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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

アーティストの言葉

2009-07-02 | アートマネジメント
 美術をはじめ、文学、演劇、ダンス、映画、アニメ等々、いずれの分野でもよいのだけれど、それを創る作家=アーティストがいて、それを鑑賞する観客、読者など受け手となる人々がいる。
 また、その中間には、編集者や学芸員、制作者など、作品づくりをサポートする立場の人々がいる。さらには、スポンサーや出資者など、アーティストを物心両面で支援することに意義を見出す人たちもいるだろう。
 創造された、あるいは創造されるであろう「作品=表現」を核としながら、様々な立場の人がそれぞれの欲求や考え方のもとに生活し、それが成り立っているという事実は思えばとてつもなく面白いことである。

 アーティストの独自の表現=創造性=作家性はどこまで擁護されるべきなのかということについて考えたい。それは、守られるべきものではなく、作家自身が戦って得るべきものではないのか。
 以下、考察のための個人的なメモ書きである。論理的には飛躍があるかも・・・。

 時の為政者=権力者が文化を意のままにしようする欲望は洋の東西を問わない。彼らはみな、自らを称揚し、賞賛する曲を奏でさせ、詩を書かせようとする。
 誰もが権力者ではないにせよ、誰でも自分好みの絵を描かせたがるものだ。

 「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」(村上春樹編・訳)のなかにD・T・マックスが1998年8月のニューヨーク・タイムズ日曜版付録「サタデー・マガジン」に寄稿した「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」という文章が収められている。
 カーヴァーの初期作品のいくつかには、編集者ゴードン・リッシュがかなり大幅に手を入れていたという事実が、新しい資料から発覚したことに端を発するこの記事は、アメリカ文壇および読書界に大きな波紋を与えたようだ。
 「これは実のところ、編集というカテゴリーには留まりきらず、見方によってはむしろ「共同執筆」と呼んでもいいほどの大がかりなものであった。その事実は果たしてレイモンド・カーヴァーの価値を貶めることになるのだろうか?」・・・と村上春樹は解説に書いている。

 ゴードン・リッシュの作家的欲望が編集者としての領分から足を踏み出してしまったのだ。
 これはあまりに極端な例であり、到底受容し難い事実であるとしても、多かれ少なかれ、作家と編集者との間には、ある種の共同作業的な部分があるというのは事実だろう。
 しかし、その共同作業であることが直ちに作家の創造性に疑問符を投げかけるものでないことは当然のことであると私は思う。
 それは、作家の中にあって未だ見えないものをいかにより良い「表現」として読者=観客の前に引き出すかという、そのための「作業」にほかならないからである。

 俳優と演出家の関係もまた同様の意味を持つ。

 それがどの分野であれ、アーティストが作品を創り出す過程において関わるあらゆる人々によって触発され、批評されながら、より独自性の高い表現を創り、観客に作品を届けるためのより望ましい形へと昇華させるという作業は、必要不可欠なのだ。

 美術館の学芸員の仕事は、美術作品固有の価値や作品が制作された背景などを社会的文脈のなかにきちんと位置づけ、解説しながら、鑑賞者のもとにより望ましい形で届けることをミッションとするものだろう。そのために展覧会場の配置や構成に苦心し、図録やパンフレットのなかに書く言葉を選ぶのだ。いかなる広報媒体を選び、そこでどのように作品の魅力を提示し、観客の関心を喚起するかという戦略もまた重要な仕事である。

 同じ意味において、舞台芸術の制作者もまた、その作品が創られた意義や上演することの社会的な意味を観客の前に示すことで劇場に足を運んでもらわなければならない。
 もし創り手の言葉が未成熟で、そのままでは無用な誤解を与え、観客のもとにきちんと伝わらないと思われた場合、それを正していくのは制作者としての責務である。

 あらゆる表現=作品は、社会的関係性の中で生成され創造される。
 その制作過程に関わるあらゆる人は、どのような形であれその作品に影響を及ぼし得るし、そうである以上、その作品がもたらす社会的な波紋や批判に対しても真摯に向き合い、責任を持たなければならないのだ。
 アート作品が、時に社会的常識に異議を唱え、まったく新しい視点を提示すること、さらには権力者に徹底的な痛罵を浴びせさえすることは自明のことだ。アートとはそうしたものだからである。
 しかし、健全な市民の営みを揶揄したり、無用に傷つけ、否定したりすることには留保条件をつけなければならないのではないか。

