25日付、毎日新聞夕刊に高橋豊専門編集委員が「考えさせられる引退俳優らの老後――『芸能人年金』も存続困難に」という見出しで文章を書いている。
引退した女優のための慈善ホームで繰り広げられるドラマ、ノエル・カワード作「出番を待ちながら」の舞台や、南フランスの俳優専門の老人ホームでの人間模様を描いたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の名作映画「旅路の果て」の話題にふれながら、このたび廃止が決定した社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の芸能人年金共済制度(芸能人年金)について問題提起するものだ。
この制度がスタートしたのは1973年4月。芸団協所属団体の会員と配偶者が加入できる私的な年金制度であり、いわゆる「退職金」がなく老後の生活の保障もない実演家にとっては貴重な支えとなるものであった。
これが廃止に追い込まれる事態となった契機の一つが3年前の改正保険業法施行で、金融庁などがこうした私的な制度も規制の対象にすると判断したため、継続が難しくなったという。
芸団協専務理事で俳優の大林丈史氏は、収入が不安定な芸能人のために柔軟な運営をしていたこの制度が廃止せざるを得なかったことについて「とても口惜しい。国はなぜ、私たちのようなささやかな『助け合い年金』まで廃止に追い込むのだろうか」と語っている。
文化芸術の社会的な意義や明るい側面にばかり目が行きがちで、それを担う実演家、アーティストの生活面にまで配慮の行き届かないのが現状である。
文化立国といい、ソフトパワーの重要性が喧伝されながら、そうした面が欠落しているのはまさに文化政策の貧困であることの証左なのかも知れない。
先週20日、イデビアン・クルーの公演、井手茂太振付・演出「挑発スタア」のプレビューを見に「にしすがも創造舎」に行った際、アートNPOの代表Iさんと短時間だが話をする機会があった。
Iさんはわが国の文化予算が決定的に少なすぎることを指摘したうえで、こうした状況を変えるには政治を変えるしかないと考え始めていると言う。
まず、文化庁の予算を4倍に増やし、そのうちの半分を国内から選定した100の文化施設に配分する。そのうえで各文化施設がアーティストを雇用し、作品の創造・発信や市民向けワークショップを展開するようにすべきだと言うのである。
現状における文化庁の助成制度は、個々のアーティストや劇団が企画を提出して採択されたものに対して事業予算の一定割合が助成される。
そのなかからアーティストや劇団は会場使用料という形で各文化施設に経費を支出するのである。
つまり、カネの流れがまったく逆になっているのが今の姿であり、これではいつまで経っても腰をすえた本当の意味での創造活動や文化施設が拠点となった文化発信などできはしないとIさんは言うのだ。
その話に深く同感しながら、いまの政治状況は、はたまた来るべき政権は、どのような方向に風を吹かせるのかと考え込んでしまう。
先週末の旅の間、東京芸術劇場副館長の高萩宏さんが書いた「僕と演劇と夢の遊眠社」を読んでいた。
これは80年代に急速に成長し、90年代の初めに解散した劇団の歴史を制作者の視点から綴ったものだが、それは同時に、一人の制作者が先の先まで見通したビジョンもないまま、闇夜に10メートルほど先までしか見えない灯りを頼りに必死に道を切り開きながら歩んできた苦闘の歴史でもある。
印象的な部分を引用する。
「あのころ、僕はいつもトンネルの中にいるようで『この課題を片付けたら明るいところに出られる、そしたら落ち着いて全体のことを考えよう』と思いながら前へ前へと走りつづけていた」
そこには、芸術とビジネスの問題、組織を持続することの課題、芝居で生活することの困難さ、舞台芸術の社会的意義など様々な論点が示されている。
興味深くとても面白い本である。
引退した女優のための慈善ホームで繰り広げられるドラマ、ノエル・カワード作「出番を待ちながら」の舞台や、南フランスの俳優専門の老人ホームでの人間模様を描いたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の名作映画「旅路の果て」の話題にふれながら、このたび廃止が決定した社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の芸能人年金共済制度(芸能人年金)について問題提起するものだ。
この制度がスタートしたのは1973年4月。芸団協所属団体の会員と配偶者が加入できる私的な年金制度であり、いわゆる「退職金」がなく老後の生活の保障もない実演家にとっては貴重な支えとなるものであった。
これが廃止に追い込まれる事態となった契機の一つが3年前の改正保険業法施行で、金融庁などがこうした私的な制度も規制の対象にすると判断したため、継続が難しくなったという。
芸団協専務理事で俳優の大林丈史氏は、収入が不安定な芸能人のために柔軟な運営をしていたこの制度が廃止せざるを得なかったことについて「とても口惜しい。国はなぜ、私たちのようなささやかな『助け合い年金』まで廃止に追い込むのだろうか」と語っている。
文化芸術の社会的な意義や明るい側面にばかり目が行きがちで、それを担う実演家、アーティストの生活面にまで配慮の行き届かないのが現状である。
文化立国といい、ソフトパワーの重要性が喧伝されながら、そうした面が欠落しているのはまさに文化政策の貧困であることの証左なのかも知れない。
先週20日、イデビアン・クルーの公演、井手茂太振付・演出「挑発スタア」のプレビューを見に「にしすがも創造舎」に行った際、アートNPOの代表Iさんと短時間だが話をする機会があった。
Iさんはわが国の文化予算が決定的に少なすぎることを指摘したうえで、こうした状況を変えるには政治を変えるしかないと考え始めていると言う。
まず、文化庁の予算を4倍に増やし、そのうちの半分を国内から選定した100の文化施設に配分する。そのうえで各文化施設がアーティストを雇用し、作品の創造・発信や市民向けワークショップを展開するようにすべきだと言うのである。
現状における文化庁の助成制度は、個々のアーティストや劇団が企画を提出して採択されたものに対して事業予算の一定割合が助成される。
そのなかからアーティストや劇団は会場使用料という形で各文化施設に経費を支出するのである。
つまり、カネの流れがまったく逆になっているのが今の姿であり、これではいつまで経っても腰をすえた本当の意味での創造活動や文化施設が拠点となった文化発信などできはしないとIさんは言うのだ。
その話に深く同感しながら、いまの政治状況は、はたまた来るべき政権は、どのような方向に風を吹かせるのかと考え込んでしまう。
先週末の旅の間、東京芸術劇場副館長の高萩宏さんが書いた「僕と演劇と夢の遊眠社」を読んでいた。
これは80年代に急速に成長し、90年代の初めに解散した劇団の歴史を制作者の視点から綴ったものだが、それは同時に、一人の制作者が先の先まで見通したビジョンもないまま、闇夜に10メートルほど先までしか見えない灯りを頼りに必死に道を切り開きながら歩んできた苦闘の歴史でもある。
印象的な部分を引用する。
「あのころ、僕はいつもトンネルの中にいるようで『この課題を片付けたら明るいところに出られる、そしたら落ち着いて全体のことを考えよう』と思いながら前へ前へと走りつづけていた」
そこには、芸術とビジネスの問題、組織を持続することの課題、芝居で生活することの困難さ、舞台芸術の社会的意義など様々な論点が示されている。
興味深くとても面白い本である。