太田駅北口の広場に二人の武将像がある。一人は立っていて、一人は横に控えている。 鎌倉幕府の息の根を止めた新田義貞の像です。隣の県栃木の足利は足利尊氏の地元、足利学校のあるところ、尊氏と義貞は親戚関係にあったといいます。しかし鎌倉幕府からは尊氏が厚遇され、義貞は冷遇されていたようです。建武中興の折、後醍醐天皇にくみし、群馬県の行品神社で鎌倉攻略の兵をあげ、15日後には鎌倉を攻め落とし、楠正成とともに建武の中興の立役者になったのでしたが、尊氏の造反で中興新政府は崩れ、南北朝時代に移るのですが、その折、中興の政府を守るべく頑張ったが志むなしくはてていったので、最後が寂しく歴史の表から消えていった感じで、群馬には新田の城跡があるようですが、まだ訪ねることが出来ないでいる。
群馬県は気候も良いし、土地も良いので開拓の歴史は古いし、歴史的事柄は多い。徳川家康の事績もいろいろあるようです。そのうち掘り起こしてみたいと思っています。