seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

映画「望郷」を見る

2022-04-12 | 映画
以前から見直したいと思っていたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画「望郷」をビデオで見た。
1937(昭和12)年に製作・公開されたジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン主演のこの映画は日本では1939(昭和14年)年に公開され、キネマ旬報の外国映画年間ベストテン第1位に選ばれている。
同監督作品は当時の日本で人気が高かったようで、その前年には「舞踏会の手帖」が公開されているのだが、こちらはすでに日中戦争が始まった社会情勢を反映して、享楽的・退廃的などという烙印を押されて上映禁止となったのだが、戦後再び公開され人気を博した。

「望郷」は、思えば85年も昔に作られた映画であり、今これを見るのは映画の歴史のお勉強といった意味合いが強いとも言えるのだが、何故だか私はこの映画のことがずっと気になっていて、ふとした時にいくつかのシーンを思い出しては妙に胸を熱くするようなことがあったのだ。
そう言いながら、この映画を見るのはせいぜいこれまでに3度ほどという程度のことでしかなく、かえってそのために妄想の部分が膨らんでいたのかも知れないのだった。

私はこの映画を映画館では見ていない。最初に見たのはおそらく1971年5月、テレビの「サンデー洋画劇場」だったはずで、私はまだ子どもだったのだ。もう半世紀も昔のことだ。
その後、再放送を見たようにも思うし、平成の時代になってからレンタルビデオでも見た気がするのだが、当然ながらその時々で印象は少しずつ異なっている。

本作の主な舞台はフランス領アルジェリアの中心都市アルジェで、その一角カスバの街には様々な国からの流れ者が入り込み一種の無法地帯となっている。
そのカスバにフランス本国から逃れてきた主人公の犯罪者ぺぺ・ル・モコも棲み着き、いつしか彼はこの街の顔役になっていた。
迷路のような街の奥深くに巣を構え、ならず者や住民たちとのネットワークに守られたぺぺには警察も容易に手が出せないでいたのだ。
カスバを根城に警察をもあざ笑うように跋扈するペペだったが、実は逃れてきたはずの本国パリへの思いは捨てがたく、カスバの街に対する疎ましさも募るなか、次第に大きくなる鬱屈を内心に秘めていた。
そんな折、ひょんなことからパリからやって来た美女ギャビーと知り合ったペペは彼女の魅力とパリの香りに導かれ、逢瀬を重ねるうちに恋仲となっていく。
その様子を垣間見、これを好機と見た刑事スリマンの策略で、ペペは死んだと信じ込まされたギャビーは傷心のままパリへの帰路につくのだが、それを知ったペペは後を追おうとカスバの街を出て客船に乗り込みギャビーを探しているところを捕縛されてしまう。
手錠の身となり連行されるペペは出航する船を空しく見送るのだったが、その甲板にギャビーが姿を現す。その姿に向かってペペは渾身の声を振り絞り「ギャビー!」と呼びかけるのだったが、その声は汽笛にかき消されてしまい彼女の耳には届かない。彼女を乗った船を空しく見送りながら、ペペは隠し持っていたナイフで自らを刺し息絶えるのだった。

以上が極めて大雑把なあらすじなのだが、この映画のどこに人々、とりわけ日本人の私たちは魅かれるのだろう。

まず、邦題を「望郷」とした日本の配給会社のセンスは特筆すべきだろう。原題は「ペペ・ル・モコ」で、「ル・モコ」というのは南フランスの港湾都市トゥーロンの出身者、その中でも船乗りを指す俗語とのことだ。いわば、日本の時代物で言えば「関の弥太っぺ」や「清水の次郎長」に通じる呼称だろうが、それではあまりに味気ない。
ふる里や都に恋焦がれる心情は万葉や古今和歌集の時代から日本人の心のDNAに組み込まれた感情であり、それを想起させる「望郷」というタイトルはまず見逃せない要素ではあるのだ。

さらにカスバという迷宮の街にいる限りはこの先も生きながらえることが出来るであろう運命をかなぐり捨て、この街を出ることはすなわち死を意味するにも関わらず、恋する女と望郷の念に突き動かされるように破滅の道を突き進む主人公ペペの真情もまた私たちの気持ちを揺り動かす要素なのだろう。

今回、本作を見て、昔見た時と印象が違うという感想を持ったのだが、その最大の理由はペペを演じたジャン・ギャバンの年齢だった。
最初に見た時はこちらがまだ10代の子どもだったせいもあり、ペペを壮年に達した暗黒街の顔役のようなイメージで見ていたのだったが、今回見直した印象では、まだ若僧のどちらかといえばチンピラやくざの兄貴分といった風情なのだ。
思えばジャン・ギャバンも撮影当時はまだ32歳ほどの若手俳優だったのだ。後年の「地下室のメロディー」や「シシリアン」などの老成した彼のイメージが焼き付いていてそれに引っ張られたということはあるのだろうが、「望郷」の主人公はまだ青春期のただ中にいる若者だったのだ。
そう思うと、いろいろなことが腑に落ちるのだが、ギャビーと出会ってすぐに恋に落ち、後先考えずにその姿を追い求める行動はまさにパリに焦がれ、女を恋する若者の損得勘定を無視し、常軌を逸した情動の表れなのである。

最後にもう一つ付け加えると、ギャビーを演じたミレーユ・バランの印象もまたまったく異なるものとなっていた。
これは完全にひよっこの私には大人の女性の魅力が理解できなかったということに尽きるのだろうが、最初に見た時は、ただけばけばしく着飾っただけの女性としか感じられず、主人公がどうしてこんなに恋焦がれるのかまったく分からなかったのである。
それが今回映画を見直して、この美しさにはたしかに打ちのめされるなあと納得してしまったのだから、人の価値観ほどあてにならないものはないと改めて考え込んでしまった。

ちなみに、ミレーユ・バランは1930年代のフランス映画界を代表する最高の女優の一人と目されていた。しかし、第二次世界大戦の最中、ナチスがフランスを占領している間に彼女はドイツ国防軍の将校と恋愛関係になり、戦争の終わりにパリが解放されてから1945年1月まで投獄されていたという。
それ以降、彼女がフランスで女優として生きる道はなかったのだろう。1947年には女優を引退している。彼女は60歳を迎える前にこの世を去っているが、晩年の面影はネットでも見ることが出来る。深く刻まれた皺はその人生の苛烈さを物語るようだ。
彼女もまた戦争の被害者だったのである。

イエスタデイ / 昨日の世界 その2

2022-03-15 | 映画
 私の友人が詩に書いていたダニー・ボイル監督の映画「イエスタデイ」についてもう少し触れておきたい。
 この映画は2019年の公開で興行成績もよく話題になり、最近もBS放送などで何度も放映されているのですでに多くの人がご存じのことだろう。

 ある日、売れないミュージシャンの主人公が、世界中を襲った停電とともに交通事故に遭い、意識を失って病院に担ぎ込まれる。彼が目覚めると、そこはなぜか同時代の人々の記憶からも記録からもビートルズの存在が完全に消えた世界になっていた。
 彼が弾き語りでビートルズの「イエスタデイ」を披露すると、友人たちは初めて聴いたと言ってその歌の素晴らしさに感激する。やがてひょんなことからその演奏はSNSで拡散し、彼はたちまち素晴らしい才能を持ったシンガーソングライターとしてまつり上げられ、あれよあれよという間にスターダムに乗せられていく……という話だ。

