手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

コロナウイルス 肺炎 

2020-02-11 19:13:41 | 随想

 もう記事にするには遅いのだけれど、武漢を震源とするこの肺炎どこまで、いつまで続くのか見当もつかない蔓延の仕方だ。

 今の時代なら新しいウイルスが発見されて、処方薬がすぐにでも開発され対応できそうに思うけど、そうはいかないみたいだ。たった一人の患者が乗船していたばかりに多くの乗客に罹患が表れ、侵されているかどうかわからないが、患者とあまり近い生活のなかった方も、菌の潜伏期間の過ぎるまで下船が許されなくて船に閉じ込められている。留められていた乗客からも患者が出始めているようだ。3千数百人の乗客全員の検査をすることになるみたい。

 一日も早い抗菌薬が作られるといいのだけれど、できたとしても世界中の需要に間に合わせることは難しいことだ。ところで、重傷者と軽傷者がいると報じられているが、軽症者は肺炎の症状が収まっても、コロナウイルスを保菌したままなのでしょうね。ということは、回復しても保菌者ということなのでしょうか。
 武漢の街は町としての機能を失ったように見える。日本の自動車関係の工場がいくつかあるようですが、稼働させることができるのでしょうか。

 また、あの広大な中国、しかし、今や高速交通網が整備されて、国中の交流が容易になっている。たった一人の乗客で豪華客船が乗客を降ろすこともできなくなる。こんな勢いの強いウイルスです。中国全土に広がらないという保証はありません。

 結局今は成り行きに任せながら努力するしかないのでしょうか。私たちのところまで来ないでほしい。私は12月に肺炎で入院して対してきてはいますが、それで免疫ができたわけでないのでしょうから恐ろしい。</div>
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今日の詩吟教室

2020-02-10 19:50:17 | 詩吟関係

 2月第2週の教室です。佐藤、菅原が欠席。7名の稽古でしたが、3月1日の審査を受審する方が4名います。この方たちの指導を優先することとして指導しました。KAさんは文句なしにOKでしたが、ほかの3名は毎回指摘しているところができていない。稽古不足なのです。

 審査に関係のないKOさんには「芙蓉楼にて辛漸を送る 王之渙 」をやってもらいました。一度素読をしてもらい、その後「江」をとりあげ、「河」との違いを質問したら、川としか答えられなかった。揚子江と黄河の違いを説明してあげました。更に「洛陽」は揚子江沿か黄河沿いかを尋ねましたがすぐには答えが返らなかった。また「一片の氷心玉壺に在りと」に込められた王之渙の心情を聞いてみました。氷のように澄み切った心という答えがすぐ帰ってきました。親友が故郷に帰るのに、作者は残されるのです。帰りたい思いは強いはずです。承句に在る「楚山孤なり」の「孤」と「氷」を合わせてみると、親友が故郷へ帰る、自分はとりのこさるれる、寂しくないわけがない、その寂しさを包み隠して「氷心玉壺に在り」といっているが、心の底に在る孤独感、寂しさがここににじみ出ているといえるのではないでしょうか。

 口岩さんは「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」をやってもらう。ここで、黄鶴楼が今肺炎で問題になっている武漢にあることと、黄鶴楼にまつわる話をしてあげました。。
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認知症とまでは行っていないと思うけれど・・・

2020-02-08 13:23:52 | 身辺雑記

 1930年生まれ。間もなく90歳、数え年では91歳なのだ。
 数年前から歳の重さを感じて、詩吟があと何年続けられるか、カラオケがいつまで歌えるかとか考えることが多くなっていた。また、肺気腫がひどくなり歩くことが大変になってきた、そんなことも重なり、マイナスの思考へと進んていたのだと思います。同時に、物忘れがひどく、会話で困ることも多くなっていた。
 そんな中での肺炎での入院。お蔭様で、退院はできたけれど、物忘れがひどくなり、また落ち度が重なり始めた。

 昨日、岡先生から電話があり、先に提出していた、審査申し込みの不備を指摘された。私の印鑑を押すべきところに押していなかったという。又、一人の生年月日間違っているという。12月の入院中に1月中に提出しなければならない、忘れないようにと思っていて、退院後すぐ、年の明ける前に書類を作ったのです。提出には時間がありすぎるので、あとでと思って、完結させずおいて置き、封筒に入れる時、印鑑のことを全く忘れていたのです。
話の途中で、覚えていて忘れることもないような人の名前が出てこなくて戸惑ったり、話をしようと予定していたことを忘れてきたり、もう嫌になるようなありさまだ。
 まだ認知症とは言えないのだと思うけれど、とても近い感じ。入院してからは、退院はしても以前のようにカラオケに出かけることもなく、亦福祉センターの詩吟も区切りをつけたので時間に余裕ができすぎて、時間を持て余す。その無駄な時間が蓄積されている記憶をそいでゆくように感じる。やはり人の中に入って何かをしていないと、かえって物忘れがひどくなるように思われる。しかし、体力が許してくれないのは何とも情けない。
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福祉センター詩吟講座  後任に寺林先生が内定したみたい・・・よかった

2020-02-05 19:19:23 | 詩吟関係

 12月最初の福祉センター講座を終えて直ぐ肺炎での入院となった。その日(12月2日)、私は酸素吸入機を装着して出かけました。驚かれました。12月で来年度の講座の講師について私に話しをしようと予定していたとのことですが、もう来年度は引かせてもらいたいと話して教室に入った。前の日が教室で、酸素吸入機をつけたまま指導して何とか出来たので、此の日も我慢してやることにしたのでした。

