seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

友達の輪と国家

2008-12-29 | 読書
 一昨日、年に二度三度会うばかりの親しい友人たち三人と忘年会に集まった。みな二十歳そこそこであった頃から直接間接の付き合いが今に至っているのは稀有なこととして素直にいとおしいと感じられる歳となっている。
 若い頃は誰もが自分は天才と思い、独立不羈と唯我独尊を謳歌して憚らなかったものだが、そんな片意地というか大きな勘違いも若気の至りと笑って振り返るこの頃である。そうはいっても煩悩からはなかなか脱せられないのだけれど。
 さて三畳ほどの狭い飲み屋の座敷で酒を飲み交わし、濃密な時間を過ごしていると、こうした小さなコミュニティの延長に国家というものがあることをつい忘れてしまう。

  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 こんな寺山修司の歌を思い出したりするけれど、小さな友達の輪、もう少し大きく考えれば趣味のサークルやプロジェクトの集団、会社や地域コミュニティ、自治体など、そうしたものから国家レベルへと想像力を広げることが実はいまこそ求められているのかも知れない。
 今日付の毎日新聞に政策研究大学院准教授の岩間陽子氏が、米国のブッシュ大統領が任期の最後に訪問したイラクでの記者会見で靴を投げつけられた例の「事件」について書いているが、まさに、ブッシュ大統領が身軽によけて見せたその靴が、後ろにいたはずの日本の顔面に命中していたかも知れないのだ。戦争は飲み屋の片隅でくだを巻くおやじたちの薄くなった後頭部のすぐそこに迫っている。

 そんなことを考えたのは、忘年会に向かう電車のなかで、作家で起訴休職外務事務官の佐藤優氏の著作「国家と神とマルクス」を読んだせいだろうか。これは2007年に刊行された単行本の文庫版であるが、佐藤氏は文庫化された今年10月時点での考え方をそれぞれの文章のあとに付記している。佐藤氏の旺盛な仕事は、いまの世の中で私たちが考えなければならない物事の指針を与えてくれる重要なものだ。ついでに言えば、書店に平積みになっている凡百のビジネス書よりも仕事に役立つ実用的なものだと思う。
 さて、この本に収められている書評のなかで佐藤氏は、宇野弘蔵は「資本論」が想定する純粋の資本主義社会では、資本家、労働者、土地所有者の三大階級しか存在しないと考えたが、これに対し、柄谷行人が「近代文学の終わり」で、マルクスは一つの階級を見落としている、それは税を徴収し、再分配する階級、すなわち官僚機構であり、第四の階級としての官僚を含めるべきであると指摘していることを紹介している。
 ちなみにこうした階級論において、役者や芸術家というものがどういった位置づけにあるのか、というのが私の目下の関心事なのだが、「資本論」的にはやはり「労働者」ということになるのだろうか。
 このあたりになると私の考えは朦朧としてただの酔っ払いのたわごとに過ぎなくなるが、世の芸術家には、このように秩序立てられた階級社会や価値観を攪拌してリセットする働きや役割があるように思えてならないのだ。それは階級の埒外に放逐された存在かも知れないのだけれど・・・。

世界にとって演劇は必要か

2008-12-21 | アートマネジメント
 「演劇はこの世界に必要なのだろうか」との問いかけを宮城聰氏が行っている。(16日付毎日新聞夕刊コラム)
 「演劇が他者と出会うことを本質とする芸術であるなら、いまの世界から疎外された人々と向き合わなければ、真に試されたことにはならないだろう」という宮城氏の問題意識は明確だ。
 宮城氏は、演劇の必要性には2種類あり、その両方を踏まえなければならないという。
 1つは、難病の治療に取り組む最先端の医療機関のような存在としての必要性。
 もう1つが、学校を補完する教育機関としての必要性である。

 「百年に一度」とも言われる大不況の嵐が世界中に吹き荒れようとしている。
 新聞もテレビも連日のように派遣切りや人員削減によって、職場や住居を追い出され、行き場を失った人々、格差社会のなかで疎外されようとする人々の問題を報道している。
 まずは、政府や行政が何をすべきなのかが問われなければならないが、それと同時に、こうした人々にとって演劇とは、芸術とは何なのかという問いが突きつけられる。
 飢えた子ども(人々)のまえで芸術は有効か、という何度も反芻してきたあの問題である。