 この映画に対する評価は毀誉褒貶さまざまあるようだが、否定的な意見でもっとも多いのが、ビートルズの楽曲はあのメンバーによって歌われ演奏したからヒットしたのであって、ほかの誰かが真似して演奏したものがこの映画のように大ヒットしてスターになるという設定はおかしい、間違っているというものだ。
 極めて真っ当な意見なのだけれど、そう考えてしまっては、この映画のネライそのものを見誤ってしまう、というのが私の意見である。

 指摘のとおり、そんなことはあり得ないのが現実なのだが、そのあり得ない「歪んだ世界」の中に主人公が放り込まれることではじめてこの映画はドラマとして成立するのである。
 その世界では、主人公が類まれな才能の持ち主として持て囃される一方、ビートルズの存在自体が否定されているばかりか、その楽曲名やレコードアルバムのタイトルまで「ダサい」「長過ぎる」「センスがない」と変更を余儀なくされ、ジャケット写真もぼろくそにケナされ、したり顔で否定されてしまう。
 その世界の奇妙な歪みに気づき、そこから何とか脱出しようと葛藤し、あがく主人公の姿こそが笑いを呼び、ドラマとなって物語を推進するのだ。

 この映画から、私たちはある切実な教訓を得ることができるのではないだろうか。
 何かひとつの事実がこの世界から消えてしまう、記憶も記録も消されてしまうことで、世界はいとも簡単にまるで違ったものへとひっくり返ってしまうということだ。

 いま、私たちのいる現実の世界でも同じことが起こりつつあるのではないだろうか。
 報道が遮断され、独裁者に都合の良い一方的な情報を鵜呑みにせざるを得ない国の人々が見る世界は、侵略におびえながらも、恐怖に打ち勝とうとして戦う国の人々の見るものとはまったく異なるものだろう。
 その「世界の歪み」に気づき、脱却する日はいつ訪れるのだろうか。

  ♪ 昨日ははるかな彼方にあった苦悩が
   今日は僕のもとに居すわろうとしている
   ああ すべてが輝いていた ―― 昨日

   不意に僕は今までの僕じゃなくなった
   暗い影が僕の上に重くのしかかる
   ああ 悲しみは突然やってきた ―― 昨日 
                      (内田久美子訳から一部抜粋)

 暗い影となって居すわり続ける今日の苦悩を乗り越え、希望の明日がかの国の人々のもとに訪れることを願ってやまない。そして、歪んだ世界の中に閉じ込められた人々のもとにも明るく輝く日の訪れることを。

万物の理論

2015-04-22 | 映画
 映画『博士と彼女のセオリー』を観て感じたことについて、もう少しだけ書いておこう。

 ……物まねに、似せぬ位あるべし。物まねを極めて、その物にまことに成り入りぬれば、似せんと思ふ心なし。さるほどに、面白き所ばかりをたしなめば、などか花なかるべき。……
 よく知られたこの世阿弥の言葉とエディ・レッドメインの目指した役作りの間にはどのような共通点があり、どれほどの開きがあるのだろう、と考える。
 「その物に成り入る」ためのおまじないのようなものがあるわけではなく、演技の秘伝=この映画の原題になぞらえて言えば演技のための「万物の理論」、のようなものがあるわけでもない。
 物真似の対象物たるその物を徹底的に観察し、詳細に分析したうえで、その一つ一つを自身の体験として深く刻印し、生きることでしか、「その物に成り入る」ことはできない。
 演技は、そうした地味で根気のいる様々な手順の先にようやくひっそりと咲く花なのである。
 もちろんそうしたプロセスを一瞬にして超越してしまうような天才的な俳優のいることは確かだろうが、それでもそこにあるのは我を忘れた熱狂ではなく、演じ手としての自分自身を見つめる冷静で醒めた眼差しなのである。

 気になっていることがある。
 以前、メリル・ストリープがマーガレット・サッチャーを演じた映画を観たときに感じたことである。
 メリル・ストリープの演技はやはり完璧と思える出来で、その声、言葉の言い回し、イントネーション、顔つき、動作まで、映画の中の彼女はまさにサッチャーそのものと思えた。ところが、である。その演技を堪能し、家に帰ってから、映画館で買い求めたパンフレットを眺めたときに何とも言いようのない違和感を覚えたのだ。
 つい何時間か前に観たばかりの同じ映画の1シーンを撮影したはずの写真に映し出された彼女の姿は、映画の中のそれとはまるで異なっていたのだ。
 そこにいたのはマーガレット・サッチャーではなく、あくまでサッチャーそっくりの化粧をし、衣装を着て演技するメリル・ストリープの姿にほかならなかった。
 同じことが、この『博士と彼女のセオリー』にも当て嵌まる。映画の中であれほど自然にホーキング博士に成りきっていたエディ・レッドメインが、やはりパンフレットの中の静止した写真では、筋萎縮性側索硬化症を患った理論物理学者ではなく、少し痩せてはいるが若々しい筋肉を持った俳優の姿となって浮かび上がってきたのである。

 このことをどう考えればよいのだろう。細部をも写し取る写真の技術が虚構を暴くようにその真の姿を写し取ったと考えればよいのか。
 あるいは、写真では捉え切れない「演技」の力がそこにはあると考えるべきなのか。
 おそらくは後者であろう。
 「演技」は、写真にはうつらないのだ。

 映画俳優の演技はあくまで連続する動作と動作、ある一定の時間のなかで繋がる一連のアクションとアクションとの「間」、あるいはそれら相互の関係性のなかで初めて発光するものなのかも知れない。
 あらゆる俳優の演技に共通する「万物の理論」が存在しないように、それは永遠に捉え難く、それゆえに魅惑的な謎のようでもある。

博士と彼女のセオリー

2015-04-22 | 映画
 驚いたことに芝居も映画も今年に入ってからまともに観ていないことに愕然としてしまう。ただ日々の移ろいに身を任せていただけなのか。そうではなく、それだけ忙しくて大変だったのだと言いたいのだけれど、どうもただの言い訳じみてしまう。
  
 最近になってようやく観たのが、『博士と彼女のセオリー』(原題:The Theory of Everything)である。理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士と彼の元妻であるジェーン・ホーキングの関係を描き出したある種の伝記映画で、監督はジェームズ・マーシュ、主演のホーキング夫妻はエディ・レッドメインとフェリシティ・ジョーンズが務めている。第87回アカデミー賞では5部門にノミネートされ、エディ・レッドメインが主演男優賞を受賞したのは周知のとおり。

 こうした実在の人物をモデルにした映画で何より重要なのは、画面上の俳優が当該のモデルとなる人物に「見える」ことにほかならない。この映画の場合、ホーキング博士がまさにそこにいると観客に感じさせることができなければ、そもそもこの物語自体が成り立たない。
 このことは、現代のイコンとなってその肖像写真等が人々の記憶にイメージとして深く刻まれている主人公の役づくりにおいて顕著な課題である。伝記映画の宿命として、リンカーンはリンカーンらしく、マーガレット・サッチャーはよりサッチャーらしく、ホーキング博士はまさにホーキング博士として観客を納得させることが、この映画=物語を成立させる大前提となるのである。
 この「観客を納得させる」ということはすなわち、観客がイメージするホーキング博士像に一定程度寄り添う形での造型とともに、新たな発見=従来イメージの転換というハードルも課されるからなかなかに厄介な課題である。
 加えてホーキング博士を演じるうえで筋萎縮性側索硬化症患者という要素は不可欠であり、こうした難病を実際に患った人や家族、関係者にも納得させる形で、その罹患の初期から進行する時間軸に沿って演じることが至難の業であることは容易に想像できる。そしてこれらの課題にエディ・レッドメインは果敢に挑戦し、成功したといってよいだろう。

