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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

にんじんとカボチャ

2011-07-19 | アート
 三浦哲郎著「肉体について」(講談社刊)所収の「文学的自叙伝」の中に、名作「にんじん」の作者として有名なルナアルの日記の一節が引用されている。
 「ルナアル日記」は、三浦哲郎にとって死んだ姉たちの形見のような本であり、岸田国士の訳で白水社から昭和12年12月28日に発行されたものだ。習作時代の三浦は、その本を、文学を志して大学に入り直そうと受験勉強にいそしんでいる時期に愛読したという。若かりし日の彼は次のような一節に線を引いていた。

 「才能といふやつは量の問題だ。才能といふのは一頁書くことではない。三百頁書くことだ。小説といつたところで普通の頭脳をもつた人間に考えつけないほどのものでもなく、どんなに文章が美しいにしても駆け出しの人間には書けないといふほどではない。残された問題は、ただペンを執りあげ、原稿に罫を引き、根気よくそれを塗りつぶして行くといふ行為だけだ。力のある連中は躊はない。早速、机に向ひ、汗を流す。そして、たうとうやり通す。インキ壺をからにし、紙を使い果す。このことだけが、才能のある人間が、いつまでたつてもやり出さない怠けものと違ふところなのだ。文学の世界は悉く牛ばかりだ。天才は最も頑丈な牛、疲れを知らぬもののやうに毎日十八時間うんうん働く牛だ。光栄はひつきりなしの努力だ」

 怠け者の私はただ首をすくめるしかないのだが、たしかに本当の才能や力というものはこうしたものなのだろう。
 継続や持続はそれ自体が才能であり、努力は天才である。そんなまっとうなことを考えてみたくなる。

 16日、NHKのBS放送で「世界を私が待っている 前衛芸術家草間彌生の疾走」という番組をやっていた。
 水玉模様のかぼちゃの彫刻がそのシンボル的な作品といってもよいかも知れないが、いまや現役の女性アーティストとしては世界で最も高値がつくといわれる草間彌生の芸術家としての半生と、世界巡回展に向けて100点の新作を創り上げるその過程を描いたものだ。
 82歳になる彼女が、入院先の病院から毎日車椅子に押されてアトリエに姿を現わし、ひたすら大きなキャンバスに向かって絵筆を運ぶ姿は、鬼気迫るというありきたりな言葉では語ることができない。むしろ、自殺願望から逃れ、生きることと描くこととが限りなくイコールになった芸術家の至福の瞬間を見るようだった。
 そのことは、ある美大の講堂を借りて、描き上げた100点の作品を一堂に並べたとき、その自作の一枚一枚に「ステキ。うわあ、ほんとにステキ」「ねえ、これ、いいじゃない」と感嘆の声をあげる姿からも感じられる。
 「1000枚でも2000枚でも死ぬまで描き続ける」と断言する彼女は、100枚の連作を仕上げたあとも休むことなく、当然のようにアトリエでキャンバスに立ち向かう。

 一方で、その草間は、ギャラリストやエージェントをはじめとするチームの人々とともに、草間作品をいかに効率よく、いかに高価に売りつけるかということに戦略的に関わろうとする側面を失っていない。
 彼女にとって、ピカソやウォーホルと肩を並べ、彼らを上回る世界的評価を得るかということは、当然のように描くことと同義の欲望なのだ。
 村上隆が「芸術起業論」を書く何十年も前から、草間は、現代アーティストとして売れる存在であることに自覚的に挑戦し続けてきたのである。

 そんな多様な側面を包含しつつ、表現に向かって作家自身を突き動かすものが、とにかく絵筆をとって描き続ける膂力にあることは言うまでもない。
 そしてその力は、毎日毎日の愚直とも言うべき小さな努力の着実な積み重ねによってつくり上げられたものなのだ。
 そのことをしっかりと胸に刻みつけよう。

逆事 さかごと

2011-07-19 | 読書
 河野多惠子の小説集「逆事(さかごと)」を読んだ。表題作のほか、4つの作品からなる短篇集である。
 逆事、というのは、広辞苑によれば、「ものの真理に反すること。また、順序が逆であること。特に、親が子の葬儀を営むこと」などとある。
 「人は満ち潮で生まれ、干き潮で死ぬという――。谷崎も、佐藤春夫も干き潮で逝った。だが三島由紀夫が逝ったのは、満ち潮に向かうさなかのことだった」と本の帯にあるように、潮の満干と生死の謂れを次兄の十三回忌に聞いた語り手が、志賀直哉の小説「母の死と新しい母」の中に出てくる実母の臨終シーンを思い起こし、さらに自分の父や母の死にまつわる話へと記憶をたどりながら、実母の2歳上の姉だった伯母の死へと思いを巡らせていく。
 その伯母は、戦争でひとり息子を亡くしているのだが、語り手が靖国神社の近くに家を構えたことを知った彼女が、何とか靖国神社に泊まる出立てはないものかと電話で問い合わせてくる。
 いくら念じても息子が夢に現れてきてくれない、小さい時の息子は現れてきてくれたことはあるけれど、大きくなってからの息子はただの一度も来てくれたことがない。自宅が空襲で焼けてしまい、帰って来ようのない息子のために、靖国神社に泊まってやれば必ず夢に出てくるにちがいない。添い寝してやりたいと言ってやまないのだ。
 はかばかしい返事のしようもないままいつしか連絡は途絶え、3年ほどが過ぎてその伯母は死んだ。
 ある日、神楽坂の紙店に原稿用紙を買いに行った帰り、靖国神社の境内を通り、御手洗で柄杓から水を飲んだとき、水槽の斜め向かいで、大きい丸柱に片手を当てて立っている老女を見る。……それは伯母の幽霊だった。