 世界的な不況が国内スポーツ界に大きな影を落とし始めたとの報道が新聞紙面をにぎわしている。西武アイスホッケー部や社会人アメフトの名門オンワード等の相次ぐ廃部や解散。自動車産業が絡むモータースポーツからのホンダや冨士重工業、スズキ等各社の撤退や参戦休止。米保険最大手AIGのテニススポンサー撤退、等々。

 こうした心理的マイナスの連鎖がマイナーなスポーツや少数の観客に支えられた芸術文化に及ぼす影響は計り知れない。
 いまこそ、アーティストやアートマネジメントに携わる人々は、単なる娯楽ではない、芸術文化の持つ有効性を世界に向かって叫ぶべきなのだ。

 こんな時、いつも思い出しては勇気づけられるのが、サラエボ戦争のさなか、銃撃をも怖れず、「ゴドーを待ちながら」を観るために劇場に足を運んだ人々の話である。
 翻って、わが国ではどうなのか。
 杉村春子の生涯を描いた新藤兼人の著作「女の一生」に感動的な話が綴られている。
 東京大空襲のあった昭和20年3月前後の話であるが、強制疎開がはじまり、稽古に俳優も集まらないという最悪の状況のなか、杉村春子はなんとしてもと「女の一生」の上演にくらいついて行く。稽古をはじめようと思っても、稽古場に借りる家が次つぎと空襲で焼けていく。だが杉村春子は諦めない。すさまじい執念である。
 以下、小山祐士との対談をまとめた「女優の一生」からの引用。
 こんな話をしてくれる杉村春子を私は無性に抱きしめたくなる。

 みんな兵隊に行っちゃったの。(文学座の男たちは)来る日も来る日も出陣ですよ。そんなときだから、お客が来るなんて想像できないですよね。お客が来なくても、とにかくこっちは死ぬ前に一ぺんやりたいと思うだけですよ、私たちのために書かれた芝居を。そしたらね、「幕をあけろ」とかなんとかいうことになっちゃったということは、下をのぞいてみたら、ずうっと、防空頭巾をかぶった人が並んでいたの。地下に雑炊食堂があったから、みんな並びますね、雑炊食堂にね。だから雑炊食堂の客かと思ったら、そうじゃなくて、芝居を見るために並んでいたお客さんだったのですよ。大空襲があったんで「これじゃ人はこないだろう」と思っていたら、来たのです。舞台稽古もできていないのに、あけなくてはならなくなってきちゃったの、お客さんが来たんで。とにかくお客さんが来たんですよ、そんな大空襲があっても。つまり自分のところだけ焼けなければなにかを求めて来たのね、でも、そんななかでも俳優たちはみんな言ってましたよ、「やろう」って。

 この「女の一生」は日本の戦争が終わるまでの日本の新劇の最後の舞台であった。

世阿弥の観客論

2008-12-19 | 舞台芸術
 芝居は観客に理解されない、と登場人物に語らせたピランデルロ。
 表現する側にとって、演ずる者にとって、そして観客にとって必要な演劇とは何だろう。双方の幸福な出会いとは何なのだろう、ということをよく考える。
 真に理解されるとはどういうことをいうのだろう。

 最近、世阿弥の「風姿花伝」を読むたびに、もっと早くこの本と出会うのだったと悔やむことが多い。自分の浅学非才をいまさら嘆いても仕方がないのだけれど、役者であり、演出家であり、プロデューサー、劇団経営者、興行主でもあった世阿弥のこの著作は、演技論としても、演出論としても、ビジネス書としても実際的で実利的でじつに興味深い。
 その一節にこんなくだりがある。

 「上手は、目利かずの心に相叶ふ事難し。下手は、目利の眼に合ふ事なし。下手にて、目利の眼に叶はぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心に合はぬ事、是は目利かずの眼の及ばぬ所なれども、得たる上手にて、工夫あらん為手ならば、又、目利かずの眼にも面白しと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とを極めたらん為手をば、花を極めたるとや申すべき。」

