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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

輝けるスーザン

2009-04-29 | 雑感
 人を評価する、ということについて考えてみたい。
 一般のサラリーマンにとって、業績評価はある種必要悪のような当然のことと受け止められているのかも知れない。
 数値化された評価によって報酬に差が生まれ、競争意識が高まる。そのことによって組織全体が活性化し、業績が高まる。目標管理や評価といわれるものの目的はそうであるに違いないのだが、数値化することで漏れてしまう何か大切なものがあるのではないか、と思えてならないのである。
 その証拠に、行き過ぎた業績評価の弊害も巷間話題になっているではないか。いわく、職場がギスギスした、コミュニケーションが円滑でなくなった、等々。
 まして、評価を下す相手が信頼できない上司であった場合など・・・。

 あらためて身の回りを見直すとあらゆるものが数値化され、評価対象となっているように思える。
 その代表的なものがスポーツ選手の成績であろう。それはより客観的な数値で分析され、年俸に反映される。それはまたニュース化され、人々の話題にもなる。
 それとは少し違うかも知れないけれど、テレビ番組の視聴率、映画興行ランキング、本のベストセラーランキング、学力テストの市町村別・学校別ランキング、有名レストランの三ツ星評価なんてのもそうだろうか。
 さらには、内閣支持率なんて評価指標もある。そう考えれば選挙は政治/政治家を評価する最大のシステムである、はずなのだ。

 翻って、役者に対する評価とは何だろうか、とふと考える。
 観客の拍手、という答えは美しいが眉唾物である。より大きな拍手を送る人がより正当な見る目を持った評価者とは限らないからだ。

 ある人気タレントが深酒をして不祥事を起こした。それに対し、ある大臣が「最低の人間」というレッテル貼りの評価を下した。
 それに対して今度は多くのファンが猛抗議をし、大臣は発言を修正したと聞く。最低と評価した側の人間の品格が評価されたのである。

 英国人女性スーザン・ボイルのことは様々な媒体で報道され、すでに多くの方がご存知だろう。
 スコットランドの小さな村に住むもうすぐ48歳という小太りで二重あご、ゲジゲジ眉毛の「気のいいおばさん」がまさに一夜にして世界的な有名人になったのだ。
 素人タレント発掘番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」に登場した彼女は、その容姿もあって期待値ゼロ、はじめは審査員もいささか意地悪で馬鹿にしたような質問をし、観客たちも白けた様子だったのが、いったん音楽が流れ、最初のフレーズの歌声を聴いた瞬間、そのあまりの素晴らしさに会場中が電気に打たれたような驚きに包まれ、最後には観客席は満場の拍手でスタンディングオベーション、審査員も大絶賛する有様へと変貌する。
 その一部始終を映した動画がインターネットで世界中に配信され、1週間でなんと4300万回も視聴されるという大人気となったのだ。

 まさにハリウッド調の成功物語を顕現させたようなドラマ性、あるいは見るからにさえない人が、ひとたび歌い始めるや誰にも真似のできないような輝きを放ちはじめるという劇的な意外性が人々を惹きつけたということもあるだろう。
 しかし、何よりも、見た目の先入観や固定観念による一面的な評価を、その表現する力によって一瞬にして覆すという驚きの爽快感が多くの人々を感動させ、その心を鷲づかみにしたのに違いない。

 その感動を味わいたい人はぜひインターネットでご確認ください。

Meet the Kids

2009-04-23 | アート
 4月19日、東京芸術劇場1階のアトリウムで行われたMeet the Kidsダンス公演「トーキョーゲーゲキ☆デビュタント」を観る機会があった。
 東京文化発信プロジェクトの一環として、小学生の子どもたちとダンサー・振付家の森下真樹が一緒に創作し、今年2月、パルテノン多摩で初演され好評だったダンス作品を改編したものである。ほかにダンサーの入手杏奈が出演している。
制作:NPO法人芸術家と子どもたち、主催:東京芸術劇場、東京都、(財)東京都歴史文化財団。
 
 子どもたちが考える自分自身の特長や将来の夢、独特の身体の動きなどを再構成しながら作品化したもので、30分ほどのパフォーマンスはアトリウムという場所の特性も含めてよく練りこまれたものであった。

