瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

すでに壊れている

2005年07月27日 | 瞑想日記
◆スティーヴン・レヴァイン『めざめて生き、めざめて死ぬ』(春秋社、1999年)より
有名なタイの瞑想の師が言った、「このコップを見てごらん。私にとって、このコップはすでに壊れている。‥‥これで水を飲むことができる。‥‥だが、コップを棚に置いたときに、風がそれを吹き倒し、‥‥コップは床にぶつかって粉々に砕けるだろう。‥‥コップがすでに壊れていることを理解しているなら、コップと共にいる一瞬一瞬が貴重になる。」

コップと同様、私たちの身体もすでに壊れている、実際にすでに死んでいる。それを理解するなら、そのとき生は貴重なものとなり、生が生じてくるその瞬間にいて、あるがままの生に心を開くだろう。私たちが愛するものすべてが、子供も妻も友人も、すでに死んでいることを理解するなら、彼らがどんなにか貴く思えるだろう。127

私の身体はすでに壊れている、私はすでに死んでいる。何と印象深い言葉か。私の体は、いのちは、すでに死を内包している。死を孕んでいる。しかし、そんな言い方より「すでに死んでいる」と端的に言ったほうが、はるかに真実をついている。そのとき、人生を見る見方が変わる。

昨日、台風が近づいていた。5時過ぎ雨の中を帰えろうとするとき、同僚が「帰りはどうするの」の気遣ってくれた。カッパを着て自転車で駅に向かうつもりだったので、車に乗せてもらう必要はなかったのだが。お互いの生がすでに死に続けているという意識で、そんな何気ない会話を思い出すと、そんな一瞬の会話も貴重に思えてくる。
コメント
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