90歳に手の届く老い二人、二人でテレビを見ることはしても、おしゃべりを楽しむということはない。二人でいるのに、会話らしい会話もろくになく、何か頭が退化していくように思う。耄碌しかけているみたい。おしゃべりをしない・・・おしゃべりが嫌いなわけではないのです。おしゃべりの相手がいないのです。このブログを毎日に近く書いているのが、おしゃべりの役割を果たしているのかもしれないけれど、やっぱり違う。おしゃべりは当意即妙に言葉を吐きだすけれど、ブログだと間髪入れずといった反応は必要ない。思いだすことの出来ないこともゆっくり時間をかけて思いだしても関係がない。おしゃべりは頭の回転の速さを求める。このごろ特にしゃべることが下手になったように思う。しゃべっている途中で、しゃべろうとした人の名前や事柄がイメージはありながら言葉になって出ないという事態にたびたび陥っている。お酒を飲めた頃は、お酒の仲間とおしゃべりを楽しめたのに、今はお酒もやめたので酒の仲間もいない。老人福祉センターの詩吟の講座の講師をしているけれど、他にいろいろ講座があるのだから、そんな講座の仲間に入ればまた違った楽しみがあると思う。だけど、体調があまり良くないこともあり、積極的に道を開く努力をしないでいる。
テレビの落語とか漫才などを、ゆっくり楽しむ努力はどんなものでしょうね。テレビはバライティ番組が目白押しです。もっと興味を持って見ると話題が豊富になり、おしゃべりのない生活を克服できるかもしれませんね。いままで好きになれなかったものに興味を持つ努力にもなるのです。おしゃべりのできない悩みを克服する題材はこんなところに転がっているかもしれません。</font>
テレビの落語とか漫才などを、ゆっくり楽しむ努力はどんなものでしょうね。テレビはバライティ番組が目白押しです。もっと興味を持って見ると話題が豊富になり、おしゃべりのない生活を克服できるかもしれませんね。いままで好きになれなかったものに興味を持つ努力にもなるのです。おしゃべりのできない悩みを克服する題材はこんなところに転がっているかもしれません。</font>
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