seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ダンスするロボット

2009-03-28 | 雑感
 人間らしい動作や対話ができるヒト型ロボットを、産業技術総合研究所が16日公表、20歳代女性の体格と顔立ちを備え、喜怒哀楽の表情も作ることができ、方向転換などの二足歩行も可能で、今月23日開幕した第8回「東京発 日本ファッション・ウィーク」でデビューしたと報道されている。
 開発費は約2億円、実用化に向け1体2000万円程度に価格を下げることを目指しているとのことである。
 新聞記事を読みながら、10年後、20年後、開発技術の進展に伴い、ロボットは私たちの生活にとって、ますますなくてはならない存在になっていくのだろうと思った。
 ロボット技術はすでに産業部門においてすでに活用され、その分野も拡大しつつあるのだが、今後は、家事援助をはじめ、介護や子育てなど人間でなければできないと考えられてきた分野、さらには心の領域にもその範囲は広がっていくだろう。
 エンタメ・ロボットも当たり前のようになって、そのうちロボットだけの音楽バンドや劇団なんてのもできるのではないだろうか。
 
 そんなことを考えていて、雑誌「シアターガイド」に掲載されていた平田オリザと飴屋法水の対談の一節を思い出した。

飴屋  そういえば平田さん、先日、あるシンポジウムで“役者なんていらない”って暴言を吐いたとか!(笑)
平田  ああ。「早くて10年、遅くて20年後には役者の半分はロボットになる」と言ったんです。というのは、この間ロボットが出る芝居を作ったんですけど、役者なしでロボットだけのシーンでお客さんが泣いてて、僕、ちょっと感動してしまって。スタニスラフスキーは間違ってたってことが証明できたわけですから(笑)。劇作家と演出家がいれば、役者の内面に関係なくお客さんは感動させることはできるんだ、と。

 平田氏の発言はかなり逆説的な意味合いを含んでいるようにも思うけれど、確かに内面の演技とか、感情の表出、個人史を背景とした表現などという言葉は今や過去にものになりつつあるのかも知れない。
 表現という行為において、役者個人の内面など何ほどの意味も持ち得ないのだ・・・。

 演劇と美術の領域は次第に重なり合いつつあると感じているのだが、そのうち役者が一人も登場しないのに観客に深い感動を与える、といった舞台作品が生まれるのではないだろうか。このことについてはもう一度深く考えてみたい。

 舞踏家の笠井叡が日本経済新聞のインタビュー記事で語っている。
 「今は音楽も映画もコンピューターで作ることができる。そうなると、もう踊るしかないよね。自分の身体でしかできないことって、ダンスくらいじゃない?」

 人間にしかできないこと、それは何だろう。それを探すために私たちは今日も劇場に足を運ぶのである。

ユートピア?

2009-03-27 | 演劇
 3月23日、ブザンソン国立演劇センターとフェスティバル/トーキョーの共同製作作品「ユートピア?」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 いわゆるオムニバス形式の作品で、3か国の俳優が4つの言語(日本語・ペルシャ語・英語・フランス語)で演じ、作・演出は、プロローグとエピローグをシルヴァン・モーリス、2部構成の前半にあたる「クリスマス・イン・テヘラン」を平田オリザ、後半の「サン・ミゲルの魚」をアミール・レザ・コヘスタニが担当している。
 
 前半は、テヘラン郊外のアメリカ資本が残したスキー場のホテルで、3か国の人々がクリスマス・イブを過ごす、というもの。短編小説のような味わいがある。
 現に私はこの場面を観ながら、堀江敏幸の小説集「おぱらばん」に出てくる、パリ郊外の宿舎でネイティブのフランス人たちに片言の言い回しを冷笑されるマイノリティの登場人物たちのことを思い出していた。
 後半では、その「クリスマス・イン・テヘラン」のまさに上演中の楽屋裏という設定で俳優たち自身の別の物語が進行する。紗幕をはさんで手前に楽屋、奥に上演中の舞台が見える。俳優たちは奥の舞台でもう1回同じ芝居を演じながら手前の楽屋に出入りするのだ。

 通常のバックステージ物の場合、舞台上では夢の世界を演じながら、楽屋では現実的な人間模様が展開するというのがパターンであるが、本作ではそうした構図を逆転させ、舞台裏のほうが幻想的で超現実的な作りとなっている。
 出番待ちの俳優のいる楽屋に突然電話がかかり、イランの俳優が「お前はイラン・イラク戦争に行って、何人殺したか」と聞かれたり、日本人俳優のもとに日本にいるはずの妻の声が聞こえたり・・・。
 楽屋での情景のほうがより演劇じみた不条理性や幻想をまとうことで、相対的に前半の舞台をよりリアルなものと感じさせる。

 しかし、そこで描かれるのはユートピアではない。
 不条理な現実世界に生きる俳優たちが、ディスコミュニケーションを主題とした芝居を演じている俳優を演じるという二重の構図によって、より《リアル》で冷徹な世界を描き出すことにこの作品は成功していると言えるだろう。

声紋都市

2009-03-22 | 演劇
 3月19日、東京芸術劇場小ホール1で松田正隆作・演出作品「声紋都市―父への手紙」を観た。製作:マレビトの会、共同製作・主催:フェスティバル/トーキョー。

 「95kgと97kgのあいだ」が戦中から戦後にかけて生まれ、70年安保闘争の渦中にあった世代と現代の若者世代との幻想と戦いの演劇であるとすれば、「声紋都市」は、おそらく大正末期に生まれ従軍した経験のある世代と、東京オリンピック前後に生まれ、あの戦争を逡巡なく侵略戦争であったと断じる世代との距離感そのものが主題の作品である、とは言えないだろうか。

