seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

出番を待ちながら

2009-08-28 | 文化政策
 25日付、毎日新聞夕刊に高橋豊専門編集委員が「考えさせられる引退俳優らの老後――『芸能人年金』も存続困難に」という見出しで文章を書いている。
 引退した女優のための慈善ホームで繰り広げられるドラマ、ノエル・カワード作「出番を待ちながら」の舞台や、南フランスの俳優専門の老人ホームでの人間模様を描いたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の名作映画「旅路の果て」の話題にふれながら、このたび廃止が決定した社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の芸能人年金共済制度(芸能人年金)について問題提起するものだ。
 この制度がスタートしたのは1973年4月。芸団協所属団体の会員と配偶者が加入できる私的な年金制度であり、いわゆる「退職金」がなく老後の生活の保障もない実演家にとっては貴重な支えとなるものであった。

 これが廃止に追い込まれる事態となった契機の一つが3年前の改正保険業法施行で、金融庁などがこうした私的な制度も規制の対象にすると判断したため、継続が難しくなったという。
 芸団協専務理事で俳優の大林丈史氏は、収入が不安定な芸能人のために柔軟な運営をしていたこの制度が廃止せざるを得なかったことについて「とても口惜しい。国はなぜ、私たちのようなささやかな『助け合い年金』まで廃止に追い込むのだろうか」と語っている。

 文化芸術の社会的な意義や明るい側面にばかり目が行きがちで、それを担う実演家、アーティストの生活面にまで配慮の行き届かないのが現状である。
 文化立国といい、ソフトパワーの重要性が喧伝されながら、そうした面が欠落しているのはまさに文化政策の貧困であることの証左なのかも知れない。

 先週20日、イデビアン・クルーの公演、井手茂太振付・演出「挑発スタア」のプレビューを見に「にしすがも創造舎」に行った際、アートNPOの代表Iさんと短時間だが話をする機会があった。
 Iさんはわが国の文化予算が決定的に少なすぎることを指摘したうえで、こうした状況を変えるには政治を変えるしかないと考え始めていると言う。
 まず、文化庁の予算を4倍に増やし、そのうちの半分を国内から選定した100の文化施設に配分する。そのうえで各文化施設がアーティストを雇用し、作品の創造・発信や市民向けワークショップを展開するようにすべきだと言うのである。
 現状における文化庁の助成制度は、個々のアーティストや劇団が企画を提出して採択されたものに対して事業予算の一定割合が助成される。
 そのなかからアーティストや劇団は会場使用料という形で各文化施設に経費を支出するのである。
 つまり、カネの流れがまったく逆になっているのが今の姿であり、これではいつまで経っても腰をすえた本当の意味での創造活動や文化施設が拠点となった文化発信などできはしないとIさんは言うのだ。
 その話に深く同感しながら、いまの政治状況は、はたまた来るべき政権は、どのような方向に風を吹かせるのかと考え込んでしまう。

 先週末の旅の間、東京芸術劇場副館長の高萩宏さんが書いた「僕と演劇と夢の遊眠社」を読んでいた。
 これは80年代に急速に成長し、90年代の初めに解散した劇団の歴史を制作者の視点から綴ったものだが、それは同時に、一人の制作者が先の先まで見通したビジョンもないまま、闇夜に10メートルほど先までしか見えない灯りを頼りに必死に道を切り開きながら歩んできた苦闘の歴史でもある。

 印象的な部分を引用する。
 「あのころ、僕はいつもトンネルの中にいるようで『この課題を片付けたら明るいところに出られる、そしたら落ち着いて全体のことを考えよう』と思いながら前へ前へと走りつづけていた」

 そこには、芸術とビジネスの問題、組織を持続することの課題、芝居で生活することの困難さ、舞台芸術の社会的意義など様々な論点が示されている。
 興味深くとても面白い本である。