 これを歌人の馬場あき子の解説を援用しながら読み直してみると―――。

 あまりに高級すぎて、目の利かない観客や批評家に受け入れられない芸がある。下手はもとより、目利きの意に添うはずもない。下手の評判が悪いのは当然だが、悲しいのは優れた演者の芸が、進んでいすぎるがために目利かずの心に入っていけないことである。
 しかし、努力家の世阿弥は、そうした場合にも工夫と芸能人のサービス精神によって、目利かずの眼にも面白いと見えるように能を舞えといっている。
 世阿弥は、最高の芸術が真に最高であるためには必ず備えている条件としての普遍性について「工夫と達者(熟練)」を求めているのであり、こうした芸の、広く面白がられ、深く面白いものこそ「花を極めたる」芸といえるものだと断言するのだ。

 前衛的で最先端の優れた舞台芸術が、進んでいすぎるがために一般観客や旧体質の批評家の心には届かず、受け入れられないことがある。そればかりか、現代に置き換えて考えれば、スポンサーである民間企業の社長や公共劇場を擁する自治体の首長、住民の感性にそぐわず、まったく受け入れられないという事態もありうるだろう。
 そうした場合、世間に受け入れられず、理解されないことを嘆くばかりでよいのか。
 そうではなく、工夫と熟練によって、舞台芸術そのものに対する理解力のない観客をも納得させ、面白がらせる技量を示すべきだというのが世阿弥の教えなのである。
 
 これは、演劇と観客が真に出会うための仕掛けを戦略的に行うための要諦でもある。舞台芸術は複製も保存もきかず、生で賞味されなければまったく意味のない芸術である、という宿命を負っている。
 私たちは深く考えるべきなのだろう。
 
 独りよがりで未熟なものに見向きする暇など誰も持ち合わせてはいないのだから。


ウィントンの12条

2008-12-16 | 言葉
 浅田真央、石川遼といった10代のアスリートの活躍が話題を呼んでいる。彼らには生来の天分に加え、明確な目標を持って課題を克服するために練習を積み重ね、努力するという美徳が備わっている。本当に若い彼らには尊敬の念すら抱いてしまう。
 時分の花に終わらない確かな技は、基本的なジャンプの一つひとつ、パターの一打一打を地道に繰り返すことによってしか身につけることは叶わないのだ。
 同時代に生きることを幸せと感じることのできるアーティストやアスリートは稀有なものだが、彼らは間違いなくそんな存在であろう。
 すれからしの老俳優たる私も時には初心に戻りたいと思うことがある。これまであまりにも多くの役や人格を演じてきてどれが自分の本当の顔か分からなくなって素の自分を取り戻したいと思ったり、身体にも心にも生じた歪みを元どおりに矯正したいと願う、そんな時にいつも読み返す言葉、今日はそんな言葉を改めて記憶に刻みつけたい。

 これはすでに8年程も昔、ジャズ奏者のウィントン・マルサリスとチェリストのヨー・ヨー・マが共演した米国公共テレビ(PBS)で紹介されていたもの。タイトルは「怪物に挑む」だった。(もし著作権に抵触するようでしたらご容赦を)
 マルサリスは言う。「誰もが英雄になりたがるが、竜とは戦いたがらない」
 練習は楽しいものではないが、進歩し、偉大になるためには他に方法はない。ただし、誤った練習は害があるばかりで、利もない。

「ウィントンの12条」
1. 教え手は船のキャプテンと同じ。航路をしっかり知っている人を選べ。
2. 基本をしっかりと学びとる計画表を書け。
3. リアリスティックでしかも挑戦できる目標を立てろ。1ヶ月でこの基本を、2ヶ月でこの壁をという具合に。
4. 集中することを学べ。練習の時間を自己の矯正に使え。集中できなかったら、止めて、やり直しの時間をもて。
5. リラックスせよ。
6. 難しい個所に時間をかけろ。
7. すべての音をきちっと表現してプレーせよ。
8. 誤りから学べ。誤りを怖れるな。
9. 見せびらかすな。
10.自分で工夫しろ。
11.楽観的になれ。
12.共通点を見出せ。