 「父」なる存在は大きな謎として作者の前にあり、大いなる沈黙を保ったまま自らを語ろうとはしない。
 父は殺され、乗り越えられるべき存在なのだが、その本当の姿は見えないままであり、息子はその前でただ手紙を書くしかないのだろう。

 あからさまに語れば、すべてが瓦解しそうな関係性を危うく保ちながら父と息子は向かい合うしかないのだ。

 作者は舞台に映し出される映像と、多声を導入し、都市そのものが孕んだ歴史や土地の記憶が語りかける重層的な声によって構成されたともいえる舞台上の俳優の演技によって、痛々しくも韜晦に満ちた舞台を作り上げた。
 歴史のなかに埋もれていった様々な時間や多くの人々が個人史を語る声によって織り成される都市の姿がそこに浮かび上がる。

 観客はそれを凝視するしかない。

「95kgと97kgのあいだ」の重さ

2009-03-22 | 演劇
  3月18日、にしすがも創造舎にて「95kgと97kgのあいだ」を観た。作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄、出演:さいたまゴールド・シアターほか。
 本作は、昨年6月、彩の国さいたま芸術劇場において、さいたまゴールド・シアターの第2回公演演目として上演された作品であり、劇団初の再演・県外公演となるもの。
 さいたまゴールド・シアターは周知のとおり、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督蜷川幸雄が提唱した「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースにした身体表現によって新しい自分に出会う場を提供する」との理念のもと、オーディションを経て2006年4月に発足した55歳以上の団員による演劇集団である。現在、団員数は42名、平均年齢70歳とのこと。

 蜷川幸雄は1969年9月に新宿文化で上演された現代人劇場の公演「真情あふるる軽薄さ」(作:清水邦夫)によって鮮烈な演出家デビューを果たしたが、「95kgと97kgのあいだ」は、まさにその「行列」の芝居の稽古をしている若者たちの前にかつて「行列」の芝居に出演していたという「一群」が現れ、彼らを率いる「青年」の号令のもと、目には見えない架空の砂袋を背に担ぎ、歩き始めるというものだ。

 「真情あふるる軽薄さ」は、私の世代にとっては伝説の舞台である。
 当時、田舎の少年だった私には新宿の騒乱ぶりはまさに遠い世界の出来事でしかなかったが、数年後、同じ新宿文化で唐十郎作の「盲導犬」や清水邦夫作の「泣かないのか泣かないのか1973年のために」といった蜷川演出作品を観て衝撃を受けた私は、ほんの少しばかり時代に「遅れてしまった」ことに切歯扼腕したものだ。

 さて、本作は、そうした蜷川幸雄の原点ともいうべき群集の演出そのものが見どころと言えるけれど、かつてその芝居に出ていたであろう、あるいはそれを観ていたであろう世代の人々が実際に舞台に現れること(それはまさに地の底からたち現れた幻影のようでもあったが)によって、時代と演劇との出会いというものを深く問い直すものになっていたように思う。

 さて、もう一つの見どころが、「さいたまゴールド・シアター」といういわば素人の集団をいかにプロの演劇集団に生まれ変わらせるかという戦いの記録でもあるということだ。
 「95kgと97kgのあいだ」というタイトルはよく考えられたものと思うけれど、号令をかける青年によって「30キロ!」「50キロ!」「95キロ!」「97キロ!」と次々に課題を与えられながらひたすら歩き続ける彼らは、そうした架空の「重さ」を想像力によって埋めながら身体に刻み付けることによって真の俳優集団に近づいていく。
 「95kgと97kgのあいだ」にある重さの違いを想像し、身体的に表現することがまさに俳優の仕事だからである。

 凡百の市民参加演劇との明確な差はそこにある。

世界言語

2009-03-18 | 言葉
 3月15日付の日本経済新聞の特集記事で、経済や文化のグローバル化、インターネットの普及を背景に世界の言語は英語の一人勝ちの様相であることを伝えている。
 だが、英語の圧倒的な広がりは、独自の民族言語と結びついた文化や歴史を揺るがす危うさもはらんでいると記事は伝えている。
 英語が世界共通語として隆盛を誇る一方、消滅の危機にある言語も数多いのである。

 2008年には米アラスカで「エヤク語」を話す最後の一人、マリー・スミス・ジョーンズ氏が死去。
 ユネスコによると1950年以降219言語が絶滅した。
 現在、世界中で使われている約6000の言語のうち、2498は消滅の危機にさらされているという。
 日本では、アイヌ語が消滅の危険度の分類で「極めて深刻」とされ、八丈島や南西諸島の言葉などが独立後として「危険」「極めて深刻」とされているそうである。

 私は迂闊にもこうした世界の言語状況にあまり関心がなかったのだが、こんなにも多くの言語が存在し、しかもその半数近くが消滅の危機にあるという事実は衝撃的である。

 こうした問題を扱った本として、最近では水村美苗氏の「日本語が滅びるとき―英語の世紀の中で」(筑摩書房)が大きな話題となったが、これに先立つ論考として、柄谷行人氏の「日本精神分析」(講談社学術文庫)所収の「言語と国家」が興味深い。
 これは2000年6月に柄谷氏が行った講演草稿に加筆したものであるが、まさに今日的な言語状況を読み解くのに明確な視点を与えてくれる。