踊るよろこび

2009-08-25 | 雑感
 22日から23日にかけて、山形県村山市で開催された「むらやま徳内まつり」に参加してきた。東京・池袋から現地に招請されて遠征した「東京よさこい」のチームに同道してのことだ。
 とは言っても私は別ルートで先着し、彼らを現地で出迎える立場である。
 「むらやま徳内まつり」は今年15周年を迎えた比較的新しい祭りである。
 徳内ばやしは、村山市出身の江戸時代の北方探検家、最上徳内が建立した神明宮(現在の北海道厚岸神社)に伝わるお囃子が200年の時を経て村山市に伝来し、独自の発展を遂げたものとのこと。
 基本となるお囃子の調子はのどかなものなのだが、現代風の激しいリズムが加わり、生演奏の和太鼓や笛から繰り出される熱気は、老若男女を問わず、1チーム15分間にわたって次々と展開する乱舞と相まって素晴らしい迫力を生む。
 それを山の稜線がくっきりと浮かぶ夜空を背景とした舞台上に眺めることは、日常の中ではなかなか得られない貴重な体験である。
 「東京よさこい」チームの踊りも地元の人たちにさわやかな感動を与えるものだった。
 祭りは、人口2万6千人ほどの村山市にどうしてこれほどの人がと思えるほどの盛り上がりを見せ、県内外を問わず3日間で26万人が集まるという。
 私もステージを離れ、露店が並ぶ小路や御輿のパレードを眺めながらそぞろ歩きをしてみたのだが、祭りらしい祭りを久しぶりに見たという感慨とともに、子どもの頃に帰ったような懐かしさが胸に溢れる思いをしばし味わった。

 さて、同じ23日、東京・池袋の西口公園では、ダンサーの近藤良平が、自ら主宰する「コンドルズ」のメンバーとともに「にゅ~盆踊り」の輪の中にいた。
 これは、劇場「あうるすぽっと」が企画した夏向けの市民参加型の事業で、全国からの公募で集まった人たちと一緒に新しい盆踊りをつくろうというものである。
 この日は村山市から帰ってきたのが夕方で、行こうと思えば行けないことはなかったのだが、少しばかり気が臆したばかりに機会を失してしまった。
 あとから人づてにその盛り上がりの素晴らしかったことを聞いて悔しい思いをしたのだけれど、それこそ後の祭りである。

 実は、これに先立つ7月31日、「にゅ~盆踊り」の参加者170人ほどが、巣鴨地蔵通りの納涼盆踊り大会に近藤らコンドルズのメンバーとともにワークショップを兼ねて飛び入り参加したのだが、これを私は見ているのだ。
 それこそ京都や名古屋、静岡から駆けつけた人もいるという参加者は、それゆえのテンションの高さなのか、人の輪に加わることの喜びに満ち溢れた明るい顔をしている。
 もっとも、この時は無条件で地元の人たちに受け入れられたのではないように感じる一幕もあった。
 従来の地元盆踊り大会に闖入してきた若者集団と見慣れない振りの踊りを見ながら、その輪の中に入れず遠巻きに眺めるばかりの地元の人たちの中で、何となく「にゅ~盆踊り」が浮き上がった感じもあったのだ。
 それが、23日の本番では、逆に招待されて池袋にやってきた巣鴨の踊り手たちの輪の中に「にゅ~盆踊り」の若者たちが進んで入り込み、一緒に輪を広げ踊りながらその興奮はいやがうえにも高まったという。大成功である。

 近藤良平氏がバレエやダンスのいわゆる「素人」と付き合う理由として「スポーツなら、基本的に運動神経のいい者が勝つ。でもダンスは違う。表現の豊かさにおいては、10歳も50歳もそれほど差はない」と答えている。
 優れたダンサーである近藤も、一般の人に「負けた」と思う瞬間があるというのだ。

 それは演劇においてもまったく同様だろう。
 「表現」はマニュアルどおりにはいかないし、技術ばかりの問題でもない。理論づけのできない部分にその豊かさの秘密は潜んでいる。
 それゆえにこそ、みな苦しみもし、楽しみもするのだけれど。

再び、「朗読者」について

2009-08-18 | 読書
 季刊誌「考える人」2009年夏号の特集は「日本の科学者100人100冊」である。
 わが国を代表する著名な科学者の著作を1冊ずつ取り上げ、紹介している。
 物理学者で科学評論家の高木仁三郎は核化学者としてのキャリアを棄てて反原発運動に専心し、プルトニウムを利用する日本の核燃料政策を批判した人であるが、その項を武田徹氏が執筆している。
 以下、一部を引用。
 「しかし高木の参加により推進側と科学的議論で対峙できるようになって力をつけた反原発運動は逆説も孕んでいた。たとえば東海村臨海事故は、バケツで濃縮ウランを扱うことに疑問を感じない、核関係の知識を根本的に欠いた作業員がそこで働いていたために起きた悲劇だった。反原発運動が功を奏し、多くの人が核関係施設で働くことを忌避した結果として、そこでしか働けない弱者が危険に曝される悲劇が生じる」