 アーティストの言葉だからということでそれを無自覚なまま放置し、批判をシャットアウトしようとすること、対話の道を閉ざしてしまうことは制作者としての職務放棄であるとさえ感じる。

 政治的中立の確保や「アームズ・レングスの原則」遵守は当然のこととして、創造の過程であらゆる声に耳を傾け、回路を開いていくことこそがこれからのアーティストには求められるのではないか。
 独りよがりの表現者は、結局それなりのものしか得ることはできないだろうと思うのだ。

アートのちから

2009-01-21 | アートマネジメント
 源氏物語の円地文子訳をゆっくりゆっくりと読み進めていて、いまようやく「須磨」の帖にはいったところだ。物語では須磨の情景を「昔こそ人の住む家などもあったようであるが、今は大そう里離れて、もの凄いほど荒れてしまい、海人の苫屋さえ稀にしかない」「もの淋しい海辺の、波風よりほかにはたち交じる人もないような所」と書き表されている。
 今は神戸市須磨区となっているこの辺りの風景も当時とは想像もできないほどに変貌している。当たり前のことだけれど。光源氏が今の世に現れたならどんな感想を持つだろう。

 14年前の1月17日にこの地方を襲った阪神・淡路大震災は、須磨区でも400人を超える死者を出すなど、甚大な被害をもたらした。
 17日を中心に震災関連の報道が多かったが、復興住宅では住民の高齢化が深刻な問題となっている。コミュニティの衰退はより顕著となり、孤独死が他人事ではない状況だ。
 思えば14年は長い時間だ。50歳過ぎたばかりの壮年が高齢者になり、高齢者と呼ばれるようになったばかりの人が80歳の後期高齢者となる。
 その長い期間のあいだに私たちは何を学んできただろう、何を成し遂げてきたのだろう。あるいは、ただ手をこまねいてきただけなのか。
 
 大地震からの復興にあたって文化芸術が多大な力を発揮したことは巷間よく語られることだ。
 生命の危険を回避したのちも、長く続く仮設住宅や避難所での生活のなかで、人々の心をなぐさめ、元気づけるためにたくさんの芸術家や芸能人、アーティストがボランティアとして力を結集したのだ。
 その形態はさまざまであったが、当時その力は確実に人々の心に届いた。そのことに関する調査研究レポートは数多く書かれ、報告されている。

 14年を経た今、地域コミュニティ崩壊のなかで、アートに求められる働き、期待される機能は変容しているだろう。
 新聞などでは、歌手の川嶋あいをはじめ、何人かのボランティアによる被災地でのライブコンサートのことが報じられていたが、東京の片隅にいる私には現地の様子がよく見えていない。(もちろんそれは私の問題なのだが。)
 その地域ごとに抱える問題は異なり、要望や期待も千差万別である。そうしたところに入り込み、想像力=創造力を駆使して、人々との心の回路を切り開きながら課題解決の糸口をまったく違った視点から発見するという力をアートは持っているはずだと私は思う。
 文化芸術のための文化芸術ではなく、その働き、機能を導入することによって、コミュニティを回復するための施策や福祉、教育、防災など、他分野におけるそれぞれの機能を結びつけ、活性化させる力・・・。

 かの地でのアートの現状を知りたい、と同時に、もっと身近な自分の暮らす場所での有り様を追求したいとも思うのだ。
 ただ奉られたようなアートやコミュニケーションの回路を閉じたアーティストには興味がない。

世界にとって演劇は必要か

2008-12-21 | アートマネジメント
 「演劇はこの世界に必要なのだろうか」との問いかけを宮城聰氏が行っている。(16日付毎日新聞夕刊コラム)
 「演劇が他者と出会うことを本質とする芸術であるなら、いまの世界から疎外された人々と向き合わなければ、真に試されたことにはならないだろう」という宮城氏の問題意識は明確だ。
 宮城氏は、演劇の必要性には2種類あり、その両方を踏まえなければならないという。
 1つは、難病の治療に取り組む最先端の医療機関のような存在としての必要性。
 もう1つが、学校を補完する教育機関としての必要性である。

 「百年に一度」とも言われる大不況の嵐が世界中に吹き荒れようとしている。
 新聞もテレビも連日のように派遣切りや人員削減によって、職場や住居を追い出され、行き場を失った人々、格差社会のなかで疎外されようとする人々の問題を報道している。
 まずは、政府や行政が何をすべきなのかが問われなければならないが、それと同時に、こうした人々にとって演劇とは、芸術とは何なのかという問いが突きつけられる。
 飢えた子ども(人々)のまえで芸術は有効か、という何度も反芻してきたあの問題である。

