seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

『サラエボのゴドー』のことなど

2021-08-31 | 日記
 この一週間近くの日々、ひどい倦怠感に見舞われてほとんど何もせず横になっているという時間を過ごしていた。明らかに薬の副作用なのだが、点滴で体内に注入する薬は悪い細胞を攻撃すると同時に健全な細胞にも影響してしまうのである。そのほか毎日のように服薬する薬の注意書きを読んでも、そのどれもが副作用として発熱、喉の痛み、出血、体のだるさ、めまい等々が並べ立ててある。これでは病気になるために治療しているようなものではないのかと言いたくもなるのだが、従順かつ素直な患者である私はそんな不満を押し隠して日常を送ることになる。

 早朝の夢見心地の中で、いま書きあぐねている小説や芝居の場面を断片的に抜き出してブログにメモとして残すという考えが浮かぶ。それは作品からかけ離れたものとなるかもしれないが、それはそれで面白いと思われたのだが、所詮それは夢の中での思い付きに過ぎない。

 昼寝をしていて、夢の中で弟と会話をしている。今から20年以上も昔のことになる。スーザン・ソンタグがボスニア戦争の最中に現地で「ゴドーを待ちながら」を演出し、地元の俳優たちとともに上演したという話にインスパイアされ、山口県宇部市在住の劇作家広島友好氏が書いた戯曲「サラエボのゴドー」の上演許諾を得て、私が制作・演出・出演して高円寺の小さな劇場で上演したことがあるのだ。その時の私が演じているある場面について、「あのシーンだけで40分もかかるのは時間をかけ過ぎじゃないか。見ていてしんどい……」といったダメ出しを弟がして、それに対して私が何か言おうとした瞬間に目が覚めたのだ。その時、私が何を言おうとしたのか、まったく覚えていないのだが。
 
 YouTubeで「ゴドーを待ちながら」の様々な映像を見る。総じて日本人が日本語でこれを演じるのは難しいという印象を持つ。それにしても今は便利になったものだ。ベケット本人が演出した舞台上演(スタジオ上演?)の様子まで見られるというのは凄いことである。20年前には想像も出来なかったことだ。見た中で一番面白そうなのは、イアン・マッケランとパトリック・スチュアートが出演したブロードウェイの舞台の断片映像である。自然で弾けていて滑稽さと悲しみがほどよく混ざり合って、その世界にいつまでも浸っていたいと思わせる魅力に満ちている。

 聞きかじったところによると、ベケットは「ゴドーを待ちながら」をフランス語と英語の両方で書いたそうなのだが、英語版もフランス語からの単なる翻案ではなく、別ものとして書いたと思わせる仕掛けがあるようなのだ。それはどんなものなのだろう。目を閉じて想像してみるのだが、言葉の分からない私にはその想像すら的外れなものに思えてくる……。

『サラエボでゴドーを待ちながら』を読んで

2021-08-30 | 演劇
 スーザン・ソンタグが書いたエッセイ「サラエボでゴドーを待ちながら」(冨山太佳夫訳)を読んだ。これは、ソンタグが1993年8月、戦火の広がるサラエボで地元の俳優たちとともにベケットの「ゴドーを待ちながら」を上演した時のことについて書かれたものである。
 役者にしても観客にしても、劇場への行き帰りの途中で狙撃兵の銃弾や迫撃砲の砲弾のために殺されたり、負傷したりしかねない状況のもと、彼らはその舞台上演に取り組んだ、その経緯には深く心を動かされる。演劇関係者のみならず、文化芸術に関心を持つ者にとって切実な問題意識がそこにあるように思えるのだ。
 1993年といえば、阪神淡路大震災の2年前であり、東日本大震災はその18年後ということになるが、戦時あるいは災害時における芸術の持つ意味について考えさせられる。

