手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

こんな生き様でいいのか?  決して高尚とは言えないし、格調高い生き方でもない

2013-06-07 20:08:22 | 随想
人の生き方は、まさに人それぞれでいいのだ。今日ブログを書こうと思ってPCをひらき、一日をふり返ってみると、昨日ととほとんどん変わらない。

 パークゴルフに行って、帰ってきて家内の買い物のお供、午後は吟手稲第二教場、終わって病院へ薬をもらいに行ってきた。

 友達を考えても、数年前までだと盃を酌み交わしながら、いろいろ論じ合う友達もいた。だが、いまや詩吟の仲間とたまに飲むくらいでそれは高尚なというには程遠い。

 映画を見ることもなくなったし、小説を読む気もない。政治も確固とした信念で応援する状況でない。テレビも野球と連続の大河ドラマくらいしか見ない。

 天下国家を論ずることはできないとしても、今の政治に自分なりの見解を堂々と話せなくちゃと思うけれど、無党派の日和見主義の自分がここにいる。

 いま、自分を支えているのは、詩吟を週五回教えているという小さな誇りだけだ。本当に小さい。

 今、日本の伝統文化は、保存文化なりつある。今日札幌ではヨサコイソーラン祭が華々しく展開されている。この出場に各出演団体は一年間かけて稽古をしてきている。そしてこの盛り上がりを作っている。

 この祭りに寄せる出演者の熱さはすごい。それに比較して、日本の伝統芸能、謡曲にしても、民謡にしても、詩吟にしても、日舞にしても何かみんなマイナーな細細とした活動になってきている。いわば、伝統芸能に対する思いが欠落しかけているように感じる。


 伝統芸能の一端を担っていて、その振興に対する方策、意志を強く言え、その努力を実践していれば胸を張ることができるのだと思う。

 街づくり、村づくりの行事がいろいろやられている。それも結構なのだけれど、日常生活に精神的潤いをもたらす、伝統文化の振興に一人の人間がやれることは知れている。

 今の行政に欠けている側面として伝統文化の振興ということかあげられるように思うのだが。行政が引っ張るやり方があると思う。たとえば、今、各区で実施されている老人大学などでもその講座の編成をもっと有識者の意見を聞き、ただ面白いとか実用的だとかという範疇を超えたものにしていってはどうなのだろう。
コメント
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