 こうした役どころでは多くの名だたる俳優がそうであったようにともすれば熱演方の役作り=名優ぶった演技に陥りがちだが、エディ・レッドメインの場合にはむしろ冷静で理詰めとも思われるアプローチが特筆される。
 それに大きく寄与したのが、発声コーチのジュリア・ウィルソン=ディクソンと身体動作ディレクターのアレックス・レイノルズを中心としたチームだが、彼らは運動ニューロン疾患の様々な退化ステージについて科学的に分析しながら、脚本で要求されているように、どのようにうまく画面上で表現できるかを研究、指導したという。
 シーンごとに疾患がどれほど進んでいるかを表す進行度チャートを作り、それに合わせて演じわけたということだ。昨日は疾患が相当程度に進行した状態を演じたかと思えば、明日には時間を遡って、そのごく初期段階のレベルを演じなければならない。まさに没我とは対極のアプローチが求められる所以であるが、そのことは結果として演じるその役をごく自然なものと見せることに大きく貢献して、よりリアリティを増す要因にもなっているように思える。
 複雑かつデリケートな役作りの過程を経ることで余計な自意識の入り込む隙のなかったことが却って幸いしたということもいえるのではないか。こうした手順を幾重にも積み重ねるという作業そのものが、まさに演じるその人物そのものに成るという最も直接的な方法だったということだろう。

人生の計り方

2014-09-26 | 映画
 私がたまに立ち寄る喫茶店で食事を注文すると出される箸袋にはこんな言葉が印字されている。
 「私は自分の人生をコーヒースプーンで計ってきた。(T・Sエリオット)」

 私が自身の人生を計る目安は何だろう、と考える。考えたからといって答えが見つかる訳ではないのだけれど。
 昔ならば私が踏んだ舞台の場数だとか、演じた役の数だとか、それらしいことを言えたのだろうが、引退した役者の身としてはそうカッコいいことを言うことができない。
 それでも、私がこれまでに客席から観てきた舞台のあれこれや映画のワンシーン、ワンショットはいつまでも記憶に残り、私の人生をいくばくか退屈でないものにしてくれている。それは確かなことだ。やがてそれらが記憶の薄れとともに消えていくとしても…。

 先日観たのは、ガス・ヴァン・サント監督作品「プロミスト・ランド」だ。
 出演者でもあるマット・デイモンとジョン・クラシンスキーが製作、脚本を兼任している。
 デイモン演じる大手エネルギー会社のエリート社員スティーブは、シェールガスの埋蔵地に乗り込み、農場主から掘削権を借り上げる仕事で好成績を上げ、出世コースを順調に歩んでいる。そうした中、環境への悪影響を指摘し住民投票を呼び掛ける元・科学者でいまは地元の高校で講師をしているフランク(ハル・ホルブルック)ややり手の環境活動家ダスティン(ジョン・クラシンスキー)に往く手を阻まれる、という物語だ。
 順風満帆だった主人公が苦難の中で真実に目覚めていくという、ある種の社会派ドラマと教養小説がドッキングしたようなこの手の映画が私は結構好きである。観たあとは何となく自分も成長したような気になるし、ある種の清々しさもある。
 しかしこの映画に関しては、大企業=悪という図式がどうにもステレオタイプではないかと気にかかる。さらに、掘削の賛成:反対のどちらにも立たないよう配慮しているとはいえ、作り手たちの立ち位置は明らかだろうし、ネタバレなのでここでは書けない最後の大どんでん返しも作為が見え過ぎるのではないかとの感想を払拭できない。
 言うならば突っ込みどころはたくさんある、という映画なのだ。私など、観た直後にはどんでん返しにもうひとひねり出来るのではないかと思って勝手に盛り上がっていた。
 いろいろケチをつけてしまったようだが、この映画がつまらないと言っているのでは決してない。むしろ楽しんだし、こうしてあれこれ映画を一緒に観た人と話に花を咲かせるのも映画を観る醍醐味の一つなのである。

 もう一つ最近観たのがビル・アウグスト監督作品「リスボンに誘われて」である。
 原作は全世界で400万部のベストセラーになったというパスカル・メルシエの小説「リスボンへの夜行列車」。
 主演のジェレミー・アイアンズをはじめ、『イングロリアス・バスターズ』のメラニー・ロラン、『アメリカン・ハッスル』のジャック・ヒューストン、私には『ベルリン天使の詩』が懐かしいブルーノ・ガンツ、『愛を読むひと』のレナ・オリン、『長距離ランナーの孤独』『ドレッサー』のトム・コートニー、若い頃『愛の嵐』や『さらば愛しき人』に心ときめいたシャーロット・ランプリングなど、ヨーロッパを代表する実力派俳優が多数出演している。

 スイス・ベルンの高校で、古典文献学を教えるライムント・グレゴリウスは、5年前に離婚してからは孤独な一人暮らしを送っていたが、学校へ向かうとある嵐の朝、吊り橋から飛び降りようとした女を助けるが、彼女はコートと1冊の本を残したまま消え去ってしまう。本に挟まれたリスボン行きの切符を届けようと駅へ走り、衝動的に夜行列車に飛び乗ってしまうライムント。車中でその本に読みふけり心を奪われた彼は、リスボンに到着すると、作者のアマデウを訪ねる。謎めいた彼の妹が兄は留守だというのだが、当の彼が実は若くして亡くなっていたと知ったライムントは、アマデウの親友や教師を訪ね歩き、その足跡を辿っていく。医者として関わったある事件、危険な政治活動への参加、親友を裏切るほどの情熱的な恋。時を遡りながらライムントはアマデウの素顔と謎を解き明かしていく…。

 ミステリー、恋、サスペンス、政治、歴史、観光等々、あらゆる映画的要素が混然となって観客をその世界に引き込んでいく間然する所のない映画である。
 それにしても不明を恥じなければならないが、今の世界都市リスボンの姿からはこの映画に描かれたような歴史的背景があるとは知らなかったし、わずか40年前に革命が起こり、多くの血が流されたとは想像もしなかった。

 これも映画を観ることの効用だろう。映画によってそれまで知らなかった世界を知り、新たな刻印を心に刻み込む。
 そうして私は自分の人生を計る目安を見つけるのだ。
 

星の王子さま/風立ちぬ

2013-09-14 | 映画
 もうひと月も前のことになるけれど、今年も恒例となった「としまアート夏まつり」の一環として上演された「子どもに見せたい舞台」を観に行った。(会場:あうるすぽっと)
 今年の演目はサン=テグジュペリ原作の「星の王子さま」である。
 会場に向かっている道すがら、何組もの親子連れと一緒になったのだが、そのうちの一人の小さな男の子が「去年の『ドリトル先生』は面白かったね…」と歩きながら母親に話しかけているのが耳に入ってきて、何だか嬉しくなってしまった。(関係者でもないのに)
 それだけこのシリーズが浸透してきている証左なのだろう。これからも大切に育てていってもらいたいものだと思う。

