90年の人生を追ってきたが、悔いは山ほどある。でも、人に誇れるようなことってさっぱりない。
10人兄弟の長男として生まれ、貧しかったが、父がの小学校の校長で、校長先生の息子ということで、ちゃほやされながら育った。年子の妹がいて妹のほうが男勝りのリーダーシップを持っていて、妹を通して助けられた思いは多い。
小学校に入学した年が、当時の言葉でいう日支事変が始まった年で、永山農業に入学した年が終戦の年だった。そして、永山を卒業して北海道第三師範学校本科一年に入学したが、師範学校の最後の学年になった。本科一年を終わって2年生になったときに新制大学が立ち上がり、師範学校は学芸大学になった。
短期大学に相当する二類と4年制の一類とに分かれて入試が行われ、新制大学の一期生として押し出されるようにして卒業してきた。そして務めたのが、新制高等学校だった。
小学校5年の時、父に6年を終わったら予科練に行こうかなと言ってみた。家計からして中学校に行かせてもらうような余裕のないことが分かっていたので言ってみただけです。即座に「お前は、高等二年まで行って師範学校に入りなさい、。師範学校を卒業して兵隊になったら将校になれるのだ。」と言われた。
結局、師範学校を受けたが不合格、仕方なく永山農業に入ったのでした。結構同じような経験者がいたのを後で知りました。私は、旭川師範学校を落ちてしまいましたが、妹はすんなり入学でき、素晴らしい人脈を作って楽しんでいた。その話を聞いて、本科には絶対入ると決めてかかっていたのでした。それが災いして、農業の勉強をおろそかにしてしまい、一年生当時は先生方からも嘱目されていたのでしたが、それにこたえられない恥ずかしい成績になってしまいました。