 正義の主張、運動と思われるものが、知識を持たない弱者を悲劇に陥れるという逆説であるが、さらに恐ろしいのは、その弱者が何も知らないが故に、ある日突然、加害者に変容してしまうということである。

 映画「愛を読む人」を観たあと、気になって原作の「朗読者」の一部を再読した。
 映画は原作を凌駕したなどと思わず書いてしまったが、もちろん映画だからこそリアルに描かれている部分もあれば、小説でなければ描けない部分もある。
 どちらの表現が優れているなどということではなく、この作品の場合はその両方を味わうことでより理解が深まり、考えさせられるのだと思う。

 主人公のハンナ・シュミットは貧しい暮らしの中で非識字者として成長し、当時の政治状況の中で生きるためにやむなくナチスの親衛隊に入り、ユダヤ人収容施設の看守として働くことを余儀なくされたと想像できる。
 彼女にとって、看守としての役目を全うすることは無知であるがゆえに、あるいは職務に忠実であろうとするがゆえに倫理に適ったことだったのだ。
 私たちに彼女を裁くことは出来るのだろうか、私が彼女だったらどうしただろうか、ということに私たちは絶えず思いを寄せる必要があるだろう。
 映画の中では逆にさらりと描かれていたが、ハンナは20年に及ぶ刑務所生活の過程で必死の努力によって文字を覚え、読書することを覚えていった。その読書対象となった本には、マイケル(原作ではミヒャエル)が朗読してくれたものや文学書ばかりでなく、ナチの犠牲者たちの本やルドルフ・ヘスの伝記、エルサレムでのアイヒマン裁判についてのハンナ・アーレントのレポート、強制収容所についての研究書などが含まれていた。彼女は本を読むことで意識的に多くのことを学びとっていったのだ。

 マイケルが朗読を吹き込んだテープを送り続ける一方、ハンナからの「手紙をちょうだい」という呼びかけに応えようとしなかったのは何故なのか。ハンナは何故自ら死を選んだのか。
 そこには一括りに裁断できない感情や愛憎が複雑に絡まり、深い陰影が謎となって作品に奥行きを与えている。
 それは私たちに幾重にも問いかけ、考え続けることを強いるようだ。

愛を読む人 朗読者

2009-08-17 | 映画
 書店の入り口、とりわけ人目につく場所に村上春樹著「1Q84」のコーナーがあり、いくつもの関連本が平積みになっている。
 ひと月ほど前から、チェーホフの「サハリン島」の何種類かの翻訳が並んでいるのも「1Q84」にチェーホフの同作品が引用されていることの影響だろう。きっかけはどうであれ、絶版になっていた作品が復刻され、多くの人に読まれるようになることは喜ばしい。
 それにしても、「1Q84」をめぐる出版界の動向をみていると、さながら「ムラカミ産業」とでも多少の皮肉をこめて呼んでみたくなるほどだ。
 今月になって、ちくま文庫から「チェーホフ短編集」(松下裕編訳)が出たのもそうした流れの一環だろうか。
 それはともかく、同書には私の大好きな「中二階のある家」や「犬を連れた奥さん」といった作品が収録されているし、活字も大きめのポイント仕様でうれしい限りだ。休日の楽しみとしてこの上ない。

