伝えるべきことをそのままに、真っ直ぐ伝えることは難しい。とても。
情報はたいてい言葉を介して伝えられるのだが、言葉が全ての情報を包含しているとは限らない。それどころか余計な情報すら紛れ込ませて、受け取る側の判断を混乱させ、誤らせることすら度々である。
もっとも伝えるべきこと、伝えたいことが「情報」に限るわけではない。伝達手段において、言葉以外の要素が大きな効果を発揮することは往々にしてある。
先日、ある故人を偲ぶ会に出席してご遺族のご挨拶の言葉を聞きながら深い感銘を受けた。その言葉が歴史に残るような名言名句に彩られていたわけでは決してない。むしろ、言葉少なに、素朴な気持ちを語りかけたというふうだったのだが、今は亡き人を思う感情に溢れ、その思いは聴衆にストレートに伝わってきた。
感情の強度が情報の総量を上回っていたのだ。
大津中学校のいじめ問題に関する学校サイドや教育委員会の記者会見での言葉には、伝えるべき感情(真情といってもよい)が希薄で、しかも発信される情報が巧妙に隠微され粉飾されている、と思われるがゆえに信頼性は皆無と思えてしまう。
政治家の言葉も同様で、政権与党を飛び出した一派が発する言葉はあたかも国民に寄り添うかのように振舞いながら、発信する情報の中身は空疎で、結局次の選挙目当てなのじゃないのと思われてしまうほどに振る舞いのあざとさばかりが目に付いてしまう。
原発反対デモに前の前の首相が顔を出して声を発したそうなのだが、同じ「原発反対」という言葉でも、集会に参加した大半の人々とこの元首相の思い描く言葉とは大きな違いがあるのではないだろうか。
そもそもこの元首相たる人物の言葉にどれほど多くの人が信頼を持ちえているのかは不明だが、それでもこの方の登場に集会では一部の人々から大歓声が上がったというのだからワケガワカラナイというしかない。有象無象の人々がたくさん集まって一時の感情が盛り上がった時の風向きにはよくよく注意しなければならないということの証左ではないだろうか。
さて、最近思うのは、組織における言葉や情報とそれを取り巻く感情のありようについてである。
この「感情」というものが実に厄介至極なのである。
感情は論理ではなく偏光プリズムのようなものだから、たとえ論理的に正しいことであってもその光の方向を偏らせたり、遮断したりもする。それどころか思いもかけない光彩を生み出して染め上げることさえあり得るかも知れないのだ。
演劇の製作現場はもっともシンプルなあらゆる組織の雛形といってもよいかも知れないが、そこでは演出家や芸術監督が自分のビジョンを俳優やスタッフに理解させ、意図に沿った舞台成果を実現するために千万言を費やし、挙句の果ては怒鳴りまくったり、おどしたり、おだてたり、すかしたり、なだめたり、口説いたり、泣き叫んだり、最後には灰皿を投げたりとあらゆる手立て、手練手管を尽くそうとする。
ことほどさように言葉で誰かの頭の中に「ある」と思われる考えやらアイデアを他人に伝えることは困難なことなのだ。
まして、舞台製作という小さな現場以上に複雑で資金や思惑の入り乱れる現実社会の組織における意志伝達は、恐るべき難度の高さを持っているというしかない。
結局のところ、私たち人間はあまりに余計なものを目にし、余分な考えや憶測や不確かな情報に足元を絡みとられ、その泥沼からなかなか抜け出すことが出来なくなっているのではないだろうか。
広告のクリエイティブ・ディレクターとしてスティーブ・ジョブズと12年間をともにし、アップルの復活に大きな役割を果たしたケン・シーガルはその著作「Think Simple」のなかで、シンプルであること、明快であることの重要性を語っている。
「・・・・・・アップルと働いているときには、自分が今どこに立っていて、何が目標で、いつまでにする必要があるかがはっきりとわかる。どういう結果が失敗を意味するかもわかる。」
「明快さは組織を前進させる。たまに明快なのではなく、24時間いつでもどこでも明快でなければならない。(中略)ほとんどの人は自分のいる組織に明快さが欠けていることに気づかないが、その行動の90%はそうなのだ。」
「スティーブは自分が実行している率直なコミュニケーションを他人にも求めた。もってまわった言い方をする人間にはがまんできなかった。要領を得ない話は中断させた。」
「おそらくこれは、もっとも実践しやすいシンプルさの一要素だろう。とにかく正直になり、出し渋らないことだ。一緒に働く人にも同じことを求めよう。」
「他人に対して率直になることは、薄情な人間になることではない。人を操ることに長けたり、意地悪になったりすることを求めてもいない。自分のチームに最高の結果をもたらすために、ただ言うべきことを言うことなのだ。」
多くの組織では、トップの言葉に取り巻きが無用の忖度を加え、飾り立てるがゆえに、あるいはトップ自身の意思が不明確で受け手によっていかようにも解釈可能であるがゆえに、あるいは情報が共有化されず不確かなまま輻輳してより複雑化するがゆえに、実に多大な労力が非生産的な時間として空費される。
そのための処方箋は実にシンプルなはずだが、実行は困難だ。
それゆえにスティーブ・ジョブズは偉大なのである。少しばかり付き合いにくいところのある人物であったとしても。
「残酷なまでに正直なことと、たんなる残酷なことはまったく違う」のだ。
