来週の月曜日、20020年の最後の教室です。今年は忘年会もできなかったので、それに変わる試みを企画したけれど、私の考えるようには盛り上がらないでしょう。結局私がどう盛り上げてあげるかというところですか。
各自一言づつ詩吟に関することを話すということにしてあるけれど、将に一言で、5分も話をしてくれる方はいないでしよう。時間をどのように使うか、思案のしどころです。みんなの話は15分以内で終わると思う。私が30分ほど、話してあげる。吟歴47年ということで話してみます。そのあと歌謡吟を一題みんなで稽古をして終わらせるのはいかがなものか。それとも、最初に私のトークを入れて、そのあと、各自に好きな吟一題をやって、一言のトークをやってもらう。
余った時間で歌謡吟をやって終わらせるか 合吟をいくつかやらせて終わるというのもありですね。まあどうでも持って行けるでしょう。
改めて吟歴を考えてみると、現職は詩吟の準備の時間で、47年の詩吟が私の人生だったといえるかもしれない。最後の締めくくりが、札幌市社会教育功労者表彰となって締めくくられたことになる。詩吟にかかわる思い出はかなり重たい。とりわけ、詩吟をやっていたから関わることのできた手稲文化協会の事務局長となり、それまで、手稲コミュニティセンターで年一回開催していた文化祭は、嘏客もいないような舞台発表になっていた。手稲が軽川といわれた時代に立ちあげられた文化協会がこのままつぶれて行くのを見ていることができずに、私が動き、区の地域振興課との連携をとり、丁度有珠山噴火災害のあったときで、そのチャリティとして伝統芸能祭を区の後援を受けて開催し、大成功をおさめ、次の年からも区民ホール使用料減免で開催させてもらうようにし、その流れの中で文化祭の手稲区民センター開催へと進めて行きました。その中で指定管理者制度が出てきて、文化祭も区民センター使用料が有料になる問題が出てき、その問題で区とかなり激しい交渉を続けたりしました。その後、文化協会独自の事業として、チャリティ舞踊の集い、年忘れ演芸大会、カラオケフェスティバルの行事を立ち上げて今日に来ています。札幌10区でただ一つ手稲が文化協会を持っていることが手稲の誇りでもあるのですがこういう自分たちの手で文化活動を進展させたいといった志を持っている方が出で来ないのは残念です。
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