 さて、舞台の冒頭、作者とおぼしき人物の独白に続いて登場した一人の俳優が四角の白い紙を取りだし、それをゆっくりと折っていく。何だろうと思って観客の見つめるなか、それはやがて紙ヒコーキとなり、俳優の手によって舞台を縦横に飛び回る。と、突然浮力を失った飛行機は落下してしまう。
 そこは砂漠。一人の飛行士が故障して不時着した飛行機を修理している…、という場面につながって舞台が始まるのである。
 素晴らしい導入で、それだけでこの舞台を観た価値はあると思ってしまったのだが、次に登場した「星の王子さま」が背のすらっとした青年であったのは、意外といえば意外で、原題の「ちいさな王子」にこだわりのある私などはなかなかすんなりとは受け入れがたかった。ま、それはそれ、一緒に観ていた子どもたちが喜んでいたのだから良しとしなければ。

 つい最近になってようやく、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観た。喫煙シーンが物議を醸したり、宮崎監督の引退発表があったりなど、何かと話題の映画で正直観に行こうかどうしようかと迷っていたのだけれど、観てよかった。よい映画だった。
 感想は様々あって簡単には言葉にできないが、本作でも紙ヒコーキがストーリーの中で大きな意味を持っていた。その紙ヒコーキが、ひと月前に観た「星の王子さま」の舞台とこの映画を結びつけているようで、私は心の中でにんまりとしながら、妙に納得したのだった。
 サン=テグジュペリの生まれたのが1900年。「風立ちぬ」の主人公のモデルとなった堀越二郎が1903年生まれ、堀辰雄が1904年生まれ。ちなみに映画監督・小津安二郎が1903年生まれ。
 彼らはまさに同時代人であり、同じ苦難の時代を生き抜いた人々なのである。

 サン=テグジュペリの生まれた3年後、のちに零戦を設計する堀越二郎の生まれた1903年は、ライト兄弟の手によって世界で初めて飛行機が有人動力飛行に成功した年でもある。12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号は合計4回の飛行を試み、4回目には59秒間、約259.6mの飛行を記録した。
 それからわずか5年後の1908年には、映画にも登場したイタリアのジャンニ・カプローニ伯爵が航空会社を創業、第一次世界大戦時にはすでにイギリスをはじめとするヨーロッパ各国に空軍が誕生し、1920年代にはサン=テグジュペリが民間の飛行士として活躍、第二次世界大戦において飛行機は主要な戦力となっていた。
 このほんの40年ほどの間に、空を飛びたいという人類の夢は、多くの人々の努力によって驚くほどの発展を遂げた。
 だが、その夢はいつまでも美しく無垢なままではいられない恐ろしい夢でもあった。

 思えば、砂漠に不時着した飛行機を飛行士が自分の手で修理しようとしていた「星の王子さま」の世界はいわば牧歌的な手づくりの夢の世界、「風立ちぬ」の中で少年時代の堀越二郎が夢見た美しいヒコーキの飛び交う世界であった。
 テクノロジーの発展は、やがてその夢を制御不可能なまでに巨大化させ、ヒコーキを殺戮の道具に、科学を人類を破滅させかねない力を持った化け物へと変容させていった。
 果たして、それらを人間が「完全にコントロール」し続けることは可能なのだろうか。
 映画「風立ちぬ」はそんな夢の美しさに秘められた負の側面や恐ろしさをも描いているからこそ傑作なのである。

小津安二郎の戦争

2013-08-17 | 映画
 今年は映画監督・小津安二郎の生誕110周年、没後50周年という節目の年にあたる。
 1903年12月12日に生まれた小津は、ちょうど満60歳の誕生日である1963年12月12日に亡くなったのだ。12の5倍が60である、ことを思い合わせるとこの数字には何か意味があるのかと思えてならない。余計なことではあるけれど…。
 いま私たちが写真などで見るその風貌からも小津監督には、巨匠、大家といった呼称がいかにも相応しいが、60歳という没年齢はあまりに早い死であったと改めて感じる。

 その小津作品だが、昨年のニュースでは、英国映画協会発行の「サイト・アンド・サウンド」誌が10年ごとに発表する、世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に「東京物語」(1953年)が選ばれるなど、その評価はいまなお高い。批評家ら846人による投票でも同作品は、アルフレッド・ヒチコック監督の「めまい」(58年)、オーソン・ウェルズ監督・脚本・主演の「市民ケーン」(41年)に次ぐ3位だった。
 今年5月に開催されたカンヌ映画祭では、最後の監督作品となった「秋刀魚の味」(62年)のデジタル修復版がプレミア上映されたほか、2月にはベルリン映画祭で「東京物語」が上映され、今秋のベネチア国際映画祭でも「彼岸花」(58年)が披露されるという。

 そうした背景のもと、2カ月ほど前に出た雑誌「シナリオ7月号」では、小津とシナリオ作家の野田高梧が戦後後期のすべての作品をそこで書いたという蓼科高原の小津の山荘での記録である「蓼科日記」の特集とともに、「秋刀魚の味」のシナリオが収載され、さらに、文芸誌「文學界8月号」には、「蓼科日記」刊行を担った編集者の照井康夫氏が「小津安二郎外伝 ~四人の女と幻想の家」と題した評論を書いていて興味深い。

 「秋刀魚の味」のシナリオを読んで改めて感じるのは、終戦から17年が過ぎた社会において、まだまだ戦争の記憶、傷痕といったものが一見平穏な日常の中に見え隠れしているということである。
 笠智衆演じる平山が、たまたま立ち寄った中華料理店、そこは昔恩師だった佐久間(東野英治郎)が細々と経営している店なのだが、そこでかつての部下だった坂本(加藤大介)と再会する。彼は戦時中に平山が駆逐艦の艦長だった時の一等兵曹なのである。
 二人は小さなトリス・バアに席を移し、レコードで軍艦マーチを流しながら「ねえ艦長、どうして日本負けたんですかねえ」などという会話を交わす。
 二人は昔を懐かしみ、戦後の苦労を当たり障りのない会話で語るだけなのだが、当然、そこには語ることのできない様々な感情、時間といったものが胸の奥深くしまいこまれたままなのだ。
 こうしたことは、現代の私たちにとって、阪神淡路大地震やオウム真理教のサリン事件が18年前の出来事ながらいまだ忘れられない事象であることと照らし合わせれば感得できるであろう。
 まして、「秋刀魚の味」が作られた昭和37年は、2年後に迫った東京オリンピック開催を目前にした高揚感に包まれていたとはいえ、ほんの10年前までこの日本はアメリカに占領されていた、そんな年なのである。

 そう思って小津安二郎の60年の生涯を振り返ると、彼がいかに戦争というものを身近に感じながら生きてきたか、そのことが彼の作品にどのように影響してきたのかということを考えずにはいられない。
 小津が生まれた翌年に日露戦争、その10年後に第一次世界大戦が勃発、さらにその9年後、小津が20歳の時には関東大震災が起こる。その8年後に満州事変、33歳の昭和12年9月から14年7月まで1年10か月余りの期間は応召、上海派遣軍の化学兵器部隊に所属して中支の戦場で過ごす。加えて、昭和18年6月からは陸軍報道部映画班員として従軍を命じられ、シンガポールで敗戦を迎え、21年2月、42歳となった小津はようやく日本の土を踏んでいる。
 こうして振り返ると、いかに彼が短期間のうちに戦争や災害と身近に接してきたか、そうした中で培われた人間洞察や批評精神がいかに現実によって鍛えられ、研ぎ澄まされたものであったかということを思わずにはいられない。
 そのことは、「小津安二郎外伝 ~四人の女と幻想の家」のなかで紹介されている、火野葦平の「麦と兵隊」「土と兵隊」を読んでの「読書ノート」における強烈な批判からも感じることができる。