 しかし、もう少し集中を保てる場所であってほしかったというのが正直な感想だろう。アーティストはもちろん、何より子どもたちが可哀想でならなかった。

 おりしも、隣接する池袋西口公園では、バングラデシュのお正月を祝う「ボイシャキ メラ(正月祭)」と「カレーフェスティバル」が行われていたのだ。
 もちろん彼らに罪はないのだが、子どもたちのパフォーマンス中にも、情け容赦なく民族音楽や日本の和太鼓、津軽三味線や屋台からの音楽が流れ込んでくる。
 おまけにカレーの皿を抱えた一群がこちらの舞台前のベンチに陣取り、食べることに没頭している。
 子どもたちが演じているその目の前で、舞台なんかには興味がないことを露骨に態度に出して舞台には一切目も向けようともせず、食べ終わった途端に一斉に席を立ち、おかげで一番良い舞台前に空席ができてしまう始末である。
 なんとまあ、腹の立つ・・・!

 こうした時に焦るのが大人たちである。
 森下真樹さんもよほど腹に据えかねたのだろう、パフォーマンス中に「カレーフェスティバルには負けないぞうっ」などと口走っていたが、これはまあ御法度だろう。
 しかし、パフォーマンスやアートという非日常が、カレーや正月祭などという徹底的に日常的で伝統的な生活文化の前に晒されると、いかに脆弱なものであるかということを痛感する。
 森下真樹さんが葉加瀬太郎の演奏する「情熱大陸」のテーマに合わせてダイコンとネギでヴァイオリンを演奏するパフォーマンスなど、ちゃんとしたシチュエーションの舞台であれば抱腹絶倒のシーンなのだろうが、こうまで徹底的に日常的現実感の横溢する場では、直視することが憚られるような「コッケイ」で「ヘンな人」に見えてしまう。

 救いは子どもたちである。彼らはそうした状況にもめげることなく臆することなく、自分の表現すべきものを表現していた。

 子どもたちは強い。舞台に立つ者の気構え、心構えを教えてもらったような気さえする。
 ありがとう、子どもたち!

弓浦市

2009-04-19 | 読書
 トキワ荘ネタをもう一つ。
 実は私は、トキワ荘ゆかりの漫画家M先生の作品を舞台化した作品に出演したことがあるのだ。それもミュージカル(!)。遡ること30数年も以前のことである。私もティーンエージャーだったが、今年70歳になろうという先生もその頃は30歳台半ばだったわけだ。
 アングラ俳優が何故・・・とは私自身が聞きたいくらいだが、劇団のメンバーがその舞台製作のスタッフと知り合いだった関係であれよという間に手伝う羽目になっていたのだ。
 まあ、そんな経緯はともあれ、その舞台に出演した事は自分のキャリアにはならないまでも、M先生と関わりができて、その自宅に造られた完全防音のスタジオで稽古にいそしんだ日々の事はそれなりに懐かしく密かな自慢でもあった。

 今月4日、トキワ荘の記念碑が建立され、その除幕式が行われ多くのファンや関係者が集まったことはすでに書いたが、その時に当のM先生に挨拶する機会があった。
 名刺を交わしながら、実は・・・と自己紹介した私のことを先生が覚えているはずもない。それは当然のことなのだ。私はといえば、30年以上も前の一時期に出入りした大勢の若者の一人に過ぎなかったのだから。
 「あら、何の役をなさったのかしら?」と言いながら、先生は胡乱な眼差しで遠くを見つめるようだ。

 このような話はそれこそたくさんあるだろう。
 一方ではそれこそ人生における掛け替えのない体験や記憶が、別の人にとっては取るに足らないただすれ違っただけのエピソードに過ぎないといったようなことが・・・。

 と、これはただの前フリであって、なにも自分のことを書こうとしたわけではない。
 こうした記憶にまつわる出色の短編小説として有名な「弓浦市」を最近読み直して、やはり凄いなあと改めて感嘆したことを書きたかったのである。作者は、「移動祝祭日」の作家ヘミングウェイと同年生まれの文豪、川端康成。
 この小説は様々なアンソロジーに収録されているけれど、これを最初に読んだのは相当昔のことである。
 わずか原稿用紙20枚程度の掌編でありながら、読後感はずっしりと重い。以来その影響下、それに匹敵するものをと思いながら、何十年も経ってしまった。
 無論、これを芝居にしたり映像化したりすることはできないだろう。言葉によってこそ構築できる不可思議な世界がここにはある。

