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手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

趣味 あれこれ

2018-03-18 19:22:35 | 身辺雑記

 昨日も趣味に付いて書きましたが、今日も触れてみます。昨日は将棋と囲碁をやったということを書いたのでしたが、かなり現役時代にのめり込んだのが麻雀でした。大学に入ったころから覚え、夢中になりました。麻雀をやってきた夜は寝ると脳裏に麻雀の牌がちらちらして寝ることを妨げられるようなこともありました。一番熱中したのが美唄のころでした。自分で牌を購入して、座卓も作ってもらって持っていました。牌は先日邪魔ですので燃えないゴミに出しました。現在肺気腫で苦しんでいますが、肺気腫の原因は煙草です。麻雀をやっているときは煙草を切らすことがありませんでした。私の肺気腫は麻雀が元凶だったのだと今も信じています。これも、札幌に転勤してきてから間もなく仲間もいなくなりやめました。町内会で誘われることがありますが、今は全く興味を感じません。

 スキーはかなりの重さの趣味だったといえます。子供の時から始め。戦時中はほとんど忘れていましたが、沼田高校に奉職してからかなりのめり込んでいきました。一級の資格も取ったのですが、このころ正式に講習を受けるとよかったのですが、なまじ滑れるだけに正式な講習を受けなかったので、間違って覚えている技術があったりして自慢のできるスキーになっていなかった

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多趣味は、趣味無しと同じ

2018-03-17 19:13:38 | 随想

 人生の最晩年となり、一生の趣味について振り返ってみる。1930年生まれの私の生きてきた時代は波瀾の時代で、じっくり何かの趣味に没頭することの難しい時代だった。生まれ育った環境も田舎ので趣味を見つけることもむつかしかったように思う。

 小学校に入学したのが日中戦争の始まった昭和12年で、永山農業学校に入学したのが敗戦の年昭和20年だった。

 小学校は体育館もない複式のの学校だった。同級生も15人ほどだった。同級生はほとんどが農家の児で、お店の太郎さんと校長先生の息子の私が異色だったかもしれない。球技の道具は全くなく、夏は川で泳ぐか魚釣り、冬はスキーとも言えないスキーを履いてのスキーを少し。戦時中だから本もまともに買えない。私は父の買っていた大衆文学全集青表紙全7巻?を繰り返し読んでいた。蓄音機があったが、レコードは軍歌か浪花節、私は浪花節が好きでよく聞いていた。

 お店の太郎さんは御家が裕福で、良く本を買ってもらっていて、時折見せてもらったりしていた。しかし、我が家は本を買う余裕はなかったのです。

 神社に土俵が作られていたけれど、お祭りに子供相撲がやられるくらいで、普段は使われていなかった。

 高等科のころ、同級生の一人が将棋を覚えてきて、教えてくれた。へぼ将棋だけれど、学生時代寮で囲碁を教えられた。むつかしい。それで将棋をやろうといって将棋を私が教えることになった。囲碁は難しく負けてばかり、将棋では私が上で時に王だけ残してみんな取るなんてことをやって相手を怒らせたりしたこともある。又、結婚してから家内の関係のおじいさんと将棋を指してこともある。この時も私が勝ったりした。囲碁は沼田高校に奉職してから本格的にやりだして、初段くらいまでになっていた。しかし、きちんと指導を受けたり、基本的な勉強をしなかったので、美唄東高校で初段に推薦すると同僚の高段者の先生から初段の免許を取ることを進めらたが、基本的な勉強もしていないで段をもらっても仕方がないと思っていただかなかった。そのころは2段で打っても通用するょといわれていたが、札幌に出てからは囲碁から遠ざかり、昔やったというだけの趣味になった。

 美唄にいたとき碁盤と碁石を買った。更に札幌に来てから、美瑛の義弟がトド松のきれいな木目の厚さは八寸くらいの素晴らしい碁盤を呉れた。しかし、それで一度も打たないまま二面とも当時詩吟のお弟子さんだった方に呉れてあげました。結局囲碁もやったことがあるというところで終わりました。いろいろのことに手を出してて来ましたが趣味といえるまでのものは今も続けている詩吟だけのようです。

