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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

 少子化時代・・・仕方がないけど寂しい

2013-06-23 19:01:26 | 無題
私は10人兄弟の長男です。私たちは生めや増やせやの時代の世代だから、10人と言って特別多いということではなかった。

 日本も軍国主義に走り軍備の拡張に必死で、庶民の生活を豊かにするという政治ではなかった。庶民の生活は厳しかった。家もそんなに大きな家もなく、子供であふれるような家が多かったのだ。経済的には恵まれず、貧しい生活だったけれど、暖かかった。

 一つのが地域共同体というような感じで、楽しかった。

 私の父は戸数4~50戸くらいのの小学校長だった。のいわば村長さんみたいで、冠婚葬祭には必ず呼ばれていた。また、学校の運動会はを挙げてのお祭りで、村祭り以上に盛り上がっていた。

 学校は複式で一学年20人前後だった。とても仲が良く、喧嘩や虐めなどは全く関係がなかった。私にとってはとても懐かしい故郷なのだけれど、少子化の波の中で、学校も閉校になってしまった。

 高校の教師になって、最初に勤めたのが沼田高校だった。11年勤務して転勤したのが美唄東高校だった。美唄は炭鉱の町で、山の斜面には炭鉱住宅がびっしり建てられていた。そのほとんどが、長屋で、二戸建てから、六戸建てまでいろいろだった。そんな長屋生活の話もよく聞いた。六戸長屋に共同便所が外に一つだけで大変だったとか、長屋はみんな親戚みたいなもので、調味料の貸し借りまでされいたという。そんな炭鉱住宅も炭鉱閉山でなくなっていった。

 高度経済成長期から生活はガラッと変わり、生活水準は上がったけれど、その代償のように少子化が進むことになった。私の子供の時は友達がいなくても兄弟がいて、遊ぶことに困ることはなかった。今や一人っ子、三人は多い時代になっている。子供がもっとほしくても、生活水準を維持するには、それ以上子供を作ることかできなくなっているのだ。

 立派な家が競い合うように建てられ、高層マンションもどんどん出来た。しかし、近所付き合いというか人間関係の親密さはなくなっている。これで子供が多ければ、子供を通しての付き合いなども広まるのだろうけれど、子供の数も少なく、近所付き合いはとても稀薄になっているように思う。

 また、一戸建ての家では必ず塀を立てている。私の家もそうだけれど、塀はやはりバリアなのだ。塀がなければ隣とももっと親しくなれるのかも知れない。 子供が少なくなり、生活水準は高くなったけれど、人間同士のつながりが遠くなっていってるのはとても残念だ。
コメント (1)
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