seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ふしぎな少年

2023-09-03 | 雑感
「時よとまれ。汝は美しい」というのはゲーテの「ファウスト」の終盤、ファウストが思わず洩らした言葉である。
これを引用した「時よとまれ 君は美しい ミュンヘンの17日」は1972年開催のミュンヘン・オリンピックの公式記録映画のタイトルだった。
このほか日本のポピュラー音楽のタイトルにもこの「時間よ 止まれ」は様々な歌い手によって使われている。
いずれも時間というものが否応なく流れて言ってしまうことへの愛惜の思いが込められていて、当然ながら時間を止めることなど到底不可能であることを自明のこととしているのである。



一方、SFドラマの中ではその不可能を可能にする能力を持った主人公が現れたりする。たとえばNHKが半世紀以上も前に放映した少年少女向けのテレビ番組「ふしぎな少年」がそうしたドラマの先駆けと言ってもよいかも知れない。
それは、主人公の大西三郎ことサブタンが友人たちと遊んでいるうちに四次元世界に入り込んでしまい、そこで「時間よ止まれ!」「時間よ動け!」と唱えることで時間を自由に操り、自分は動き回ることができるという超能力を身につけて現実世界に戻り、時間を止めることで危機一髪の事態を回避したり、犯罪を未然に防いだりと大活躍するというストーリーだった。

このドラマについてはいまも多くの人が言及しているようなのだが、当時の少年少女がすでに高齢者になった今もなお懐かしさを込めて語られるのは、それだけ「時間を自由に操る」というあり得ない設定が魅力的だったということの証しなのだろう。
しかしその昔、「ふしぎな少年」というドラマを見ながら当時の子どもたちは一体なにを感じていたのだろうか。
私のように「時間が止まる」ことを無邪気に信じ、時間を自由に操る能力を持った主人公の少年にあこがれを抱くような素朴な視聴者ばかりでなかったことは確かだろう。
時間の流れを自在に操ることがこれ以上ないほどの万能感を体現する力であることに間違いないとして、問題は実写ドラマの中でそれをどのようにして現実感をもって表現するかということなのだ。

このドラマ放映とほぼ同時並行的に発表されていた手塚治虫による原案の漫画の中であれば、時間が止まり、あらゆるものが静止してしまった世界をリアリティをもって描くことは容易であったはずだ。
しかしこれを実写版のドラマで描くことには多くの困難が伴ったに違いない。加えて当時はヴィデオカメラなどはまだまだ高価で普及しておらず、大半のドラマやバラエティ番組が生放送で制作されていた時代なのだ。
事実、ドラマの中でサブタンが「時間よ止まれ!」と叫んだ瞬間、世界のすべてが止まることを表現するのに、カメラに映し出された登場人物たちは一斉にその動きを止め、いわゆるストップモーションを演じるのだ。
足早に歩いていた人々も、喫茶店で運んできたコーヒーをテーブルに置こうとしていたウェイトレスも、カップを口に運び今まさに飲もうとしていた客も、大口を開けて談笑していた人々も、その誰もがサブタンのかけ声に合わせその瞬間の動作を止めるのだ。
生放送のことゆえ否応なくそのタイミングがズレてしまったり、無理な姿勢で動きを止めたため、片足をあげたまま震えの来るのを必死にこらえる人や、コーヒーカップがお盆からこぼれそうになってガタガタと音立てるのを歯を食いしばって堪え忍ぶ姿が画面に映し出されていたものだ。
こうしたことはまさに時間を止めることの不可能性をまざまざと見せつけるものだった。当時の視聴者はそうしたことも含めてこのドラマを大いに楽しんでいたのかも知れない。

話は少し変わるけれど、このサブタンの超能力は自分以外のものに対して時間を止めるのだが、これを自分だけに適用することはできないものだろうか。つまり、自分の時間は止まるのだが、世界はどんどん時の歩みを進めるという具合に。
そうなったら誰が自分の時間を元通りに動かすのかという問題が残ってしまうが、それはそれとして後世の知恵に委ねるしかない。

昔、当時の医学では治癒することができない難病患者が、自分の身体を冷凍保存し、100年後に解凍するように設計したうえで、未来の発展しているであろう医学に病気の治療を委ねるということを考えた人がいるということを耳にしたことがある。
それが実際に行われたかどうかは分からないのだが、なかなか興味をそそられる夢物語である。

同じように、身体の中で増殖する癌細胞を抱えた自分自身に対して「時間よ とまれ!」と命ずることできないものだろうか、ということを時たま考えることがある。
一度、ドラマの世界に入り込んでサブタンに訊いてみたいものである。

中流危機

2022-09-22 | 雑感
9月18日に放映されたNHKスペシャル「“中流危機”を越えて『第1回 企業依存を抜け出せるか』」を見た。

まず、いわゆる中流層の平均賃金がいかに低下したかという数値に驚かされる。世帯所得の中央値は、この25年で約130万円減少したというのだ。

この番組は、技術革新が進む世界の潮流に遅れ、稼げない企業・下がる所得・消費の減少、という悪循環から脱却できずにいるこの国の現状を踏まえ、厳しさを増す中流の実態に迫り、解決策を模索する……というのが主眼であるらしいのだが、その大きな要因が“企業依存システム”、社員の生涯を企業が丸抱えする雇用慣行の限界だった、としていることにまず大きな違和感を抱いてしまった。

そもそも番組タイトルの「企業依存」という言葉自体に少なからぬ抵抗を感じてしまうのだが、誰もが企業を離れて転職を重ねながらキャリアアップできるわけではない。
私は雇用に対して古い意識と価値観を持ち、そこから脱却できないタイプの人間と言われても仕方ないのだが、企業にはやはり雇用主としての責任があるだろうと思ってしまう。
 
この番組は続く第2回目でも同じテーマを深掘りするようなので、この問題に対しどのような解決策を提示するのかまだ分からないのだが、1回目を見た限りでは、何を問題視し、焦点を当てようとしているのか、どうもピントがずれていると思わざるを得ないのだ。

従来の雇用慣行は本当に切り捨てるべきなのだろうか。企業依存は本当に悪いことなのだろうか。
内部人材の能力を育て引き出すのではなく、能力の高い人材を外部から登用することが本当に解決策になるのだろうか。
根本的問題は果たしてどこにあるのか。