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健幸くらぶ 詩吟

2018-03-14 20:19:32 | 詩吟関係

 今年に入ってから体調を崩して休んでいた会長さんが出席していました。現在通院中で、まだ当分かかりそうです。半月板損傷なのだそうです。

 しばらくぶりで4人での稽古となりました。稽古は前回もやった「春望 杜甫」と「旅夜懐を書す 杜甫」をやり、最後自分のやりたい吟一題をやってもらって終わりました。

 新年度から健幸くらぶのサークルとして認定されなくなります(所定の人数を切ったので)、それに伴い今まであった助成を受けられなくなりますので、会場を今のまま会館を使わせていただくことができなくなるのです。会を解散して、福祉センターの私の教えている講座の方へ来ていただくのは簡単なのですが、4名でも今の会を何とか維持したいという希望が強く、会場の都合などを検討することになりました。月末にもう一回稽古がありますのでそれまでに努力してみるということになりました。

 

 

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碌峭会 詩吟  交歓吟詠打ち合わせ 

2018-03-12 19:21:58 | 詩吟関係

 碌峭会手稲の教室です。3月で退会する高橋さんは欠席、松倉さん元気に頑張っていますが、いまいち乗り切れないでいます。何より詩吟を構造的に理解することができていない。頭で理解することも大切だけれど、肌で理解することだってできるのです。その辺の感覚がいまいちで、余韻を引く、引き方の違い、判るように努力していると思えない。どのようにして理解させるのが良いのか・・・注意をしても、毎回同じ間違いをしてしまう。丸暗記的に身につけさせるために、上級者を常につけて、一緒に吟じさせることをしばらくやってみようか。声はあるのですが、それを生かすことができない。毎回の稽古が中途半端で、身につかない。完全に身に沁みつかせることをやってみた方がいいかもしれない。折角入ったお弟子さんです。何とかつづけることのできるように方策を考えてやらなければならない。

 教室が終わってから市橋さん、小田桐さん、住山さんに来ていただき交歓吟詠の打ち合わせをしました。手稲の方から口岩、佐藤、勝呂の三人が出てくれ今年の進め方についてほぼ固まりました。予算案は原案を住山さんに作っていただき、5月第3月曜に話し合うことにしました

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 明日から大相撲が始まる

2018-03-10 19:58:07 | 相撲

 大相撲大阪場所が始まる。四横綱という大変な時が来たと思ったら、横綱なしの場所にもなりかねない事態になってきた。稀勢の里今場所は初めから休場、それがいい・・・しかし来場所どうなのでしょう。折角頑張って日本人横綱になったのに、優勝はおろか、15日の相撲も取れないで引退なんてことにならないでほしい。

 白鵬は足の親指両方とも故障で今場所休場。日馬富士はあの事件で引退、鶴竜一人横綱にまたなる。何か故障を抱えているような報道があった。ひょっとすると途中休場なんてこともないわけでないみたい。そんなことになれば横綱なしの場所になる。そんなことあったのだろうか

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久しぶりに昼カラに行ってきました

2018-03-08 19:44:51 | 身辺雑記

 午前中、歯科の定期検診に行きました。下の入れ歯が緩んでいたのを調整していただき、歯垢掃除をしてもらってきました。

 午後から昼カラに出かけました。いつも行く店です。行って一寸びっくり。軽食として今まで「おにぎり」が出されていたのに、今は普通の茶碗に白いご飯一膳となっていました。お客は顔見知りが5名、ほかに私を入れて4人、9名のお客でした。男性は私を入れて3名でした。一時間に一曲です。私は西友に車を入れていますので、3時間で帰ります。結局3曲、鳥羽一郎の曲を歌って終わりました。5~6人のことが多いのですが、今日は待ち時間が長くて一寸疲れました。今新しい歌で「海賊の舟唄」というのを稽古しています。最後の掛け声が面白く気に入っています。隣の人たちとおしゃべりもしますが、やはり聞いてあげるのがマナーですから、曲の変わり目の間合いでしゃべる程度にしています。それでも家にいれば話すこともないのですから、若干の気晴らしになります。