 さて、「小津安二郎外伝」でもう一つ忘れられないのは、映画監督・山中貞雄との別れのくだりだ。
 昭和13年1月12日、小津は戦地で山中と会っている。後に山中の死を知った小津が、「キネマ旬報」14年1月1日号に書いた「手紙」という一文が美しい。
 小津は、昭和13年12月20日、「中央公論」に掲載された山中貞雄の遺書を読み、その日の日記にこう書いている。
 「山中貞雄の遺書を読む。撮影に関するnoteがある。その中に現代劇に対しての烈々たる野心が汲みとれて、甚だ心搏たれる。詮ないことだがあきらめ切れぬ程に惜しい男を失した。」

 山中貞雄は、昭和13年9月17日未明、収容された野戦病院で戦病死した。満28歳と10カ月の生涯であった。
 あの戦争によって、どれほどの才能が無残に散って行ったか、失われたか。言葉にできない思いが残る。
 英国映画協会の「サイト・アンド・サウンド」誌は、小津監督が「東京物語」において、「その技術を完璧の域に高め、家族と時間と喪失に関する非常に普遍的な映画をつくり上げた」と評価した。
 小津はその生涯における様々な喪失と無念の思いを映画表現の様式の中に昇華しようとしたのである、とこれはまあ勝手な想像だが、そう思えてならない。

クロワッサンで朝食を

2013-08-07 | 映画
 映画「クロワッサンで朝食を」を観た。
 エストニア人であるイルマル・ラーグの長編映画監督デビュー作である。抑制された演出、演技が深い感動を呼び起こす佳作だ。

 雪深いエストニアの田舎町で2年間介護を続けた母を看取った主人公のアンヌだったが、夫とは離婚し、子どもたちも独り立ちしたあと、心身ともに疲れ切った彼女は取り残されたような思いの中にいる。
 そんな時、かつて勤めていた老人ホームから、パリで過ごすエストニア出身の老婦人が世話係を探しているとの連絡を受ける。フランス語の会話が出来るアンヌなら適任と考えての打診なのだった。
 悲しみを振り切るようにして憧れのパリにやってきたアンヌだったが、彼女を待ち受けていたのは、高級アパルトマンに一人で優雅に暮らす、毒舌で専制君主のように気難しい老婦人フリーダで、彼女は家政婦などいらないと、冷たくアンヌを追い返そうとする。
 アンヌを雇ったのは、アパルトマンの近くでカフェを経営するフリーダの息子とおぼしき、アンヌとは同年配のステファンという男だった……。
 おいしいクロワッサンをどこで買うかも知らないアンヌに冷たい態度を続けるフリーダだったが、遠い昔、エストニアから出てきた頃の自分の姿をアンヌに重ね合せ、次第に心を通わせ始める。やがて、アンヌもフリーダの孤独な生活の秘密を垣間見るようになるのだった……。
 
 これ以上の紹介はネタバレ、というよりも、初めてこの映画を観るときの楽しみを奪うことになると思うので、もどかしいけれど差し控えなければならない。
 本作は抑制されたストーリー展開や微かな動作や表情によるほのめかし、伏線の効果的な活用によって、小さな驚きや発見に満ちた作品なのだ。観客はその小さな発見の積み重ねを経て、深い感動に身を委ねることになる。
 老いと死、ふるさとの記憶、男と女の愛、性愛を超越した人間同士の愛情、諦念、世代間の心の交流を扱ったこの映画は、アンヌ、フリーダ、ステファンの3人の関係性やその変化が大きな見どころと言えるのだが、とりわけ、はじめは田舎じみて野暮ったく疲れた中年女だったアンヌが、パリの生活に次第に慣れ、フリーダと気持ちを通わせるなかで生まれ変わったように美しくなっていく様子に目を瞠らされる。
 さらには、3人のそれぞれが何を受け入れ、何を失い、そのことで何を得たのかという人生の普遍的なテーマが観る者の心に余韻となって残り、この映画についていつまでも語り続けたいという思いにさせる。

 アンヌ役はエストニアの個性派女優ライネ・マギ、ステファン役はフランスの舞台出身俳優パトリック・ピノー、そしてフリーダを演じるのが、フランス映画の象徴ともいうべきジャンヌ・モローである。
 今年85歳になるジャンヌ・モローだが、女であることの矜持とすでに若くはないことの失意を併せ持つフリーダという女性像を威厳に満ちた演技で巧みに表現している。
 その姿の向こうに、ルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」で囁くような甘い声で愛を語り、マイルス・デイビスの奏でるトランペットの音色を背景にパリの夜を彷徨する若い人妻役のジャンヌ・モローが浮かび上がる。
 アンヌがパリにやってきた初めの頃、夜中にフリーダの家を抜け出してパリの街を散策するシーンがあるのだが、そのシーンに「死刑台のエレベーター」を重ね合わせて思い浮かべる人は多いことだろう。
 当然ながら、この場面はイルマル・ラーグ監督がジャンヌ・モローに捧げたオマージュに違いないのだ。

 ところで本作の原題は「パリのエストニア女性」といったところだろうと思うのだが、「クロワッサンで朝食を」というこの邦題はいかがなものか。なかなか難しい。

リンカーン

2013-05-09 | 映画
 すでに旧聞に属するが、オリンピック招致運動のために渡米した東京都知事が米紙のインタビューに応じた際の発言が大きくクローズアップされた。
 真意が伝わっていないとか、そんな意図はなかった、いやいや記事には絶対の自信があるといったやりとりがあり、結局謝罪・訂正したということは、おそらく報道された内容の発言があったことは間違いないことなのだろう。
 それが記者によって仕掛けられたトラップによるものなのか、知事自身の油断、慢心が呼び寄せたものなのかはさておき、その発言が及ぼしたかも知れない招致レースへの影響や言葉そのものの品格、オリンピックの歴史や相手国への敬意の欠如には多くの人が失望したに違いない。

 有名な老子の言葉、「大上は下これ有るを知るのみ。其の次は親しみてこれを誉む。其の次はこれを畏る。其の次はこれを侮る。」を引用するまでもなく、人民に莫迦にされるのは最低ランクの政治家である。その発言にはよくよく留意しなければならない。
 さりとて「もっとも優れた君主というものは、ことさらな政治はせず、人民はその存在を知っているだけである」と言われても、おさまり返ってばかりはいられないのが、現代の政治家というものなのだろう。誰もがあるかなきかの指導力なるものを最大限に発揮して後世に名を残そうとやっきになって走り回る。
 しかし、優れた指導者、政治家というものは、何を成し遂げたかという事実よりも、残した言葉によってこそ長く記憶されるのではないだろうか……。

 今からちょうど150年前、南北戦争下のゲティスバーグで行った演説があまりに有名な米国第16代大統領エイブラハム・リンカーンは、自身の発する言葉の力を知悉し、その効力を最大限に発揮させることにおいて卓抜な戦略家だった。
 スピルバーグが監督し、タイトルロールをダニエル・デイ=ルイスが演じ、アカデミー主演男優賞に輝いた映画「リンカーン」は、奴隷解放宣言の恒久化に向け、憲法改正に必要な下院での賛成3分の2以上の議席確保のための言葉による戦いを、裏工作やポストをちらつかせての懐柔策などを交えて描いた作品である。
 2時間半に及ぶ長尺の映画であるが、少しも飽きさせることのない緊迫感に満ちた演出や演技の力はまさに見事だ。トミー・リー・ジョーンズの演じる奴隷解放急進派の代議士スティーブンスが、憲法改正こそを最優先として自らの主張を封印しながら演説するシーンはその心理戦の綾を的確に描いて観る者に感動を与える。私はこの場面で思わず涙してしまった。