 さて、その「犬を連れた奥さん」が重要な意味を持つ映画が、スティーヴン・ダルドリー監督作品「愛を読む人」である。
 この作品は主演のケイト・ウインスレットがアカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得した記憶も新しく、原作本のベルンハルト・シュリンク著「朗読者」は40ヶ国語に翻訳された世界的ベストセラーであり、わが国でも海外文学としては異例のミリオンセラーとなっているから、多くの人がその概略は知っているのではないかと思う。
 映画は、実に素晴らしい作品であると同時に、多くのことを観客に感じさせ、考えさせる。
 中年となった主人公マイケルを演じるレイフ・ファインズが原作以上に脚本に惹きつけられ、「この脚本は非難、裁き、罪、愛、性についての非常に複雑な感情の問題をバランスよく捉えている」と評しているように、本作は映画が原作を凌駕してその意味を露わにした稀有な例ではないかと思う。
 原作では語り手のマイケルの視点から描かれているために曖昧だったり、ぼかされたりしている部分がより明確になり、深みが増しているのだ。

 裁判の場でケイト・ウインスレット演じるハンナが裁判長に向かって言う「あなたなら、どうしましたか?」という問いかけは重いが、これは単なる断罪が主題の映画ではない。
 マイケルがハンナを愛しながら裏切られたある種の被害者であると同時に、彼女に人間としての同情を抱き、さらには真実を知りつつも沈黙のまま裁く側に立たざるを得ないという立場に引き裂かれたように、この映画は、複雑な色合いをもって歩み寄ることも去ることもできない主人公たちの感情とその人生をくっきりと描き出しているのだ。

 さて、「犬を連れた奥さん」が映画の中でどのように現れるかは見てのお楽しみ。
 そこには単純に決め付けのできない謎がある。映画を観た人と一緒にじっくり話し合いたいテーマだ。

にしすがものドリトル先生

2009-08-16 | 演劇
 今月4日と12日の2回、にしすがも創造舎恒例、「アート夏まつり」の一環として行われた演劇公演「ドリトル先生と動物達」を観たのでメモしておきたい。
 原作はご存知、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生航海記」。これをOrt-d.dの倉迫康史氏が台本化し演出した。
 この演劇公演は「子どもに見せたい舞台」というコンセプトで創られているもので、豊島区及び同教育委員会、NPO法人アートネットワーク・ジャパン、NPO法人芸術家と子どもたちの4者で構成する実行委員会が主催、制作をアートネットワーク・ジャパンが担当している。
 一昨年の「オズの魔法使い」、昨年の「怪人二十面相と少年探偵団」に引き続く舞台である。
 今回もそうだが、いつも丁寧に創りこまれた作品で、特に舞台づくりにかけるスタッフの愛情や情熱、意気込み、本気度といったものが観ている者にもひしひしと伝わってくる。こうした舞台に触れ、観ることは、子どもたちにとってとても意味のあることに違いないと私は確信する。
 特に今回の舞台では、舞台美術の伊藤雅子氏、衣装の竹内陽子氏、照明の佐々木真喜子氏の仕事を特筆したい。元体育館の特設劇場に日常とはまったく異なる世界を構築したのはまったく彼女らの功績である。

 校庭から劇場に入り、受付を通って薄暗いロビーに出る。そこから階段状の客席の間の狭い通路を抜けるとそこが舞台である。不思議の国のアリスが「うさぎ穴」を通って別世界に行ったように、観客は「ドリトル先生」の世界に導かれるのだ。
 開演までの間、動物達(衣装をまとった俳優)が舞台とロビーを自由に行き来しながら観客を誘導するのも楽しい仕掛けだ。

 個人的な思い出として、私は「ドリトル先生」シリーズを小学校四、五年生の頃に読んだような気がする。
 すっかりドリトル先生に憧れて、いくつか贋作を書こうと原稿用紙に向かったくらいだから、相当に影響されたはずである。
 翻訳が井伏鱒二という人だということを認識してはいたが、痩せ型の学者さんというイメージを勝手に思い描いていて、あんなにまん丸で釣り好きの小父さん、あるいは高名な作家だとは思いもしなかった。
 うかつにも私はドリトルが「Dolittle」のことで「甲斐性なし」あるいは「やぶ先生」を意味することを最近まで気がつかずにいた。
 これを「ドゥーリトル」ではなく「ドリトル」と表記したことや、「Pushmi-Pullyu」を「オシツオサレツ」と訳したことなど、井伏鱒二のセンスが光る。
 井伏に翻訳を勧めたのが児童文学者の石井桃子であり、石井の設立した「白林少年館」から第1作の「ドリトル先生アフリカゆき」の刊行されたのが、太平洋戦争開戦の年である1941年であったことも今回初めて知った。
 戦時下の子どもたちはこの本をどのような気持ちで読んだのだろう。改めて考えてみたい。

