手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

建国記念日・・碌峭会にとっても記念日です

2015-02-11 18:34:41 | 詩吟関係
 2005年12月11日、この日は朝から吹雪だった。その吹雪の中、私の車に三教場長(高橋・福本・今井)の三人を乗せて岩見沢に向かった。岩見沢の象堂流宗家佐々木象堂氏の自宅に向かったのです。

 目的は 象堂流に退会届を提出するためでした。1月の新年会の折、私の最初の詩吟の先生で、私に何かと親切にお世話くださっていた東先生が大変な仕打ちを受けていることを知り、 象堂流から出ることを決意し、各教場に話をし了解を得られたので退会届を取りまとめ、この日提出したのでした。

 建国記念日が奇しくも 象堂流退会、碌峭会出発の記念日となってしまったのです。

 20年間世話になっていた 象堂流ですが私には耐えがたいブレッシャーがありました。数年前から離脱を考えていたのですが、踏ん切りがつかないまま来ていました。これまでに象堂流の屋台骨を支えていた先生方が次々と退会したり、独立し北詩連に加盟したりしていている現状を見てたまらないものを感じていたのです。そんな状況の中でいわば 象堂流の生みの親でもあった東先生を疎外し、結局それが原因での事故で東先生が亡くなることとなったのでした。

 私は当時40名ほどのお弟子さんを抱えていました。退会届はすぐ受理されましたので、すぐに現在の碌峭会設立に動き、その年の4月から現在の北詩連に加盟させていただいたのでした。あれから11年目を迎えます。会員数は25名ほどに減少していますが、三教場とも元気に活動しており、なお、北詩連で新しい吟風と出会い、詩吟を根本から見直すことができました。

 現在三教場のほかに、手稲老人福祉センター公開講座詩吟の講師をして20名ほどの会員の指導をし、さらに町内会健幸くらぶ(老人クラブ)の詩吟の会6人を教えていますので50数名のお弟子さんを教えていることになります。

 自分の吟を振り返って見ますと、 象堂流の時とは吟風が全く変わりました。これが詩吟なのだとようやく感じられるようになってきました。ただ、上手とか下手とかいう評価をされると私は決して上手とは言えないと思います。でも、一応これだけのお弟子さんを持っているというのはそれなりの評価をされてよいのかもしれません。

 今は 象堂流からの離脱、良かったのだと確信しています。

 先日先日高名な彫刻家が「石の上にも3年という言葉があるけれど、石の上にも30年と感じている」とおっしゃっていた。私の詩吟もう40年を過ぎています。今ようやく詩吟を感じ取れるようになってきているような気がします。
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