 以下、部分を恣意的につなぎ合わせて引用。深謝。
 「・・・英語は、19世紀の大英帝国から20世紀のアメリカの世界支配を通して、かつてないようなリンガ・フランカ(世界語)になっている。
 1990年以後の新自由主義とか、資本主義のグローバリゼーションという事態も、言語面では英語がリンガ・フランカとなりつつあるということなのである。
 フランス国家は、フランス語が国際的にますます通用しなくなるという事実に対して必死に抵抗し、アメリカに対抗するものとしてヨーロッパ共同体を進めてきたけれども、そこには矛盾があって、共同体の共通語は逆に英語にならざるを得ないという事態を招いている。
 コンピュータ用語をはじめ、英語は各国語に浸透しており、それはますます強まるだろう。
 言語は、国家やネーションに関係なくあるものだが、文字言語となると、必ず、政治的な「価値」、つまり国家やネーションに関係するだけでなく、経済的な「価値」に関係してくる・・・」

 ここで考えたいのは、この英語の言語としての覇権と今般の経済危機との関係である。
 新自由主義や資本原理主義のシステム破綻という状況は、翻って言語の多様性が持つ有効性に新たな光を投げかけるのではないか、とも思えるのだがどうだろう。

 それにしても、その言語を話す最後の一人となったとき、私たちはどんな思いに捉われるだろうかと想像する。自分にしか理解できない言語での独り言、それは一体どんな夢を描き出すのか。

 と、こんなことを書いていたら、17日のTBSテレビ「NEWS23」で「どう守る 失われゆく故郷の言葉」を特集、沖縄の「うちなぁぐち」とフランスの「ブルトン語」を保存・伝承しようとする人々を取材していた。
 その当事者へのインタビュー、「どんな少数言語であれ、その言葉で夢を見、ものを創造する人がいる限り、守らなければならない」という言葉を私たちは十分に咀嚼しなければならないだろう。

虚と実

2009-03-17 | 文化政策
 米国の美術館、博物館などのミュージアム数は現在およそ1万7千500といわれる。ほとんどの施設を非営利の民間法人が設立・運営している。
 収入の基盤となるのが個人、企業、団体からの寄付であり、運営費のおよそ35%を賄っている。寄付集め専門の職員をかかえる施設も多いとのこと。

 そうしたなか、金融危機後の急速な景気悪化を受けて寄付金が大幅な減少となり、多くの美術館が深刻な運営難に陥っていると報道されている。
 施設によっては、スタッフの大幅な解雇やコレクションの売却までも浮上しているそうで、米国博物館協会では、「公共性の高い美術品の売却は美術館の倫理に反する」との反対声明を出すなど、関係者は必死の戦いを強いられている。

 2月4日、東京芸術劇場で開催された国際シンポジウム「今日の文化を再考する」では、著書「超大国アメリカの文化力」の邦訳が刊行されたばかりの仏の社会学者フレデリック・マルテル氏を招き、巨大な資金力を武器にして文化帝国主義とも揶揄されがちな米国文化のシステムについて話を聞いたばかりだが、「100年に一度」ともいわれる経済不況の津波の中で、そのシステムはどのように変化しようとしているのか。

 ある宴席でのこと、お世話になっているS大学のG教授に今般の経済危機が文化政策に及ぼす影響について訊ねたところ「今度の危機は古い経済システムが壊れようとしているのであって、未来のシステムである文化政策に影響はない」との力強いお言葉。でもそれはいささかお酒も入ってテンションが相当にハイになってからのご託宣であり、心配性の私は気が休まらない。

 さて、また別の宴席でのこと。時には敵対する関係にありながら、その眼力には尊敬の念を抱いているある方と話をした。その方いわく、自分は文化には門外漢であるというのだが・・・
 「虚実というくくり方をするならば、文化は虚業に過ぎないのではないか。大半の一般大衆は実業しか信用しないだろう。小さな政府にしろ、大きな政府にしろ、虚でしかないものに税金を投じるべきではない。そうした声のあるなか、虚に過ぎないものを実のあるものと信じさせるために文化政策の担い手たちは、文化がこんなにも生活に役立つものであるとか、経済力を喚起するとか、街に輝きをもたらすとか、言葉を尽くして実と結びつけるよう懸命に取り繕っているのではないか」

 これに対してどう反論しよう。

 経営コンサルタントの堀紘一氏がある雑誌でこんなことを言っている。
 「世界中の人が汗水たらして働いて稼ぐGDPは約5千兆円に過ぎない。世界第2位の経済大国といわれる日本のGDPでも約5百兆円しかない。しかし実需に結びつかないヘッジファンドなどが動かしている資金は、日本のGDPの10倍以上の6千兆円もある。だけど実際には6千兆円なんて金は、どこにも存在していない・・・」
 
 経済こそ「虚」あるいは「幻想」に過ぎないのではないだろうか、と悔し紛れに私は口走る。

 何を虚とし、何を実と信じるのか、それは人が皆それぞれに抱く信仰のようなものなのではないか。
私たちが本当に見出すべき「価値」はそうしたところにはないはずなのだ。

 米国のある美術館では、多くの観覧者や観光客を引き付けるために展示室を削ってショップや高級レストランを誘致したり、寄贈者となる金持ちの未亡人の歓心を買うための企画や寄付金を原資とした投資に憂き身をやつし、奔走することもあるという。
 それがほんの一部の極端な例にすぎないにしても、報道にあったような現下の米国における美術館・博物館の運営の危機が、そうした虚飾をそぎ落とし、旧来の文化システムを破壊して、芸術作品が本来的に有する価値や存在意義を顕わにする役割を果たすことになるのであれば、それは逆説的な意味で歓迎すべきことと言えなくはないように思える。

