87年目の年を迎えた。昭和5年に生まれ、旧制の最後、新制の最初の学年を終え、高等学校の教師として38年務め、退職後は現役時代に始めた詩吟の先生として現在まで続いている。
終戦の混乱期、学制の改革時、その混乱に乗じて、ろくに勉強もしないでこんな人生をたどってきた。仲間には、教頭に、校長になった方も多い。私はというと美唄東高校で森浦校長の時、教頭に推薦するといわれたが、私しには荷が重いと思い断り、私より年下の方を私からもお願いした。その方は教頭から、校長まで出世され今も元気にしておられる。その三年後また教頭試験を受けるように勧められ断ることができず、試験を受けたけれど合格しませんでした。残念に思いませんでした。良かったという気持ちが強かった。そのあとも更に二回推薦されたけれど、それも合格しませんでした。いわば管理職不適者だったのですね。
管理職にならなかったおかげで、詩吟をつづけることができ、退職前から詩吟の教室を立ち上げていた。退職時には詩吟のお弟子さんが20数名いて、その後一時期は40名ほどお弟子さんを持つことになったりした。
数年前からは教室が五つとなり、週五日詩吟を教える生活をしている。
詩吟は決して上手じゃないけれど、詩文の解釈、関連した歴史的事象の説明はほかの詩吟の先生に負けない自信がある。最近の世代の方たちは、詩吟にほとんど興味を持たない。昭和も戦後の世代には容易に受け入れられない。そんなことでお弟子さんが減少する悩みを皆様お持ちです。今私は老人福祉センターの講座で20数名、町内会の老人クラブの会5名、それと正規のお弟子さん19名を教えている。教員として、管理職にもなれなかったのだけれど、管理職になっていたら詩吟の教室を持つことができなんかったと思う。
お蔭様で、とても充実した退職後の人生を過ごしている。まだ3年くらいは現役でいられると感じている。
今でもあちらこちらで先生と呼ばれる。名前で呼ばれるのより。先生と呼ばれることの方が多い。現役の時はつらいことも多かったけれど、退職後はとても充実した人生になている。残り少ないじんせいだけれど、満足できる人生で終われると思う。