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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

桜姫東文章

2012-08-30 | 演劇
 四世鶴屋南北の「桜姫東文章」を観た。新橋演舞場での「八月花形歌舞伎」、16日(木)昼の部である。
 不勉強なことに私が歌舞伎を観ることはめったにないのだが、最近になって、月に2度は歌舞伎見物に足を運ぶという方と知り合いになり、折に触れて話をするうちに何だか無性に舞台を観たくなったのだ。
 この日の配役は、桜姫(稚児・白菊丸と二役):中村福助、清玄阿闍梨:片岡愛之助、釣鐘権助:市川海老蔵、役僧・残月:片岡市蔵、局・長浦:市村萬次郎等々の顔ぶれ。

 この作品であるが、文化14(1817)年3月、江戸河原崎座で初演されたのちは長らく上演の機会がなく、ようやく昭和になって再評価されることとなった。
 戦後では、昭和34年11月、昭和35年10月に三島由紀夫監修、巌谷槇一補綴、久保田万太郎演出により部分上演されたのち、昭和42(1967)年3月、国立劇場において、郡司正勝の補綴・演出により通し狂言として150年ぶりに復活上演された。
 この時の桜姫は中村雀右衛門、白菊丸をまだ十代の坂東玉三郎が演じている。
 以来、「東海道四谷怪談」に匹敵する南北の人気作品として上演を重ねているのである。

 その筋立てはと言えば、清水寺の僧・清玄が桜姫に恋心を抱いて破戒した末に亡霊となってなおも執着する物語であり、かたや公家吉田家の息女・桜姫は、かつて自らの操を奪った悪党・権助を忘れられず、その恋のため遊女にまで転落するという物語である。
 文化年間に実際に起こった事件を基にした「清玄桜姫物」と能の素材となった「隅田川物」の世界を融合させた作品でもある。
 よくよく考えれば辻褄の合わない場面が多く、突っ込みどころ満載の芝居でもあるのだが、演出の石川耕士氏によれば、「面白くすること優先の力業、濡れ場も滑稽も次から次へと繰り出されて飽きさせず、そのためには無理な展開もやってのけるのが、おみごと!というしかない」と言うことらしく、まさにそうなのだろう。
 ある種の貴種流離譚であり、高貴なお姫様や僧が戒律を破り、一途な恋のために転落し、死んでまでも執着しようとするそのさまはむしろあっぱれでもある。あらゆる価値観が転倒し、世界のタガが外れたような底抜けの明るさと底知れぬ闇の深さが同時に提示されるその舞台は、現代社会の反映のようでもある。だからこそ、この作品は今も観客の支持を得て上演され続けているのだろう。
 私がもっとも心惹かれたのは三幕目「岩淵庵室の場」幕切れの場面であるが、清玄惨殺と女郎に身を窶す覚悟を決めた桜姫と権助の道行きを描く凄惨な場にもかかわらず、ぼろぼろの菰をまとい、闇に向かって花道をゆく二人の姿はこのうえなく美しい……。

 ちなみに私がこの作品を観るのは二度目のことで、実は35年前にも観ている。昭和52年3月のことで、場所は京都南座であった。
 配役は、桜姫(稚児・白菊丸と二役):坂東玉三郎、清玄阿闍梨:市川海老蔵(現・團十郎、釣鐘権助:片岡孝夫(現・仁左衛門)である。
 この時、玉三郎は26歳くらいか。團十郎、仁左衛門の二人の大御所も当時は三十代半ばだったはずで、いわば若手中心の座組みなのだったが、私にとってこの時の芝居体験は決定的なものとして未だに忘れられないものだ。
 その年の12月に今の海老蔵が生まれ、今年、同じ作品の舞台に立っていることを考えるとさらに感慨深い。芸というものはこうやって受け継がれていくのだ。
 さて、玉三郎の桜姫は、高貴な姫様言葉と安女郎の伝法な言葉遣いの交じり合った様子が何とも可愛らしかったし、福助の桜姫はこのうえなく艶めかしい。桜姫と権助の濡れ場はたとえようもなくミダラでエロっぽく、こんな淫靡で退廃的な舞台を世の女性客は夏の真昼間から手に汗して見ているのである。これぞ芝居見物の醍醐味!と言わずして何と言おう。