 当然のごとく、ソンタグもメディア関係者から次のようなことを質問されたのだ。以下、一部ソンタグの文章を引用。
 ……それにしても、この戯曲は悲観的すぎはしないだろうか。私はそう訊かれた。サラエボの観客にとっては気が滅入りすぎはしないか、(中略)人々が現に絶望しているときに絶望を見せるというのは余計なことではないのか、(中略)この見下ろし目線の、俗物的な問いは、それを口にする人々が、今サラエボがどうなっているのかを少しも分かっていないし、本当は文学にも演劇にも関心がないのだということを、改めて私に実感させてくれる。誰もが望むのは、自分自身の現実からの逃避を提供してくれるエンターテインメントだというのは正しくない。他のどんなところとも同じで、サラエボにも、自分たちの現実感を芸術によって肯定され、変形されることによって力づけられ、慰められる人々が少なからずいるのだ。……

 ソンタグの感じた印象では、サラエボでは、バレエ、オペラ、音楽生活は日常的なものであり、とりわけ映画と演劇だけは別格であったので、包囲下でもそれが続いているというのは驚くようなことではない、とのことだ。
 それだけの文化芸術に対するリテラシーの深さ、裾野の広さに驚嘆するしかないのだが、これをわが国の現状に照らしてどう考えればよいのだろう。

 改めて、コロナ禍により非日常が日常と化したこの社会における文化芸術のあり方について深く考えるべきなのだろう。
 さらに、アフガニスタン、ミャンマー、香港をはじめ、困難を抱えた人々の間で、演劇、映画をはじめとする芸術がどのように機能しているのか、あるいは無化されてしまっているのか、その現状について思いを寄せたいと思うのだ。

街を歩く

2021-08-21 | 日記
 今日(8月20日)は通院のため新宿まで朝の通勤電車に乗る。少しばかり心配していたのだが、お盆休みの企業がまだあるのか、あるいはテレワークが思いのほか進んでいるのか、電車の中は思っていた以上に空いていた。誰とも接触せずに、その気になれば立ったまま本が読めるほどの混雑具合だ。
 いま私の生活は、3週間ごとの通院と2週間ごとの施設入所している母親とのガラス窓越しの面会、毎週の母親の家の掃除と郵便物チェック、そして毎日のわが家での家事というルーティンワークによって規定されている。その合間に本を読み、必要な物を書き、散歩し、映画やドラマをテレビ画面で見るという生活だ。
 ルーティンワークは極めて重要な位置づけを与えられている。これがうまくいくか、いかないかは、その後の生活リズムに甚大な影響を及ぼすからだ。ルーティンをうまくこなせない場合には、何もかもが台無しになってしまう。それほどの重大事なのである。

 こうした生活に不満はないけれど、何か足りないのも確かだ。それは何なのか、考えたって分かるわけはないので、そうした無駄な時間を費やすのはもったいないこと甚だしいのだが、それでも考えてしまう。そして、さびしくなるのだ。

 久しぶりに新宿の街を歩きながら空を見上げてみると、高層ビル群と空が思いのほか綺麗で驚いてしまう。昨日から続く強い風のせいなのか。都市の風景の中に身をゆだねてしまうと不思議に心休まることがある。よけいなことを考える必要がなくなるからだろうか。





川べりを歩く

2021-08-19 | 日記
 ここ何日かまったくの引きこもり状態でかえって体調がおかしくなりそうだ、ということで久々に荒川の土手まで散歩に出た。私の家から歩いて20分で川べりに出る。荒川と隅田川の分岐点まで行って帰ってくると、おおよそ1時間、6000歩足らずといったところだ。
 もちろん川沿いに歩いて行こうとすればどこまでも行けるのだけれど、そこは体力と相談しながらの散歩である。

 暑さがぶり返してきたけれど、風が強いのでさほどには感じない。影が濃くなって秋の気配を感じるようになった。平日ということもあり、ほとんど人はいない。数人の釣り人が思い思いに釣り糸を垂れているだけだ。

