seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

クオリアが形成される街づくり

2012-05-20 | 文化政策
 先月23日(月)のこと、「“西池袋”を刺激する! Ⅱ 準備セミナー『みどりの公園で街が変わる』」と題した催しに顔を出してきたのでメモしておきたい。
 NPOゼファー池袋まちづくり(劇場広場研究会)が主催し、立教大学、東京芸術劇場、池袋西口商店街連合会が協力機関として名を連ねるこのセミナーでは、いま改修工事中の東京芸術劇場が9月にリニューアルオープンするのに合わせ、劇場前の池袋西口公園、すなわち劇場広場で安心安全・美しく楽しい池袋西口を作る、そのためにどうすればよいのかを地域の人々と一緒に考えようというものである。
 宮崎雅代氏(NPO法人日本トピアリー協会理事長)、甲斐徹郎氏(立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科非常勤講師)、阿部治氏(立教大学ESD研究所長・社会学部教授)の基調講演に続き、東京芸術劇場副館長の高萩宏氏や主催NPO理事長の石森宏氏,副理事長の小林俊史氏が加わったパネルディスカッションが行われた。
 宮崎氏からは「トピアリーについて」、甲斐氏からは「緑化によるコミュニティづくりの効果について」の話があったが、このセミナーのミッションは、トピアリー(園芸辞典によれば「樹木を装飾的あるいは夢のある形に仕立てたものの総称」)を用いながら、池袋西口公園を中心に緑化を媒介として街全体を作り変え、「汚い・怖いイメージが強い/来訪客・学生が寄り付かない/ランドマークになり得ていない」という現状を劇的にイメージアップすることを目的とするものだ。

 その手法はともあれ、今回の話の中では甲斐徹郎氏の話が面白かった。
 まず甲斐氏は、緑化によって町全体を劇的に変化させ、商売を大成功させた事例として、熊本県北東部にあって27軒の旅館が連なる黒川温泉をたくさんの写真をもとにそのビフォー/アフターを紹介した。
 たしかに殺伐とした様子の町並みが、粘り強い取り組みの緑化によって激変し、入湯手形1000円で3軒の温泉をはしごできるといったアイデアも盛り込みながら、今では多くのリピート客が訪れる温泉街になっているという。
 ここから導き出されるキーワードとして甲斐氏が持ち出したのが「クオリア」である。
 
 クオリアという言葉は、茂木健一郎氏の活躍もあってよく知られるようになったが、簡単に言うと、「何々の感じ」といったところか。イチゴのあの赤い感じ、とか、空の青々としたあの感じ、〇〇を見てワクワクとするあの感じなど、主観的に体験される様々な質、などと紹介される言葉である。
 演劇や舞踊などの生の舞台芸術やライブの音楽演奏には、映像化されたり録音されて再現される複製芸術からは得られない感覚質が確かにある、その「感じ」といえばよいだろうか。
 甲斐氏によれば、ブランド名やヒット商品名など記号が並べられるだけの街と、クオリアが形成される街とは大きく違うのだという。
その違いが何かを一言でいうのは難しいが、記号によるデザインが消費の量で測られるとするならば、クオリアを形成するデザインは人の動きを誘引する。そのことによって単に人が増えるのではなく、ふれあいが増えていく。ふれあいながら、出会いながら、そのことが刺激となって、生活そのものが楽しくなっていく……。
 たしかにそんな街づくりが実現するならば、このうえないことではあるだろう。

 甲斐氏は、そうしたクオリアを形成する素材に満ち溢れているのがこの「西池袋」なのだと言う。
 第1に、劇場が発信する感性
 第2に、大学が発信する多様性
 第3に、人の行為を誘発させる緑
 第4に、商売と暮らしを統合することのできる経営者
 こうした要素が備わったこの地域には、大きな可能性が潜んでいると言うのである。

 さて、時間があまりにも少ないため、議論が熟するには至らなかったのが返す返すも残念でならないのだが、当の東京芸術劇場から何が発信しようとしているのか、発信することによって地域社会にどのような波及効果をもたらそうとするのか、そんな話を是非ともじっくり聞いてみたいところだった。

 経営学者の野中郁次郎氏によれば、「創造する力は単に個人の内にあるのではなく、個人と個人の関係、個人と環境の関係、すなわち『場』から生まれる」のだそうだ。
 この地域にはそんな「場」の遺伝子があると確信するがゆえに、多くの課題を抱えながらも、人と街がともに成長し、多様なクオリアに満ちた「場」へと発展することを切に願う。

音読展覧会

2012-05-10 | 演劇
 先月のはじめ観た「青色文庫―其壱、吉田小夏の筆跡―」と題された「青☆組、ことばの音読展覧会」についてメモしておこう。
 題名のとおり、劇作家・演出家の吉田小夏のこれまでの戯曲を年代順に音読することで、作家自身の個人史を垣間見えるように展示した試み、と言ってよいだろうか。

 13歳の時に書いた「青ずきんちゃん」をはじめ、34歳となった昨年に初演された「幸福の王子」までの作品を日替わりで異なるユニットの俳優たちによって読み聞かせようとするもの。
 ドラマリーディングといってよいのかも知れないのだが、たとえば「青ずきんちゃん」では、4人の女優がト書きを読み、6人の登場人物を吉田小夏が一人で演じ分けるなんてやり方で意表をついていて、面白い。
 パンフレットの中に吉田が書いている「もし皆さんが押入れの整理整頓をした時、うっかり古い手紙のひとつも出てきたら、どうかこっそり声に出して読んでみて下さい。/音読された時、それはひとつの戯曲に変わるかもしれません。/言霊は人生のそこかしこに、全ての人のことばの中に、あなたの声の中に。」という言葉に共感する。
 私は二晩にわたって足を運んだのだが、そうやって届けられた音読の豊かさを深く味わった60分間だった。

 会場は、目白駅から歩いて7、8分の所にある古民家ギャラリー「ゆうど」。
 20人も入ればいっぱいの畳の部屋で、ため息のように微かな言葉もしっかりと心に響く。こんな時間が私は好きだ。
 「幸福の王子」は、昨年、違う演出家のカンパニーで上演されたものを観たのだが、また異なる魅力を感じた。
 よい時間だった。