 今年、市川猿之助を襲名した亀治郎が、テレビのインタビューでこんな話をしていた。
 「記憶の中で、昔観た芝居の舞台は美化されていく。自分はその美化された世界を超えるものを創りたい……」
 たしかにそのとおり。時間の経過の中で記憶は修正され、美化されていく。時の積み重なりの過程で出会いがあり、別れがあり、喜びと哀しみと様々な思い出を身に纏いながら舞台の記憶は新たな物語を紡ぎ出すだろう。
 そうしたもろもろのことをひっくるめた丸ごと全てが「演劇を観る」ということにほかならないのである。

夏の夜の映画会

2012-08-23 | 映画
 8月18日(土)の夜、「にしすがも創造舎」(豊島区西巣鴨)で開催された「夏夜の校庭上映会」を楽しんだ。
 ご存じのとおり、元・中学校の閉校施設を文化創造拠点に転用したこの「にしすがも創造舎」だが、ちょうどこの日まで、様々なジャンルのアーティストとともに「としまアート夏まつり2012」を開催しており、この「夏夜の校庭上映会」がそのフィナーレとなる催しなのだった。
 星空のもと、夏草の香る校庭に敷かれたシートや椅子でゆったりとくつろぎながら、設えられたスクリーンや校舎の壁に大きく投影される短編アニメーションを楽しむという趣向である。
 あいにく、この日の午前中は雷を伴った豪雨が東京近県を襲い、開催も危ぶまれたほどだったのだが、午後遅くなってからは一転青空が広がり、上映も無事に行われた。
 上映されたのは、ナガタタケシとモンノカヅエの二人によるユニットであるトーチカ、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した和田淳、世界中の映画祭で高く評価されている水江未来らの作品。
 この日は、水江未来氏がトーク・ゲストで登場、作品解説をはじめ、パソコンの前に手をかざしたり、動かしたりすると、投影される映像や音が様々に変化するパフォーマンスなどで来場者を楽しませた。

 個人的には、ペンライトの光で絵を描き、それをアニメーション化したトーチカの「PiKA PiKA」がとても好きだったけれど、そのほかどれもが面白い作品だった。
 とりわけ、水江氏の特徴である、細胞や幾何学模様の形が変幻自在に増殖し変化する映像が校舎の壁全体に映し出される様は、まるで建物そのものが異次元のものに変容したようで、観るものを日常とは違った世界に迷い込ませる。
 その校舎の周りには巨大なスクリーンを縁取るように夜空が広がっているのだが、この日は風が強く、その空を流れる雲が風に煽られて様々に形を変えていく。それ自体がそのまま自然現象の造りだしたアニメーション作品のようで圧巻だった。

 一定の年代以上の人々には、夏休みによくこんな星空の映画上映会が学校や公民館で行われた記憶があるのではないだろうか。
 映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」には、映画館に入れず路上にあふれた人々のために、主人公の映写技師が気を利かせて、鏡を使って建物の壁に映画を映し出してやるシーンがあった。
 ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」では、村の公民館にやってきた移動映画の「フランケンシュタイン」に魅せられる少女の姿が描かれていた。
 この日の「夏夜の校庭上映会」を観ながら、そんな昔の光景を懐かしく思い出していた。昨今のアミューズメントパーク化したシネコンでの映画鑑賞などではなく、もっと昔の、素朴で原初的な映画の楽しみが横溢していたように感じられたのだ。

 そういえば主催者からのアナウンスは特になかったのだけれど、「にしすがも創造舎」のあるこの場所は、戦前期、大都映画の撮影所だった場所でもある。
 決して芸術的ではない、チャンバラ映画や今でいうヒーローものやドタバタ喜劇など、B級映画を量産し、大衆の喝さいを浴びたという。
 この日の短編アニメーションは、いずれも手作り感にあふれた作品ばかりで、手描きの一枚一枚を積み重ねながら映画を作り上げるという楽しみを感じさせてくれるものだった。そういったワクワク感はどこか深いところで、大都映画撮影所の記憶と通底しているのではないか、そんなことを考えさせられる。
 とても素敵な一夜、夏の夜の夢だった。
 