社会全体が負のスパイラルに陥り、企業が人間を切り捨てる方向に向かわざるを得ないような体制になったのは、そうなるような政策を政府が取ったからなのだ。
その結果として現状があるのであれば、やはり政治の間違いと無策ぶりは告発しなければならないだろう。

人材育成はすべての基本である。人が育たなければイノベーションも起こらない。業績もあがらない。
企業にとって人材育成は最大のミッションであると言い切ってもよいのではないか。企業理念の根本に置くべきテーマであると私などは考えてしまうのだが、それはお花畑的発想だと断じられてしまうのだろうか。

企業が衰退し、人を育てる力も余裕もなくなってしまっているのなら、それを補完する機能を政府がしっかりと将来への投資として制度設計すべきなのだ。
働く人々へのセーフティネットの構築は急務であり、スキルアップのためのシステムづくりは喫緊の課題である。

そしてそれは今からでも決して遅くはないのだ。

移ろいゆくもの その2

2022-01-24 | 雑感
 前回書いたように、岩波ホールが今年7月29日をもって閉館するという発表は、映画関係者のみならず多くの人々に言い知れぬ衝撃をもたらした。
 もちろん、あらゆるものは移ろいゆくのであり、何事においてもそれが永遠に続くなどということはあり得ない。それにしても……、である。

 社会環境や経済情勢が目まぐるしく変化するなかで、人々の価値観も大きく変わっていく。私、あるいは貴方がその時に観た映画や演劇、コンサートの素晴らしさをいかに称揚したにしても、誰もがそのことに賛同するわけではない。劇場や美術館の大切さをどれだけ声高に訴えたとしても誰もが納得するわけではない。万人にあまねく支持される政治がないのと同様に、誰もが一様に素晴らしいと感じる芸術や、誰もがなくてはならないと思う文化施設などどこにも存在しないからである。
 ものごとの価値はいつの時代にも多様であり、相対的に揺れ動くものなのだ。そこに絶対はないのである。
 それは、そのとおりだ。だがしかし……、なのである。
 実利や実益を伴わないものがいとも簡単に切り捨てられ、効率性にばかり目を奪われた挙げ句、分かりやすく享楽的で、より多くの人の耳目を集めるものばかりを重視する風潮、価値観がこの時代に蔓延してはいないだろうか。

 私たちは、そうした価値観の変化をともすれば「時代」のせいにしがちである。「時代の変化」という言葉は、実に便利な言い訳の符丁なのだ。「時代が変わったんだよ」と言えば、どんな腹立たしいことも悩ましいことも、自分たちの努力不足に起因することさえも、いとも簡単に諒解されてしまう呪文のような効き目がある。
 けれどそこには目眩ましのような効果もあるのであって、その呪文を唱えることで私たちは思考停止に陥って物事の本質を考え抜くことを放擲してしまい、知らず知らずのうちに大切な何かを失ってしまっているのかも知れない。そして、その失ったものの大きさに、ある日突然気がついて愕然とするのである。

 しかし、時代は、ある日突然に変わってしまうものではない。季節が変わるように、徐々にゆっくりと巧妙に変化していくのだ。
 端的な例が情報通信技術の発展である。
 先日、1月17日は、1995年に発生した阪神淡路大震災から27年目ということで当時の映像や様々な関係者の声がニュースで流れていた。
 あの時は携帯電話が被害に遭われた方との連絡や被災地からの情報を知るうえで大きな役割を果たしたと言われる。
 さらにこの年はWindows95が発売された年であり、パーソナルコンピューターが身近なものとして各家庭に浸透していった節目でもあった。この頃からインターネットを通して世界中の情報にアクセスすることがより容易になっていったのだ。
 また、2011年は東日本大震災が発生した年であるが、ちょうどこの頃からスマートホンが携帯電話に取って代わり、広く普及していったのだ。
 ついでに言えば、1995年は、わが国の65歳以上の人口割合が14%を超えて「高齢社会」に突入した時期であり、2011年は、高齢者割合が21%を超え、「超高齢社会」となった頃でもある。もちろん、高齢社会の到来は「少子社会」の裏返しであり、パラレルな現象である。
 これらは僅かな事例に過ぎないが、こうした様々な要素が徐々に積み重なりながら時代の変化は形づくられていくのであろう。

 こうした変化に伴って、人々の趣味や嗜好が変わり、価値観も変化していくことは否定のしようがないことだ。好む好まざるに関わらずそれは仕方のないことである。あらゆるものは移ろいゆくのであるから。
 問題は、時代の変化に身を委ねているうちに、気がつかないまま大切な何かを失ってしまうことなのだ。それに抗するための方法を見つけなければならないのだが、そのための特効薬などはどこにもなく、地道で迂遠な作業をこつこつと積み重ねていく必要があるのだろう。このことをどこかでじっくり考えてみたい。

ファミリー・ヒストリー

2020-07-31 | 雑感
 先月下旬から近所の図書館が閲覧も可となってようやく図書館の書棚の間を本の背表紙を眺めながら徘徊するという至福の時間を味わえるようになった。とは言え、滞在は1時間以内という制限付きなのだが…。
 しばらくの間、特に平日の昼時間帯は閲覧席も空席が目立って、図書資料を閲覧するにはもってこいだったのだが、昨日、何日かぶりで足を運んだところ、学校が夏休みに入ったためなのか、学生たちがひしめくように席を埋めて密状態であった。
 こうしてまた居場所がなくなったなあと独りごちたものだが、そうした些末な事とは別に、改めて図書館というものの役割と機能を考えると、素晴らしい公共サービスだとつくづく思う。
 
 以前、公共劇場の整備計画に関わったことがあるのだが、劇場を建てるなどというと、議会でも住民の間にも反対する声というものが少なからずあったものだが、図書館の建設にはほとんどの人が賛成する。
 同じ税金を投入する運営に関しても、劇場に対する視線は冷ややかで、やれ赤字体質だの、やれ経費を削減せよなどと喧しい声が内からも外からも寄せられるのだが、図書館の運営に関しては、蔵書が少ないとか、もっとサービスを充実して欲しいという声はあるけれど、赤字経営などといった批判はあまり聞かないようだ。
 もっとも行政の立場はなかなか厄介なもので、あちらこちらの公共図書館で指定管理者制度に基づく民間事業者への業務委託が進んでいる状況をみると、そう安穏としていられない事情もあるのだろう。
 一方、博物館や郷土歴史資料館といった施設はどういった状況なのだろう。
 都道府県が設置した施設はともあれ、区市町村立の比較的小規模な博物館や資料館はなかなか厳しい経営環境にあるのではないだろうか。
 どうしても見るからに地味な存在であるからか、打ち上げ花火を好むような派手好みの為政者からは片隅に追いやられがちであるようだ。