 さて、当のリンカーンであるが、はじめから奴隷解放論者だったかどうかは分からない。彼にとっての最優先事項は合衆国の統一であり、奴隷解放はその交渉のための道具に過ぎなかった、との見方もできるだろう。それが戦争の長引く中、次第に引くに引けないところに自身を追いやった、つまり、ほかならぬ自らの演説=言葉そのものが自分自身の実体や本質に先立つ形で牽引していったということが言えるのではないか。
 リンカーンは、黒人の奴隷制度廃止に政治家生命を賭して挑んだが、反面、先住民であるインディアンには容赦のない殺戮をもって対したという。(もちろん映画では描かれていないけれど……)
 そうした矛盾に満ちた人間が時に偉大な指導者となり、神格化される。まさに政治は一筋縄では捉えることのできないアートであり、トリッキーなサーカスのようなものだとでも言うしかないのだ。


レ・ミゼラブルを観て考える

2013-02-10 | 映画
 映画「レ・ミゼラブル」が公開からひと月以上を経てなお多くの観客を集めているようだ。今さらながらにこのミュージカルの作品としての力強さに感嘆する。
 映画そのものは、どうだろう。様々な評価があるだろうが、映画ゆえに成し得たこともあれば、舞台でなければ味わえないものもあったというところか。
 個人的には、登場人物のクローズアップの多用やCG処理した映像がやや趣味に合わない、というか違和感を覚えてしまったし、やはり群集の劇としての力強さは舞台でしか味わえないものだとの感を強くした。
 それはともあれ、俳優たちの微細な感情を歌にのせて語る演技力には瞠目せざるを得ない。これはなかなか日本人の俳優にはかなわないのではないかと思ってしまったのだ。劇団四季ふうのといっては誠に失礼だが、わが国のミュージカル俳優の歌唱はどうしてものっぺりとした感じがして、生活感や感情の襞の彫り込みが薄っぺらに思えてしまう。
 これは欧米の作曲家が創った楽曲に合わせて日本語で歌うことに起因しているのかもしれないのだが、言葉はすなわち文化そのものであり、言葉と音楽が不即不離のものとしてある以上、仕方のないことかもしれない。
 これは輸入ミュージカルの宿命と言えなくもないのだろう。

 一方で別の見方をするならば、いわゆるリアリズム演技なるものの弊害がここにはあるように思えるのだ。
 よく「歌は語るように、台詞は歌うように」などと言われるけれど、新劇出身の演出家のダメ出しには「台詞を歌うな」というのがよくあって、この国のリアリズム演劇の世界では「歌う」ことはご法度なのだなとよく思ったものだ。
 もっとも高校などの演劇部出身の若い俳優にありがちなのが、いわゆるこの「歌い台詞」で、表現の稚拙が重なった場合には誠に申し訳ないが聞いていられない仕儀となる。

 しかし、である。わが国の古くからある芸能では、能狂言にしろ、文楽にしろ、歌舞伎にしろ、台詞はいずれも音曲とともに謡われてきたのである。
 今は多様なジャンル出身の俳優たちによるコラボレーションも珍しくはなくなってきたから、闇雲なリアリズム信仰はもう過去のもののようにも思えるが、長い歴史を経て培われてきた財産をもう一度見直し、言葉と音楽の関係について再構築する必要があるのではないだろうか。

虎の尾を踏む男達

2012-10-25 | 映画
 「七世 松本幸四郎 追遠」と銘打った十月歌舞伎を新橋演舞場で観た。(10月8日)
 私の目当ては「勧進帳」で、昼夜役替りの夜の部、幸四郎の弁慶、團十郎の富樫という配役である。義経は、予定されていた染五郎が例のアクシデントで休演となったため、坂田藤十郎が演じている。
 誰もが知っている勧進帳なのだが、改めて「歌舞伎十八番」の中でも屈指の人気演目であることに納得させられる。歌舞伎好きは無論のこと、日本人の琴線に触れる名シーンが凝縮しているのだ。観ていて久々に心が熱くなった。
 とはいえ、この芝居は、へたをすると弁慶の独り舞台になりかねない危険性を擁しているのではないかと思える。そうした弊害を排するために、おそらくは長い時間をかけて改良を重ねながら、富樫が一方の大きな役どころとして存在感を発揮するように工夫したのだろうし、義経の見せ場も作っている。
 それでもやっぱりこの舞台が弁慶役者の独壇場であることに変わりはないのだけれど。

 さて、この舞台を観るちょうど2日前のこと、少し遅れた誕生日のお祝いに黒澤明作品のDVDボックスをいただいた。その中の1巻に「虎の尾を踏む男達」が収載されていて、タイミングのよい予習となった。
 本作は、終戦日を間に挟む戦争の前後において撮影された作品である。黒澤明は当時35歳、東宝撮影所では、仕事をしていない者は「みんなしゃがんで話をしていた」「腹が空いて、立っているのは辛いのである。」と回想していることが、小林信彦の「黒澤明という時代」(文春文庫)に紹介されている。
 もともと大河内伝次郎とエノケンが共演する別の映画の企画だったのが、クライマックスに使う馬が軍馬として徴用され調達できなかったことから代案として浮かんだのが、能の「安宅」と歌舞伎の「勧進帳」をもとにした本作であるという。
 物資不足でフィルムも思うように手に入らないこの折、1時間足らずの作品の構想は渡りに船だったのかも知れない。

 勧進帳の舞台では弁慶、義経を含めた一行の人数は5人だったはずだが、映画では強力役のエノケンを除く人数は7人である。と、ここで後年の「七人の侍」を想起させるのはただの偶然か。
 義経役は岩井半四郎、弁慶:大河内伝次郎のほか、家来には森雅之、志村喬、河野秋武、小杉義男といった豪華な顔ぶれが揃う。富樫を若い藤田進が演じているが、撮影時の彼は姿三四郎役で人気を博してから間もない頃で、子どもたちのヒーローであったはずだ。その若い富樫は、複雑な心理を窺わせる歌舞伎の富樫とは異なり、あくまで真っ直ぐかつ無垢な視線で義経主従を見つめ、そして見逃すのだ。

 本作は、戦後もまだしばらくは存在した日本の検閲官によって「日本の古典的芸能である歌舞伎の“勧進帳”の改悪である」「エノケンを出すこと自体、歌舞伎を愚弄するもの」などと難癖をつけられ、その言葉に怒りを爆発させた黒澤の態度に対し、戦争に負けて尾羽打ち枯らしたはずの彼ら権力者たちはGHQへの報告書から本作を削除し、未報告の非合法作品として葬り去ることによって報いた。
 「虎の尾を踏む男達」は7年間のお蔵入りののち、米軍による占領終結の直前、1952(昭和27)年4月24日になってようやく公開されたのである。ただ、その時にはもう、大河内伝次郎もエノケンも藤田進も観客を集めるスターではなくなっていた、と小林信彦氏は書いている。