 水門と空の色のコントラストが美しい。写真では肉眼で見たような色合いは出ないのだが。



 西の空には天使の羽のような雲が浮かぶ。逆光に輝いて、慰撫されるような心地がする。



 いろいろなことが思い浮かんでは消えてゆく。何か大事なことを思い出したり、言いかけたりということを繰り返しながらただ歩くのだ。

映画館に行きたい

2021-08-18 | 日記
 今日発表の東京都の新型コロナウイルス新規感染者数は5386人、大阪府でも2000人超えなど、収束どころか減少の兆しも見えない状況が続いている。私自身はほぼ一歩も外に出ない日がここ何日か続いているのだが、おかげで体調がまったくすぐれない。これはひとえに自粛生活の運動不足のせいなのだ、と自分に言い聞かせている。
 私が昨年まで所属していた団体でも陽性者が複数発生しているようだ。居住地の保育園などでも園児の感染報告があるようだ。家庭内感染の拡大が懸念される。少し前までは実のところまだまだ遠いところの話と思う部分がどこかにあったのだが、今やコロナウイルスは私たちのすぐ側にあっていつ感染してもおかしくない状況だと実感する。
 親子3人が感染し、自宅療養していた40代の母親が、容体が急変し亡くなったとの痛ましい報道があったばかりだ。医療体制の整備が急務であることはみな分かりきっているのになかなか進まない。その要因分析と対策の構築、早急な実行を政府も各自治体も着実に進めてほしいと願うばかりだ。
 組織が機能していないとか、トップがバカだとか、あれこれと非難を浴びせて留飲を下げることはいつでもできるのだが、今はとにかく目に見える形での対策の実現こそが求められているのだ。

 毎週いくつかの新聞の土曜版に書評欄が掲載されているのだが、それをまとめて読むのを楽しみにしている。今の私にとっては、書店や図書館を巡って、本の背表紙を眺めたり、時に立ち読みしたりという時間が何よりの楽しみなのだが、コロナ禍で思うようにならない現在、新聞や雑誌の書評欄は、未知の本との出会いや発見をもたらしてくれる貴重な機会だ。実際にそれらの本を手にする機会はほぼ皆無であるとしても……。

 群像9月号の三浦哲哉氏の批評「『ドライブ・マイ・カー』の奇跡的なドライブ感について」を読んだ。この濱口竜介監督・脚本の映画の素晴らしさについては、様々なところで目にするのだが、三浦氏によれば、「どこもかしこも繊細きわまりなく、観察することがよろこびでしかない、とびきり幸福な映画」とのこと。これはもう観るしかないのだが、今の自分にコロナ禍をものともせず映画館まで出かけていく元気のないのが問題である。

 いつか再び、映画館や劇場で心置きなく映画や演劇、音楽にどっぷりとつかることのできる日々のくることを夢に見る……。

「忘れないこと」と「記憶すること」

2021-08-17 | 読書
 群像9月号に載っているジョン・フリーマンの五篇の詩と訳者である柴田元幸氏の解説を読んだ。
公の「場」である「公園」をテーマにした詩である。公園といってもうちの近所にあるような、休日に親子でにぎわうような長閑な公園ではない。ホームレス、難民など、輻輳する多様な視点から見、見られた公園。しかし、私たちの身近にある公園にも実は同じ問題はひそんでいるはずなのだ。
 「現実の公園ではさまざまな形で排除の力がはたらく」のである。
 公園という公共の場に親子連れも老人もホームレスも集うのだが、そこでは互いの視点が交わされることはない。