※5についての注釈
 学ぶときにゆったりしろということ。早く上達したくても、上達するための練習 は急げない。今、練習している曲をゆったりしたテンポで学び、段々とスピード アップしていく。ゆっくりしたテンポで練習すれば筋肉に難しい動きをコントロ ールすることを教え込める。リラックスすれば集中もでき、楽しめもする。いざ という時に役立つものだ。
※9についての注釈
 見せびらかすな、は卓越したピアニストだったウィントンの父が「拍手を求めて プレーする人は、拍手だけを得る」と言ったことによる。一時的な名声を得るた めに、大切な、音楽そのものを犠牲にしてはいけない。

観客論

2008-12-15 | 雑感
 ピランデリロの「山の巨人たち」では、観客に見放された劇団員達は山奥への遁走を余儀なくされた。登場人物のコトローネは言う。「芝居は観客に理解されない」と。
 大衆とはなんだろう。観客とはなんだろう。

 12月6日の毎日新聞夕刊での役者梅沢富美男のインタビュー。
 「ピンスポットの当たった役者がとうとうとこむつかしいせりふを語る、気持ちいいけど、それは単なる自己満足で。毎日、お客さまの色は違う。泣かせてくれよ、とか笑わせてくれよ、とか。それを見極める。いい芝居だったね、と言われると、次の日の入りは少ない。面白かったね、と言われると、次の日は満タンになる。お客さまは怖いんですよ」
 「兄に教えられた哲学がある。<10人客呼んだら、3人帰しな>。70%を満足させる芝居が大衆演劇だ、と。」
 私(筆者)がまだ若造だった昔、梅沢武生座長のこんな話を面白いなあと思って聞いた記憶がある。
 「お客というものは満腹してしまったらもう次の日は来てくれない。腹七分目くらいの芝居で帰っていただくのがコツだ。そうするとまた来てくれる」
 その日の客の入りがそのまま食い扶持にかかわる真剣勝負のなかで磨かれた知恵には瞠目させられる。

 同じく毎日新聞夕刊、12月9日での宮城聰(静岡県舞台芸術センター芸術総監督)のコラム。
 「・・・公立の劇場に専属劇団があり、その劇場を専属使用するというのは、考えてみればヨーロッパなどでは当たり前のことだ。パリのコメディフランセーズに見にいってみたら、その日は貸し小屋の日で、どこか別の団体がコメディフランセーズを賃借して上演していた、なんてことはあり得ようはずもない。(中略)
 ・・・従来の日本の公立劇場は劇場を賃貸する収入を大きな財源としてほそぼそと自主事業を回してきたわけだが、そういう環境では『文化政策』と呼ぶに値するものは現れないだろう。そこではシビルミニマムとしての文化が行政によって給付されるだけであって、文化によって積極的に社会を変革したり、地域のアイデンティティーを構築したりといった『文化政策』とはまるで別物である。」

 宮城氏はこれを初代芸術総監督だった鈴木忠志のはかりしれない努力によって実現したSPACこと静岡県舞台芸術センターの「真の公共劇場」としての在りようを紹介するなかで述べているのだが、この発言を先ほどの梅沢富美男の話と比較すると実に興味深い。
 もちろんこれはどちらが正論などということではなく、それぞれが属する世界観がまるで異なる次元にあるということなのだ。それぞれが正しく、真理であろう。
 ただ、これは批判ではなく(宮城さんは私も大好きな人である)感想として言うのだが、宮城氏の語る公共劇場の観客の姿が私には今ひとつ鮮明なものとして浮かんでこないのだ。
 劇場に訪れる年間何万人かの観客のほかに、何倍もの人々=演劇に無関心な住民が税金によって劇場と専属劇団の存続を賄っている。
 その存続を住民の何割くらいの人々が本当に支持しているのか。その支持を獲得するための行政との調整や議会への説明責任は、公共劇場に関わる者すべてに課せられた命題でもある。文化による社会変革とは何なのか、公共劇場によって地域のアイデンティティーはいかに構築され得るのか、芝居ははたして観客に理解されるのか・・・。