 さて、私はNHKの「ファミリー・ヒストリー」という番組をたまに見るのだが、その調査力のすごさにはいつも感心してしまう。その日のゲストの父母双方の何代も前の祖先からの足取りを辿り、その苦難の道のりや現在に至る偶然とも奇跡ともいうべき出会いの数々が感動を呼ぶのだが、そこで大活躍するのが各地域の公文書館や歴史資料館なのである。
 よくこんな文書を保管してあったと感嘆しきりである。歴史を跡付け、証言するものとして公文書の重要性は言うまでもないのだが、それを残すのは私たちこの時代に生きる者の義務であるということを心の底から感じる。
 もちろん古文書のすべてが信用できるわけではなく、改ざんされた偽文書やまがい物も数多く出回っていたりするのだろうが、時の篩いにかけられながら受け継がれてきたそれらの記録は、私たちすべての人間共有の記憶として、極めて貴重な財産なのである。

 今から数十年後の未来に現在の時代を振り返った時、あの頃はまともな文書が保存されていない時代であり、改ざんや隠ぺいが横行した時代だとして後世の人々から冷笑とともに一括りにされることがないよう願うばかりである。

ドラマとスマホ

2020-05-09 | 雑感
コロナ禍によって新作ドラマの撮影が延期となり、多くの現場ではその公開時期や、すでに公開されているドラマ放映の継続に苦慮しているようだ。
その穴埋めのため、昔の作品を再放送することが多くなったように思えるが、ドラマの中で使われる通信機器が時代の流れを如実に映し出していて面白い。
つい先日もテレビ朝日系列のドラマで「特捜9」の前身である「警視庁捜査一課9係」第1シーズンの第1話が放映されていた。また、従前から平日午後の時間帯では「相棒」が繰り返し再放送されている。
「相棒」は今年20年目を迎える人気ドラマだし、「9係」もスタートは2006年だからすでに14年前ということになる。
今ならGPS機能を使って逃亡犯や誘拐された子どもの位置を確認したり、撮影した現場の写真や様々なデータを瞬時に送受信したりといったことが当たり前のように行われるのだが、15年くらい前の刑事ドラマには当然ながらスマートフォンもSNSも登場しない。それがドラマの筋立てにも反映されているようだ。
当時最新の連絡手段は携帯電話(いわゆるガラケー)であり、その型式も年代によって変遷するから、それを見ながら、「ああ、あの頃あんなの使ってたねえ、懐かしい!」などと言い合うのも昔のドラマの楽しみ方の一つではあるのだ。
先日見た「9係」では、仕事のためデートに行けなくなった女性刑事が待ち合わせの恋人に断りの電話を入れるのだが、逆にやさしい言葉をかけられ、電話を切った後、携帯電話を両手に握りしめ、それを頬に当ててうっとりとした表情を浮かべるというシーンがあったが、そんな道具立ては昔の携帯電話ならではのことで、今スマホでそんなことはしないなあと思ったものだ。(あ、これはこのシーンを否定しているのではなく、失われた懐かしいもの、という意味合いです)
道具は人の「ふるまい」をも変えてしまうものなのかも知れない。

そういえば、2011年の東日本大震災の発生時、その後の電力不足や物資の不足によって日常生活や様々な活動に支障が生じ、不便を余儀なくされたのだったが、その際の日本人のふるまいが他人を思いやり、礼節を重んじたものであり、世界的にも奇跡的なことと称賛されていたことを思い出す。
思い返せば、当時はスマートフォンやSNSが一般に活用され始めてまだ数年という時期だった。チュニジアで起こったジャスミン革命(民主化運動)でFacebookやTwitterなどが大きな役割を果たしたと言われるのも3.11の直前のことだ。当時書かれた報道記事やいくつかの論文の中では、情報技術の駆使による新たな民主主義の登場や合意形成の方途が未来志向で語られ、SNSを活用した集合知の意義が信じられていた頃だ。

あれから9年が経過したのだが、その間、世界中を飛び交う情報通信量は私たちに想像すら出来ないほどの規模で爆発的な増大を続けている。

しかしながら、そこで飛び交う言葉の中身はどうだろう。
私自身の数少ない経験からの感想でしかないのだが、今、ネット上に飛び交う言葉の数々は目を覆いたくなるような惨状を呈してはいないだろうか。匿名性の鎧をまとい、特定の人や組織を貶めるような言説や皮肉、罵詈雑言は絶望でしかない。
コロナ禍というかつてない状況下、目に見えないウイルスへの不安やいつ収束するかも分からない日常生活への影響、政治への不信など、人々の心の中で増幅する感情が噴出した一形態という面もあるには違いないだろう。
しかし、そんな時だからこそ、より良く生きようと懸命に努力する人たちの働きを鼓舞し、勇気づけ、後押しするような、良き言葉こそを聞きたいと願うのだ。

蛇足ながら付け加えておくと、このことは私たちが政治的発言をすることや、時の政権を批判することを否定するものではない。
「批判」の本来的な意味が、「物事の真偽や善悪を批評し判定すること」であるように、政治や各種政策に目を向け、批判することは広く国民の権利であり、義務でもあるだろう。
なぜなら政治はあまねくすべての人々のものだからである。自分たちの政治がより良いものとなるために声を発するのは当然のことなのだ。その先にこそ、かつて信じられていた新たな民主主義や合意形成のための集合知が生まれるのではないか。そんな気がするのだ。