 同じく群像9月号の「[芥川賞受賞記念]石沢麻依への15の問い」を読んだ。
 「貝に続く場所にて」で第165回芥川賞を受賞した石沢麻依氏へのインタビュー記事である。作品もさることながら、すごい人が出てきたなあという印象。
 「貝に続く場所にて」は、語り手の「私」が留学するドイツ・ゲッティンゲンの街に、東日本大震災で行方不明となった友人・野宮の幽霊が訪ねてくるところから始まる寓話的設定の小説である。震災からの年月とゲッティンゲンの街の歴史や時間が交錯し、聖女の洗礼名を持つ現地で知り合った女性たちの抱える悲しみと、帰る場を失くした友人の霊が呼応しながら、記憶が多層的に塗り重ねられた絵画を紡ぎだすような世界が描かれる。「私」をワキ方として、登場人物たちの魂を鎮めようとする夢幻能の構造を持った小説として読んだ。知的で濃密な文体によって構築された傑作である。

 当のインタビューの中で、石沢氏がこの小説を書くことを後押ししてくれた作品として、内田百閒の短編「長春香」、寺田寅彦の「天災と国防」、W・G・ゼーバルトの「アウステルリッツ」などをあげている。これらの作品には、「忘れないこと」ではなく、「記憶すること」への強く静かな姿勢が表されていると氏は言うのである。
 この「忘れないこと」と「記憶すること」という二つの言葉=態度は、本作を読み解く重要なキーワードである。
 これについて、石沢氏は8月4日付の毎日新聞夕刊掲載の寄稿「芥川賞を受賞して『記憶へ向かう旅』」でも言及している。以下、引用する。
 ……「忘れない」というのは一定の枠組みに収まった過去を、すでに作られた印象を共有することである。ある意味、それは受け身としての覚え方なのかもしれない。それに対し、「記憶すること」は、ひとりひとりが、見たり読んだり聞いたり調べたりしたことを通して、独自のやり方である物事の観点を作り上げ、磨きぬいてゆくことなのだろう。その行為を通して得たものは、簡単に壊れることなく自分の中に残り続ける。(中略)受動的なものは忘れられやすいが、能動的に向き合って得たものはいつまでも消えることはない。……
 石沢氏の執筆を突き動かしたものや作品のテーマにこの「記憶する」という態度を選ぼうとする姿勢があることは言うまでもない。

 この「記憶すること」は、先の大戦の記憶をどのように繋いでいくかということとも深く連なる問題である。群像誌のインタビューの中で石沢氏が語っている。
 ……ドイツでは、第二次世界大戦の記憶をいかに繋いでゆくか、ということについて非常に積極的に議論が行われています。様々な街を訪れ、そこを案内してもらう機会があると、その記憶のモニュメントを示してくれるのです。そこから、過去に対する態度、そしてそれを現在にどう繋げてゆくか、ということを考えるようになりました。……

 翻ってわが国はどうか、ということを考えずにはいられない。今月になって、8月6日の広島平和記念式典、8月9日の長崎平和祈念式典、8月15日の全国戦没者追悼式と、複数回にわたって私たちはこの国の政権を担う立場の人の言葉を耳にしたわけだが、そこに「記憶すること」への真摯な態度は見られただろうか。そうは思えなかった、というのが大方の率直な感想だろうと思う。
 とりわけ近年顕著になっているのが、見たいものだけを見ようとし、過去に向き合って学ぶことをやめ、能動的に「記憶すること」を放擲しようとする姿勢である。そこから発せられる言葉は空疎でしかない。

すべって転んだ

2021-08-16 | 日記
 朝、雨はやんでいる。出かけようとして、居住している集合住宅の1階に降りたところで、用事を思い出し、もう一度部屋に戻るついでに郵便受けの新聞を取りに行こうとして、そうだ、今日は新聞休刊日だった、と思い直して振り返った瞬間に足を滑らせて転倒してしまった。一瞬何が起こったのか分からないのだが、床面が濡れていて滑りやすくなっていたらしい。誰にも見られていなければよいのだが、と思ったその時、後ろから「大丈夫ですか?」と管理人のKさんがさほど心配もしていない様子で訊いてきた。どうやら一部始終を見られていたらしい。その場は笑ってごまかしたものの、後になって手首と右の足首、膝が少しばかり痛んでいる。
 以前、母親がよく近所に買い物に行っては途中で転倒したという話を聞いては、「何でまたそんなところで転ぶんだよ」と𠮟りつけるように言ったものだが、自分がいつの間にかそんなふうに、いつどこで転ぶか分からない年齢になってしまっていたのである。最近コロナの影響もあり、外出を控えるようになって散歩の機会も減ってしまい、足腰が弱っているのは間違いないのではあるが。
 何故か梶井基次郎の「路上」を読みたくなった。中学だか高校の国語の教科書に載っていた短い小説だが、時たま無性に読みたくなることがある。雪が降った時に必ず読みたくなるのも同じ作者の「泥濘」である。どちらも泥や雪に滑って転ぶ場面が出てくる。