コウカシタ

2009-03-15 | 舞台芸術
 3月14日、イデビアン・クルー主宰の井手茂太が振付・出演する「コウカシタ」を観た。会場は池袋駅東口からグリーン大通りを護国寺方向に歩き、首都高速道路の高架下をくぐった先にある劇場「あうるすぽっと」。
  本作は、フェスティバル/トーキョーの委嘱により、井手氏が昨年10月にタイに赴いてオーディションを行い選抜した6人のダンサーと、日本人ダンサーによるコラボレーション作品である。

 タイトルの「コウカシタ」は東京にもタイのバンコクにも同様に伸び広がる高架鉄道、高架橋、高架道路を意味する。その一見同じように見える風景のなかに明らかに異なる何かがある。
 それはそこに生活する人々であり、彼らが紡ぎ出す文化にほかならない。

 井手茂太は日常的な動作や身振り、人それぞれが持つ癖=個性を拡大し、ユーモラスな視点でそれらを拡大しながらセンスあるダンスを構築する。
 私が初めて井手茂太の名前を知ったのは、もう何年前になるのか、カフカの小説「失踪者」を舞台化した「アメリカ」(演出:松本修)の劇中のダンスの振付家としてであった。芝居に見事に融合し、ストーリー展開をもリードするその素晴らしい振付にひと目で惹きつけられ、以来注目し続けている。

 今回の舞台では、タイと日本、それぞれのダンサーがお互いの身振りや言語、文化の差異を感じながら、コミュニケートしていく、その過程が拡大され、分解され、攪拌、再構成されながら独特のユーモアセンスによる味付けで作品化されていた。
 おそらくさまざまなワークショップを積み重ねながら、議論や試行錯誤を繰り返すなかで作品は生成されたのであろうが、そんなプロセスを想像するのも芝居好きの人間にとってはこのうえなく興味深いことである。
 心の底から楽しさを感じつつ、ダンサー一人ひとりの動きとそれにマッチした音楽に身を浸した1時間半だった。

Hey Girl!

2009-03-12 | 舞台芸術
 3月10日、ロメオ・カステルッチ演出の「Hey Girl!」をにしすがも創造舎で観た。
 本作は、2006年11月にパリのフェスティバル・ドートンヌの招待作品として、国立オデオン劇場で初演された作品とのこと。
 少女性、女性性を大きな主題として、さまざまなイメージが音楽・美術・映像などを駆使しながら繰り広げられる。

 おそらく本作への評価も好き嫌いも大きく分かれるのではないだろうか。
 
 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(ウィトゲンシュタイン)との言葉に従い、今日は記録のみにとどめることにする。

 さて、女性を描くといえば映画監督・溝口健二である。
 先月、日本経済新聞の日曜の名物特集「美の美」では、4週間にわたって溝口健二を特集していた。以下、部分的に引用。

 「溝口の映画には、各瞬間、各ショットに詩があらわれる」とゴダールが賞賛したように、彼はフランスのヌーベルバーグに多大な影響を与えた。
 「修道女」(1966年)の監督ジャック・リベットは書いている。
 「溝口を理解するために学ぶべきなのは、日本語ではなく、この言語、すなわち演出という言語だ。それは共通言語だが、溝口においては、その純粋さはいままで西洋の映画が例外的にしか到達できなかったレベルにまで高められている」(「カイエ・デュ・シネマ」81号)
 ゴダールは答える。「(溝口のワンシーン・ワンショットの手法は)人生を一瞬のまばたきの間にとらえ、生きようとするどん欲な、狂おしい情熱のようなものを思わせる」(山田宏一「友よ映画よ」)
 「ママと娼婦」(1973年)の監督ジャン・ユスターシュは「溝口を見て、俺の運命は決まった」と山田に告白した。「日本的な美が称えられたのではない。これこそは映画だ、俺もこんな映画を撮りたいと思わせた」と山田は語る。

 溝口は西洋の真似をしたのではない。日本独自のものを描き続けるなかで、世界の映画作家に通じる普遍性を獲得したのだ。それを可能にしたのが「演出」という共通言語である。

 映画と舞台芸術における演出の違いは何だろう。
 フレームの切り取り方、空間と時間の処理の違いはあるにしても、本質的に同じではないかと私は考えている。

 いま東京・池袋を中心に繰り広げられているフェスティバル/トーキョーの見どころはまさに舞台芸術における「演出」という共通言語=表現の多様性であろう。
 さまざまな作家がさまざまな手法で「世界=現実」と対峙し、切り取り、把握し、破壊し、再構築しながら、「リアル」を追及しようとしている。

 そこに私たちは何を見ることができるのだろう。

火の顔

2009-03-10 | 演劇
 3月8日、マリウス・フォン・マイエンブルグ作「火の顔」を東京芸術劇場小ホール1で観た。演出:松井周、翻訳:新野守広、主催・製作:フェスティバル/トーキョー。

 この作品をどのように紹介するか、あらすじを紹介することに果たして意味があるのか迷うところだが、簡単にいってしまえば次のようなものだろう。
 「火の顔」は父母姉弟の4人で構成される家族が崩壊する様を描いたもので、反抗期にある弟が、姉との近親相姦的な愛に依存・惑溺しながら両親や学校など、自分たちの外部にある世界を切り捨て、あるいはそこから脱落し、ついには両親を殺害して自分も自殺するという作品・・・。

