムのタイトル曲。
この人たちも、まだまだ現役です。



ニール・パートの影響を受けたドラマーといえば、マイク・ポートノイ。
昨年、古巣ドリームシアターへの電撃復帰という話題もありました。
そんなポートノイが、ポケモンドラムキットで遊び倒すという謎動画がありました。

Mike Portnoy: 'Name That Tune' on Pokemon Drum Kit

これはもう完全にネタですが……ちなみに、ハローキティドラムセットで遊んでいる動画もあります。
こちらの動画では、ハローキティギターともコラボ。ギターのほうでも、ザック・ワイルドやマーティ・フリードマン、ロン“バンブルフット”サールといった名うてのギタリストたちが登場しています。

10 Epic HELLO KITTY Jam Sessions


メタル系でもう一人、アイアン・メイデンのニコ・マクブレイン。
この人は、昨年、軽い脳梗塞にかかっていたことを発表しました。一時は右腕などが麻痺していたとのこと。リハビリでだいぶ改善したものの、完全な回復とはいかず、演奏不能になった曲も。The Trooper で、16分音符から32分音符になるフィルができなくなっているそうです。
アイアン・メイデンといえば、今年は来日公演もありました。
公演後には、公式Youtubeチャンネルで日本への感謝のメッセージ動画を公開。なぜか、メイデンを代表してニコ・マクブレインが一人でしゃべっています。

Thank you Japan!


おなじみデイヴ・グロール。
フーファイターズでドラムを叩いていたテイラー・ホーキンスが2022年に死去したという件はこのブログでも何度か書いてきましたが、そのテイラーの息子であるシェーン・ホーキンスがフーファイターズの面々とともに演奏する動画がありました。

Foo Fighters ft. Shane Hawkins Perform "My Hero" | MTV

デイヴ・グロールといえば、最近の話題として、米大統領選で共和党トランプ候補の選挙活動にフーファイターズの曲が勝手に使われているとクレームをつけた件があります。ほかにも多くのアーティストが同様の抗議をしているわけですが、今や米ロック界のゴッドファーザー的な立ち位置にいるデイヴの抗議には重みがあったんじゃないでしょうか。
そこはロックな話なんですが……かと思えば、また一方で、婚外子の存在を公表するなどという話題もあって、ワキが甘いというか……まあ、それもロックなのかもしれません。

最後に、デイヴ・グロール関連でもう一曲。
AC/DCのブライアン・ジョンソンをゲストに迎えてフーファイターズが Back in Blackを演奏する動画です。3年前に公開された動画であり、ステージにはテイラー・ホーキンスの姿もあります。

Foo Fighters "Back in Black" | VAX LIVE by Global Citizen

前に、やはりブライアン・ジョンソンを迎えてMUSEがこの曲をやっている動画を紹介しましたが、やはりこれがロックンロールの原点であり、デイヴ・グロールという人にふさわしいといえるでしょう。



宇宙戦艦ヤマト50周年

2024-10-06 23:07:16 | 日記



『宇宙戦艦ヤマト』が、50周年を迎えました。

この伝説的アニメの放送が開始されたのは、1974年の10月6日。それから、今日でちょうど50年となるのです。

松本零士先生については、これまでに本ブログで何度か記事を書いてきました。

しかしながら、意外と宇宙戦艦ヤマトについてはあまり言及してこなかったと思います。
そこで今回は、50周年を機に、ヤマトについてちょっと書いておこうと思いました。



ヤマトについて書くとなったら、私としてはどうしても触れなければならないテーマがあります。

それは、劇場版第二作『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』……

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』4Kリマスター / 2024年1月5日公開 予告[4K UHD]

この作品のラストについてです。

まあ、かなり有名なエンディングなので、これはネタバレにはならないんじゃないかということで書きますが……この作品において、ヤマトは最後に“特攻”します。敵があまりに強力すぎてもはや通常の戦闘では太刀打ちできないとみて、自爆攻撃を敢行するのです。

私は、この作品に関して、長く一つの矛盾を感じていました。

松本零士先生は、自身の生い立ちから、特攻を賛美してはならないとしている。にもかかわらず、最後にヤマトを特攻させたじゃないか……と。
しかし、だいぶ後になってから、そう単純な話ではないということを知りました。
これは、ヤマトという作品のみならず、松本零士という漫画家が生涯描いたテーマにもかかわる重要なテーマです。なので、この点についてはちょっと詳しく書いておきたい。


まず、前提としておさえておかなければならないのは、「松本零士は『宇宙戦艦ヤマト』の原作者ではない」ということです。

公的に認められている原作者は、西崎義展という人です。

この西崎さんという人が発端となる企画を出し、そこからさまざまな人が関与して、ヤマトという作品が練り上げられていきました。松本零士先生もいわばそのプロジェクトチームの一人。主要なキャラクターデザインなど大きな役割をはたしていはいるものの“原作者”ではない、ということなのです。ヤマトの原作者が誰なのかという問題は後に裁判沙汰になっていて、法廷でそういう結論になりました。「公的に」といったのは、そういうことです。松本先生の手によって『宇宙戦艦ヤマト』の漫画が描かれているわけですが、あれはアニメ放送の後に連載がはじまったもので、今風にいえばアニメのコミカライズなのです。

裁判沙汰にまで発展したというのは、松本零士と西崎義展というこの二者が対立状態になっていたということなわけですが……その対立は、少なくとも『さらば宇宙戦艦ヤマト』にまでさかのぼることができます。

ファンの間ではよく知られているとおり、『さらば』の制作過程においては、制作陣の内部で激しい対立がありました。
アニメで森雪の声を担当した声優の麻上洋子さんによれば、声優陣の前でやめるやめないの争いになることもあったのだとか。
対立の原因はいろいろあったかもしれませんが……そのなかでも大きな原因の一つといわれるのが、先述したエンディングに関する松本、西崎両者の考えの違いです。西崎氏はヤマト特攻というかたちでのラストを提示し、松本零士先生がそれに反対した、と。
そう、つまり、松本先生は『ヤマト』においても特攻に反対していた……ここに、私が考えていた矛盾はなかったということなのです。
結果として『さらば』では西崎案に従ってヤマトは特攻するわけですが、この話にはまだ続きがあります。この映画の後に、ヤマトの新たなTVシリーズが制作されるのです。
その『宇宙戦艦ヤマト2』は、劇場版の『さらば』と同じ白色彗星帝国との戦いを描いています。そして、このテレビアニメ版のラストでは、ヤマトは特攻という手段を択ばないのです。
逆はあっても、劇場版アニメをもとにしてテレビ版アニメを作るというのはなかなか異例のことでしょう。まして、劇場版でこれが最後の作品と明確に打ち出している状態では……そこにはやはり、特攻というかたちでのエンディングを是としなかった松本零士先生の強い意志が働いていたのではないでしょうか。

このことには、もちろん賛否があります。ヤマトファンの間では、劇場版のエンディングのほうがいいというほうが多数派かもしれません。
また、私個人としては、あの状態でヤマトに自爆攻撃をさせるということと、かつての日本軍がやった特攻を批判することとは必ずしも矛盾しないという考えもあるんですが……
しかしやはり、重要なのは、松本零士先生が特攻というものにあくまでも否定的だったということです。そこは、『宇宙戦艦ヤマト』という作品に接するときに、知っておいたほうがいいんじゃないか。作品が50周年を迎え、松本先生も世を去った今、そんなふうに思われるのです。