 さて、舞台である。
 この舞台では音楽も重要な要素である。舞台の正面奥にバンドのセットが組まれていて、俳優達が交互に演奏するのが楽しくも素晴らしい。
 私はこの舞台シリーズのバンドを使った劇音楽が大好きなのだが、難を言えば今回はリズムがいささか平板な印象を受けた。 
 音楽だけの問題ではなく、それが芝居全体のリズムに影響していたのではないかと気になったのである。
 これはあくまで感覚の問題ではあるが、ワンシーンごとにこれがあと1秒か2秒短縮できていればと思うことが多かった。それが積もり積もれば全体で5分程度は引き締めることができたはずである。
 おそらくここを「見せたい」という象徴的なシーンがあったはずで、それをより効果的に見せるための演出があってもよかったのではないかと思うのだ。技術論として、すべてを「たっぷり」演じる必要はないのではないか。
 私のような「アングラ」出身のがさつな役者と違い、舞台の俳優達は言葉を実に大切にしているのが分かる。私なら観客の注意を惹き付けるために声を張り上げたり、スピードを上げたりするところで、逆に声を低めてしっかり伝えようとする。
 それはおそらく正解だし、上品な演技なのだが、それが全般に及ぶとリズムが平板になり、観ている子どもの集中力が持たないという気がするのだ。
 ストーリーの取捨選択や何をこの舞台で一番見せたかったか、あるいは伝えようとしたかったか、台本上の課題もあったのではないかと思える。

 話したいことは尽きないほどあるけれど、いずれにせよ、稀有なほど誠実な舞台づくりを続けているこのシリーズがさらに豊かな実を結ぶことを私は心から期待している。

演劇祭 予告編・CM大会

2009-08-13 | 演劇
 10日、第21回目を迎えた池袋演劇祭の前夜祭である「予告編・CM大会」を観る機会があった。(会場:あうるすぽっと)
 1989年にスタートしたこの演劇祭の特徴は、手作り感覚で若手の登竜門としてあたたかく彼らを見守ってやろうという意識が主催者の側にあるということだろうか。
 演劇祭としての小難しい理念やテーマ、プログラム選定はなく、肩の力がぬけて心地よい代わりに、何でもありの雑多な印象は拭えない。
 専門家が観てこれらの舞台を批評の対象にするかというと、殆どそんなことはないのだが、市民から選ばれたいわば素人の審査員が投票して賞を授与するという方式も、草の根的な地域発の演劇祭としてはふさわしいのではないかと思える。

 さて、今回の「予告編・CM大会」には30劇団ほどが参加していたのだが、ハダカ舞台で地の照明のもと、2分間で自分たちの舞台をアピールするというこの試みはしかし相当に過酷な試練を出演者たちに強いるものである。
 とにかく、その力量がもろに舞台にあらわれるのであって、否応なく相対化された身体を観客の目に晒しながら役者たちは舞台上を右往左往することになる。
 この形式はお笑いにこそふさわしいのか、舞台上の彼らは何だか皆、コント集団か欣ちゃんのかくし芸大会の出場者のように見えなくもない。それがシリアスな内容の演目であったりした場合、私としてはただ同情するしかない。

 それにしてもそうした状況設定を見事に活かして、2分間の舞台作品として創り上げた劇団が2つほどあったという点は発見であった。特に劇団名はここには書かないけれど、これからの彼らに注目していきたいと思う。

 「予告編・CM大会」の終了後、劇場ロビーいっぱいに集まった彼らとともに、これからの舞台の成功を祈って乾杯した。
 その若々しいエネルギーの発散はうらやましいばかりだ。すっかり忘れてしまった昔の自分をその喧騒の中に探しながら、彼らの声にただ耳を傾けていた。

地域発 新作オペラ

2009-08-13 | 舞台芸術
 9日、東京芸術劇場で「ひかりのゆりかご~熊になった男」というオペラの舞台を観た。
 本作は岐阜県発の新作オペラで、昨年の当地における公演の大成功を受け、東京での公演となったものという。
 家庭崩壊や地域社会崩壊に象徴されるような現代の日本人の心の喪失、自然破壊や環境破壊という私たち自身に関わる身近な内容にスポットを当てながら、「家族の絆」「親子の絆」を見つめ直そうというものであると、主催団体の代表者がパンフレットに書いている。