 かたや下町の小さな芝居小屋に娯楽を求めて訪れるおばちゃんやおじちゃんたちが乏しい小遣いの中から払う木戸銭によって日々の食い扶持を賄ってきた梅沢の言葉はしなやかで強い。
 これらを比べること自体が無意味なことかも知れないとは思いつつ、興味は尽きない。

現代語訳「源氏物語」

2008-12-07 | 読書
 今年は源氏物語の千年紀とのことで、さまざまな催しが各地で行われている。ブームとも言えるムーブメントである。だからというわけではないのだが、今、少しずつ物語を読み進めているところである。
 とは言っても、現代語訳なのだが。もちろん原文で読むにこしたことはないのだけれど、やはり骨が折れる。あの主語が省略され、独特の敬語や言い回しに満ちた古文はなかなか歯の立つものではない。
 それにしても、これまで実に多くの人たちが現代語訳に挑んできた。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴、そして最近では大塚ひかり・・・、そのすべてがいま文庫で読める環境にあるというのが実に素晴らしい。これは世界に誇るべき日本の文化的状況ではないだろうか。
 ちなみに私が読んでいるのは円地訳である。いろいろ読み比べた結果、文体的にはこれが一番自分には合っていると思えるのだ。かつて昭和40年代に文庫化された円地訳だが、しばらく絶版になっていた。それが今年になり、活字も大きくなって復刊されたのは喜ばしいことだった。
 そのことをT公論の元編集長で私が私淑するK先生に申し上げたところ、「円地訳が一番好きというのは初めて聞いたなあ。でも、あの人は大変な人だったよ」と笑っていたけれど・・・。
 円地訳には、実は原文にないものがたくさん書き込まれているというのは有名な話だが、それでは瀬戸内訳がどうかというと、うーんとうならざるを得ないのではないか。
 少し読み比べてみると、たとえば―――
 「夕顔」の巻で、光源氏が六条御息所のところに泊まった翌朝、世が明ける前に帰る場面である。
 「・・・霧のいと深き朝、いたく、そそのかされ給いて、ねぶたげなる気色に、うち歎きつつ、いでたまふを、中将の御許、御格子一間あげて、「見たてまつり送り給へ」とおぼしく、御几帳ひきやりたれば、御髪もたげて、見いだし給へり。前栽の、色々乱れたるを、過ぎがてに、やすらひ給へるさま、げに類なし。・・・」

 これが円地文子訳では次のように描かれる。
 「・・・霧の深くたちこめた朝、源氏の君は度々起こされて後に、まだねむたそうなご様子で、何やら溜息をつきながら、簀子にお立ち出でになった。
 中将の君という女房が、御格子を一間だけ押し上げて、お見送り遊ばせという心組みらしく、御几帳も少しずらしたので、女君は静かに身を起こして外の方へ眼を向けられた。枕元の御髪筥にうずたかくたたなわっていた黒髪が、女君の起き直ってゆかれるのにつれて音もなくゆるゆると背を伝い上がってゆき、やがて黒漆の滝のように背中一面に流れた。
前栽にさまざまの秋草の花が咲き乱れているのを、見過ごしにくく、佇んでいられる光る君の御様子は、ほんとうに、世人のもてはやす通り類なく美しくあでやかにお見えになる。・・・」

 瀬戸内寂聴訳では次のようになる。
 「・・・霧がたいそう深い朝のことでした。昨夜は久々に、源氏の君と六条の御息所はこまやかな愛の一夜を共になさいました。御息所はしきりに早くお帰りになるよう源氏の君をおせかしになります。
 昨夜のはげしい愛の疲れに、源氏の君は、まだ眠たそうなお顔のまま、溜め息をつきながらお部屋からお出ましになりました。女房の中将の君が、御格子を一間ひき上げて、御息所にお見送りなさいませというように、御几帳をずらせました。女君は御帳台の中からまだ身も心も甘いけだるさにたゆたいながら、ようやく頭を持ち上げて、外を御覧になりました。
 庭先の草花が色とりどりに咲き乱れているのにお目をとめられ、美しさに惹かれて、縁側にたたずんでいらっしゃる源氏の君のお姿は、この上もなくお美しく、惚れ惚れいたします。・・・」