遊びと創造力

2015-01-13 | 雑感
 平安末期、後白河院が編纂した今様歌謡集「梁塵秘抄」の中に次の有名な歌がある。
 「遊びをせんとや生まれけむ/戯れせんとや生まれけん/遊ぶ子どもの声聞けば/わが身さへこそ揺るがるれ」
 大河ドラマ「平清盛」の中で度々歌われていたし、テレビCMでもひと頃よく引用されていたのでご存知の方は多いと思う。「一心に遊ぶ子どもの声を聞くと、私の体まで自然に動き出してくることだよ」というほどの意味だろう。
 このように遊び戯れる子どもの姿に私たちが魅かれるのは何故なのか。おそらくそれは、子どもたちの上げる無垢な笑い声に、人間が生来備えている尽きることのない創造力の源泉や生きる喜びとでもいったものの横溢を感じるからではないかと思われる。
 パブロ・ピカソは「子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」と言っている。大人への成長とは最も人間的なものを失う過程の謂いであり、それゆえ却って私たちは子どもらしさを希求するのかも知れない。

 文化は遊びの中から生まれたと言われる。遊びと文化芸術がその起源において極めて密接なものであることは確かだろう。
 生まれたばかりの赤ん坊も音楽に対して関心を示すように、ヒトという種は、音楽に対して何らかの遺伝的基盤を備えているとの説がある。あらかじめそのようにプログラミングされている、ということだ。
 ラスコー洞窟やアルタミラ洞窟の壁画に見られるように旧石器時代からヒトは卓抜な絵を描いてきた。舞踊は言葉とともに古く、文字のない社会はあっても舞踊のない社会はないとさえ言われる。子どもは歌い踊るものだが、それがまさに人間としての証であり、本能であり、自然なことであるからにほかならない。
 
 『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)という本の中でジャーナリストである著者のノーマン・カズンズは「創造力、生への意欲、希望、愛情などが生化学的な意味を持っており、病気の治癒と心身の健康とに大いに寄与する」「積極的情緒は活力増進剤である」と言っているが、子どもらしくあること、人間らしくあることの大切さを改めて考えさせられる。
 いま、子どもにとっては受難ともいうべき事件、事故のニュースが連日報道されている。
 誰もが元気で健康に満ち溢れ、生き生きと暮らすことのできる社会を創るためにも、この世界から子どもたちの笑い声が消えるようなことがあってはならない、そんなことを強く感じる今日この頃だ。

自分の価値の測り方

2014-07-21 | 雑感
 最近、ジャパネットたかたの田社長勇退のニュースやスタジオ・ジブリの世代交代に関する報道が相次いだためか、組織の人材活用や刷新のあり方について考えることが多い。
 もっとも難しいのは、それまで業績をあげ、組織の発展に功績のあった人材の交代をどうするのか、新しい人材をどのタイミングで入れ替えるのかということだろう。
 長く仕事をしていると、今こそが最高のチームだ、これ以上の組織はない、と思える瞬間のあることがある。であれば、その組織をそのまま維持していけばよいのではないかと思うのだが、それが必ずしも業績の維持や組織目標の達成につながらないのが悩ましい問題なのだ。
 そのことは前回のW杯で優勝したスペインが、当時のメンバーを3分の2引き続いて起用してブラジル大会に臨んだ結果を見ても明らかだろう。
 最高のチームが、半年後、1年後も最高のパフォーマンスを発揮するとは限らない。これは組織の非情ともいえる原則なのかも知れない。なまじ成功体験や過去の業績があるだけに古参メンバーの処遇は頭の痛い問題になりがちなのである。

 ジョン・ル・カレの小説の主人公である中年のスパイ、スマイリーの独白には思わず苦い笑いを浮かべてしまう。もちろんそれは自身の姿と重ね合わせてのことだ。……

 ……それがどうした、と彼はこたえた。そのとおりだとして、それがどうした。
 「世界の崩壊を防げるのは、中年の太ったスパイただひとりだと思うのは思いあがりも甚だしい」自分にそう言いきかせた。べつのおりには、「未完の仕事をのこさずにサーカスを去った者なんて、ついぞきいたことがない」といいきかせた。……
                   「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」村上博基訳

 自分はこのチームに貢献してきたし、十分な成果もあげた。多くの後輩も育ててきたし、自分自身がこのチームを去ることなどあり得ない。まして自分の存在自体が組織のチームワークを害することなど……、というのは、もうじき引退の時期が近づいたと囁かれる年回りの人にとって誰しもが覚える感慨かも知れない。
 しかし、誰もが客観的に自分自身を見つめられるわけではない。
 自分の仕事に誇りを持つことは大切だ。だが、それ以上に重要なのは、謙虚になるということである。

 そんなことをジョン・ウッデンの人材育成に関する言葉をまとめた『元祖プロ・コーチが教える育てる技術』(ジョン・ウッデン/スティーブ・ジェイミソン著:弓場隆訳)を読むと教えられる。
 ジョン・ウッデンは、ご存知の方もいるだろうが、20世紀のスポーツ界で、UCLAバスケットボール・チームの伝説的な教師、コーチであり、おそらくすべてのスポーツにおける最も偉大な優勝記録を打ち立てたと紹介されている人物である。
 この本の中に、アメリカのユーモア詩人・オグデン・ナッシュの次の詩が引用されている。それを丸ごと書き写して自戒としよう……

  自分が重要人物だと感じたり、
  エゴが前面に出てきたり、
  自分が今の地位についているのは当たり前だと思ったり、
  自分がいなくなったら、その穴は埋められないと感じたりするときは、
  次に書いてある簡単なことをやってみよう。
  そして、どれだけ謙虚な気持ちになれるか、試してみよう。

  バケツを水で満たし、
  手首まで水に入れ、その手を出す。
  あとに残った穴が、あなたの値打ちを測る目安だ。
  手を水の中に入れるときは、好きなように水しぶきをあげてよい。
  思う存分、水をかき回してもよい。
  でも手を出して一分ほどたてば、
  以前となんら変わらないことがわかるはず。

  奇妙なたとえ話だが、学べることがある。それはつまり、こういうことだ。
  全力を尽くせ。
  自分に誇りを持て。
  しかし、これだけは覚えておけ、
  かわりが見つからないような人などいやしないということを。

離見の見

2014-06-20 | 雑感
 世阿弥の「花鏡」の中で「目前心後」あるいは「離見の見」という言葉が語られる。
 「目を前に見て(つけて)、心を後に置け」という。
 さらに「見所より見るところの風姿は、わが離見なり。しかればわが眼の見るところは、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなわち見所同心の見なり。」と続くのだが、つまり演者=人間というものは、目前、左右までは見ることができるけれども、後姿まではなかなか見ることができない。
 しかし、自らの後姿まで見ることができなければ、自身の姿の俗なことをわきまえることもできない。観客と同じ目線から我が姿を客観的に見ることができて初めて五体相応の幽姿をなすことができるというのだ。
 人は誰しも他人の粗や欠点を見つけることは容易にできるが、自分自身を第三者の目で冷徹に見ることはなかなかできない。

