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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

星の王子さま/風立ちぬ

2013-09-14 | 映画
 もうひと月も前のことになるけれど、今年も恒例となった「としまアート夏まつり」の一環として上演された「子どもに見せたい舞台」を観に行った。(会場:あうるすぽっと)
 今年の演目はサン=テグジュペリ原作の「星の王子さま」である。
 会場に向かっている道すがら、何組もの親子連れと一緒になったのだが、そのうちの一人の小さな男の子が「去年の『ドリトル先生』は面白かったね…」と歩きながら母親に話しかけているのが耳に入ってきて、何だか嬉しくなってしまった。(関係者でもないのに)
 それだけこのシリーズが浸透してきている証左なのだろう。これからも大切に育てていってもらいたいものだと思う。

 さて、舞台の冒頭、作者とおぼしき人物の独白に続いて登場した一人の俳優が四角の白い紙を取りだし、それをゆっくりと折っていく。何だろうと思って観客の見つめるなか、それはやがて紙ヒコーキとなり、俳優の手によって舞台を縦横に飛び回る。と、突然浮力を失った飛行機は落下してしまう。
 そこは砂漠。一人の飛行士が故障して不時着した飛行機を修理している…、という場面につながって舞台が始まるのである。
 素晴らしい導入で、それだけでこの舞台を観た価値はあると思ってしまったのだが、次に登場した「星の王子さま」が背のすらっとした青年であったのは、意外といえば意外で、原題の「ちいさな王子」にこだわりのある私などはなかなかすんなりとは受け入れがたかった。ま、それはそれ、一緒に観ていた子どもたちが喜んでいたのだから良しとしなければ。

 つい最近になってようやく、宮崎駿監督の「風立ちぬ」を観た。喫煙シーンが物議を醸したり、宮崎監督の引退発表があったりなど、何かと話題の映画で正直観に行こうかどうしようかと迷っていたのだけれど、観てよかった。よい映画だった。
 感想は様々あって簡単には言葉にできないが、本作でも紙ヒコーキがストーリーの中で大きな意味を持っていた。その紙ヒコーキが、ひと月前に観た「星の王子さま」の舞台とこの映画を結びつけているようで、私は心の中でにんまりとしながら、妙に納得したのだった。
 サン=テグジュペリの生まれたのが1900年。「風立ちぬ」の主人公のモデルとなった堀越二郎が1903年生まれ、堀辰雄が1904年生まれ。ちなみに映画監督・小津安二郎が1903年生まれ。
 彼らはまさに同時代人であり、同じ苦難の時代を生き抜いた人々なのである。

 サン=テグジュペリの生まれた3年後、のちに零戦を設計する堀越二郎の生まれた1903年は、ライト兄弟の手によって世界で初めて飛行機が有人動力飛行に成功した年でもある。12馬力のエンジンを搭載したライトフライヤー号は合計4回の飛行を試み、4回目には59秒間、約259.6mの飛行を記録した。
 それからわずか5年後の1908年には、映画にも登場したイタリアのジャンニ・カプローニ伯爵が航空会社を創業、第一次世界大戦時にはすでにイギリスをはじめとするヨーロッパ各国に空軍が誕生し、1920年代にはサン=テグジュペリが民間の飛行士として活躍、第二次世界大戦において飛行機は主要な戦力となっていた。
 このほんの40年ほどの間に、空を飛びたいという人類の夢は、多くの人々の努力によって驚くほどの発展を遂げた。
 だが、その夢はいつまでも美しく無垢なままではいられない恐ろしい夢でもあった。

 思えば、砂漠に不時着した飛行機を飛行士が自分の手で修理しようとしていた「星の王子さま」の世界はいわば牧歌的な手づくりの夢の世界、「風立ちぬ」の中で少年時代の堀越二郎が夢見た美しいヒコーキの飛び交う世界であった。
 テクノロジーの発展は、やがてその夢を制御不可能なまでに巨大化させ、ヒコーキを殺戮の道具に、科学を人類を破滅させかねない力を持った化け物へと変容させていった。
 果たして、それらを人間が「完全にコントロール」し続けることは可能なのだろうか。
 映画「風立ちぬ」はそんな夢の美しさに秘められた負の側面や恐ろしさをも描いているからこそ傑作なのである。