嘗て所得倍増計画という政策が始まり、その国策にのって年々給料は上がるし、産業も成長をつづけ、あの終戦後の厳しい生活がうそのような国になっていったことがあった。毎年ベースアップがあり、生活にも余裕があった。今から考えると嘘のような時代だった。
三公社五現業が健在であったころは、大きな職場ではサークル活動が盛んにおこなわれていて、その時代は詩吟サークルも多く、特に国鉄、官公庁のサークルは民間のサークルのリーダー的存在として活躍していた。
それが、バブルの崩壊、国鉄の民営化をはじめ三公社五現業も民営化されると、みるみる姿が変わり、企業内のサークル活動は、合理化の波の中で追いやられる時代になった。
私の詩吟は1974年美唄東高校勤務の時、仲間7人と一週間に一度職員室を稽古場として始まりました。その後、札幌西陵高校に転勤して、PTAの公開講座に「詩吟入門」を開設しその時の参加者たちをもとに現在の詩吟の会を立ち上げて行ったのでした。
札幌西陵に着任したのが昭和54年でした。このころはまだ国鉄とか大きな企業で詩吟をやってきた方たちが退職間もなく、詩吟の会への入会者は多かった。
バブル崩壊が、企業からのサークル活動を詠やることとなり、詩吟を初め、民謡、日舞、謡曲などの伝統芸能の衰退へとつながり、世代交代が起きたように思います。今、かろうじての人数を揃えて詩吟を続けていますがこの後新会員見つけることは難しいのではないかと感じています。
三公社五現業が健在であったころは、大きな職場ではサークル活動が盛んにおこなわれていて、その時代は詩吟サークルも多く、特に国鉄、官公庁のサークルは民間のサークルのリーダー的存在として活躍していた。
それが、バブルの崩壊、国鉄の民営化をはじめ三公社五現業も民営化されると、みるみる姿が変わり、企業内のサークル活動は、合理化の波の中で追いやられる時代になった。
私の詩吟は1974年美唄東高校勤務の時、仲間7人と一週間に一度職員室を稽古場として始まりました。その後、札幌西陵高校に転勤して、PTAの公開講座に「詩吟入門」を開設しその時の参加者たちをもとに現在の詩吟の会を立ち上げて行ったのでした。
札幌西陵に着任したのが昭和54年でした。このころはまだ国鉄とか大きな企業で詩吟をやってきた方たちが退職間もなく、詩吟の会への入会者は多かった。
バブル崩壊が、企業からのサークル活動を詠やることとなり、詩吟を初め、民謡、日舞、謡曲などの伝統芸能の衰退へとつながり、世代交代が起きたように思います。今、かろうじての人数を揃えて詩吟を続けていますがこの後新会員見つけることは難しいのではないかと感じています。
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