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健幸クラブ 詩吟

2018-03-07 19:51:23 | 詩吟関係

 今年になって困ったことになりました。5名で何とかクラブとして成立していたのですが、一番年上のMさん体調を悪くして入院され、会も退会になりました。更に会長さんが半月板損傷ということで、歩くことが厳しくなり、稽古に出れなくなったのです。結局今日も3人での稽古となりましたが、新年度クラブとして認定されなくなりますと今の会館を利用しての稽古がむつかしくなります。どうするか皆様知恵を絞ってくれていますが、福祉センターの私の講座に来ることには抵抗があるようです。3人でも一緒に稽古をしたい意向のようです。良い方法が見つかるとよいのですが、心配です。

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福祉センター 詩吟

2018-03-06 20:27:57 | 詩吟関係

 今日は13名での稽古になりました。先回一度顔を出した新人さんやっぱり来なかった。今日は「平忠度」と「常盤孤を抱くの図に題す」をやりました。 平忠度は、前回一度やっているので、改めての解説はしないで、平忠度について和歌での師になるのが藤原俊成で、千載集の選者であることを、質問をしながら確認し、千載集に入れられた和歌が作者不詳で入れられたことについて確認をして、「行き暮れて」と謡曲「忠度」の話をしてから吟に入った。きつょうはすぐ全員に素読をさせました。とても上手な方もいて、素読で拍手をもらう人もいたりしました。

 後半「常盤孤を抱く」は、作者の梁川星厳ついて安政の大獄でとらえられる前に病で亡くなり「死(詩)に上手」といわれたこと、友人の頼三樹三郎が頼山陽の子供だということを話してあげました。又、保元・平治の乱にいて触れてあげました。此の詩も全員に素読をさせてから吟に入りました。吟では特に上の揺り落とし について少し練習をさせてから吟じてもらいました。みんなよく理解してくれたようでした

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碌峭会 詩吟

2018-03-05 19:14:49 | 詩吟関係

 新年度~退会することになっている高橋さん今日は出席でした。柿山さんは4月一杯休会することになりました。でも7名での教室、楽しい2時間になりました。今日は初め30分「詩吟について」という題で、用意したプリントを使い勉強をしてもらいました。その後いつもの稽古。初心のMさん、相変わらず「富士山」で苦しんでいる。二題目の「偶成」はそこそこなのですが、初心者は皆様同じような苦しみ方をする。稽古の最後に先週もやった「出郷の作」をやりましたが、これは誰の助けも借りず、ほとんど問題ない吟になっていました。

 今日から新しい吟題となる堤さん、ほとんど問題なくできていました。四段の二人は後、吟じこむだけです

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北詩連 資格審査会

2018-03-04 19:33:26 | 身辺雑記

 今日は札幌東支部担当の資格審査日でした。天気予報は朝方雨となっていました。外をみると降っているのかどうかわからない状態でした。8時6分のバスに乗るため、7時58分に家を出ました。傘を持とうか迷ったのですが、帽子をかぶり傘を持たずに出かけた。バス停までの道路ツルツルです。ゆっくりゆっくり歩いてバス停に。手稲駅南口8時23分発の札幌行きに乗りました。余裕で到着。受審者が減っています。碌峭会からは 峭燿会の二名を含め7名受審の予定でしたが、2名が都合で欠吟。5名が受信しました。みんなそれなりの努力をしていて、短縮者はいませんでしたが、よくやったとほめてあげることができます。この次は6月、又8名くらい受審させられると思います。

 資格審査の最後に審査員講評がある。好評の時には、それを聞かなければならない生徒さんたちはほとんど帰っていて、指導者の先生方に話しているみたいなものです。審査終了後、成績発表があり先生方が受審したお弟子さんの評価を聞くことになるのですが、今日の手筈何ともひどかった。12時半ころに審査が終わりました。引き続き成績発表になると思って待っていた。終了後二会場の成績の付け合わせがありますので若干時間がかかるのです。しかし、何と一時間あとの13時30分に成績発表になったのです。一時間休んで発表するのなら、そのことをきちんと周知すべきでしょう。私は昼食も取らずに待ってました。審査員の方は、待っている人もいることを考えることなく、まるで当然のように昼食をとり、そして13時30分に発表したのでした。結果発表は5分で終わるのです。何の連絡もなしに待たせたことに何の痛痒も感じないのだろうか。折角午前中に終わったのだから、早く済ませてくれたら嬉しかった。

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