 ・・・小説家の香住のもとをある初老の婦人が訪ねてくる。見覚えのない相手だったが、婦人は懐かしそうに彼の顔を見つめ、30年も昔、九州の弓浦の町で彼女の部屋を訪れ、彼女に求婚までしたという香住との思い出を語る・・・。だが、彼にはその記憶がまったくないのだ。
 香住はその年齢にしては人並み外れて記憶力が衰耄しており、それを自覚しているだけ、こうしたときの不安に恐怖が加わってくる・・・。
 ・・・弓浦という町で香住に邂逅した過去は、婦人客には強く生きているらしいが、罪を犯したような香住には、その過去が消え失せてなくなっていた。・・・
婦人客の帰ったあと、日本の詳しい地図を広げ、全国市町村名を検索したが、弓浦という地名の市は、九州のどこにも見当たらない。
 彼は、婦人の話を半信半疑で聞きながら、自分の頭もおかしいと思わないではいられない。
 「・・・弓浦市という町さえなかったものの、香住自身には忘却して存在しないが、他人に記憶されている香住の記憶はどれだけあるか知れない。」・・・と。

 人の記憶ほど奇怪で怖ろしいものはないのかも知れない。実体がないのに、それは紛れもなく「存在」するからだ。
 また、逆もあり得るだろう。実体はあるのに、まるで存在しないような記憶=過去。
 ある人との思い出を大切に慈しむ私のことを、当の相手はまるきり忘却しているということ、あるいは忌まわしい記憶として消し去っているというようなことが・・・。

 それはそれで、哀しい私の記憶となっていつまでも生き続ける。

移動祝祭日

2009-04-14 | 雑感
 引越しの後遺症からまだ立ち直れないでいる。書類や蔵書にたまった埃や蜘蛛の巣を払い、片付けにいそしむかたわらご近所への挨拶回りもしなければならない。人付き合いがいやだからこそ隠棲していたのに、急に陽の光を浴びたようで身体のリズムばかりか頭の回転まで妙にギクシャクしているような気がしてならない。

 世に引越し魔と呼ばれる御仁がいるが、こうした人の頭の中はいったいどうなっているのだろう。
 江戸川乱歩は晩年池袋に居を構えるまでに数十回の転居を繰り返したそうだし、かの葛飾北斎の変転振りも有名だ。思えば芸術家と呼ばれる人たちは実によく移動をする。
 けれど乱歩先生が引越しのたびにその荷物の整理に頭を悩ましたなんて話は聞いたことがない。先生は資料収集魔ではあったが、大の整理魔でもあったのだ。先生ご自身がまとめた貼雑年譜なんてその真骨頂ではないだろうか。
 怠け者には引越しは向いていない。それどころか勤勉でないものはそもそも芸術家には向いていないのだろう。

 今年の2月、新潮文庫から高見浩の新訳でヘミングウェイの「移動祝祭日」が出て、それを少しずつ読んでいる。これまで45年前に出版された福田陸太郎訳で親しまれてきた作品だ。たしかこちらは岩波書店の同時代ライブラリーに入っている。
 その巻頭の言葉はあまりにも有名である。
 「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」

 「不運」にも私はパリで暮らしたことがないが、これを比喩ととらえれば、誰だって心の奥に「パリ」のようなものを持っているのに違いない。
 そこで過ごしたこと、経験したことが心の拠り所となり、いつでもそこに帰っていける「場所=時間」のようなもの。

 今月はじめの4日、かつて手塚治虫らが若き日を過ごし、いまや漫画の聖地として伝説にもなっている東京・椎名町にあった「トキワ荘」の記念碑が建てられ、その除幕式が関係者や多くのファンの集うなか挙行されたことが大きく報道された。
 最初は記念碑と聞いていささか釈然としなかった。当の漫画家たちがどう受け止めるのだろうと疑問でもあったのだが、当日私も同じ場所にいて、関係者の皆さんが心から喜んでいるのを見て考えが変わった。
 当時編集者だった丸山昭氏が話していたが、確かに昔は「漫画文化」などという言葉などなく、それどころか子どもに悪影響を及ぼすとばかり世の親には目の仇扱いにされていたのである。学校によっては、子どもに強制的に漫画本を拠出させ、それを校庭で焼いたという話まである。まさに焚書である。
 そんな時代、トキワ荘に集った天才たちは世の蔑視を撥ね返し、互いに切磋琢磨しながら、時代を経ていまに残る傑作群を次々に生み出していった。それが今や日本が世界に誇るソフトパワーの源流となっているのである。
 「トキワ荘」が天才を輩出する「装置」としてどのように機能したかというのはとても興味深いテーマであるけれど、とりあえずここではふれない。
 それよりも、「トキワ荘」がそこに関わった人々にとって、忘れることのできない「移動祝祭日」であったということが、私にはなにより感慨深い。