 世界的な不況が国内スポーツ界に大きな影を落とし始めたとの報道が新聞紙面をにぎわしている。西武アイスホッケー部や社会人アメフトの名門オンワード等の相次ぐ廃部や解散。自動車産業が絡むモータースポーツからのホンダや冨士重工業、スズキ等各社の撤退や参戦休止。米保険最大手AIGのテニススポンサー撤退、等々。

 こうした心理的マイナスの連鎖がマイナーなスポーツや少数の観客に支えられた芸術文化に及ぼす影響は計り知れない。
 いまこそ、アーティストやアートマネジメントに携わる人々は、単なる娯楽ではない、芸術文化の持つ有効性を世界に向かって叫ぶべきなのだ。

 こんな時、いつも思い出しては勇気づけられるのが、サラエボ戦争のさなか、銃撃をも怖れず、「ゴドーを待ちながら」を観るために劇場に足を運んだ人々の話である。
 翻って、わが国ではどうなのか。
 杉村春子の生涯を描いた新藤兼人の著作「女の一生」に感動的な話が綴られている。
 東京大空襲のあった昭和20年3月前後の話であるが、強制疎開がはじまり、稽古に俳優も集まらないという最悪の状況のなか、杉村春子はなんとしてもと「女の一生」の上演にくらいついて行く。稽古をはじめようと思っても、稽古場に借りる家が次つぎと空襲で焼けていく。だが杉村春子は諦めない。すさまじい執念である。
 以下、小山祐士との対談をまとめた「女優の一生」からの引用。
 こんな話をしてくれる杉村春子を私は無性に抱きしめたくなる。

 みんな兵隊に行っちゃったの。(文学座の男たちは)来る日も来る日も出陣ですよ。そんなときだから、お客が来るなんて想像できないですよね。お客が来なくても、とにかくこっちは死ぬ前に一ぺんやりたいと思うだけですよ、私たちのために書かれた芝居を。そしたらね、「幕をあけろ」とかなんとかいうことになっちゃったということは、下をのぞいてみたら、ずうっと、防空頭巾をかぶった人が並んでいたの。地下に雑炊食堂があったから、みんな並びますね、雑炊食堂にね。だから雑炊食堂の客かと思ったら、そうじゃなくて、芝居を見るために並んでいたお客さんだったのですよ。大空襲があったんで「これじゃ人はこないだろう」と思っていたら、来たのです。舞台稽古もできていないのに、あけなくてはならなくなってきちゃったの、お客さんが来たんで。とにかくお客さんが来たんですよ、そんな大空襲があっても。つまり自分のところだけ焼けなければなにかを求めて来たのね、でも、そんななかでも俳優たちはみんな言ってましたよ、「やろう」って。