 子どもたちに理解を示すかに見える優しい両親は、姉弟からすれば、幸せな家族という類型化された風俗画における背景に過ぎず、親という役割=システムを放棄した存在だ。
 彼らは親という役割を演じているかに見せながら、そこから一歩も踏み出そうとしない。子どもたちに影響を及ぼさないばかりか、実は子どもの存在にすら気づいていないかのようだ。彼らはそのことに十分自足しきっているのである。

 作者や演出家の年代から考えて、この作品は子どもたちの視点で観ることが順当なのだろうが、見方を替えて両親の側からこの世界を観るとまったく違った顔が現れてくるように思える。
 新野守広氏は特別寄稿の文章の中で「癒しも希望もなく、ただお互いに依存しあって生きている人々を描く彼(マイエンブルグ)の世界は、大きな物語が失われた90年代以降の不安定なドイツ社会を浮かび上がらせる。」と書いているが、世界全体のタガがゆるみ、旧来の制度が壊れ、社会的責任を担おうにも立脚すべき価値観のひっくり返った世界で、ただ親であるというポーズに寄りすがるしかなかった彼らの困惑が痛いように伝わってくると言えなくもないのではないか。
 政治家がただ政治家であることにしがみ付いて、何ら影響を及ぼそうとしない今の日本の政治状況と似ていなくもないのだ。
 新野氏は、この作品をジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」の現代版となぞらえているが、私には、それとは別に家族全員がグレーゴル・ザムザのような怪物に変身してしまった21世紀のカフカ的世界に思えた。

 さて、「恐るべき子供たち」であるが、コクトーが阿片中毒の治療中にわずか17日間で書き上げたことはよく知られている。
 この作品について、「阿片」のなかで彼は次のように言っている。以下、堀口大學訳を引用。

 「『怖るべき子供たち』を愛していると信じている人々が、よく僕に告げる、「おわりの数頁以外は」と。ところが、終わりの数頁こそ、或る夜、最初に、僕の頭の中に記されたものだ。その時僕は呼吸さえ出来なかった。僕は身じろぎも出来なかった。僕はノートさえもとれなかった。僕は、それ等の頁を失うことと、それ等の頁にふさわしい本を書き上げることの二つの恐怖にとらわれていた。」

 「火の顔」はコクトーのいう「終わりの数頁」のみで描かれた世界なのである。

 コクトーが阿片に親しむきっかけとなったのは、愛弟子レーモン・ラディゲの死がもたらした孤独地獄であり、あらゆるものへの興味の喪失であった。
 コクトーは次のように回想している。「僕は二つの自殺のうち、手軽な方を選んだ」と。
 彼は阿片に溺れ、そこから回復することで「恐るべき子供たち」を生み出したのだ。

 「火の顔」を観ることは、観客にとって、いわば「手軽な方の自殺」であると言えなくはないだろうか。私たちは、この舞台を通過することで回復し、新たな「生」を獲得するのだ。
 どんなに悲惨な物語であろうと、表現されたものにはそうした力がある。芸術には、そうした阿片からの解毒治療のように人々を回復へと向かわせる力があるのだ。

 演出の松井周をはじめ出演者たちは、この作品世界をよく創り上げた。現代口語的演技がマイエンブルグの世界をぞくりとするようなリアル感で描き出すものとして極めて有効であるということに私は瞠目した。
 コクトーがジャン=ピエール・メルヴィルとともに監督した映画版「恐るべき子供たち」では、バッハのヴァイオリン協奏曲が終始鳴り響いていたが、無音の「火の顔」の舞台では、登場人物たちの感情が救いを求めて逆巻き、充満していたのである。

金柑少年の至福

2009-03-09 | 舞台芸術
 3月7日、山海塾の公演「金柑少年」を東京芸術劇場中ホールで観た。(主催:フェスティバル/トーキョー)
 1978年6月、当時28歳の天児牛大によって創られ、初演された作品であり、80年のナンシー国際演劇祭参加を契機として、広く欧州・南米に「山海塾」の名を知らしめることとなった記念碑的作品でもある。
 のっけから恥ずかしい話であるが、私はこの高名な作品を観るのは実は今回が初めてなのだ。それどころか山海塾の舞台そのものに接するのが今回初めてなのだった。敬して遠ざけていた、というか、たまたま観る機会がなかったということに過ぎないのだけれど、それだけにとても楽しみにしていた舞台でもあった。

 個人的な趣味でいうと、私は勅使河原三郎のダンスが大好きであり、88年の東京国際演劇祭で彼の野外公演を観て以来、しばらく追っかけをしていたほどなのだが、それ以外の舞踏公演にはあまり接点がなかった。
 しかし、記憶をさかのぼってみると、70年代前半の時期、私がまだ少年だった頃だが、芝居の稽古場として目黒にあったアスベスト館を使わせてもらっていたことがあり、そこに出入りする舞踏の踊り手の方々とすれ違ってはいたのである。
 当時、すでに土方巽は自身では踊らなくなっていて、アスベスト館では映画の「肉体の叛乱」を観たり、芦川羊子や白桃房の公演を観たりした。建替え前の四谷公会堂には「アリアドーネの会」の公演を観に行ったりしていたものだ。
 今にして思えば稚拙極まりなく赤面ものなのだけれど、自分なりに舞踏表現というものを咀嚼して演技に取り入れようとしたこともあったのである。
 