 2か月ほど前の毎日新聞の余禄欄で富山の薬売りが各家庭に置いていった格言集のようなものを紹介していた。寺田スガキ著「『言葉』の置きぐすり」からの引用とのことだが、印象に残っている。

  高いつもりで低いのが教養
  低いつもりで高いのが気位
  深いつもりで浅いのが知識
  浅いつもりで深いのが欲の皮
  厚いつもりで薄いのが人情
  薄いつもりで厚いのが面の皮

  強いようで弱いのが根性
  弱いようで強いのが意地
  多いようで少ないのが分別
  少ないようで多いのが無駄

 人の振り見てわが振り直せ、という。反面教師という言葉もある。
 そんな言葉にフムフムと頷くのは誰しも身に覚えがあるからなのだ。それなのに、なかなか身を糺すことができないのは何故なのか。それが人の人たる所以なのかも知れない。
 人が道に迷うのは自分のいる場所・位置が分からないからだという。
 では、ナビゲーションシステムやアラウンドビューモニターのようなシステムがあればそれでよいのかというとそうでもない。
 自分の後姿を見たうえでなお必要なのは、何よりも透徹した批評眼なのである。それがなければ人はただ己が姿に見惚れるばかりで前に進むことなどできはしない。

正しいふるまい

2013-06-05 | 雑感
 5月28日付毎日新聞夕刊書評欄に文芸評論家:田中和生氏が書いている言葉が気になった。雑誌「新潮」に載っている作家:池澤夏樹と高橋源一郎の対談「死者たちと小説の運命」について書いている文章で、少し長くなるけれど引用する。

 ……3・11の震災後に書いた作品について語りながら、池澤は「東北の被災した人たちの側に立つ」と言い、震災後の原発事故を受けた長編「恋する原発」(講談社)を刊行している高橋は「時代が書かせた」と言う。それは震災後の現実であらかじめ正しいふるまいである。
 世評高いいとうせいこうの長編「想像ラジオ」(河出書房新社)もそうだが、つまりそれらは正しいふるまいの一部として存在している。だから原理的にその作品を批判することもできないし、否定することもできない。なぜならそれは「東北の被災した人たちの側に立つ」ことや、原発事故に対してなにかすること自体を否定する意味をもつからだ。だからその周囲には絶賛から口ごもったような肯定までが並ぶが、しかしそのあらかじめ批判する自由のない作品のあり方は文学としての自殺ではないか。
 戦後文学もまた戦前の日本を否定し「戦争の犠牲者の側に立つ」正しいふるまいのなかで書きはじめられたが、そうした政治的な正しさに包まれた作品はどこまで行っても国内的で、政治的状況が変わればその価値を失うことを忘れないようにしたい。……

 この文章は、表現する者の視座のあり様や当事者性の問題を読み手である私たちに提示するようだ。安易な当事者意識に寄りかかり、一方的に断罪する側の立場から表現することへの懸念といってもよい。だが、こうした視点を、モノゴトを考え、表現するうえでの規範として自らを律し続けることは極めて難しい。
 とりわけ、時の経過とともに歴史性を帯びた表現や人々の行動に対して、現代を生きる我々が自らは何らリスクを負わない安全地帯から正義を振りかざすことにおいて、知らず知らずのうちに生じる欺瞞や偽善というものを私たちはどうしても見逃しがちだ。そのことにもっともっと鋭敏かつ自覚的でなければならない。

 例えば、戦時中に描かれたいわゆる「戦争画」について、私は時おり考え込んでしまうことがあるのだが、戦争を賛美し、戦意を高揚する目的で描かれたとされる作品を、単に戦後的な価値観に基づき断罪することをどう考えればよいのだろう。

 先日、東京芸術劇場ギャラリー2で観た展覧会「池袋モンパルナス~歯ぎしりのユートピア」は小ぶりながら見応えのある展示だったが、その中の「Ⅳ 風刺の態度」コーナーでは、榑松正利が1944年に描いた「旭日旗のボート」と、桂川寛が1967年にベトナム戦争に思いをはせて描いたという「夜」が並べられていて、興味深かった。
 桂川の「夜」は「本当にこれが戦争の絵なのか、きれいすぎる」と言われたそうだが、当然ながらそこには作家の意図が批評として隠れているわけで、いかに批判されようと抗弁できるだけのゆとりを持った立ち位置に作家は立っている。
 それにひきかえ榑松の作品は戦争を描くことに無自覚で、あまりに無防備であるだけに無残だと言うしかない。その無残さを、今の時代において作品を観る私たちはどのように引き受ければよいのか。
 「戦争の犠牲者の側に立つ」正しいふるまいとして、戦争に加担したこれらの作品を批判し、その作者をただ糾弾すればよいのではないことだけは確かだろう。

 さて、こうしたことを考えて来て、最近大きな話題となったあの市長さんの慰安婦問題発言に触れないわけにいかないのだが、それが、わが国を取り巻く歴史認識に勇気を持って異議申し立てを試みるこの人なりの計算に基づいた戦略だったのか、単に無自覚なおバカ発言だったのかが今一つ分からないので何とも言いようがないのである、とまあ、これはお茶を濁すしかないなあ。

シャットダウン

2013-05-30 | 雑感
 野口悠紀雄著「超説得法~一撃で仕留めよ」(講談社)の中のコラムにこんなことが書いてあってフムフムと頷いてしまった。

 ……マイクロソフトのOS「ウィンドウズ」を終了させるには、画面下にある「スタート」のボタンを押す必要がある。なぜ終わるのに「スタート」なのか?
 ……ひょっとして、単なるミスということはないだろうか?
 本を読む前からPCを操作する未来の子たちは、「スタート」は「終了」という意味だと思わないかと心配だ。