 この「女の一生」は日本の戦争が終わるまでの日本の新劇の最後の舞台であった。

アーティストは国家に雇用されるべきか

2008-10-26 | アートマネジメント
 10月19日付の日本経済新聞朝刊に、2010年秋から新国立劇場舞踊部門の芸術監督に就任するデヴィッド・ビントレー氏の話が載っている。以下、記事の引用。
 「・・・(ビントレー氏は)英国でも芸術監督を務めており、兼務となるが、日本の特質を尋ねると『公演数が少ないこと』を挙げた。自身が率いる英国のバレエ団では、新作なら24回の上演が通例だという。対して(日本の)『アラジン』は6回だ。
 そもそも、バレエ団の構造が違うという。海外では通常、ダンサーには年俸などの給与が支払われる。だからバレエ団は、公演数をできるだけ増やして入場料収入を上げようとする。しかし新国立劇場では、報酬が出演1回につきいくらの、いわば出演料だ。公演数の増加は出演料支出のアップにつながってしまう。・・・
・・・『チャレンジにはお金がかかる。それを分かってもらえないと何もできない』」
 以下、感想。
 これを単に彼我のシステムの違いと考えればそれまでだが、それ以上に根深い問題がひそんでいるようにも思われる。
 たとえ国家が芸術家を雇用してでも、国民が文化に触れる機会を増やそうとする思想と、単に経済上の問題に卑小化し、支出を抑えることのみを効率化と称して評価する考え方の違い・・・。
 いやいやそうではない。そもそも公演数を増やそうにも、わが国にはその席数を埋めるだけの観客がいないのかも知れないのだ。いくら立派な劇場を建設し、よい作品を上演しても観客が集まらなければ興行は成り立たない。公演数の増加が入場料収入の増に単純には結びつかないというわが国の構造上の問題がここにはある。
 同劇場の演劇部門の芸術監督が、任期半ばにして交替を宣告された背景には、閑古鳥が鳴いて不入りだった演目の責任問題があったとも聞く。しかし、これは果たして芸術監督の責任なのか?
 かたや視聴率が稼げなくなったと言われて久しいプロ野球だが、それでも球場には毎夜何万人もの人が詰めかけ、サッカーの試合では興奮した観客同士が暴動を起こすほどだ。
 これを羨ましいと指を咥えているだけでなく、観客の育成に戦略的に取り組むことこそが国や公共劇場の役割ではないのかと思うのだがどうだろう。
 一方、アーティストの生活の窮状も大きな問題だ。非正規雇用やワーキングプアの問題が叫ばれて久しいが、昔から役者や芸術家の世界はそうした格差問題の温床である。
 そんなことは当たり前で、彼らは好き勝手なことをやっているのだから甘えたことを言ってはいけない、という声のあるのも確かである。しかし、ここで発想を変え、これを文化政策上の課題としてしっかり議論することが、今こそ求められているのではないだろうか。

文化は必要とされているか

2008-10-26 | アートマネジメント
 10月22日の毎日新聞夕刊、「中島岳志的アジア対談」の中で早大教授の坪井善明氏(ベトナム政治・社会史)が次のように語っている。
 「・・・元々、日本は、思想や歴史、文化が生活実感と乖離している」
 「・・・さらに言えば、ベトナムでは、人びとが宗教や文化、歴史を生活の中で生かしている。日本は、あまりに経済中心で、文化や歴史が飾りもの化、記号化している。これと、日本社会の劣化は関係があるのでは」
 この言葉に半ば同感しながら、これを役者である自分に引き付けてどういうことかと考えてみる。これは文化の創り手側、発信する側の問題なのか、あるいは受容する側の問題なのか。おそらくそれは両方の問題なのに違いはない。
 「文化じゃメシは食えないよ!」と、芝居のチケットを売りに行った先で、商店街のオヤジさんたちにさかしら顔に言われることがある。
 言い返す言葉がなく、口惜しい思いをすることが多いのだが、本当にそうなのだろうか。そんなことはないと信じたい。ただ、生活者の視点に堪え得る、あるいは見返すだけの作品を創り得ていない自分に忸怩たる思いはあるのだが。
 以前、サラエボ戦争の時、スーザン・ソンタグがベケットの「ゴド-を待ちながら」を戦渦の現地で上演したという話を題材に広島正好氏が戯曲化した「サラエボのゴド-」という作品を上演したことがある。
 これはなにも戦争の悲惨を訴えたかったわけでも、平和の大切さを主張したかったわけでもない。そうした状況のもとでも、人びとは芝居を、芸術を求める、ということの素晴らしさに何ともいえない励ましを感じたからなのである。
 これに関しては、数年前偶然にも、NHKの衛星放送で、女優の木野花さんが現地を訪れ、その時「ゴド-」に出演した俳優にインタビューしたり、当時の舞台の記録映像を流したりするドキュメンタリー番組を見る機会があり、よりその思いを強くした。
 サラエボの人々は、銃撃のさなか、爆撃に見舞われることも厭わず、明日をも知れぬ状況下で、ベケットの不条理劇を観るために劇場に足を運んだのである。電気が途絶え、ロウソクの灯りを照明代わりにして演じられるゴド-の舞台に人びとは生きる糧を得たのだ。この文化の厚みの何たる凄さ!
 翻ってわが国の話。作家の島田雅彦氏が以前何かに書いていたと思うのだが、今や出版不況のなか、低迷する純文学文芸誌であるが、ベストセラーになった時期があるという。
 それは終戦直後のことであった。
 人びとは、食うや食わずの食糧難の時代、本屋の店頭に群がり、新たな時代の文学や思想を貪るように求めたのである。
 このことを、飽食の現代に生きる私たちはどう考えるべきなのだろう。文化や芸術のもつ力に勇気を与えられつつ、大きな宿題を目の前に突きつけられた思いにとらわれる。