 それなのに山海塾の舞台を観ていなかったのは何故なのか。私がその名を意識した頃にはすでにヨーロッパで高名になっており、自分の感性には合わないと決め付けてしまっていたのかも知れない。

 さて、「金柑少年」であるが、終演後のトークで蜷川幸雄氏が言った「痛切な美しさに満ちた舞台」という言葉に尽きるかも知れない。
 しかし、それ以上に私は、思いのほか日本的感性の発露した表現や土着的な振りに感動していた。
 強い光を放つ夏の太陽のもと、昏倒する少年が一瞬にみた記憶、その瞬間には太古の生命の始原から永遠に至る時間が流れていく。
 踊り手の背中に乗った孔雀は奇跡のような羽ばたきを見せたし、ユーモラスでもある豆太郎の笑いはたちまち高貴なる聖母の踊りへと変容して観る者を感動させる。
 ダンサーたちの肉体は官能に満ち、その格闘は古代ギリシャの壁画を模したもののようにも思えた。
 私が創造していたよりはるかに抑制されたその動きは私たちの内面からの言葉を誘発する。舞踏とは、言葉から生まれながら、実際には舞台上で言葉を発しないことによって、却ってより多くの言葉と声を獲得する表現方法なのかも知れない。

 私はこの舞台を観ながら、1976年に発刊された吉岡実詩集「サフラン摘み」を思い出した。
 その装丁の表紙、片山健の絵がまたそんな連想を呼び起こすのだろうが、有名なその一節はまさに舞台上のさまざまなシーンを喚起させる。

  クレタの或る王宮の壁に
  「サフラン摘み」と
  呼ばれる華麗な壁画があるそうだ
  そこでは 少年が四つんばいになって
  サフランを摘んでいる
  岩の間には碧い波がうずまき模様をくりかえす日々
  だがわれわれにはうしろ姿しか見えない
  少年の額に もしも太陽が差したら
  星型の塩が浮かんでくる
  割れた少年の尻が夕暮れの岬で
  突き出されるとき
  われわれは 一茎のサフランの花の香液のしたたりを認める

 全部をそのまま引用したい誘惑に駆られるけれど、こうした言葉たちに導かれながら私はこの舞台を心ゆくまで堪能した。

 そういえば、この吉岡実の詩集に掲載された詩の何篇かは土方巽をはじめとする暗黒舞踏との出会いから生まれているようなのだ。
 なかには1975年に書かれた「あまがつ頌」という詩があって、それには「北方舞踏派《塩首》の印象詩篇」と副題が書かれている。この詩と天児牛大氏との関係はあるのかないのか私にはまるでわからない。今度、フェスティバル/トーキョー実行委員長の市村さんにでも教えていただこう。


エンターテイメントと経済危機

2009-03-08 | 雑感
 映画「おくりびと」が公開25週目にして興行成績1位となったことが大きく報道されている。米国アカデミー賞の外国語映画賞に輝いたことが大きな要因であることは確かだが、慶賀として素直に喜びたい。
 きっかけは何であれ、作品の存在が人々に広く知られ、その価値が認知されたということが重要なのである。
 このことは近年の邦画製作本数の増加がもたらした結果と見る向きもあって、確かに作品数が増えればそれだけ優れた作品が生まれる可能性も高くなる。無論ことはそれほど簡単な話ではないだろう。粗製濫造に陥ることは厳に戒めなければならないし、資金調達や市場開拓の問題、次代の人材育成など課題は山積している。
 しかし、そうした中でも、日本的感性や心性に根ざした作品が内外に受け容れられたことは何よりも喜ばしいことだ。
 反面、わが国での洋画の相対的な停滞ぶりが話題となっている。これはどういうことか。

 米大手映画会社が邦画の製作・配給に相次いで進出しているとの話がある。ワーナー・ブラザースやソニー・ピクチャーズ、20世紀フォックスの日本法人が製作委員会の一角に加わるなど、邦画に参入している。これに最近、ウォルト・ディズニーも加わったとのことである。
 これは文化帝国主義の凋落というべきか、従来のようにハリウッド映画をそのまま日本に持ち込む方式に限界がきたということであるが、別の見方をすれば、わが国の多くの観客が邦画独自の面白さや価値に気付いたことの確かな現われでもあるだろう。

 さて、かたやミュージカルの名所、ブロードウェーの話題であるが、人気作品が次々と公演打ち切りに追い込まれているとのことである。深刻な不況を受けて、娯楽費を抑える家庭が増え、観客の減少に歯止めがかからないためであり、「100年に一度」といわれる経済危機が華やかなショービジネスの街に暗い影を落としている、と日本経済新聞は伝えている。
 こうした事態への対策は次のようなものだ。
 1つは、チケット代の値引きであり、以前と比べておよそ30から50%の値下がりとのこと。また、ディズニーは大人用チケット1枚購入につき、子ども用1枚の無料キャンペーンを実施している。
 第2に、当たり外れの読めない新作よりも、実績のあるリバイバル作品を重視する戦略。
 第3が、製作費のかさむミュージカルではなく、有名俳優を起用した演劇にくら替えしてコスト減を図るという方策。
 さらに第4が、アジアを中心とした新規市場に期待して出稼ぎ公演を行い、海外市場を開拓するというもの。
 すでに演劇ガイドの雑誌などでは大きな広告が目を引いているように、「ヘアスプレー」「レント」といった作品は今年の初夏以降、日本での公演が決まっている。