 大胆にセックスを想起させる描写を入れ込んでいる点で、どちらもどっちという感じではないかなあと私には思えるのだが・・・。

 ちなみに、円地訳の「源氏物語」には、原文になかった文章があると言われることに、円地自身十分意識的だったようで、そのことを瀬戸内寂聴が訊ねると、「わたしは『源氏』をそのまま訳したのではありません。強姦してやりました」と言ったというエピソードがある。
 また、川端康成は「『円地源氏』は、円地さんの小説です。創作ですよ」と評したそうだが、その川端が「源氏物語」の訳に取り組むという噂が円地文子の耳に入ったときのこと、
 「川端さんが『源氏』をはじめるんですって」と怖い顔でいう。「絶対にできるわけありません。あなた見ているでしょう、『源氏』を訳するのがどんなに大変か」
 と、新潮文庫「源氏物語一」の解説で瀬戸内寂聴が書いている。
 また、この同じ場面が、「源氏物語六」の林真理子の解説では、次のように表されている。
 「それだけではない。川端康成氏が源氏物語の現代語訳に意欲を見せていると聞き、円地氏は瀬戸内先生にこう言いはなったという。ノーベル賞をもらって、ちやほやされている人に、源氏の訳などが出来るはずはない!」

 実に面白い。げに恐ろしきは女の執念、いやいやそれなくして源氏訳は達成できない難事業だったのだろうなあ。

レミーのおいしい批評

2008-12-07 | 言葉
 偶然にせよ、よい言葉に出会うと嬉しくなる。
 たまたまディズニーアニメのブラッド・バード監督作品「レミーのおいしいレストラン」のワンシーンをテレビで観たのだ。紹介するまでもないけれど、これはグルメの都パリにある高級レストラン「グストー」を舞台に繰り広げられる、驚くべき料理の才能を持ち、「シェフになりたい」という叶わぬ夢を抱えたネズミのレミーの物語・・・である。
 物語の最後、登場人物の一人で、シェフがもっとも恐れる料理評論家イゴーが語る言葉が素晴らしい、と思わず書き留めたくなる。脚本が素晴らしいのだ。ちなみにこのイゴーの声はあの名優ピーター・オトゥールとのこと。(以下、記憶による引用)
 「評論家の仕事は総じて楽だ。リスクは少なく、立場は常に有利だ。作家と作品を批評するのだから。そして、辛口の批評は我々にも、読者にも愉快だ。
 だが、評論家は知るべきだ。世の中を広く見渡せば、平凡な作品のほうが、その作品を平凡だと書く評論よりも意味深いのだと。
 だが、我々がリスクを冒す時がある。新しいものを発見し、擁護する時だ。世間は新しい才能に冷淡であるため―――。新人には支持者が必要だ。
 昨夜、私は新しい体験をした。あまりにも意外な者が調理した見事なひと皿。
 それは、よい料理に対する私の先入観への挑戦だった。いや、もっと言おう。心底、私を揺さぶったと。
 誰でもが偉大なシェフになれるわけではない。だが、どこからでも偉大なシェフは誕生する・・・」
 シェフという言葉を役者に置き換えてみたい。あるいは演出家でも、劇作家でもなんでもよいのだが。演劇界にも大先生と呼ばれる権威ある評論家は多い。けれど、これほど率直に語り、真摯に新しい才能を発見し、認めようとする批評家がいるだろうか。
 来たれ、新しい才能。出でよ、真の批評家―――。

 さて、もうひとつ。こちらは6日付けの毎日新聞朝刊のコラムで紹介されていた音楽評論家吉田秀和の言葉。95歳で現役の吉田氏の50代の頃の言葉である。
 「自分が一向に傷つかないような批評は、貧しい精神の批評だといわなければならないのではあるまいか」
 こちらのほうはガツンとくる。こんなふうにネット上に匿名でゆるい言葉を書き続ける自分は一体何なのだろうと・・・。
 せめて、自分なりに精一杯の真面目な言葉を紡ぎたいと願ってはいるのだけれど。