 もちろん、その意気込みに否やはないし、志には心からの賛意を表するけれど、その舞台成果としてはどうだったか。日本語の、それも市民参加でオペラをつくることの難しさばかりが浮き彫りになったように感じてならない。
 私は音楽にはまったくの素人だけれど、オペラ歌手たちに若手の小劇場演劇まがいの設定で演技させても観るほうはまったく乗っていけない。まるで、キャリア官僚が吉本の舞台でお笑いを演じているようで何とも居心地が悪くてしかたがない。
 もっと音楽劇に特化したほうが数段インパクトは高まったように感じる。

 地域発の舞台なのだから、もっと郡上八幡という場に特化した歴史的な物語にするか、あるいは逆により普遍性を持たせた寓話的な設定にしたほうがテーマに迫れたのではないかと思えてならないのだ。

 問題なのはビジョンであり、何を見せ、何を感じさせたいのかということだと思う。
 緻密な構成の現代演劇と異なり、オペラはテーマに素直にまっすぐ迫ることのできる表現形式である。臆することなく物語を創るべきではないだろうか。
 

ココ・シャネルの流儀

2009-08-10 | 映画
 8日公開の映画「ココ・シャネル」を観た。
 監督はクリスチャン・デュゲイ、70歳になった1954年当時のココをシャーリー・マクレーンが演じて貫禄を見せ、自分のスタイルを確立するまでの若い時代の彼女をバルボラ・ボブローヴァが魅力たっぷりに演じている。
 ココの経営上のパートナーであるマルク・ボウシエを演じている白髪の老人が誰なのか、映画に関する事前情報を何も知らずに映画館に入ったので分からなかったのだが、あの「時計仕掛けのオレンジ」のマルコム・マクダウェルなのだった。容赦のない時の経過というものを感じさせる変貌ぶりで驚いてしまったけれど、この間のキャリアがその演技に幅と厚みを与えていると感じさせる。
 不思議なほど私はこれまで彼の出演作を観る機会がなかったのだが、最後に観たH・G・ウェルズ原作の映画「タイム・アフタータイム」でさえ1979年の作品なのだから、あれからもう30年も経っていることになる。それこそタイム・マシンに乗ってあの時代から一挙に現代まで来てしまったような気がする。

 さて、映画自体はおそらく星3つというほどの出来ではないかと思うけれど、私は個人的にファッションや20世紀初頭の雰囲気を楽しんだし、ココ・シャネルという人物に改めて興味を惹かれた。
 ファッションのそれまでの歴史を一挙に覆し、「皆殺しの天使」と呼ばれたシャネルだが、齋藤孝著「天才の読み方」によれば、彼女自身は芸術家と自分を混同することはなかったそうだ。
 20世紀初めのパリを彩るピカソやダリ、コクトーやラディゲ、ストラヴィンスキー、ディアギレフら綺羅星のような芸術家たちと親しくつき合い、あらゆるものを吸収し、時には経済的な援助とともに辛らつな批評を与えもしたのだったが、自分はあくまで職人であり、仕事はビジネスであることを冷徹なまでに自覚していた。
 シャネルが属する服飾業界では、コレクションで失敗して買い手がまったくつかないということは、そのままその人の仕事の評価に直結している。その彼女の服が流行らないことを意味し、それは世の中から消え去ることなのだ。世間に理解されない芸術家などという気取ったポーズをとることは出来ないのである。
 シャネルは常に自分を世間の評価にさらし続けることで、冷静に「自己客観視」することができていたということなのだろう。

