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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

遊びと創造力

2015-01-13 | 雑感
 平安末期、後白河院が編纂した今様歌謡集「梁塵秘抄」の中に次の有名な歌がある。
 「遊びをせんとや生まれけむ/戯れせんとや生まれけん/遊ぶ子どもの声聞けば/わが身さへこそ揺るがるれ」
 大河ドラマ「平清盛」の中で度々歌われていたし、テレビCMでもひと頃よく引用されていたのでご存知の方は多いと思う。「一心に遊ぶ子どもの声を聞くと、私の体まで自然に動き出してくることだよ」というほどの意味だろう。
 このように遊び戯れる子どもの姿に私たちが魅かれるのは何故なのか。おそらくそれは、子どもたちの上げる無垢な笑い声に、人間が生来備えている尽きることのない創造力の源泉や生きる喜びとでもいったものの横溢を感じるからではないかと思われる。
 パブロ・ピカソは「子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」と言っている。大人への成長とは最も人間的なものを失う過程の謂いであり、それゆえ却って私たちは子どもらしさを希求するのかも知れない。

 文化は遊びの中から生まれたと言われる。遊びと文化芸術がその起源において極めて密接なものであることは確かだろう。
 生まれたばかりの赤ん坊も音楽に対して関心を示すように、ヒトという種は、音楽に対して何らかの遺伝的基盤を備えているとの説がある。あらかじめそのようにプログラミングされている、ということだ。
 ラスコー洞窟やアルタミラ洞窟の壁画に見られるように旧石器時代からヒトは卓抜な絵を描いてきた。舞踊は言葉とともに古く、文字のない社会はあっても舞踊のない社会はないとさえ言われる。子どもは歌い踊るものだが、それがまさに人間としての証であり、本能であり、自然なことであるからにほかならない。
 
 『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)という本の中でジャーナリストである著者のノーマン・カズンズは「創造力、生への意欲、希望、愛情などが生化学的な意味を持っており、病気の治癒と心身の健康とに大いに寄与する」「積極的情緒は活力増進剤である」と言っているが、子どもらしくあること、人間らしくあることの大切さを改めて考えさせられる。
 いま、子どもにとっては受難ともいうべき事件、事故のニュースが連日報道されている。
 誰もが元気で健康に満ち溢れ、生き生きと暮らすことのできる社会を創るためにも、この世界から子どもたちの笑い声が消えるようなことがあってはならない、そんなことを強く感じる今日この頃だ。