 私はこの作品を大スクリーンで観る機会にはまだ恵まれていないのだが、今回見直して、以前、もう10数年も前にテレビの黒澤明特集で観た時とは違ったインパクトを受けた。
 それは私自身が齢を重ねたということかも知れないのだが、端的にいえば、義経主従とエノケン演じる強力の関係に合点がいくようになったとでも言えばよいだろうか。
 以前にはただ煩く感じたエノケンの演技がただの悪ふざけではなく、卓抜な演技力やリズム感に裏打ちされたことが納得される。そのことが義経主従一行の姿を相対化しつつ、悲劇性を際立たせる効果を生んでいるのだ。
 そして、あのラストシーン。
 勧進帳でも富樫から酒が届けられ、酔った弁慶が延年の舞を舞う。その後、あの屈指の名ラストシーン、弁慶の飛び六法の引っ込みへとつながるのだが、映画では、弁慶の豪快な飲みっぷりにあやかった強力が酔った挙句の剽軽な踊りを踊って見せる。
 ふと強力が気がつくと日はとっぷりと暮れ、一行も立ち去った後とみえてあたりには誰もいない。
 周りをキョロキョロと見渡したエノケンの強力だが、やおら見得をつくると軽く飛び六法を踏みながら画面左手前の方向へと消えていく……。

 誰もが唸る名場面であるが、今回DVDを観た私のささやかな発見は、もしかしたら、ここで描かれた全てのこと、安宅の関での勧進帳の読み上げから山伏問答の一切合財、義経主従の存在すらが、強力の見た「一夜の夢」だったのではないか、ということである。
 そうであればこそ、この映画が撮影された「時代」の悲劇性はより際立ったものとして感じられるのではないか。
 戦時中、黒澤明は能にのめり込んだと言う。そうした能の劇構造を巧みに活用した語りの詐術の精華がこの作品にはあると思うのだが、どうだろう。

夏の夜の映画会

2012-08-23 | 映画
 8月18日(土)の夜、「にしすがも創造舎」(豊島区西巣鴨)で開催された「夏夜の校庭上映会」を楽しんだ。
 ご存じのとおり、元・中学校の閉校施設を文化創造拠点に転用したこの「にしすがも創造舎」だが、ちょうどこの日まで、様々なジャンルのアーティストとともに「としまアート夏まつり2012」を開催しており、この「夏夜の校庭上映会」がそのフィナーレとなる催しなのだった。
 星空のもと、夏草の香る校庭に敷かれたシートや椅子でゆったりとくつろぎながら、設えられたスクリーンや校舎の壁に大きく投影される短編アニメーションを楽しむという趣向である。
 あいにく、この日の午前中は雷を伴った豪雨が東京近県を襲い、開催も危ぶまれたほどだったのだが、午後遅くなってからは一転青空が広がり、上映も無事に行われた。
 上映されたのは、ナガタタケシとモンノカヅエの二人によるユニットであるトーチカ、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した和田淳、世界中の映画祭で高く評価されている水江未来らの作品。
 この日は、水江未来氏がトーク・ゲストで登場、作品解説をはじめ、パソコンの前に手をかざしたり、動かしたりすると、投影される映像や音が様々に変化するパフォーマンスなどで来場者を楽しませた。

 個人的には、ペンライトの光で絵を描き、それをアニメーション化したトーチカの「PiKA PiKA」がとても好きだったけれど、そのほかどれもが面白い作品だった。
 とりわけ、水江氏の特徴である、細胞や幾何学模様の形が変幻自在に増殖し変化する映像が校舎の壁全体に映し出される様は、まるで建物そのものが異次元のものに変容したようで、観るものを日常とは違った世界に迷い込ませる。
 その校舎の周りには巨大なスクリーンを縁取るように夜空が広がっているのだが、この日は風が強く、その空を流れる雲が風に煽られて様々に形を変えていく。それ自体がそのまま自然現象の造りだしたアニメーション作品のようで圧巻だった。

 一定の年代以上の人々には、夏休みによくこんな星空の映画上映会が学校や公民館で行われた記憶があるのではないだろうか。
 映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」には、映画館に入れず路上にあふれた人々のために、主人公の映写技師が気を利かせて、鏡を使って建物の壁に映画を映し出してやるシーンがあった。
 ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」では、村の公民館にやってきた移動映画の「フランケンシュタイン」に魅せられる少女の姿が描かれていた。
 この日の「夏夜の校庭上映会」を観ながら、そんな昔の光景を懐かしく思い出していた。昨今のアミューズメントパーク化したシネコンでの映画鑑賞などではなく、もっと昔の、素朴で原初的な映画の楽しみが横溢していたように感じられたのだ。

 そういえば主催者からのアナウンスは特になかったのだけれど、「にしすがも創造舎」のあるこの場所は、戦前期、大都映画の撮影所だった場所でもある。
 決して芸術的ではない、チャンバラ映画や今でいうヒーローものやドタバタ喜劇など、B級映画を量産し、大衆の喝さいを浴びたという。
 この日の短編アニメーションは、いずれも手作り感にあふれた作品ばかりで、手描きの一枚一枚を積み重ねながら映画を作り上げるという楽しみを感じさせてくれるものだった。そういったワクワク感はどこか深いところで、大都映画撮影所の記憶と通底しているのではないか、そんなことを考えさせられる。
 とても素敵な一夜、夏の夜の夢だった。
 

スパイ/寡黙な

2012-06-13 | 映画
 映画「アーティスト」は、最先端の技術を活用しながら「無声映画」という新たなジャンルを現代において切り開いたのだ、という言い方が出来るかも知れない。本作では、当然ながら、俳優が発するはずの「声=台詞」は周到に無音化されているのだが、むしろそれ以外の音は巧みにデザインされ、作品が持つ意図を十全に発現しようとする。

 それはある種のスタイルなのであるが、スタイリッシュと言うならば、ジョン・ル・カレの原作・製作総指揮により映画化された「裏切りのサーカス」はまさにその極致と言えるだろう。
 監督のトーマス・アルフレッドソンは、前作「ぼくのエリ 200歳の少女」で世界中を震撼させたのちの本作が英語による長編映画の監督デビューとなる。
 原作の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」は文庫版で550ページに及ぶ大長編なのだが、その饒舌な文体を極限にまでそぎ落として昇華し、結晶化させたうえでさらに削りに削ったと言えるような省略と飛躍、その反面、極度に拡大凝視される老スパイ、ジョージ・スマイリーの表情、腹の中を探り合うスパイたちの内面の葛藤など、全体を貫くデザインの粋は映画という表現ならではのものだ。

 ゲイリー・オールドマンは私も昔からあこがれる俳優の一人なのだけれど、本作のスマイリー役は、寡黙かつ緩慢な動きに制御されながら、ただそこに佇むだけでまるで一流のダンサーの踊りを見るようなスリルに満ちていると感じさせられる。彼自身はポール・スミスのスーツに身を包み、ただ立ってこちらを見やっているだけなのだけれど……。
 原作者も「ただメガネを拭くだけで殴り合いのシーンと同じくらい観客をぞくぞくさせる俳優」と評して絶賛したそうだが、まさに同感である。

 未見の方にはぜひ映画館で観ることをお薦めするけれど、鑑賞前にパンフレットの2、3ページ目に載っている梗概と人間関係図をある程度頭に入れておくことは必須だと申し上げておきたい。私の知人は予備知識なしにこの映画を観て、何が何だか分からなかったと言っていた。本作に限ってはネタバレ歓迎なのだ。
 それにしても、アカデミー会員のオジサンたちには、この映画、面白かったのかなあ。