 映画は、第二次世界大戦の開始とともに半ば服飾業界から身を引いていたシャネルが15年ぶりにコレクションを発表するという1954年から始まる。その発表は惨憺たる結果を招き、悪評にまみれるのだが、そこから彼女は決然と再起しようし、映画は少女時代の父親との別れ、孤児院での生活、お針子となってパリに出てからの様々な場面を回想しながら展開する。
 映画のラスト、復帰2回目のコレクションは大成功を収める。以後、彼女はアメリカに進出、不滅のシャネル帝国を築いていくのだが、87歳で死ぬ前日までコレクションの発表に備えて働いていたというほど、彼女自身はいつも鋏を手にし、働きに働いた人であった。
 「私は日曜日が嫌い。だって、誰も働かないんだもの」というシャネルの言葉があるが、映画の中の彼女も、たとえ恋人と愛し合っている時も別れに打ちひしがれた時も絶えず働き続けていた。
 全ては仕事に立ち向かうエネルギーやアイデアへと転嫁されていく。その有り様が素晴らしい。

 名言の多いココ・シャネルだが、映画にもいくつかメモしておきたい台詞があった。
 「素材は安価なものでかまわない。大切なのはビジョンよ」もその一つだ。
 それから次の言葉も記憶に価するだろう。
 「私は流行をつくっているのではなく、スタイルをつくっているの。流行は色褪せるけれど、スタイルだけは不変。流行とは時代遅れになるものよ」

 引用だらけになってしまうけれど、先ほどの齋藤孝氏の「天才の読み方」に私の好きなエピソードがある。
 ある時期、シャネルはピカソと親しく付き合っていて、そこにダリと夫人のガラが絡んでくる。ガラはピカソの評判に腹を立てていて、彼のことをこき下ろす。
 それに対してシャネルは言う。
 「彼は、あなたが言うほどばかでもないし、世間が言っているほど天才でもないわ」
 それに対してガラが、それではダリのことをどう評価するかと聞く。
 シャネルは自分の皿の上に一粒残っていたグリーンピースを指で弾いて「ほら、それよ」と言い放った。

 シャネルはピカソのことを認めていた。彼はその強烈な個性と魅力で彼女をたじろがせた唯一の男であった。

ハコモノ批判?

2009-08-06 | 文化政策
 たまに地方新聞のようなものに目を通す機会があるのだが、これが結構面白かったりする。
 8月5日付の週刊「新宿区新聞」がそうだった。
 この日記では政治がらみの話はしないのが原則だが、お許しいただくとして、そのコラム欄に次の一文があった。

「『アニメの殿堂』?税金の無駄ですね。だけどやめられない。なぜか?官僚が決めているからです。今の与党は官僚のいいなり。だから政権交代が必要です。」野党のある若手候補の演説マニュアルだそうだ。「政権交代」「脱・官僚」を言えば七面倒くさいマニフェストは不要だ。

 国立メディア芸術総合センター構想が、すっかり政争の具になっていることが鮮明に読み取れる。
 青木保文化庁長官は「アニメ・マンガから映像作品や工学的な技術とアートを結びつけるテクノ・アートなどメディア芸術は、その先端性と魅力ある作品で日本が世界に誇る文化芸術である」と言っている。
 そのうえで、アニメ・マンガ分野を継承する人材の問題など難題が多いことを指摘しつつ、創造性と発信性を維持発展させるためには常に対策が必要であり、メディア芸術の中心となるような施設・機能の設置も視野に入れるべきとしているのである。
 しかしながら、『国営のマンガ喫茶』なる言葉の前にそうした理念がすっかり霞んでしまって、まともな議論のできなくなっているのが現状なのである。

 同紙では、閉館された「新宿コマ劇場」跡地の問題がクローズアップされ、地元商店街の会長さんたちや新宿区長の座談会の様子が掲載されている。
 ある商店会長の言葉。
 「コマ劇場が閉鎖されて劇場には文化的な価値や、人を引きつける魔力があることを改めて再認識した。コマ劇場はやはり、歌舞伎町のシンボルだった。採算性から東宝は劇場について消極的だ。だが、私は劇場の雰囲気は大切だと思う。」
 このくだり、なかなかの文化論になっていて全部を引用したいくらい実に面白い。
 歌舞伎町の再生に向けての繁華街のあり方や風俗、文化、ギャンブル論など、さまざまな論点が出席者の議論によって展開されている。