情報はたいてい言葉を介して伝えられるのだが、言葉が全ての情報を包含しているとは限らない。それどころか余計な情報すら紛れ込ませて、受け取る側の判断を混乱させ、誤らせることすら度々である。
もっとも伝えるべきこと、伝えたいことが「情報」に限るわけではない。伝達手段において、言葉以外の要素が大きな効果を発揮することは往々にしてある。
先日、ある故人を偲ぶ会に出席してご遺族のご挨拶の言葉を聞きながら深い感銘を受けた。その言葉が歴史に残るような名言名句に彩られていたわけでは決してない。むしろ、言葉少なに、素朴な気持ちを語りかけたというふうだったのだが、今は亡き人を思う感情に溢れ、その思いは聴衆にストレートに伝わってきた。
感情の強度が情報の総量を上回っていたのだ。
大津中学校のいじめ問題に関する学校サイドや教育委員会の記者会見での言葉には、伝えるべき感情(真情といってもよい)が希薄で、しかも発信される情報が巧妙に隠微され粉飾されている、と思われるがゆえに信頼性は皆無と思えてしまう。
政治家の言葉も同様で、政権与党を飛び出した一派が発する言葉はあたかも国民に寄り添うかのように振舞いながら、発信する情報の中身は空疎で、結局次の選挙目当てなのじゃないのと思われてしまうほどに振る舞いのあざとさばかりが目に付いてしまう。
原発反対デモに前の前の首相が顔を出して声を発したそうなのだが、同じ「原発反対」という言葉でも、集会に参加した大半の人々とこの元首相の思い描く言葉とは大きな違いがあるのではないだろうか。
そもそもこの元首相たる人物の言葉にどれほど多くの人が信頼を持ちえているのかは不明だが、それでもこの方の登場に集会では一部の人々から大歓声が上がったというのだからワケガワカラナイというしかない。有象無象の人々がたくさん集まって一時の感情が盛り上がった時の風向きにはよくよく注意しなければならないということの証左ではないだろうか。
さて、最近思うのは、組織における言葉や情報とそれを取り巻く感情のありようについてである。
この「感情」というものが実に厄介至極なのである。
感情は論理ではなく偏光プリズムのようなものだから、たとえ論理的に正しいことであってもその光の方向を偏らせたり、遮断したりもする。それどころか思いもかけない光彩を生み出して染め上げることさえあり得るかも知れないのだ。
演劇の製作現場はもっともシンプルなあらゆる組織の雛形といってもよいかも知れないが、そこでは演出家や芸術監督が自分のビジョンを俳優やスタッフに理解させ、意図に沿った舞台成果を実現するために千万言を費やし、挙句の果ては怒鳴りまくったり、おどしたり、おだてたり、すかしたり、なだめたり、口説いたり、泣き叫んだり、最後には灰皿を投げたりとあらゆる手立て、手練手管を尽くそうとする。
ことほどさように言葉で誰かの頭の中に「ある」と思われる考えやらアイデアを他人に伝えることは困難なことなのだ。
まして、舞台製作という小さな現場以上に複雑で資金や思惑の入り乱れる現実社会の組織における意志伝達は、恐るべき難度の高さを持っているというしかない。
結局のところ、私たち人間はあまりに余計なものを目にし、余分な考えや憶測や不確かな情報に足元を絡みとられ、その泥沼からなかなか抜け出すことが出来なくなっているのではないだろうか。
広告のクリエイティブ・ディレクターとしてスティーブ・ジョブズと12年間をともにし、アップルの復活に大きな役割を果たしたケン・シーガルはその著作「Think Simple」のなかで、シンプルであること、明快であることの重要性を語っている。
「・・・・・・アップルと働いているときには、自分が今どこに立っていて、何が目標で、いつまでにする必要があるかがはっきりとわかる。どういう結果が失敗を意味するかもわかる。」
「明快さは組織を前進させる。たまに明快なのではなく、24時間いつでもどこでも明快でなければならない。(中略)ほとんどの人は自分のいる組織に明快さが欠けていることに気づかないが、その行動の90%はそうなのだ。」
「スティーブは自分が実行している率直なコミュニケーションを他人にも求めた。もってまわった言い方をする人間にはがまんできなかった。要領を得ない話は中断させた。」
「おそらくこれは、もっとも実践しやすいシンプルさの一要素だろう。とにかく正直になり、出し渋らないことだ。一緒に働く人にも同じことを求めよう。」
「他人に対して率直になることは、薄情な人間になることではない。人を操ることに長けたり、意地悪になったりすることを求めてもいない。自分のチームに最高の結果をもたらすために、ただ言うべきことを言うことなのだ。」
多くの組織では、トップの言葉に取り巻きが無用の忖度を加え、飾り立てるがゆえに、あるいはトップ自身の意思が不明確で受け手によっていかようにも解釈可能であるがゆえに、あるいは情報が共有化されず不確かなまま輻輳してより複雑化するがゆえに、実に多大な労力が非生産的な時間として空費される。
そのための処方箋は実にシンプルなはずだが、実行は困難だ。
それゆえにスティーブ・ジョブズは偉大なのである。少しばかり付き合いにくいところのある人物であったとしても。
「残酷なまでに正直なことと、たんなる残酷なことはまったく違う」のだ。