 たしかにパソコンを起動する時にはまず電源ボタンを押すのに、終了したい時に電源ボタンを押してはならず、「スタート」をクリックする、というのはよくよく考えればオカシナことかも知れないなあ。
 昔、何台か前のわが家のパソコンがよくフリーズしてしまい、どうしようもなくなって電源を無理やり切っては後の処理に苦労したことを思い出す。
 それにしてもシャットダウンするのに「スタート」をクリックするように仕掛けた人はどんな意図を持っていたのだろう。
 何事もまずは「初心」に帰れというメッセージだろうか。
 それとも迷った時にはとりあえずスタート地点に立ち返れという教訓だろうか。

 シャットダウンは電源を「遮断」するということであり、かつまた、「シャットダウン」と「遮断」は音が似ていることからの巧妙な当て字なのだという話もあって、なるほどなあ、とまたまた頷いてしまう。

 さらに、シャットダウンにはシステムを一旦停止してから「再起動」するという機能も含まれている。リセットしてスタートし直すというわけだ。

 自分の発した言葉で自縄自縛となり、窮地に追い込まれたどこやらの市長さんもさぞかしシャットダウンして、何もかもなかったことにしたいと思っているのではないかしら。
 それともフリーズしてしまい、もうこうなったら無理やり電源を切るしかないと思っているだろうか。

願わくば

2012-12-06 | 雑感
 十八代目中村勘三郎逝去の報が昨日早朝から駆け巡った。もしや、との思いは断片的に聞こえてくるこれまでの報道からも払拭できずにいたのだったが、いざその報せを耳にすると、まさか、との驚きが胸をいっぱいにした。
 私など、何のゆかりもないような人間があれこれ口にすることではなく、また、これから歌舞伎・演劇界にとどまらず、幅広い分野の友人、著名な人々がその人となりや芸の話をするのだろうけれど、やはり自分と同年代の役者の死には悲哀とも何とも言えない喪失感を抱いてしまう。
 素晴らしい俳優だったのは間違いないが、まだまだ円熟には年若く、これからあと少なくとも20年は舞台の花を咲かせ続けてもらいたかったと誰しもが口惜しく思ったに違いない。
 西行法師の「願わくば……」のように、彼もまた、願わくばせめて舞台の上で死にたいと思ったであろうか。

 進取の気性に富んだ彼は、新しいものを積極的に取り入れることで自らの拠って立つ歌舞伎界そのものを活性化させようとしていたのだろう。
 そのことはちょっとした踊りの型や所作の一つひとつにも及んでいたようで、彼に踊りを教えていたある日の先代勘三郎が「おいおい、オレの目の黒いうちは教えたとおりにやっとくれよ」と言ったのは有名な話だ。
 串田和美、野田秀樹、渡辺えりら、小劇場系の作家や演出家とも果敢にコラボし、ジャンルを問わず、映画やテレビドラマ等でも活躍した彼だが、その姿は何よりも歌舞伎という様式の中でこそ美しく輝いていた。
 映画フィルムやDVDは後世に形あるものとして伝えられるけれど、舞台上で光を放つその本当の姿は、私たちの記憶の中にしか残らない。

 同時代を生きて、子役だった勘九郎ちゃん時代からテレビ等でその成長の過程を目にし、共に歩んできた立場からも、彼の存在は他のどの俳優とも異なる身近なものだった。
 もっとも身近な場所で彼を見たのは、もう15年以上も前のことだろうか、雑司ヶ谷鬼子母神の境内で、唐十郎の紅テント芝居を観た時のこと、すし詰めの観客席で、お姉さんの波乃久里子さんや女優の吉田日出子さんたちと一緒に、舞台下に掘った池の中から飛び出してきた水びたしの唐十郎にやんやと喝采を送っていた。その楽しげで羨ましそうな顔が印象的だったが、その体験がのちの平成中村座につながっていったのだろう。
 次に見たのは、数年前、知人の女優Yさんが中村勘三郎と藤山直美が二枚看板の新橋演舞場の舞台に出ていて、その楽屋に会いに行った時、ちょうど次の仕事に出かけるのか、遊びにでも行くのか、急いで出てきた勘三郎さんとすれ違い、一瞬妙な間があって二人きりになり、ふと目が合った。

 ただそれだけのことなのだが、先方はこちらのことを知りもせず、こちらだけがそのことをいつまでも記憶にとどめている。
 こんなことは誰にもあるのに違いないが、そこから何か物語を構想することができるだろうか。
 何か、彼には借りがあるような気もして、そんなことをふと考えたりもするのだ……。
 合掌。

古い船を動かすのは

2012-07-05 | 雑感
 新聞を読んでいると何とも悲観的な気分になってしまうことが多いものだが、そんな記事を引用しながらとりとめのない話をしよう。

 7月2日、欧州連合統計局が発表したユーロ圏の5月の失業率が11.1%となり、統計上比較可能な1995年以降で最悪を更新したとの報道があった。
 ユーロ圏では南欧を中心に失業率の悪化が続き、失業者は1756万人に達し、前年比で182万人増加した。
 特に、EUに金融支援をしたスペインでは5月の失業率が24.6%となり、特に若年層(25歳以下)では52.1%に達した。少なくとも2人に1人が仕事に就けない状況に陥っているのだ。

 片やわが国の状況はどうだろう。少子化を反映して若年人口は大きく減少している。企業がこれまでと同じ水準で採用を維持していれば人手不足になり、就職活動は楽になっていたはずだが、実際には構造的変化や景気循環の影響により、人口が減少する以上に上質な雇用機会が減ったことで就職難が続いている。
 樋口美雄慶大教授(7月3日付、日本経済新聞経済教室)によれば、15歳~24歳の男子人口は2010年までの15年間で31.2%も減ったが、正規雇用はこれを上回る52.9%も減ったという。
 学卒後の25~34歳層においても同様で、この年齢層の男子人口は同期間に51万人減ったが、正規雇用は128万人も急減した。
 一方、非正規雇用の割合は15年前には2.5%であったものが、今では11.5%にまで上昇しているという。

 日本は、そして世界は、これからどうなっていくのだろう。
 ため息ばかりが先に立ってしまうけれど、若い世代が素朴に夢を持って自身の人生設計を語ることのできる、ごくごく当たり前の社会づくりの構想ができないものだろうか。

