釣りを趣味にしている方は多いと思う。私の釣りはそんなに熱中する釣りではなかったが、私の人生の1ページにはなる。
釣りというものを始めたのは小学校の3年くらいに、仲間と近くにあった小川でドジョウ釣りが出発です。ドジョウといっても私の住んでいたところでは、確かな名前は知りませんがたしか「仏ドジョウ」とか言われたように思う。今の土壌鍋になったりするドジョウはめっにいなくて、そのドジョウは内地ドジョウと言われていた。もちろん釣っても食べるわけではなく釣ることだけが楽しみだったのです。その後カジカ釣りをするようになりました。「かまくらみみず」といっていましたが、ミミズの太いやつです。これの中に糸を通して束ねた数珠というものを棒の先につけて、護岸の「じゃかご」の隙間に入れて、大きな口で食いつくのを引き上げるのです。近くの安足間川で小学生時代は遊びました。一度一緒に行っていた、お店の同級生太郎さんといっていた時、太郎さんがどうしたはずみか川に落ちたのです。「ジヤカゴ」は本流が岸にぶつかるところに作られていますから流れが急なのです。どうしてよいのかもわかりません。アッ!アッ!と思ったら10メートルくらい流されて向かいの浅瀬に立ち上がりました。そのあとどうしたのか記憶に定かでないけれど、本当に自分が助かったくらいに嬉しかった記憶が残っている。
高等科に入ってからヤマメ釣りに入りました。少年時代を過ごした上川の東雲という処は、大きな川が石狩川と安足間川の二本あり、更にその支流があっての近くはヤマメと雨鱒がつれ、更に奥に行くと岩魚が釣れるのです。大学時代にヤマメを釣って旭川の闇市にもっていって、売ってもらったことがあります。
最初赴任した沼田には雨竜川が流れていましたが、ウグイだけでヤマメはいません。それでもうわさを聞いて自転車で2時間くらい走るところまで釣りに出かけたものでした。
美唄に転勤になってからは、仲間は海釣り方がほとんどで、そのお供もしたものですが、美唄では車も手に入れましたので、浜益の方まで釣りに出かけたものです。
札幌に来てからもしばらくは、浜益が私の釣り場でしたが、ある時赤井川が紹介され、其れからは毎年赤井川に出かけていました。
パークゴルフの仲間の大島君が俺はヤマメ釣りの名人だと豪語したので、一緒に行ってみようと誘って赤井川に連れて行き、釣り場の橋のところで、私は一寸上の方へ行ってくるから、この橋の下手で釣っていて、といって分かれ、40分ほどして戻ってきたら最初に別れたところにポツンといて、全く魚がいないといって憮然としている。そんなことないといって私のびくを見せる。私は40分ほどで30匹くらい釣っています。すぐ手前にここにだっているからといって目の前で釣って見せました。大島君とは3年くらい一緒しました。いつも私の一割くらいしか釣れないのです。その後、大島さんは一人で出かけ、支流の水田の用水路みたいなところで釣れることが分かり、そこの水田の主人とも仲良くなってよく出かけていたようです。
最後、10年ほど前に弟と一緒に出かけたとき、笹藪をこがなければならないことがあり、それでなくても肺気腫が進んでいたのに、この無理がたたって右目の動脈梗塞を発症し、それ以来ヤマメ釣りもやめている。
悪いこともした記憶がある。豊平川へのヤマメの放流の報道を聞き出かけて豊平橋の上手の水路にある水門の処に何人か釣り人がいたけれど、そこの仲間に入って私が釣ってしまったことがある。
ヤマメのあのきれいな魚体は山女という言葉にびっりだ。まだ釣り竿を投げないでいるけれど、懐かしい昭和が目に浮かぶ。
釣りというものを始めたのは小学校の3年くらいに、仲間と近くにあった小川でドジョウ釣りが出発です。ドジョウといっても私の住んでいたところでは、確かな名前は知りませんがたしか「仏ドジョウ」とか言われたように思う。今の土壌鍋になったりするドジョウはめっにいなくて、そのドジョウは内地ドジョウと言われていた。もちろん釣っても食べるわけではなく釣ることだけが楽しみだったのです。その後カジカ釣りをするようになりました。「かまくらみみず」といっていましたが、ミミズの太いやつです。これの中に糸を通して束ねた数珠というものを棒の先につけて、護岸の「じゃかご」の隙間に入れて、大きな口で食いつくのを引き上げるのです。近くの安足間川で小学生時代は遊びました。一度一緒に行っていた、お店の同級生太郎さんといっていた時、太郎さんがどうしたはずみか川に落ちたのです。「ジヤカゴ」は本流が岸にぶつかるところに作られていますから流れが急なのです。どうしてよいのかもわかりません。アッ!アッ!と思ったら10メートルくらい流されて向かいの浅瀬に立ち上がりました。そのあとどうしたのか記憶に定かでないけれど、本当に自分が助かったくらいに嬉しかった記憶が残っている。
高等科に入ってからヤマメ釣りに入りました。少年時代を過ごした上川の東雲という処は、大きな川が石狩川と安足間川の二本あり、更にその支流があっての近くはヤマメと雨鱒がつれ、更に奥に行くと岩魚が釣れるのです。大学時代にヤマメを釣って旭川の闇市にもっていって、売ってもらったことがあります。
最初赴任した沼田には雨竜川が流れていましたが、ウグイだけでヤマメはいません。それでもうわさを聞いて自転車で2時間くらい走るところまで釣りに出かけたものでした。
美唄に転勤になってからは、仲間は海釣り方がほとんどで、そのお供もしたものですが、美唄では車も手に入れましたので、浜益の方まで釣りに出かけたものです。
札幌に来てからもしばらくは、浜益が私の釣り場でしたが、ある時赤井川が紹介され、其れからは毎年赤井川に出かけていました。
パークゴルフの仲間の大島君が俺はヤマメ釣りの名人だと豪語したので、一緒に行ってみようと誘って赤井川に連れて行き、釣り場の橋のところで、私は一寸上の方へ行ってくるから、この橋の下手で釣っていて、といって分かれ、40分ほどして戻ってきたら最初に別れたところにポツンといて、全く魚がいないといって憮然としている。そんなことないといって私のびくを見せる。私は40分ほどで30匹くらい釣っています。すぐ手前にここにだっているからといって目の前で釣って見せました。大島君とは3年くらい一緒しました。いつも私の一割くらいしか釣れないのです。その後、大島さんは一人で出かけ、支流の水田の用水路みたいなところで釣れることが分かり、そこの水田の主人とも仲良くなってよく出かけていたようです。
最後、10年ほど前に弟と一緒に出かけたとき、笹藪をこがなければならないことがあり、それでなくても肺気腫が進んでいたのに、この無理がたたって右目の動脈梗塞を発症し、それ以来ヤマメ釣りもやめている。
悪いこともした記憶がある。豊平川へのヤマメの放流の報道を聞き出かけて豊平橋の上手の水路にある水門の処に何人か釣り人がいたけれど、そこの仲間に入って私が釣ってしまったことがある。
ヤマメのあのきれいな魚体は山女という言葉にびっりだ。まだ釣り竿を投げないでいるけれど、懐かしい昭和が目に浮かぶ。
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