 用事を済ませてから、図書館に立ち寄る。スーザン・ソンタグ「サラエボでゴドーを待ちながら」と小泉八雲「心」(平川祐弘個人完訳コレクション)とCDを借りる。

 昨夜はスーザン・ソンタグ「隠喩としての病」を読んだのだが、本書はソンタグ自身の癌体験を踏まえて書かれたエッセイである。訳者、富山太佳夫氏のあとがきには「結核と癌という二つの病を取り巻く言語表現のテクストを読み解きながら、そこにひそんでいる権力とイデオロギーの装置を解体してしまおうとする努力」とある。ソンタグがめざしたのは「人間の体に起こる出来事としての病はひとまず医学にまかせるとして、それと重なりあってひとを苦しめる病の隠喩、つまり言葉の暴力からひとを解放する」ための批評なのである。
 すでに43年も前の著作であり、病気に対する治療も当時とは比較にならぬくらい進歩しているはずだが、自身が病を得た身となって読んでみると、なかなか面白く首肯するところが多い。治療が進歩しているとは言え、先の見えないなかで、どうしても自分の置かれた状況を物語化したり、運命論に偏った妄想を抱いたりしてしまう、そうした虚妄を客観視し、解体する力を本書は今も持っているように感じるのである。


再定義する世界の中の日本、とは

2021-08-15 | 日記
 朝から強い雨が降り続く。これでは散歩にも行けないなあなどと思いながら窓の外を見やったりしている。わが家の南側には保育園があり、北側には中学校があるのだが、日曜ということもあって、いつもはにぎやかな子どもたちの声は聞こえず、園庭も校庭も水たまりが出来ている。
 こうした天候は気分も沈んでしまう。この時間に勉強が出来れば良いのだろうが、なかなかそうしたことに気持ちが向かっていかないのは困ったことだ。
 
 東京五輪をきっかけとして、この国が抱える病理が露わになったという意見が目に付くが、当事者たちがそれをどれほど自覚していたのかどうか、社会もまたそれを許容していたのではないか……、そこに深い問題があるように思える。
 とりわけ問われているのは、この国に蔓延する人権意識、人権感覚の鈍麻である。女性蔑視発言、いじめ問題、ホロコーストをネタにしたお笑い、名古屋出入国管理局施設内でのスリランカ国籍女性の死亡事件に対する国や入管サイドの対応等々、これらは五輪・パラリンピックを開催する当時国に突き付けられた極めて深刻な問題であるはずだが、これを自分事として捉え直し、どうすればよいのかを考え続ける必要があるだろう。

 別の観点だが、8月12日付毎日新聞オピニオン欄「激動の世界を読む」のアジア調査会会長・五百旗頭真氏の論稿に「……個々の身近なことも日本社会という入れ物の中での出来事であり、さらに日本社会の出来事も世界という大きな入れ物の中での営みなのである。世界の中の日本という視点を見失うと国民生活が立ち行かなくなることが、時に劇的に示される」とある。
 この論稿の主眼は、「周辺国の大軍拡と支配拡大意思に対し、それをさせない方途が平和のために必要であり、攻めず攻められない関係をいかに築くか」ということであり、そのために「世界の中の日本を再定義する必要は、かつてなく高まっている」と言うのだが、この問題と、五輪を契機として問われているこの国全体の、つまりは私たち一人ひとりの人権感覚は実は一つながりの同根なのである。そのことを深く理解したうえで世界の中の日本を再定義し、平和にために力を尽くし、発信していくことが求められているのだろう。そのために時に青臭いと思われることも真っ当なこととして言い続ける必要があるのである。
 