 新たな収益機会を伺ったこれらの戦略であるが、不況はいずれの国においても深刻化しつつあり、すでにエンターテイメントの飽和状態にあるともいえる日本において、わが国独自の価値への目を開かれつつある観客がどのような動きを見せるのか、様々な意味で興味は尽きない。

壁と卵 アートの力

2009-03-06 | 雑感
 作家の村上春樹がイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞し、その記念講演で、パレスティナ自治区ガザ地区を攻撃したイスラエル軍を批判したことはすでに大きなニュースとして報道されている。
 この受賞そのものに批判はあって、ムラカミは辞退すべきだったとの声も根強い。
 しかし、辞退することは簡単ではあっても何も生み出さない。その地に赴き、肉声で語ることのほうがはるかに大きな勇気を要することだったろうと思う。

 その時の講演の全文が毎日新聞の2日、3日付夕刊に掲載されている。
 村上氏は「壁と卵」の隠喩を使い、小説家である自らは「卵」である「武器を持たない市民」の側に立つと語る。私たちは一人ひとりが卵であり、世界でたった一つの掛け替えのない魂が、壊れやすい殻に入っているというのだ。
 村上氏が小説を書く理由はただ一つ、個人の魂の尊厳を表層に引き上げ、光を当てることであり、物語を作ることによって、個人の独自性を明らかにする努力を続けることだというのだ。
 だからこそ彼は「体制=ザ・システム」と呼ばれる壁を乗り越え、何とかして壁の向こうにいる人々の心に言葉を伝えようとしたのだろう。

 これは現実を見ないナイーブな楽観主義に過ぎないのだろうか。
 そうではないだろう。システムの中に立てこもり、壁を高くして身を潜めることのほうが安全であるに違いないからだ。しかし、システムから発せられる言葉は人々の心には響かない。
 私たちは、壁にできたわずかな隙間やひび割れの間からでも何とかして相手側の心に浸透し、響き合う言葉を見つけ出さなければならない。
 そうしたしなやかな強さを引き出し、多様な価値観や視点を提示しながら、相互に尊重しあうための対話の回路を開こうとするのがアートなのではないだろうか。
 
 5日付の日本経済新聞の「経済教室」に文化庁の青木保長官が寄稿している。その一部を引用させていただく。
 「現代日本の文化には日本社会が抱え込んだ停滞を打ち破るような力がある。
 それらに共通するのは地域社会や個人の生き方も含めて今日のローカルな場に創造性の根拠を置きながら、そこから発するメッセージが極めてグローバルに訴える力を潜めていることだ。グローバルな画一性を求めて伸展してきた市場経済の展開の仕方とは対照的に、個人や地域に場を設定してのローカルでグローバルな発信に特質がある。」

 政治体制にしても市場経済にしても硬直したシステムは壁をつくり、他を排除しようとする。システムがシステムそのものを守ることを自己目的化してしまうのだ。
 だからこそ、そうした壁を突き崩し、打ち破るためにも、私たちは常に個人一人ひとりの「卵」を大切にし、ローカルな場に根拠を置きながらメッセージを発し続ける必要があるのだろう。

4丁目のワーニャ

2009-03-02 | 演劇
 2月28日、東池袋4丁目の劇場「あうるすぽっと」でチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を観た。演出:山崎清介、出演は木場勝巳、小須田康人、柴田義之、伊沢磨紀、松本紀保、楠侑子ほか。
 マイケル・フレインの英訳をもとに小田島雄志が翻訳したものを、さらに設定に手を加え、マリーナとテレーギンの役を合体させたりしているから、きちんとテキストにあたっていない私には演出意図の詳細は分からないのだが、ことさらに奇を衒わず正攻法での舞台化という印象だ。
 しかし、翻訳はある種の批評行為であるから、二重に翻訳というフィルターを経た原作との距離感にはそれなりの意味があるはずなのである。これについてはいつかじっくり考えてみたいと思う。

 これまでそれほど多くのチェーホフ劇を観ているわけではないのだが、いつも日本語による上演の難しさというものを感じてしまう。それはなぜなのだろう。

 チェーホフ劇のエッセンスを感じようとすれば、映画になってしまうけれど、ニキータ・ミハルコフが監督した「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」に勝るものはない。
 初公開は1980年だったと思うが、三百人劇場で観た衝撃はいまも記憶に残っている。
 チェーホフの大学時代の戯曲「プラトーノフ」に「地主屋敷で」「文学教師」「三年」「わが人生」などの短篇のモチーフを加えて映画化したものだが、いまやチェーホフの小説を読むときはもちろん、戯曲を読むときもあの映画の雰囲気がいつも甦ってしまい、逆に困ってしまうくらいだが、すでに30年も昔の映画を凌駕する作品が生まれないことのほうが問題だろう。
 それくらい当時32歳のミハルコフの視点=演出は現代的だったのだ。
 プラトーノフを演じたのはモスクワ芸術座のアレクサンドル・カリャーギンだが、彼のワーニャをぜひ観てみたいとも思う。