 さて、ちなみにこの新聞が取材対象としている地区は今や最注目の選挙区であり、テレビ報道でも主要な二人の候補者の動向が特集されていた。
 その一方のK氏だが、政府の補正予算について「それこそバラ撒きの典型だ。ハコもの整備に3兆円、基金積み増しに4兆円と、これだけで補正の半分以上を占める」と手厳しい。その「ハコもの」にはメディア芸術総合センターも当然含まれているのだろう。
 だが、コマ劇場跡地問題についてK氏は、「歌舞伎座」をつくるのが一番だと思う、とのこと。
 あれあれ、これも「ハコもの」だとは思うのだが、選挙戦ではややこしいことをつべこべ言わないのが礼儀なのだろう。

マンガの国

2009-08-03 | アート
 先月、7月21日付毎日新聞の夕刊に東京大学大学院の渡辺裕教授が<「国営マンガ喫茶」は無駄づかいか 「芸術」の概念にとらわれぬ議論を>という文章を寄せている。
 これは国の補正予算に組み込まれた例の「国立メディア芸術総合センター」がろくな議論もないまま「無駄づかい」の大合唱におしつぶされてしまっている様相に疑念を感じての問題提起である。
 無駄づかいを唱える人々の意識には、アニメやコミックへの根強い「差別」意識がひそんでいるのではないかというのだ。
 高尚な絵画とマンガ、クラシック音楽に対するロックやJ-Pop、歌謡曲などのポピュラー音楽を比較するとき、その前者には芸術的価値があり、後者は単なる娯楽であり価値が無いとする価値観はどのように醸成されてきたのだろうか。

 そもそも「芸術」という概念自体、近代になって西洋で生まれたものであり、「クラシック」に価値を認める考え方も、19世紀になって当時後進国であったドイツが「音楽の国」としてのアイデンティティを確立する過程とのかかわりで歴史的に形成されたとものであるらしい。
 それらは、西洋中心主義的なイデオロギー確立の過程とのかかわりを抜きに語ることはできず、永久不滅の芸術的価値などという観念自体、特定のイデオロギーの産物に過ぎないのである。

 100年後には、アニメやコミックを礼賛する人々が、昔は「現代芸術」などという奇妙な概念があって、わけのわからないアートがもてはやされていたなあなどと言っているかも知れない。
 その頃には、私の妄想だが、クラシック専用の音楽ホールなど、使い勝手の悪い集会施設として持て余され、パブリックアートはすでに廃棄されてアニメキャラクターが街の景観を彩る時代になっているかも知れない。
 また、その頃には地域のお祭も様変わりして、地元ゆかりの大名行列などにとってかわってアニメキャラクターのコスプレショーが幅を利かせているかも知れない。

 渡辺教授は、そうした中で何が重要なのか、世界の状況に照らしてどのようなものを選択し、これからどのような設計図のもとに文化を構築してゆくのか、よくよく考えてみようと言っているのである。

 さて、同日付の雑誌「エコノミスト」では、<「世界に誇る日本文化」の厳しい台所事情>として、市場縮小と地盤低下の進むマンガ、アニメ産業の状況を特集している。
 世界に誇る文化ともてはやされる一方、制作の海外への外注が進み、国内の制作現場が待遇面でも極めて厳しい状況にあることは以前も触れたが、この記事で認識を新たにしたのは、今の子どもたちがマンガを読まなくなっているという現実についてであった。
 今や「週刊少年マガジン」のコアな読者層は30代半ばの人たちであり、さらに読者年齢を引き上げる役目を果たしてきた団塊の世代のマンガ離れも、市場の縮小に拍車をかけているという。彼らは駅でマンガ雑誌を買う習慣があったが、定年退職に伴い通勤をやめると同時にマンガを読まなくなった。
 すなわち、マンガが売れなくなったのは景気後退に伴う一時的現象などではなく、構造的現象だというのだ。

 今あちらこちらでマンガやアニメによる街おこしが盛んになっている。
 それは団塊の世代の人々が地域がえりをして街づくりに取り組みはじめたこととも何らかの関係があるのかも知れない。
 それはそれで結構なことだと思うけれど、そうしたアニメによる街おこしや街づくりのなかで何を目標にするのか、よくよく考え議論することが必要だろうと思う。
 私の個人的な意見としては、パブリックな空間にアニメキャラが溢れ返るような街並みは決して好ましいものではない。
 マンガやアニメを真の文化に育て上げるうえで何が本当に必要なのか、大切なのはそのことに思いを寄せることではないだろうか。