すでに一週間前のことになるが、3月9日に観た北九州芸術劇場プロデュース公演「彼の地」が素晴らしい舞台だった。
作・演出は、自ら主宰する劇団KAKUTAにおける作品で岸田戯曲賞にノミネートされ、「ピーターパン」など商業演劇の演出や他劇団への出演などで注目を集める桑原裕子。会場:東池袋・あうるすぽっと。
北九州芸術劇場がプロデュースするこのシリーズのコンセプトは、第一線で活躍する演劇人が、北九州に約1か月半滞在し、地元の俳優やスタッフと作品を創るということだ。どこか北九州をイメージさせる内容の作品という条件が付与されていて、本作もソーントン・ワイルダー作で知られる「わが町」の北九州版といってよい作品になっている。
大小さまざまなエピソードやドラマが絡まりあい、入り組みながら全体を通して観た時に、この土地や町そのものが、登場人物たちの記憶や願望、愛着や憎しみといった感情を通して浮かび上がってくる……。
母の死が心の傷となり、居場所を失くして、町のあちらこちらを寝泊まりしながら彷徨い続ける少年。
彼に思いを寄せながらも素直に打ち明けられない少女。
東京から結婚のためにこの町にやって来ながら思い惑う花嫁と、わざと気づかぬふりを続けながら傷つく婚約者。
花嫁の友人でその婚約者に密かな恋心を抱えた女性。
アルコール中毒で精神に異常をきたしつつある兄と、その面倒を見るチンピラの弟と母。
弟の兄貴分で、行方知れずになった野良猫に執着して探し続けるヤクザ。その同じ猫を可愛がっていた赴任間もないサラリーマン。
結婚生活に堪え切れず東京からこの町に逃げ帰ってきたストリッパー。その妻にストーカーのように付きまとう男。
東京の大学を出て、この町の工場に就職し40年を過ごして定年を迎えた男とその娘。
ベトナムから出稼ぎに来て何故か居続けている男……、などなど。
こうした19人に及ぶ登場人物たちの物語が巧みに組み合わされ、積み重なって、全体を通して観た時に、舞台となった北九州小倉という町が、彼らの人生を丸ごと包み込む掛け替えのない場所として描き出されるのだ。
それも単にいま現在そこにある場所というだけではない、様々な視点によって切り取られた場面、感情、距離感の複雑なコラージュと、40年という時間が舞台に奥行きを与えて、実に陰影に富んだ世界が浮かび上がる。
それを可能にしたのが桑原裕子の素晴らしい演出力なのだが、その具体化にあたって大きく寄与したに違いない田中敏恵の舞台美術は特筆に値する。
舞台を活気づけていたのが、行方知れずとなった猫を探し回るヤクザとサラリーマンの奇妙な友情なのだが、その笑いを誘うほどに必死な姿は、母を失い、父親とも折り合いのつかないまま町を彷徨うナカヤマという少年の姿や、居場所を見つけようとあがく登場人物たちの姿と次第にオーバーラップしてくる。やがて観客は粛然とした思いに捉われつつも彼らを愛おしく思うだろう。
「彼の地」とは、遠く離れながら心に迫りくる故郷であり、何とか自分のものにしたいと願うあこがれの場所であり、忘れたいと思う憎悪の対象であり、かつて愛した死者たちの住む「彼岸」でもあるのだ。
この舞台が東京で上演されたのはわずか3日間だけで、若い才能たちの表現に立ち会えた幸福を喜ぶしかないのだけれど、終わってしまえば人々の記憶の中にとどめるしかない演劇という芸術の儚さを改めて感じてしまう。
得がたい思いの残る素晴らしい舞台だった。
作・演出は、自ら主宰する劇団KAKUTAにおける作品で岸田戯曲賞にノミネートされ、「ピーターパン」など商業演劇の演出や他劇団への出演などで注目を集める桑原裕子。会場:東池袋・あうるすぽっと。
北九州芸術劇場がプロデュースするこのシリーズのコンセプトは、第一線で活躍する演劇人が、北九州に約1か月半滞在し、地元の俳優やスタッフと作品を創るということだ。どこか北九州をイメージさせる内容の作品という条件が付与されていて、本作もソーントン・ワイルダー作で知られる「わが町」の北九州版といってよい作品になっている。
大小さまざまなエピソードやドラマが絡まりあい、入り組みながら全体を通して観た時に、この土地や町そのものが、登場人物たちの記憶や願望、愛着や憎しみといった感情を通して浮かび上がってくる……。
母の死が心の傷となり、居場所を失くして、町のあちらこちらを寝泊まりしながら彷徨い続ける少年。
彼に思いを寄せながらも素直に打ち明けられない少女。
東京から結婚のためにこの町にやって来ながら思い惑う花嫁と、わざと気づかぬふりを続けながら傷つく婚約者。
花嫁の友人でその婚約者に密かな恋心を抱えた女性。
アルコール中毒で精神に異常をきたしつつある兄と、その面倒を見るチンピラの弟と母。
弟の兄貴分で、行方知れずになった野良猫に執着して探し続けるヤクザ。その同じ猫を可愛がっていた赴任間もないサラリーマン。
結婚生活に堪え切れず東京からこの町に逃げ帰ってきたストリッパー。その妻にストーカーのように付きまとう男。
東京の大学を出て、この町の工場に就職し40年を過ごして定年を迎えた男とその娘。
ベトナムから出稼ぎに来て何故か居続けている男……、などなど。
こうした19人に及ぶ登場人物たちの物語が巧みに組み合わされ、積み重なって、全体を通して観た時に、舞台となった北九州小倉という町が、彼らの人生を丸ごと包み込む掛け替えのない場所として描き出されるのだ。
それも単にいま現在そこにある場所というだけではない、様々な視点によって切り取られた場面、感情、距離感の複雑なコラージュと、40年という時間が舞台に奥行きを与えて、実に陰影に富んだ世界が浮かび上がる。
それを可能にしたのが桑原裕子の素晴らしい演出力なのだが、その具体化にあたって大きく寄与したに違いない田中敏恵の舞台美術は特筆に値する。
舞台を活気づけていたのが、行方知れずとなった猫を探し回るヤクザとサラリーマンの奇妙な友情なのだが、その笑いを誘うほどに必死な姿は、母を失い、父親とも折り合いのつかないまま町を彷徨うナカヤマという少年の姿や、居場所を見つけようとあがく登場人物たちの姿と次第にオーバーラップしてくる。やがて観客は粛然とした思いに捉われつつも彼らを愛おしく思うだろう。
「彼の地」とは、遠く離れながら心に迫りくる故郷であり、何とか自分のものにしたいと願うあこがれの場所であり、忘れたいと思う憎悪の対象であり、かつて愛した死者たちの住む「彼岸」でもあるのだ。
この舞台が東京で上演されたのはわずか3日間だけで、若い才能たちの表現に立ち会えた幸福を喜ぶしかないのだけれど、終わってしまえば人々の記憶の中にとどめるしかない演劇という芸術の儚さを改めて感じてしまう。
得がたい思いの残る素晴らしい舞台だった。