 最近、川端康成文学賞受賞作品を少しずつ読んでいる。1999年発行の全作品集の「Ⅰ(1974~1986)」を先日読み終わり、今は「Ⅱ(1987~1998)」を読み始めたところ。
 昨夜は眠る前に読んだのは、古井由吉の「中山坂」。これは1986年の発表だから、もう35年前の作品ということになる。400字詰め原稿用紙で40枚足らずの中に切り取られ、交錯する登場人物たちの姿が鮮やかだ。選者の意見など読むと、その独特の文体に戸惑う意見もあるようだが、後年のさらに先鋭化した小説と比べるとはるかに読みやすい。
 このほか、スーザン・ソンタグの「隠喩としての病」を少し読み進める。

五輪後の日常、とは言え

2021-08-14 | 日記
 朝から雨。九州地方及び広島では大雨特別警報が発出され、避難指示が相次ぐ。私の住んでいる地域では比較的穏やかな雨模様だが、当該地のことは気になる。友人が九州に住んでいて温順な気候だとは聞いているのだが心配である。
 今日は新聞と昼食を調達に近所のコンビニとスーパーに出かけただけだ。そそくさと店に入り、さっさと出てくる。もちろん誰とも口をきかず、スーパーでもセルフレジを使う。何だかなあと思いつつ、自分で身を守れと言われているしなあ、と思い直し外出のままならない日常を受け入れている自分を嘆く。

 昨夜はビデオでコーエン兄弟の映画「ファーゴ」を見た。最近、エリザベス・ストラウトの「オリーヴ・キタリッジふたたび」を読んだばかりで、「ファーゴ」に出ているフランシス・マクドーマンドがその前作にあたる「オリーヴ・キタリッジの生活」をドラマ化した作品に出ていると聞いて、急に彼女の出ている映画を見たくなったのだ。奇妙な味わいのブラック・ホラー・サスペンスコメディとでも言えばよいのか。面白く見たけれど、精神状態によっては後味が良くないと感じてしまうかも知れないな。

 文學界9月号に載っている武田砂鉄×能町みね子の対談「逃げ足オリンピックは終わらない」を読む。共感しながら読んだのだが、これが文芸誌に載っている意味を考えてしまった。
 朝から鬱々として寝てばかりいる。合間に溜めておいた新聞記事を少し読む。7月28日付の毎日新聞のオピニオン欄では、柳田邦夫と残間里江子両氏が東京五輪をテーマに論稿を寄せている。すでに2週間以上も前の記事だが、オリンピックが終わった今でも同感しかない。五輪があぶり出したわが国の病理は根深い。その他、新聞書評欄を読む。

 先ほど書いた九州・大分県に住む友人からLINEが来て、演劇鑑賞団体の市民劇場で富田靖子と松下洸平が出ている「母と暮らせば」を観てきたとのこと。羨ましい。彼は地方では観たい芝居が観られないとよく嘆いているのだが、私の何倍も生の舞台を観ているのだ。
 その友人が昨日同じく共通の友人から送られてきた詩集「この世の焚き火」の感想を書いてきた。私も詩集を繙いて読む。中に詩人である友人がかつて住んでいた家のことを書いた「あの家」という作品がある。結婚して移り住んだ場所で借りた家のことが書かれているのだが、家を中心とした自分史であり、家族の物語でもある。ドラマにもなり得るし、長めの小説にもなるようなテーマで胸に沁みる作品だ。
 まとまった読書をする気力がない。「更級日記」を少しずつ読み進める。