 私の尊敬する知人で税理士のMさんが、「グローバル化というのは、熱い経済と冷え切った経済を混ぜ合わせてぬるま湯にするようなものだから、これが進展したからといってこの先景気のよくなるはずがない」と言っていたのを思い出す。妙に納得したものだ。
 世界の人口70億人のうち、年間所得が2万ドルを超える層は約2億人であるのに対し、年間わずか3000ドル以下の低所得層は実に40億人を超えるという。
 富裕層と呼ばれるのは、そうしたピラミッドの頂点にある砂粒のような数の人々なのだ。
 企業はより低廉で長時間労働にも耐えうる労働者を求めて根なし草のように世界を巡る。その地域に根を張って産業を育むとか雇用を守ろうとの志も責任感も意欲もなく、後には荒れ果てた土地だけが残されるだろう。インターネットやコンピュータの発展がそれを可能なものとして後押しし、生産性向上の名のもとに人々から働き口を奪っていく……。

 日本の地方都市の街並みがどこも同じような顔になってしまったように、やがて世界もフラット化し、均質化して、世界中の何でもが手に入るがその土地ならではのものが何もないといった、のっぺりとして無機質な社会になりつつあるのだろうか。

 1に雇用、2に雇用、最も重要なのは雇用政策だと言ったのは何代前の総理大臣だったっけ? そうした政策の芽がどれだけ育ったというのか。
 創業して40年以上経過した企業では社員が高年齢化し平均して雇用が減少しているという。その一方、創業して間もない若い企業は倒産のリスクも高いが雇用を増やしている、ということは昨年の中小企業白書にも書かれていた。
 先述の樋口教授の寄稿論文のなかに、あるスーパーマーケットでは、正社員を増やし、そのことで人件費は上昇したが、それ以上にその人たちの能力発揮で売り上げが伸び、利益が増えたという事例が紹介されている。
 いらぬ政争に明け暮れしているゆとりなどないはずだ。若い世代の起業を促し、雇用を創出し、正社員を増やすために、法と規制と財政投資によって企業を誘導する、それとともに海外からの投資を呼び込むような規制緩和にも取り組む、そうした多面的なあらゆる手立てをもって内需を拡大していくような政策を政府は講じるべきなのではないだろうか。
 そこにもう一つ、文化政策が何よりも重要であることを忘れてはならないだろう。
 フラット化した世界にあって、その国、その地域、その土地のアイデンティティを育み、表わすものは文化にほかならないのだから。

 団塊の世代がすでに高齢者と呼ばれる年代になり、10年後には後期高齢者となる。
 シンガーソングライター(懐かしい呼称だ!)の吉田拓郎はその世代の代表であり、僕ら世代にとってはあこがれのお兄さんだった。
 その拓郎の歌を思い出す。

  古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
  古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう……

人口論

2012-02-07 | 雑感
 昨年末から今年にかけて、人口問題に関する報道を見聞きする機会が多い。
 例えば、「世界人口が2011年10月31日に70億人に達するのを記念し、国連人口基金(UNFPA)東京事務所は31日に国内で誕生する赤ちゃん全員を「70億人目の赤ちゃんたち」の一人として祝福し、希望者に認定証を贈ることを決めた」ことが記事になっている。
 70億人という数字は驚きだが、顧みれば、今世紀を迎えた頃の人口は61億人だったのだからさらに驚きである。
 ちなみに60億人を超えたのは1999年で、当時は国連が60億人目の赤ちゃんを特定、ボスニア・ヘルツェゴビナの男児をアナン事務総長が直接祝ったことが報道されていたのを覚えている。

 20世紀は人口爆発の世紀だったとも言われるが、20世紀の半ば、1950年の世界人口はわずかに25億人だったし、さらに遡って20世紀に突入する1900年は16億人だった。
 マルサスの人口論を持ち出すまでもなく、まさに人口は幾何級数的に増大するのである。
 いま、世界の人口は1日に20万人、1年に7千万人ずつ増えているのだそうで、国連推計では2050年に93億人に達するとのことだ。

 これらのことをどう捉えればよいのだろう。
 当然ながら、食料もエネルギーも人口の増大に見合った形では増やすことができない。世界は宿命的に飢餓と貧困問題を抱え込まざるを得ないのだろうか。

 「いま、この世界では、貧しい国が豊かな国との差を縮める『世界のフラット化』とそれぞれの『社会の不平等化』が同時進行している」といわれる。
 中国はいまや最も多くの人口を抱え、世界中の5人に1人は中国人と言われるほどだが、その中国では、グローバル化の恩恵により、輸出主導の高成長のおかげで2005年までの15年間に4億7千5百万人が、世界銀行の貧困ライン(1日1.25ドル未満の生活)を乗り越えたという。
 一方、インド、アフリカを中心とした国々では、未だ14億人もの人々が貧困ライン以下での生活を余儀なくされている。

 さて、わが国であるが、つい先日、国立社会保障・人口問題研究所が、日本の人口は2048年には1億人を割り込み、およそ50年後の2060年には8674万人になるとの将来推計人口を発表し話題になった。
 現在の社会は、現役世代3人が高齢者1人を支える構図だが、半世紀後にはこれが1対1となってしまうのである。

 およそひと月前、成人式が行われた頃の報道。
 今年、東京都内の新成人はおよそ11万4850人(東京都推計)だったが、これはピーク時の1968年と比べると3分の1以下の数値なのである。日本全体でみても、今年はピークだった1970年の半数を初めて下回った年なのだそうだ。
 まさに少子化の減少が顕著に表れていると言えるのだが、膨張する世界人口、縮小する日本、という構図の中で私たちはこれからの生き方を構想しなければならないのである。

 さて、ここから先が本論なのであるが、もちろん正解があるわけではなく、私に論じる力があるわけでもない。成熟社会といわれて久しいこの社会において、まさにこれからの一人ひとりの生き方が問われているのは間違いがないのだけれど・・・・・・。
 「1969」という、由紀さおりがピンク・マルティーニと組んで発表したアルバムが世界中でヒットしているというが、1969年は、まさに団塊の世代が成人を迎え、その数がピークだった時代である。
 その時代の歌謡曲が売れるというのは実に不思議ではあるのだが、案外、そんなところに大きなヒントがあるのかも知れない。


