◆一日断食12回目
前回の一日断食のときに軽い頭痛があったが、今回はまったくなかった。やはり断食とは関係なかったのだろうか。それとも何かしら体調の悪さと断食とが絡んで頭痛が起こっていたのだろうか。いまのところはっきりしたことは分からない。
今日は暑かったが調子はよかった。午前1時半、就寝前にかなりの便通があった。今朝9時ごろにはまた大量の便通があった。その後も2回便通があったが、わずかに残っていた便を絞り出すような感じであった。ただ宿便といえるような強烈な臭いや便器一杯になるほどの量はなかった。
空に近い胃や腸を感じることは、満腹時にはない独特の身体感覚を思い出させる。一種のさわやかさに近い。この感覚を味わいたいため断食をしているようなところもある。
汗をかきながら掃除、そして買い物など、普通に動いたが、疲れやふらつきなどはない。寒天を一回食べ、すまし汁を一回飲み、あとは大量に生水を飲んでいる。前回から、柿の葉茶も飲んでいる。空腹感は、相変わらず夜になって少しあるかな、ぐらいの感じである。
◆スティーヴン・レヴァイン『めざめて生き、めざめて死ぬ』(春秋社、1999年)より
「われわれの真の本性、存在の真理に心を開くためには、死を先延ばしすることを止めねばならない。死を自分の内部に取り入れることで、われわれは死を超え、死ぬと思われているものを超えることができる。多くの人が不死なるものと呼んでいる、存在のあの広大無辺に行きつくこと――自分が隠れている場所、自分の心(ハート)を締め出している場所に直面する方法として死を利用することによってそれが可能となる。」
明らかに私は、「死を先延ばし」にし、抑圧し、忘却している。本当の意味で死に直面することを避けている。意識的に直面しようとしてもそれは、表面的なものにすぎない。それでも、「私の身体はすでに壊れている、私はすでに死んでいる」と意識することは、たとえわずかにせよ私を日常性への埋没から目覚めさせる。そして、限りあるいのちを生きていることの意味を問わせる。
前回の一日断食のときに軽い頭痛があったが、今回はまったくなかった。やはり断食とは関係なかったのだろうか。それとも何かしら体調の悪さと断食とが絡んで頭痛が起こっていたのだろうか。いまのところはっきりしたことは分からない。
今日は暑かったが調子はよかった。午前1時半、就寝前にかなりの便通があった。今朝9時ごろにはまた大量の便通があった。その後も2回便通があったが、わずかに残っていた便を絞り出すような感じであった。ただ宿便といえるような強烈な臭いや便器一杯になるほどの量はなかった。
空に近い胃や腸を感じることは、満腹時にはない独特の身体感覚を思い出させる。一種のさわやかさに近い。この感覚を味わいたいため断食をしているようなところもある。
汗をかきながら掃除、そして買い物など、普通に動いたが、疲れやふらつきなどはない。寒天を一回食べ、すまし汁を一回飲み、あとは大量に生水を飲んでいる。前回から、柿の葉茶も飲んでいる。空腹感は、相変わらず夜になって少しあるかな、ぐらいの感じである。
◆スティーヴン・レヴァイン『めざめて生き、めざめて死ぬ』(春秋社、1999年)より
「われわれの真の本性、存在の真理に心を開くためには、死を先延ばしすることを止めねばならない。死を自分の内部に取り入れることで、われわれは死を超え、死ぬと思われているものを超えることができる。多くの人が不死なるものと呼んでいる、存在のあの広大無辺に行きつくこと――自分が隠れている場所、自分の心(ハート)を締め出している場所に直面する方法として死を利用することによってそれが可能となる。」
明らかに私は、「死を先延ばし」にし、抑圧し、忘却している。本当の意味で死に直面することを避けている。意識的に直面しようとしてもそれは、表面的なものにすぎない。それでも、「私の身体はすでに壊れている、私はすでに死んでいる」と意識することは、たとえわずかにせよ私を日常性への埋没から目覚めさせる。そして、限りあるいのちを生きていることの意味を問わせる。