何もかも憂鬱な夜に

2012-08-05 | 読書
 中村文則著「何もかも憂鬱な夜に」(集英社文庫)は心に染み入る小説である。ごく最近になってこの本を読んだ私にとっても、文庫本の解説でピースの又吉直樹が言っているように、「この小説は特別な作品になった」と思える。

 刑務官の主人公は、強姦目的で押し入った家で妻とその夫を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫った控訴期限が切れてしまえば死刑が確定するが、山井は何も語ろうとしない。どこか自分自身に似た山井と接する中で、主人公の「僕」が抱える混沌、自殺した友人の記憶、子供時代に同じ施設で育った恵子との交渉、人生のかけがえのない指針を示してくれた施設長とのやりとりが明滅するかのように描き出される。

 この小説は人生の闇と不可解、絶望とやりきれなさ、不条理を描きながら、だからこそ必要とされる「芸術」の力を訴えかけてくる。
 と、ここまで紹介すれば、あとは何もいうことはないという気がするし、何か言ったところでこの小説の素晴らしさは伝わらないだろう。小説はただ読むためにある。出来うるものならば全編を引用してそれでよしとしたいくらいだが、そんなわけにもいかないので、心にしみた言葉のいくつかを紹介しておくことにしよう。
 施設長は子供だった主人公にこんなふうに語りかけたのだ。……

 「お前は、何もわからん」
 彼はそう言うと、なぜか笑みを浮かべながら椅子に座った。
 「ベートーヴェンも、バッハも知らない。シェークスピアを読んだこともなければ、カフカや安部公房の天才も知らない。ビル・エヴァンスのピアノも」
(中略)
 「黒澤明の映画も、フェリーニも観たことがない。京都の寺院も、ゴッホもピカソだってまだだろう」
 (中略)
 「お前は、まだ知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるのかを。俺が言うものは、全部見ろ」
 僕は、しかし納得がいかなかった。
 「でもそれは……、施設長の好みじゃないか」
 「お前は本当にわかってない」
 あの人はそう言い、なぜか嬉しそうだった。……

 ……「自分の好みや狭い了見で、作品を簡単に判断するな」とあの人は僕によく言った。「自分の判断で物語をくくるのではなく、自分の了見を、物語を使って広げる努力をした方がいい。そうでないと、お前の枠が広がらない」……

 「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ」あの人は、僕達によくそう言った。「考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」

 小説の最後、控訴した山井は拘置所から主人公に宛てて手紙を書く。……

 ……あなたにもらった本を、少しずつ、読んでいます。昔の作家や、現代の作家のがあると、主任が言っていた。「ハムレット」を読んだけど、むずかしくて、わからないところもあるが、主任が説明してくれるので、もう一回、読んでみる。だけど、ぼくは人を殺した男で、そのような人間が、本を読んでいいのかと思うことがある。こういう夜を、本を読んですごしていいのかと思うと、今すぐ死にたいと、そういう気もちになる。でも、どのような人間でも、芸術にふれる権利はあると、主任が言ってくれた。芸術作品は、それがどんな悪人であろうと、全ての人間にたいしてひらかれていると。
 この前、主任と看守部長がとくべつに、CDを聞かせてくれた。あなたが用意したものだと、言っていた。ぼくは、それを聞きながら、動くことができなくなった。バッハという人の、『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』。すばらしいものがあるといったあなたのことばの意味が、わかったような気がした。いろいろな人間の人生の後ろで、この曲はいつも流れているような、そんな感じがする。……