 三島の死や志賀直哉の小説がこの作品にとって必要不可欠な要素であり、構成の土台を成すものといえるのかどうかは分からないのだけれど、気ままとも思える記述のペン先は、あちらに行っては思いを綴り、こちらについても書き進めながら、その連想からさらに次の文章が生まれるという随筆風に言葉をつむぎながら、死んだときの伯母の気持ちに思いを収斂させていく。その筆の運びは見事としか言い様がない。
 所収の5作に共通するのは、人の住まう場所や生死にまつわる謎が綾なす深淵、ということだろうか。
 人は何もかもを語り尽くして生きているのではなく、むしろ語りえぬまま哀しみを胸に抱いて死んでいくのかも知れない。

 4番目に配列されている短篇「緋」は、20年に及ぶ夫婦の来し方を、夫の転勤に伴う住まいの転変とともに描きながら、突如として燃え立つようなエロスが凡百の官能小説を凌ぐ描写で衝撃を与えたかと思う間もなく、何ごとか語りえないまま言葉を呑みこむような妻の受け答えのうちに、この瞬間もまた永遠に理解し合えることなどない日常性の闇に回帰していくのだろうと思わせるラストがぞくりとする余韻を残す……。

 小説というものの表現の自由さ、得体の知れなさを存分に味わうことのできる短篇集である。

血の婚礼

2011-07-04 | 演劇
1日、にしすがも創造舎体育館特設劇場にて、Bunkamura大規模修繕劇団旗揚げ公演と銘打った舞台、「血の婚礼」を観た。
 作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄、出演:窪塚洋介、中島朋子、丸山智己、田島優成、近藤公園、青山達三、高橋和也、伊藤蘭ほか。

 周知のようにガルシア・ロルカの同名戯曲に清水邦夫がインスピレーションを得て執筆された作品で、すでに幾度も蜷川演出によって再演を重ねているのだが、実を言うと私は今回が初見である。1993年に銀座セゾン劇場で上演された際には、知人の大石継太が北の弟を演じていたというのに。
 四半世紀にもわたって再演を繰り返される作品というのは幸せだが、それだけの普遍性とともに、時代を照射する光源の強さをこの戯曲は持っているということなのだろう。演出家もまたその都度、戯曲を読み替え、読み直し、時代の感性や言葉と切り結んできたはずなのだ。

 いわゆる通常の劇場ではない空間で繰り広げられる劇世界にはこれまでとは違った緊迫感や現実感が満ち溢れていたに違いない。
 とりわけ3・11後の世界に生きる私たちにとって、この舞台には実に多様な意味=暗喩が満ち満ちているように思える。
 あまり作品を大震災にばかり引き付けて解釈することは望ましいことではないと思いつつも、作品全体を包み込む、無念のうちに死んでいった人たちへの鎮魂の思いに胸が熱くなる。

 誰とも知れない交信不能の相手に向かってひたすら言葉を発するトランシーバーの少年は、ネット社会のコミュニケーションのあり様を反照射しつつ、SOSを発しながらその声の届かぬことを悲嘆する被災地の人々を思わせずにはいないし、劇の半分以上の時間、舞台上に降り続ける激しい雨は津波に呑み込まれた世界を否応なく想起させるだろう。
 突然の闇の中、蝋燭の灯りだけで演じられる後半の舞台では、一気に雨のやんだあとの静寂の中、囁き声すらがくっきりとした輪郭を持ち、言葉は研ぎ澄まされた力を持って観客の胸を抉る。それは、原子力の事故によって電気の途絶した世界を思わせるようだ。
 雨と光の中を行進する少年少女鼓笛隊は、行方不明となった死者たちの魂を送る葬列のようでもあり、災厄の訪れを知らせる伝令のようでもある。
 それら、数え上げれば限りのない多様な意味を超え、無辜の民の詠嘆を群像劇として、さらには舞台上に現出するイメージとして具体化した蜷川演出は今もなお青春の血なまぐささを湛えながら輝いている。
 忘れ難いものとしていつまでも記憶に残るだろう舞台に立ち会うことの充実感に満ちた時間だった。