手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

 福祉センター詩吟  氷雪の門をやりました

2015-01-13 19:20:54 | 詩吟関係
 星野哲郎作の「氷雪の門」を先週に続いて今日もやってきました。

 北詩連全道吟剣詩舞大会の地方大会の最後となったのが稚内でした。北詩連に加盟してまだ3年目でしたが碌峭会として大型バス一台を借り切って一泊で参加させていただいた思い出は今も忘れることができません。前日観光で氷雪の門にも行ってきました。稚内支部が 構成吟で氷雪の門の詩舞を披露されたのも記憶しています。

 南の白百合の塔、北のの氷雪の門、本当に痛ましい歴史です。それにしても真岡の9人の乙女の最後は、戦い自体が理不尽なものでしただけに何ともやりきれない思いにさせられます。

 日露戦争の意趣返しのような戦争だった。8月15日にポツダム宣言を受け入れ、敗戦が確定し、武装放棄に入っている日本に宣戦布告。これは勝利は初めからわかっているのであって、いわば侵略戦争だったのだ。樺太を取り返し、千島を取り返しただけでなく、日本固有の択捉、国後などを取り上げたのだ。今領土返還の交渉を政府はやっているけれどまず返すことはないでしょう。  
 あのウクライナでのやり方は近代的侵略戦争だ。今や北方領土もソ連人によって開発されている。そんな実効支配地を返還することなど全く考えられない。二島返還もだめなのかもしれない。

 日露戦争を開戦しなければならなかった理由は、ロシヤの極東進出が既に遼東半島まで鉄道を敷き、旅順を太平洋艦隊の軍港とし、さらに朝鮮半島にその手が伸びていて、このままでは日本もロシヤに侵略されかねない状況があって、やむなく起こした戦争だった。この戦争のおかげで遼東半島は中国に戻り朝鮮半島は残ることができたのだ。確かに樺太の半分を手に入れ、満州での権益を得たのだから侵略といわれるかもしれないけれど、開戦の理由は、終戦後に日本に対して宣戦布告したソ連の理由とは全く違う。いわばソ連の極東における帝国主義を抑えるための戦争だったのだ。

 戦争が終わったとほっとしてた日本に進攻し、略奪の限りをつくし、捕虜として何万もの軍人たちをシベリアに抑留し、シベリア開発の奴隷のような扱いをしたソ連、そんな理不尽な戦争の中で自らの命を絶っていった真岡郵便局の乙女に改めて痛みの言葉をささげたい。
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