アーティスト/寡黙な

2012-06-12 | 映画
 米国で1歳未満の乳児に占める白人とマイノリティー(ヒスパニック系を含む)の人口比が逆転し、白人が50%を割り込んで初めて少数派になったことが5月17日に発表された米国勢調査局の統計で分かったとCNNが伝えている。
 将来的に米国の多民族化が一層進展し、マイノリティーが重要な政治的、経済的役割を果たすようになるだろうと専門家筋は予想しているそうだ。

 こうした情報の一方で興味深いのが映画界である。こんな報道がある。
 今年2月の第84回アカデミー賞授賞式に先立って、ロサンゼルス・タイムズ紙が、同授賞式の鍵を握る米映画芸術科学アカデミー協会の会員の人種や年齢構成を分析した興味深い結果を発表したのである。
 映画界の最高峰、アカデミー賞の会員は、映画会社などの重鎮をはじめ、映画プロデューサー、映画監督、脚本家、俳優など、映画界を代表する人々によって構成されているが、このほど投票者5765人について、ロサンゼルス・タイムズ紙が分析した統計結果によれば、構成員の94%が白人で、77%が男性で占められ、さらに平均年齢は62歳であることが分かったというのである。
 アメリカの映画人口の多数を占める黒人、ヒスパニック系に関しては、メンバーの中でそれぞれ僅か2%以下であり、50歳未満のアカデミー会員は14%しかいないことも判明したという。
 今回改めて白人至上主義、高齢者のメンズクラブであることが数字で証明されたことで、今後は人種、年齢、性別の多様化に向けた動きが加速されることが期待されている、とこのニュースは伝えている。

 これら2つの報道を並べてみると実に面白い。米国の代表的文化である映画がすでに時代遅れで少数派に成り果てた白人のジイさんたちに牛耳られているという事実……。
 あと30年もしたら誰も映画なんて観なくなってしまうのではないだろうか、と考えると恐ろしくて夜も眠れなくなる。何を隠そう、私自身は映画に関してはカチカチの保守派なのであるが、そのこと自体、長年の間にそうした彼らの価値観によって教育されてきた証左なのかも知れないのである。

 今年、アカデミー賞の主要5部門を獲得した「アーティスト」はそうしたアカデミー会員たちのノスタルジックな夢が凝縮した作品であるということは言えるのだろう。
 ミーハーな私はこの作品を十分に楽しんだけれど、その私にも、主役のジャン・デュジャルジャンが果たして主演男優賞に相応しい演技だったかどうかは分からない。
 通常の映画の登場人物が、あたかも実在する人間であることを前提条件として、その感情なり行動が俳優の肉体や演技を媒介として造型されるのに対し、この映画の主人公はあくまで「映画」自身なのであって、主役のジョージ・ヴァレンティンは、多くの映画好きたちの夢が投影された影にしか過ぎないように思えるのだ。
 事実、ジャン・デュジャルジャンはその演技設計において、往年のスターであるダグラス・フェアバンクスやルドルフ・ヴァレンティノ、比較的新しいところではジーン・ケリーらを徹底的に研究したことだろう。無論、それは実在する彼らの実像などではなく、スクリーン上に映し出された彼らの「影」像であったはずだ。
 数多くの過去の映画へのオマージュにあふれ、その白黒画面もいったんカラーフィルムで撮影したものをデジタル処理によりモノクロに変換するといった技術をふんだんに活用しながら創り上げられた本作は、映画そのものの白鳥の歌なのかも知れない。
 この先、映画にはどんな未来が待っているのか。それは作り手たちの問題であって、私のような一観客が問題とすべきことではないのだろうけれど。

 はるか何年かのち、アカデミー会員の過半が女性やマイノリティーの若者で占められるようになった時代……、そんな時代が来るかどうかは分からないけれど、その時、映画は何を映し出すのだろうかと、ふと思った。

マーガレット・サッチャー

2012-04-24 | 映画
 映画「マーガレット・サッチャー」についてもう少し書いておきたい。
 うまく説明できるかどうか分からないのだが、ここで言いたいのは、この映画がひとえにメリル・ストリープの「一人芝居」のために設えられた「舞台=世界」であるということだ。
 本作が、いわゆる政治家の伝記映画でないことは明白だろう。彼女がどのような主義主張を持ち、その思念と哲学をどのように鍛え上げ、どのような葛藤の中で政治家としての地歩を固めていったのかというようなことが詳細に描かれているわけではないのだ。
 その意味で本作には、政治家志望の若者にとっての参考になるとか、人生哲学を学び取ろうとする人々に何らかの示唆を与えるといった要素がまるでない、と言ってよい。

 とある食料雑貨店でミルクを買うためにレジに並ぶ老女のクローズアップで始まる映画の冒頭、誰もこの老いた女性がかつての英国首相であるなどとは気がつかない。
 次のシーン、彼女は薄い焦げたトーストにゆで卵と紅茶という質素な朝食のテーブルに夫デニスとともにいる。ひとしきり夫との会話が交わされた次の瞬間、テーブルの前にぽつねんと座っているのは彼女一人であり、夫の姿は老女の見た幻影に過ぎなかったことが観客に示される。雑貨店でミルクを買ったのも、軽い認知症を患う彼女の徘徊の有り様であったのだ。
 これは、老残のなかにある一人の女性の幻想の物語であり、あらゆる権威を剥ぎ取られた王の物語である。まさに狂気の淵を歩く「リア王」のごとき老いた英雄をメリル・ストリープは演じるのだ。
 そのあとに展開される若き日々の姿も、強烈なリーダーシップで国を率いる姿も、すべては幻想に過ぎない。あったかも知れず、なかったかも知れない、そんな「うたかたの夢」をこの人物も、私たちもまた生きるしかない……。
 そうした夢の世界に生きる老女の独り語りによってこの映画は成り立っている。無論、語るのは女優メリル・ストリープである。

 この映画では、メリル・ストリープのそっくりさんぶりが大きな話題となった。メイクアップ、髪型はもちろん、イギリス英語のアクセント等々、まるでマーガレット・サッチャーが乗り移ったかのような演技は称賛に値する。
 ところで、思い返してみると、彼女がメイクアップに頼ったのは最晩年のシーンであり、壮年期の場面ではそれほど凝ったメイクをしていたわけではない。
 映画を観ている最中、私たちはメリル・ストリープの演じる姿に疑いもなくサッチャーの姿を思い描いていて、そのあまりの似姿に驚きも感じるのだが、後になってパンフレットの写真を見ると、そこには本来のメリル・ストリープが映っている、ということを発見して二度驚かされる。
 これこそがまさに「演技」の力にほかならないのだろう。

 うまく説明できないのだけれど、通常、映画を観るとき、私たちは登場人物に感情移入しながら、スクリーン上の人物が実在のもの、現実にこんな人物がいるのだということを感じながら観ている。
 だが、この映画では、実在のサッチャーの姿を私たちは知っており、なおかつ、そのサッチャーをメリル・ストリープが演じているということを知りながら、そのうえで感情移入するという回路を辿ることになる。
 この映画が、より演劇に近接しているということの何よりの証左だろう。
 優れた俳優の演技を観ることの快楽がそこにはある。

 余談だが、彼女が党首選に打って出ようとした時、参謀格の議員の勧めで、声のトーンを下げるため、トレーナーについてボイストレーニングをするシーンがある。
 「英国王のスピーチ」のシーンとダブって思わず笑みを浮かべてしまったが、政治とはまさに演劇なのだということを雄弁に語っていて私はとても気に入っている。