仕事について

2011-12-31 | 雑感
 ごく当たり前のことだけれど、この世界には実にさまざまな職業があり、仕事がある。
 多くの人はその仕事を通して日々の糧を得、それによって生活している。
 思えば実に不思議なことだ。一般的に考えれば、生計を維持するための仕事とは、何か具体的なモノを作り出し、それを何らかの形で販売したり買ってもらったりすることで対価を得ることであるはずだ。
 ところがそんな定義づけにおさまらない仕事というものが世の中にはたくさんあって実に面白い。

 小さなボールを誰よりも正確に速く投げ、それを木の棒切れで遠くへ、誰もいないところへ打ち返す力を持っていることで多くの報酬を得る人がいる。
 米俵で囲まれた土のうえに相手をねじ伏せたり、突き出したりすることで栄誉と給与を得る人がいる。
 たくさんの観客の前で人を投げ飛ばしたり、拳で殴って気絶させたりすることで喝采を浴びる人がいる。
 小さな盤のうえで展開する駒や黒白の石を使ったゲームに強いことで名人と呼ばれ尊敬される人がいる。
 広い運動場、あるいは競技場を駆け巡り、ボールを相手よりも数多く相手の陣地に入れることで何百万人の人を興奮させる人がいる。
 誰もが考えつかない夢のようなことを紙に書きつけ、語りかけることで多くの人を幸せな気持ちにさせる人がいる。
 人前で音楽にあわせ奇妙な身体の動きをして飛び跳ねたり、くるくる回ったりすることで感動させる人がいる。
 ・・・・・・これらはしかし、人間の可能性のギリギリまで力を出し尽くし、自身にどこまでも正直に向き合っていることにおいて紛れもなく素晴らしい仕事なのである。

 一方、こんなことを仕事にしている人たちもいる・・・・・・。
 権力者と呼ばれる人の顔色をみて、その機嫌をそこねないよう気を配り、取り繕うことで対価を得る人。
 町の有力者や金持ちの人の前で愛想を振りまき、出資や寄付を募ろうとする人。
 組織のトップや上司の思いつきをどれだけ荒唐無稽なものだろうと実現するために汗水流し、部下を言いくるめたり怒鳴りつけたりする人。
 多くの人間が苦労して積み上げてきた計画を自分の意に沿わないからと反対して押し潰し、思い通りにさせようとする人。
 ・・・・・・それらこれらは、まさに鏡に映った私自身の姿でもある。

 働き方研究家の西村佳哲氏の著書「自分の仕事をつくる」の冒頭にこんな言葉がある。
 「人間は、『あなたは大切な存在で、生きている価値がある』というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
 『こんなものでいい』と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。」

 誰もが満足な職業につけるわけではない。けれど、それを価値あるものにするのも、こんなものでいいと諦めてしまうのも自分自身の選択なのである。
 誰のせいでもない。自分で選んだ道だもの・・・・・・、というのは有名な森本薫作「女の一生」の主人公・布引けいの台詞だが、せめて自分の仕事に対しては真っ正直に立ち向かっていきたい、と思うのだ。

わからないということ

2011-06-04 | 雑感
 数日前の夜、夕食後のことだが、全身にジンマシンを発症した。
 もともとアレルギー体質ではあるのだが、これほどの腫れを伴う皮膚疾患はこれまでに経験がないことで我ながら驚いてしまった。
 それにしてもその日食べたものをいくら思い出しても原因となるものが思い当たらない。これまで長い時間をかけて蓄積されてきたアレルギーの因子が何かのきっかけで「噴火」したとしか思えないのだった。

 翌日、眠りから覚めたらキレイに治っていた、なんてことがあるはずもなく、顔の皮膚が赤くなって、おまけに瞼が腫れあがり、人相まで変わってしまったようなのだ。思いあまって駅近くの皮膚科専門の病院をネットで検索し、診察を受けることにした。
 訪ねた医院の医師によれば、蕁麻疹のおよそ70%は原因が分からないのだという。
「だから、血液検査のような無駄なことはやりません」と、冷静な顔で言う。
 結局、その症状を抑え鎮めることしかできないわけで、発熱の原因をさぐることなく、解熱剤を投与してただ熱を下げるというような治療しかない、ということなのだ。
 そんなものなのかなあ、と思いつつ、ステロイドを長い時間をかけて注射してもらい、アレルギー症状を抑える飲み薬として抗ヒスタミン薬を処方してもらった。
 
 ステロイドに即効性があるとは聞いていたが、これほどの効力があるとは!
 驚いたことに、注射してもらって2、3時間後には、あれほど全身に赤く水膨れのようになって発症していたものが、それこそマジックのようにきれいに消えてしまったのだ。
 それほど強い効果を持つということは、その副作用も強いのだろうな、と思いつつ、気持は浮き立つようだった・・・。

 気をつけなければいけないのは、その薬によって原因が取り除かれたわけではないということなのだ。この何が何だか分からないというのは不安なものだ。
 このことを現下の東日本大震災や福島の原発災害に結びつけていうことはあまり適切ではないかもしれないけれど、これらの抱える不安の大きな要因が「分からなさ」にあることは確かだろう。
 私たちは震災後の復興を語り、行動するけれど、自然のメカニズムが解明されているわけではない。自然災害の原因そのものが取り除かれているわけではないなかで生活を再建しなければならないことの不安は残り続ける。

 3日付の毎日新聞に反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏が寄稿している文章にこんな一節があった。
 「『よくわからない』というこのことが、今回の原発災害の特徴を決定づけている。どこまで有害なのかよくわからない、いつ帰れるのかよくわからない、食べても大丈夫なのかよくわからない。この『よくわからなさ』が、福島県内外の避難者はもとより、多くの人たちの去就を決定不能にし、宙づり状態にしている。宙づりにされているのは現在の職・住を含む生活総体と、未来に及ぶ。」

 この分からなさととことん付き合いつつも、さまざまな問題や課題の要素を冷静に腑分けしながら対処し、未来に向けての行動を一つひとつ積み重ねていくことが求められる。
 そのためには明確な論理や心に響く言葉が何よりも大切であると思うのだが、いまの政治にそれを求めることはできないのだろうか。
 ペテン師とピエロは小説や芝居の世界ではヒーローだが、この現実の世界では唾棄すべき存在に成り果てたかのようだ。
 その「わからない」言葉や論理が人々に絶望やあきらめしかもたらさないとすれば、「最小不幸社会」をめざしたはずのこの国の不幸が、それこそ「最大値」に極まったとしか言いようがない。