 一方、ワーニャの映画で忘れられないのが、ルイ・マル監督の遺作となった「42丁目のワーニャ」である。
 アンドレ・グレゴリー演出によるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の通し稽古を、稽古のままフィルムに納めた一種の演劇ドキュメンタリーである。
 劇作家で映画監督のデイヴィッド・マメットが脚色した台本を用いて、89年から延べ4年にもわたってリハーサルが続けられたものだが、正式の舞台公演はされていない。
 マルは91年にこの通し稽古を見て映画化を思い立ち、94年5月に実現したと記録にある。
 この映画で特筆すべきは、演技者たちの自然さである。稽古場にやってきた俳優たちが挨拶を交わし、雑談をしている。ふと気がつくといつの間にか芝居は始まっていて、映画の中で通し稽古を観ている観客と同様に、映画を観ている私たちもワーニャの世界にいる。
 この自然さ、演技の自在で自由であるさまはマジックのようでさえあるが、劇は損なわれていない。これこそがチェーホフが望んでいた演技であるように思えてしまう。

 さて、今回のワーニャであるが、配役のバランスがとれていないという印象が残ってしまう。木場勝巳の演技が強すぎる、あるいは相対的に周りが弱いとも言えるだろう。
 松本紀保のエレーナは端整すぎて、屈折した部分が見えないために喜劇にも悲劇にもなりえていない。
 エレーナはソーニャがアーストロフを好いていることを知りながら彼に近づき、アーストロフもワーニャがエレーナに恋していることを知りながら彼女に言い寄る。
 しかも二人は愛などというものを本気では信じていないはずなのだ。しかし、舞台上の演技はあまりに真っ直ぐであり過ぎる。
 言い表された言葉と内面の劇は異なっているというチェーホフの意図は達成されないままだ。

 「42丁目のワーニャ」でエレーナを演じたジュリアン・ムーアは、ワーニャに言い寄られ、それをやさしく乱れて受け入れると見せながら一線を越えそうな瞬間に激しく拒絶するという演技が印象に強く残る。説得力のある芝居だった。

 「42丁目のワーニャ」はビデオでも持っていたのだが、ある人に貸したまま返ってこない。いまは誰の手元にあるのだろうか。
 そんなことを考えていたら、今月のWOWOWで放映されるようだ。興味のある方には是非ご覧いただきたい。


オセロー/イ・ユンテク

2009-03-01 | 演劇
 2月27日、韓国の李潤澤(イ・ユンテク)演出作品「オセロー」を東京芸術劇場中ホールで観た。製作・主催:フェスティバル/トーキョー。
 原案は、ク・ナウカ シアターカンパニーの宮城聰の委嘱を受けて比較文学者の平川祐弘が、シェイクスピアの「オセロー」を旅の僧が殺されたデズデモーナの霊と出会うという様式夢幻能の手法で書き換えたもの。イ・ユンテクは、その「夢幻能オセロー」にさらにシャーマニズム舞踏「招魂クッ」などを取り入れ、日韓の伝統をシェイクスピア劇の中で融合させて新たな舞台を創造した。
 間狂言として、原作の「オセロー」の場面が演じられる。
 
 舞台上で生演奏される元一(作曲・音楽監督)の音楽がまず素晴らしい。基礎知識なしに書いてしまうけれど、和太鼓、笛、笙、琵琶、琴、パーカッションなど様々な楽器のつむぎ出すその音は、能楽の伝統を思わせながら、深くアジア大陸から伝わった原初の音色であり、私たちのルーツが一つながりのものであることを感覚的に示しているようだ。
 私は、舞台を観ながら、以前チェリストのヨーヨー・マがテレビ番組のために広く中央アジアや中東にまで取材した「シルク・ロード・アンサンブル」の音楽を思い出したりしていた。

 古代日本の卑弥呼を持ち出すまでもなく、シャーマニズムはわが国にも受け継がれたDNAなのかも知れない。ク・ナウカ シアターカンパニーの場合、個人的には何となく理知的に過ぎると感じるきらいがなくもなかったのだが、今回の舞台は心の奥底から揺さぶられる感動を覚えた。

 演劇における言葉=台詞の扱いで難しいのは、その音楽的処理であろう。
 オペラであれば、重なり合う異なる人物の台詞もポリフォニーとして処理できるものが、演劇の場合はともすれば混濁して耳にうるさいだけだ。
 この舞台では、謡曲的な発声、台詞回し、さらにおそらくは韓国伝統の音楽的要素も加わって、役者の台詞が実に素晴らしい音楽的リズムで処理されていたように感じられた。

 エンディング近く、劇場全体を揺るがすような祝祭的舞踏はデズデモーナの霊はもとより、観客の私たちをも慰撫し、浄化する。
 
 申楽延年は仏の在所たる天竺に起こり、あるいは神代より伝わる、と書き残した世阿弥の言葉を思い起こし、11世紀半ばに著された「新猿楽記」でその人気の程を示した「猿楽の態、嗚呼の詞、腸(はらわた)を断ち頤を解かずといふことなし」というくだりを想起しながら、この舞台のラスト、祝祭的な舞踏のうねりに身をまかせていると、何千年の時と空間をまたぎながら脈々と連なる芸能の来し方、現在における在り様というものに新たな感慨を覚えずにはいられない。
 西洋古典劇を題材にしながら、アジア的伝統が溶け合い、新たな表現の可能性を示す場に立ち会うという幸せを感じた舞台であった。

 追記:「資本論」「オセロー」とオープニングの2作品を続けてみた興奮が今も身体のなかで息づいている。これだけでフェスティバル/トーキョーの成功を十分に予見させるではないかと気の早い老俳優は思うのだ。
 短期間に14作品を創り、次々と展開しなければならないスタッフは本当に大変だけれど、プログラム・ディレクターの相馬千秋さんをはじめ、それを支える制作陣の努力に心からの拍手を送りたい。