 前半を終了して休憩に入ったとき、館長さんが私のところへ来て、何とか来年も継続してもらえないかという話をされた。その時にこんな格好でも何とかなるようだから頑張りますかと返事をしたのでした。ところが次の日、肺気腫の主治医の先生に診察してもらおうと思い予約を入れた。すると、主治医の先生は休みだけれど別の先生でもよければ来てくださいという。とにかく辛いので見ていただくことにして、家内にも一緒に来てほしいと話し、ハイヤーで出かけました。診察の前にレントゲンを撮られました。それからCTもとられ、診察はかなり遅くになりましたが、いはきなり「肺炎です。このまま入院してもらいます」ということになったのでした。それで、翌日、電話で福祉センターへ、入院となったので、12月の残り2回もキャンセルさせてほしいということと、来年度は講師を引き受け兼ねますということを話しました。そのあと後任に誰か推薦してほしいという電話がが来ました。その時、N先生が講座に長いこと顔を出していて、来られるようになったとき、私ももう歳ですから、私の後を引き継ぎなさいという話をしていたこともありますので、N先生を推薦してあげました。しばらくして、N先生に話を入れたけれど断られたという話が伝わってきていた。
 その後のことを退院後にお弟子さんのK君から、管長さんから誰か推薦してほしいと頼まれ、T先生を推薦したところ、T先生館長とお会いして何とか調整ができて、引き受けていただけたと聞いて安心しました。素晴らしい後任ができました。北詩連にとっても朗報でしょう。ただ。私の脳裏にもN先生が一番だという思いはありました。でも、私の経験から結構気を使うことになるので、簡単にお願いしきれない感じがありました。でもきっとやり切ってくれるでしょう。
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立春です・・・でも寒さはこれからみたい

2020-02-04 19:30:33 | 無題


 昨晩大雪の予報があり、21時ころ外を見たら雪が降りしきっていた。それでロードヒーティングのスイッチを入れておいた。今朝起きてみたら玄関前はきれいに溶けていた。ブルトーザーがやはり入って車道の端に撥ねた雪が1mくらいの幅で残されている。明日が業者の排雪日だからそのままにして置いても明日の昼までに処理されることになるのだけれど、家内に車庫の前の雪だけヒーテイングで溶かされて舗装の出でいる車庫前に滑り落としておいてほしいと頼んだ。家内が今日のごみを捨ててきて、私の指示したことを始めたら、いつも手伝ってくれるKIさんがダンプを持ってきてくれて、車道に積まれた雪をアッという間に舗装の出ている歩道のところへ落としくれた。更に昼間は青空の良い天気になったので、車道から落とした雪は夕方までに全部溶けていた。

 テレビデは今日からの札幌雪祭りの報道をつづけていた。今年は雪が少なくて大変だったようです。例年も中山峠あたりから運んでいましたが、今年はニセコの方まで行って運んできたといいます。例年の倍くらいの距離を、去年までの倍以上の雪を運んで間に合わせたのです。自衛隊の協力がなかったらできないことでした。雪像は例年と何の遜色もない、むしろいろいろな技巧が使われて素晴らしいものになっている。気温もこの冬一番の寒さになって雪像が溶けないで期間中輝くのではないでしょうか。でも初日の今日の観客は例年より少ないように感じました。あの肺炎騒動で、中国からの観光客が来ていないせいなのでしょう。

 夕べが節分豆まきでしたが、今年は豆まきをしませんでした。ただ、家内の手巻きの太巻きを西南西の方にちょっと向いて食べました。
 雪まつりが始まったころは毎年見学に出かけたものでした。家内と二人で、大通りを一回りしてススキのに行き氷像を見学して、最後、ラーメン横丁でアツアツのラーメンを食べて帰るのがさだめでした。最後に行ったときの凄く寒い思いをしたことが今も蘇ります。
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今日の教室

2020-02-03 19:19:13 | 詩吟関係

 一週間ぶりの教室だけど、何かしばらくぶりという感じがする。入院し退院後、もう40日になるのだから平常の毎日でいいはずなのです。でも先週の検診では完治したからどんどん頑張りなさいといった言葉は聞けなかった。完治にはまだ少し時間がかかるような感じの話だった。

 日常を見ると、空気の冷たいところへ出ると咳が出る。肺に負担がかかる感じ。肺炎の後遺症があるのだと思う。時々家で詩吟をやってみようと思うけれど声が出ない。そんな状況で無理に声を出すのも怖くてじっとしてきていた。

 とにかく久しぶりの教室の感じで稽古に入りました。今日は教場長の口岩さん、佐藤さん、小林さんが欠席。平和吟友会の 合吟の頭出し平山さんにやってもらう。稽古はSさんから始めました。今日は初段をやってもらいました。声に張りがやや足りませんので、少し声の幅を出すようにすることと、アクセントに気をつけることを注意して稽古をしてもらいました。今まではサークルでの稽古でしたからアクセントについて細かな指導をしてあげてなかったからやはり甘いところがある。でも、力がありますから間もなく超えてくれるでしょう。
 HIさん、発声が良くなってきたけれど、まだ口の開きが良くなく、お腹の力の使い方もまだ。でも、大分詩吟らしくなってきている。    
MAさん相変わらず、「渡り」が治らない。振り止め、母音返しが理解しきれないでいる。Iさん、 強吟調の発声にいついて注意をしてあげました。
Kさん7本で安定してきた。吟じこむことです。KAさん出来上がっています。今度も是非短縮してほしいものです。
 
 私はあまり声を出すつもりなかったのですが、ついつい声を出してしまいました。結構声が出ていました。終わったら声がかすれていましたが当然のことです。何より、声を出せるとわかったことがうれしい。
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