詩集が送られてきた

2021-08-13 | 日記
 朝から雨模様。九州、広島を中心とした西日本では大雨警報が出され、心の痛むような状況が続いている。コロナ禍も災害級という表現がされるような様相だが、それに自然災害が加わった状況は言葉にならない大変さだろう。
 コロナの感染状況に関して、新聞には「制御不能」「医療、機能不全」等の見出しが目に飛び込んでくる。これに対応した具体的な対応策が国からも都からも発信されないのがもどかしい。
 今日は最近の猛暑から一転して気温が下がり、いささか寒く感じる。人間の体感というものは実にデリケートなものだ。

 高校時代からの友人で、群馬県在住の陶芸家で詩人の中村利喜雄君から詩集が送られてきた。「この世の焚き火」というのが詩集のタイトルである。中に同名の詩が収められている。彼が個人詩集を出すのは昨年に続いて2冊目だ。一昨年に群馬県文学賞(詩部門)を受賞したのがきっかけなのだが、それにしてもすごいペースである。
 あとがきに「この詩集は、今でも未熟さを自覚する(もう手遅れかも知れませんが)高齢者が、半径五百メートル位の生活圏をもぞもぞと暮らすほぼ一年を中心に、過去の記憶も織り交ぜつつ記録したものです」とある。この言葉だけで深く共感するものがある。
 作品のいくつかはもう40年も昔、彼が業界紙の記者をしながら一人暮らしをしていた頃から、結婚して東京を後にしたあたりのことがモチーフになっている。
 同じ時代に同じ空気を吸い、同じ人たちと話をした、あの時代の記憶が甦る。もちろん、その受け止め方も生き方も迷い方も選択のあり様も人それぞれではあるのだが。
 これからゆっくり時間をかけて詩集を読むことにしよう。

図書館まで散歩【日記】

2021-08-12 | 日記
 このところ気力、体力の減退もあり、なかなかまとまった文章が書けなくなっている。コロナ禍のもと、思うように出かけられないこともあり、薬の副作用もあり……、ということで家に閉じこもってばかりの生活である。もともとこの《めもらんど》は自分のための備忘録として書き溜めているものなのだが、少し肩の力を抜いて日記を書いてみることにする。何の変哲もない日常生活を書き連ねることにも何らかの意味があるかも知れない。文字数も一日当たり400字前後が目安である。

 昨日は午後、思い立って徒歩で往復2000歩圏内の書店と図書館に出かけた。いつもうっかり寝てしまう時間帯にあえて出かけるというのは、案外良いことかも知れないのだが、どうだろう。書店では「群像9月号」を買った。すべて読めるはずもないことは分かっているのだが、あとで後悔するよりは、という思いで買う。気がかりは小遣いのことであるが、まあ、それはそれで……。
 図書館では、トーマス・マンの短編集をチェック。そのほか旧約聖書など。
 相変わらずの猛暑ではあるのだが、意を決して出かけてしまえば何とかなるものである。問題は、新型コロナウイルスへの対策である。蔓延しつつあるデルタ株のウイルスは、これまで報告されていなかったような場所でも感染するという話もあり、図書館にしろ、書店にしろ、多くの人が出入りする場所であることに変わりはないのである。
 今日発表の東京都の新規感染者数は4989人。重症者数も218人と増加の一途を辿っており、対策は急務なのだが、どうにも歯がゆいものがある。

 午後、「文學界9月号」に載っている映画「ドライブ・マイ・カー」に関する濱口竜介監督と仏文学者・野崎歓氏の対談と瀬尾夏美氏と佐々木敦氏の批評を読む。面白い。演出論、演劇論としての映画論とでもいえばよいのか。映画はまだ観ていないのだが、映画自体が演出や演劇を通してひとの声を聴き、共振することの意味を問いかけるものであるようだ。
 映画は今月20日に公開とのことだが、見に行けるかな……。