文楽とイノベーション

2012-08-04 | 読書
 「『超』入門 失敗の本質~日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ」(鈴木博毅著:ダイヤモンド社)は、ビジネス戦略・組織論のコンサルタントである著者が、名著「失敗の本質~日本軍の組織論的研究」をビジネスに活かせるのではないかと考え、ポイントをダイジェストにまとめ、忙しいビジネスパーソンが仕事に役立てられるような視点を提示したビジネス書である。
 この本が長らくベストセラーランキングのトップ10に名を連ねているのも頷けるような読みやすさと面白さではあるのだが、このことは、70年前の日本軍が抱えていた多くの問題や組織の病根と、現代の私たちが直面している新たな問題に、誰もが「隠れた共通の構造」があるとうすうす感じていたことの証左なのかも知れない。

 それはさておき、その中に「イノベーションを創造する3ステップ」というものが紹介されている。すなわち、
 ステップ1:戦場の勝敗を支配している「既存の指標」を発見する
 ステップ2:敵が使いこなしている指標を「無効化」する
 ステップ3:支配的だった指標を凌駕する「新たな指標」で戦う

 であるが、これらは日本陸軍においても堀栄三参謀のような優れた人材によって戦法として活用され、パラオ諸島のペリュリュー島における持久抗戦をはじめ、硫黄島、沖縄戦にまで活かされている。
 一方、米軍においてはそうした日本の編み出した指標を無効化し、凌駕する新たな戦法やレーダーなどの導入によって戦いを有利に導いていった。
 著者は、こうした事例を紹介したうえで、この「イノベーションを創造する3ステップ」は、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズが生涯を通じて行い続けたビジネス上の変革にぴたりと一致する、という。
 併せて、世界市場で苦境に陥っている日本の主要家電メーカーの現状について、日本メーカーの閉塞感は、指標を差し替える意味でのイノベーションを忘れ、かつて自らが成功を収めた要因を誤解していることで生まれているのではないか、と分析する。
 同じ指標を追いかけるだけではいつか敗北する。家電の「単純な高性能・高価格」はすでに世界市場の有効指標ではなくなった、というのだ。

 さて、ここで私が思い浮かべたのが例の橋本大阪市長による「文楽」の補助金全面凍結問題である。
 凍結見直しの条件として、橋本市長は、技芸員との公開討論を要求、しかもそれは、技芸員の収入格差の是正、協会がマネジメント会社のように公演のマージンをとる仕組みに変える、という2条件とセットなのだという。文楽協会がすぐには無理だと断ると、橋本市長は激怒した。

 どちらの言い分に理があるかどうかは別にして、橋本市長の戦略を先のイノベーション創造の3ステップに当て嵌めれば、市長は、文楽側がいう所の伝統やならわしを「特権意識」と両断したばかりか、文楽の舞台そのものを「つまらない」と言い放った。
 これはまさに文楽側の「既存の指標」を無効化するとともに、組織改革という「新たな指標」を提示し、これを公開討論の場に引きずり出すことによって自らの理を一般市民の前で主張しようという高度な戦法であると言えるのだろう。

 これに対し、作家の瀬戸内寂聴氏は「橋本さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから」と言っているが、どうやらそんな意見に耳を傾ける市長ではなさそうだ。
 そればかりか、先月26日に国立文楽劇場で「曽根崎心中」を鑑賞後、記者団に対し、「古典として守るべき芸だということは分かったが、ラストシーンがあっさりしていて物足りない。演出不足だ。昔の脚本をかたくなに守らないといけないのか」と苦言を呈し、ファン開拓のため脚本や演出を現代風にアレンジするなどの工夫を求めた、という。

 これをどう考えるか。
 私としては、これまでの論点が文楽協会の組織のあり方についてであり、それは改善の余地があるだろうと思わないでもなかったし、新たな指標の提示という点で理解できないことでもなかったのだが、市長の批判の矛先が舞台や表現そのものに向かったことで、これはもしかしたら危険水域に入り込んだのではないかと感じている。
 補助金凍結という権力を握る為政者が、文化芸術の演出や表現に口を出すことは十分な配慮の上に行われなければならないことだろう。
 それが行き過ぎれば、時の権力者の好みによってシェイクスピアや近松門左衛門の台本を自由に書き換えさせるということにもつながりかねない。
 次第に市長の顔が、芸術好きだという北の将軍様だか元帥様と被さって見えてくるようだ。