小学校4年の時、吉田鉄郎先生が詩吟を聞かせてくれた。ただ一回の吟だけれど、私の体にしみこんだみたいで、忘れることができなかった。そして、いつか機会があれば詩吟を習いたいと思い続けていた。
沼田高校から美唄東高校に転勤して、数年後佐久間先生から声がかけられ、先生の伯父さんになる東先生が詩吟の指導者としての免許を取得したので、道場を開きたいといっている、一緒にやってみないかと誘われ
即座に仲間入りをさせてもらった。8名くらいの仲間が集まり、土曜日の18時から職員室で教えをいただくことになりました。
豊泉流という流派でしたが、ほかにどんな流派があるのかももわからないまま、とにかく先生の口伝に随って初段の試験にまい進したものでした。会は、東吟会と名付けました。美唄東の東と先生の東を取ってつけたものでした。私は一番年上で会長に祭り上げられていましたが、好きだけれど吟はとても下手でした。
自分ではやれるつもりなのですが、最悪でした。でも、やめる気はありませんでした。稽古をすれば人並みにやれるようになるはずだと信じて頑張りました。
豊泉流で初段を受審して、全員合格してわかりました、特別大きな間違いをしないで吟じればみんな合格するのだということを。それを知らなかったから、全員初段合格ということで、祝杯を挙げたものでした。
初段になった年に、新しい会「恵山流日本吟道会」が立ち上げられ、私たちはそちらに移ることになりました。豊泉流から分派したのでした。分派したといえ、300名からの会員を擁し、宗家流でなく会員制の
流派でした。ただ、指導の中心に佐々木象堂先生が据えられていました。
佐々木先生は豊泉流でコロムビアのオーデションで全国優勝をして、コロムビア音楽会の副会長をつとめられ、全国に名前を知られた方でした。数年後に会名を 象堂流恵山吟道会に変更され、宗家流に変えられました
。しかし、創立当時の素晴らしい先生方が次々やめてゆかれ、会の勢いも無くなってきました。そんな中で今度は、象堂先生がコロムビアから外される事態が起こったのでした。・・・つづく/div>
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