アート市場主義と芸術至上主義

2008-12-05 | アート
 週刊「エコノミスト」(12月9日号)にギャラリストの小山登美夫氏のインタビュー記事「アートバブルの崩壊が新たな才能を生む」が興味深く、共感をもって読んだ。私のようにアートビジネス界に無縁の者にも分かるようにそのシステムについて記事は丁寧に書き込んである。(以下一部引用)
 小山氏は96年に自分のギャラリーを開設後、同世代の若手芸術家の個展を数多く開き、村上隆、奈良美智など、名だたるアーティストを発掘してきたことで知られている。
 このたびの米国の金融危機に端を発した世界的な景気後退の大波がアート界にも押し寄せ、各地のアートフェアで作品がまったく売れない状況となり、アート市場が冷え込みつつあることは誰もが耳にしていることだろう。
 そうしたなか、小山氏は「今回のアートバブルの終焉は新しい才能を生むきっかけになる」「アート市場は振り出しに戻り、ギャラリーで展示会をして、少しずつ芸術家の評価を高めていくという『通常のプロセス』を基本とした市場に戻る。そのことが、最近いびつになっていた現代アート市場のあり方を是正することにつながる」と話す。
 こうした自信に満ちた口調の背景には、自らバブル崩壊の90年代半ばにギャラリーを立ち上げ、作家を発掘してきたことの自負とともに、10年前と比較して、世界的に現代アートに対する理解度が高まりつつあることやその情報量も格段に増え、世界的なネットワークが構築されていることがある。
 アートを単に貨幣価値に換算して投資の対象とする市場主義者たちが去り、真に芸術作品を面白いと感じて買う「目利き」の人たちの存在が増えていること、それが小山氏の確信につながっているのかもしれない。

 一方、同誌には、堕ちた「時代の寵児」小室哲哉の音楽著作権譲渡詐欺事件の記事もあって、これを比較して読むと何ともいえない思いにとらわれる。
 こちらの記事も音楽著作権の仕組みがよく分かって、そうなのかあと思いつつも、アート市場の自由主義と芸術至上主義の落差に深く考え込んでしまう。

 こうした市場の動向に今ひとつ無縁なのが舞台芸術と言えるだろうか。それはある意味で幸福なことだと言えない事もない。
 以下、いささか論理は飛躍してしまうのだが・・・。
 現代アートや絵画は実体のある希少的な「モノ」が「存在」することで価値が生まれ売買の対象となる。
音楽は複製された作品が大量に製品化され、CDやレコードとして流通し、売買され、さらにメディアを通して配信され、増幅される過程を通して金銭を生み出す産業となる。
このたびの小室哲哉の事件は、そうしたシステムの狭間で市場道徳の退行がもたらした現象でもあるだろう。
 映画もまた作品はオリジナルのフィルムから複製され、映画館で大量の観客の目にふれられるとともに、ビデオやDVDとして流通・売買・貸借され、テレビで放映されることで投資した資金を回収しながら資本を獲得する。世界各地の映画祭はそうした市場のための売買の場と言ってよいだろう。
 かたや舞台芸術、とりわけ演劇はどうだろう。再現することができず、保存もできない演劇は人々の「記憶」にしか残らない。だからこそ素晴らしいとも言えるのだが、その特性ゆえに市場を形成するにはなかなか至らないのだ。産業になりにくいのが舞台芸術なのである。「芸術見本市」のような取り組みはあるけれど、それは市場の開拓というよりは、参加者相互の情報交換の場となっているように思うのだ。(この場合、大仕掛けのミュージカルやシルク・ド・ソレイユはまた別のカテゴリーに所属する。)
 かくて舞台人たちは、市場の世界とは無縁な無菌状態で純粋培養された芸術家として崇め奉られるのか・・・。
 そんなばかなことはないのであって、舞台人にとっていま最も必要とされるのは、現代アートの世界におけるギャラリスト小山氏のように、アーティストの才能を発掘し、観客との幸福な出会いをコーディネートできる人材なのだと思う。そんな使命感をもった若い世代の出現と活躍を熱い期待をもって待ち続けたい。
 