 一人の手塚治虫、一人の赤塚不二夫の後ろには、ヒット作を生み出せずに挫折していった100人、1000人の漫画家たちがいたはずである。
 そんな彼らにも「トキワ荘」という叶わぬ「夢」が、ヘミングウェイにおける「パリ」のようなものとして、たとえどこに移動しようとついて回っているのに違いない。

 そう考えると何だか胸が熱くなる。

転校生

2009-04-06 | 演劇
 年度の変わり目というのは何だか妙にソワソワしてしまう。引越のシーズンでもある。
 かくいうこの私もこれまで棲みついた劇場の舞台裏から別の穴蔵へと引越すこととなった。
 そんなこんなでこの1週間、メモを書き付ける余裕さえなかったのだ。なぜこんなにも不用な紙くずに囲まれていたのかと我ながら不思議に思うほど、いやあ捨てた、捨てた。いっそ自虐を通り越して気持ちよいほど書類や雑誌の類を捨てまくった。
 こんなに要らんものばかり・・・とは思うものの、なかなか捨てられないものですよ、紙だって、過去だって。
 そうかと思えば、後になってどうしてあの貴重な本やレコードを捨ててしまったのだろうと、今さら手に入らない書籍の背表紙やレコードジャケットを思い浮かべながら悔やむこともあるのだから、ホンにこの世はままならないのである。

 これまでそう大して引越をしたわけではない。この歳になるまでに10回の転居というのはそれほどの回数でもないだろう。
 思い出深いのは、まだ小学生だった頃、四国の瀬戸内海沿いの町から海のない埼玉の地方都市に事情があって引っ越した時のことである。
 いわゆる転校生だったわけだ。物珍しさもあって、皆興味津々で自分を見るクラスメイトの視線が面映く感じられたものだが、次の学期になって別の転校生がやって来たりすると、たちまち皆の興味はそちらに移ってしまう。
 その転校生がカワイイ女の子だったりするとことさら気を惹くようにイジワルなんかしながら、落ち目となった人気スターの悲哀を独り噛み締めたものだ。

 転校生という言葉にはなんとなく甘い切なさが込められている。

 さて気がつけばすでに先月のことである。3月26日、そんな移ろいゆくものの切なさを感じさせる舞台作品「転校生」を東京芸術劇場中ホールで観た。
 平田オリザの15年前の戯曲を飴屋法水が演出し、07年に静岡舞台芸術センターで上演された作品の再演である。製作:SPAC・静岡舞台芸術センター、主催:フェスティバル/トーキョー。

 19人の現役女子高生が舞台には登場する。彼女たちの「いま」がそのままに提示されたような作品である。そしてもう一人・・・。
 「ただいま、○時、○分、○秒をお知らせします」という時報のアナウンスが開演待ちの会場には流れ、オンタイムで舞台は始まる。まさにこれは「いま」「この瞬間」でなければ出会う事のない時間、彼女たちが生きる「いま」と観客との稀有な邂逅なのだ。
 彼女たちが語る課題図書の「風の又三郎」やカフカの「変身」が巧みに劇に取り入れられ、ある日目覚めたら「転校生」になっていた、と言うオカモトさんとの出会いと別れが描かれる。
 オカモトさんの出現に戸惑いながらもそれを自然に受け入れる女子高生たち。それがあまりに自然なだけに、それこそ「風の又三郎」のようにある日突然いなくなってしまった転校生オカモトさんの「不在」は私たちの胸を打つ。
 喪失してしまった何ものか、その重みに耐えるように「せーの」という掛け声とともに虚空にジャンプを繰り返す終幕の彼女たちの姿は、この瞬間に存在することの比類のない美しさに満ちている。

 まさに奇跡のような傑作である、と思う。