コロナの蔓延防止で、公共施設の貸し出し、使用は総てアウトになっていた。私の詩吟の教室も粛々と継続していたのだけれど、教室を借りることができなくなり5月から休みが続いてきた。
今日ののニュースを聞くと、20日までの緊急事態は解除になるようだ。とすると21日から教室が再開できるかもしれない。
週一回の教室だけれど、有ると無しとでは気持ちが全く変わる。歳のせいでもありますが、一回の教室が楽しみで、張りのある生活になる。
91歳、持病の肺気腫もかなり進行していて、酸素に頼ることが多くなっている。でも詩吟の教室では酸素なしで勤めることができている。肺気腫に詩吟はとても良いリハピリ―です。
そろそろ後継者にまかすことを考えなければならないのですが、むつかしいことです。先に、女性のIさんが同じ職場の同僚を誘って教室を立ち上げてくれたのでしたが、三人ほど仲間にしておられたのですが、皆様おやめになり、とうとう会を解散し、I先生は個人会員として北詩連に席を置く形となってしまった。また、私の北詩連での吟歴の出発点、平和教場はKさんが教室をを立ち上げたもののの、実動ができないでいた。又、Oさんが資格を取られたので、このお二人で平和教場の教室を維持してもらうことにしたのでしたが、必ずしも十分に機能しているといえない。教えることのむつかしさがあるのです。
詩吟人口が極度に減少していて、教室を立ち上げることは至難に近い。そんな中ですから、指導の仕方もただ吟を教えることだけ出来ても指導者として務まらないということを考えなければならない。
今の私の教室には、OBの方が特別会員としてお二人いらっしゃる。又、教本を終了した方もお二人たのしんでおられる。私の教室は今は特殊な教室になっています。でも楽しい教室になっています。これも時代のもたらすものなのでしよう。
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