静かな部屋

2008-12-02 | アート
 11月24日の月曜、国立西洋美術館で「ヴィルヘルム・ハンマースホイ―静かなる詩情―」展を観た。本当はシアター・トラムでやっていた岡田利規演出の「友達」を当日ねらいで観るために三軒茶屋まで行ったのだったが、2時間15分、立ち見になりますと言われ、腰痛持ちの老俳優は泣く泣く諦めたという計画性のなさである。
 電車を乗り継ぎ、車中、堀江敏幸の短編集「未見坂」など読みながら上野に向かった。それはそれで贅沢な時間の使い方なのだと思う。
 折しも降り出した雨の中、美術館の入り口は思いのほか列をなす人だかりである。ただ、ハンマースホイ(1864-1916)はデンマークのフェルメールと呼ばれ方をすることもあるようで、ちょうど東京都美術館でやっている「フェルメール展」と勘違いして並んでいる人もいたらしい。受付付近で誘導していたお兄さんが「こちらはフェルメール展ではありません。お気をつけください!」と何度も叫んでいる。まさか、と思っていたら本当に勘違いしていた人がいたらしく、「フェルメール、どこでやってんの?」と大声で係員に訊ねては「あちらでございます」と指示され、そそくさと立ち去る老夫婦もいて、何となく微笑ましい光景である。
 絵画を観た感想をシロウトが文章で書くことほど虚しい作業はないのだけれど、それでもコペンハーゲン、ストランゲーゼ30番地のアパートを舞台に描かれた、後ろ姿ばかりで顔を見せることのない妻イーダの姿や、家具や装飾品の取り払われたガランとした部屋の白い扉や開いた扉、何もない部屋にただ陽光が洩れ入っている画面に私は強く惹きつけられる、と言いたい。
 この絵の何がこれほどのインパクトを与えるのか。生前、ヨーロッパで高い評価を得た、チェーホフや森鴎外と同世代のこの作家が、死後急速に忘れ去られ、そしてまた、10年ほど前から再び脚光をあびるようになったのは何故なのか・・・。
ちょうど今月号の「芸術新潮」で、詩人で多摩美術大学教授の平出隆がハンマースホイを紹介しているが、興味深いのは作家自身の言葉である。
 曰く「一枚の絵はそこにある色の数が厳しく抑えられていればいるほど、最高の効果を発揮する。私は無条件にそう考えている。」
 「だれもいないのに美しい、ではなく、正確には、だれもいないから美しい、というべき部屋がある。そんなことをずっと考えてきた。」

 静かな詩情・・・とか、静謐に充ちた・・・というありきたりな形容詞に惑わされてこの絵を見ると、たしかにそんな気もするのだが、そうした先入観を振り払って絵を見ていると、そこには思いもかけない喧騒が渦巻いているように見えないこともない。
 「ピアノを弾くイーダのいる室内」には確かにピアノの音が充ちているだろうし、後ろ姿ばかりの向こうでイーダがどんな顔をしているのか分かったものではないのだ。忍び笑いをしているのか、怒り、あるいは嫉妬に駆られた行き場のない感情で室内の空気をぴりぴりとした緊張に震わせているのか・・・。
 たしかなのは、その絵が、周到に何かを引き算し、あえて描かないことでそこにはない何ものかの存在を表現し得ているということだ。
 何もない部屋に充満する何かを私たちはこの絵から感じ取る、そして私たちはこの絵から眼を離すことができなくなるのだ・・・。
 ハンマースホイは出発の初めから完成された画家であり、限られたモチーフに固執して、発展や進歩とは無縁の作家だったとも評されている。
 しかし、そんな評価は彼にとってどうでもよいことだったろう。ハンマースホイは何も描かないことではじめて表現しうる何かを、誰にも知られぬ方法でその絵のなかに深化させ、飛翔させた画家であったに違いないからである。