人間らしい動作や対話ができるヒト型ロボットを、産業技術総合研究所が16日公表、20歳代女性の体格と顔立ちを備え、喜怒哀楽の表情も作ることができ、方向転換などの二足歩行も可能で、今月23日開幕した第8回「東京発 日本ファッション・ウィーク」でデビューしたと報道されている。
開発費は約2億円、実用化に向け1体2000万円程度に価格を下げることを目指しているとのことである。
新聞記事を読みながら、10年後、20年後、開発技術の進展に伴い、ロボットは私たちの生活にとって、ますますなくてはならない存在になっていくのだろうと思った。
ロボット技術はすでに産業部門においてすでに活用され、その分野も拡大しつつあるのだが、今後は、家事援助をはじめ、介護や子育てなど人間でなければできないと考えられてきた分野、さらには心の領域にもその範囲は広がっていくだろう。
エンタメ・ロボットも当たり前のようになって、そのうちロボットだけの音楽バンドや劇団なんてのもできるのではないだろうか。
そんなことを考えていて、雑誌「シアターガイド」に掲載されていた平田オリザと飴屋法水の対談の一節を思い出した。
飴屋 そういえば平田さん、先日、あるシンポジウムで“役者なんていらない”って暴言を吐いたとか!(笑)
平田 ああ。「早くて10年、遅くて20年後には役者の半分はロボットになる」と言ったんです。というのは、この間ロボットが出る芝居を作ったんですけど、役者なしでロボットだけのシーンでお客さんが泣いてて、僕、ちょっと感動してしまって。スタニスラフスキーは間違ってたってことが証明できたわけですから(笑)。劇作家と演出家がいれば、役者の内面に関係なくお客さんは感動させることはできるんだ、と。
平田氏の発言はかなり逆説的な意味合いを含んでいるようにも思うけれど、確かに内面の演技とか、感情の表出、個人史を背景とした表現などという言葉は今や過去にものになりつつあるのかも知れない。
表現という行為において、役者個人の内面など何ほどの意味も持ち得ないのだ・・・。
演劇と美術の領域は次第に重なり合いつつあると感じているのだが、そのうち役者が一人も登場しないのに観客に深い感動を与える、といった舞台作品が生まれるのではないだろうか。このことについてはもう一度深く考えてみたい。
舞踏家の笠井叡が日本経済新聞のインタビュー記事で語っている。
「今は音楽も映画もコンピューターで作ることができる。そうなると、もう踊るしかないよね。自分の身体でしかできないことって、ダンスくらいじゃない?」
人間にしかできないこと、それは何だろう。それを探すために私たちは今日も劇場に足を運ぶのである。
開発費は約2億円、実用化に向け1体2000万円程度に価格を下げることを目指しているとのことである。
新聞記事を読みながら、10年後、20年後、開発技術の進展に伴い、ロボットは私たちの生活にとって、ますますなくてはならない存在になっていくのだろうと思った。
ロボット技術はすでに産業部門においてすでに活用され、その分野も拡大しつつあるのだが、今後は、家事援助をはじめ、介護や子育てなど人間でなければできないと考えられてきた分野、さらには心の領域にもその範囲は広がっていくだろう。
エンタメ・ロボットも当たり前のようになって、そのうちロボットだけの音楽バンドや劇団なんてのもできるのではないだろうか。
そんなことを考えていて、雑誌「シアターガイド」に掲載されていた平田オリザと飴屋法水の対談の一節を思い出した。
飴屋 そういえば平田さん、先日、あるシンポジウムで“役者なんていらない”って暴言を吐いたとか!(笑)
平田 ああ。「早くて10年、遅くて20年後には役者の半分はロボットになる」と言ったんです。というのは、この間ロボットが出る芝居を作ったんですけど、役者なしでロボットだけのシーンでお客さんが泣いてて、僕、ちょっと感動してしまって。スタニスラフスキーは間違ってたってことが証明できたわけですから(笑)。劇作家と演出家がいれば、役者の内面に関係なくお客さんは感動させることはできるんだ、と。
平田氏の発言はかなり逆説的な意味合いを含んでいるようにも思うけれど、確かに内面の演技とか、感情の表出、個人史を背景とした表現などという言葉は今や過去にものになりつつあるのかも知れない。
表現という行為において、役者個人の内面など何ほどの意味も持ち得ないのだ・・・。
演劇と美術の領域は次第に重なり合いつつあると感じているのだが、そのうち役者が一人も登場しないのに観客に深い感動を与える、といった舞台作品が生まれるのではないだろうか。このことについてはもう一度深く考えてみたい。
舞踏家の笠井叡が日本経済新聞のインタビュー記事で語っている。
「今は音楽も映画もコンピューターで作ることができる。そうなると、もう踊るしかないよね。自分の身体でしかできないことって、ダンスくらいじゃない?」
人間にしかできないこと、それは何だろう。それを探すために私たちは今日も劇場に足を運ぶのである。