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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

3・11

2011-03-25 | 雑感
 あの瞬間からすでに2週間近い時間が過ぎてしまった。あの日、3月11日の午後2時46分という日付と時刻を私たち日本人は忘れることはできないだろう。わが国の歴史上最大規模の地震と想像をはるかに超えた津波、そして原発からの放射能漏れという安全神話を根底から覆す事態は私たちの胸に深い傷となって刻印されたのだ。
 だが、そうしたある種の文学的クサミのある言い回しはどうでもよいことなのであって、問題は、今この瞬間にも被災状態は進行しているということ、組織的な支援の手が及びさえすれば確実に助かる命があるのだということ、逆に言えば、支援が届かないばかりに失われていくものがそこにはあるという事実なのだ。
 今ほど、私たち一人ひとりの行動や考え方、生き方やものごとへの対処の仕方が問われている時はないように思える。

 私はいまも四六時中、めまいでも起こしたように自分の身体が揺れているような感覚に捉われることがあるけれど、そうした思いは他の多くの人も感じているようだ。
 おまけにあれ以来、身体の一部に異常が生じてそれは今も癒えない。その身体の一部分がセンサーの役目を果たしているように、言葉にできない何かを感じているのだろうか。
 
 被災地の方々の思いはいかばかりだろう。

 いまこの瞬間、様々な言葉が飛び交っている。それは人々を勇気づけ、癒しもするけれど、時にはトゲのように、あるいは鋭利な刃物のように人の心に踏み入って深い傷を負わせたりもする。
 メディアの言説、無策な政権への批判、垂れ流される信頼できない情報、風評、失言、暴言・・・・・・。それらもまた言葉によって象られる。
 そうした言葉は否応なく耳に入り込んで私の中の黒々としたものを大きくする。
 耳を塞ぐべきなのかも知れない。よき言葉、人を励まし、力づけるような言葉こそが望まれる。
 私たちはなにをする? アートに,演劇になにができる?

浮世と歌謡/演劇の夢

2011-03-12 | 演劇
 3月10日、Space早稲田にて流山児★事務所レパートリーシアター2011「夢謡話浮世根問」を観た。作:北村想、演出:小林七緒。
 流山児祥と北村想の二人芝居である。去年の5月から演出家と二人の俳優の三人で台本作りを始め、長い時間をかけて創り上げた舞台とのことだが、その3分の2だけが台本に書かれ、3分の1は即興芝居というスリリングなものだ。
 二人の絶妙の間合いや演戯=文字どおりの戯れもあって、どこまでが台本どおりの芝居でどこからが即興なのか分からない面白い仕上がりだった。
 もっともこの面白さは、二人の役者をよく知っている、あるいはファンである観客にとっての面白さであって、まったく予備情報なしにこれを観た人が同様の面白さを感じてくれたかどうかは正直なところ、ワカラナイ。

 それにしても、今回、北村想という役者の“味”というのか、うまさを認識したのは収穫だった。劇作家あるいは演出家としての彼のことはもちろん知っていたのだったが、役者としての北村想を観るのは実は今回が初めてだったのだ。
 流山児祥の猛烈な突っ込みやボケを絶妙の間合いで受け、はぐらかしたかと思えばそれ以上のボケぶりで煙に巻く、かと思えば今度は意外なほどの歌唱力で渋いこぶしを利かせた歌声を聞かせるのだ。
 人前で演技するなんて恥ずかしくてカナワンヨとでも言いたげな困ったような表情がなんともカワユク魅力的だった。

 さて、その北村想がパンフレットに「観客論」とでもいうべき文章を書いている。
 それを叱られることを恐れず思い切り簡略にまとめてしまえば次のようなことになるだろう。

 「……我々は小劇場演劇を製作するのにギリギリ予算を切り詰め、ノーギャラで、場合によっては持ち出しまでして創るがわにいる。仮に300万円で1本創ったとすれば、赤字を避けるためには3000円の有料チケットで1000人を動員しなければならない。
 ここでわれわれは観客をどうしても「消費者」として扱わなければならない下部構造に出くわすことになる。
 つまり、消費者たる一人の観客は3000円を支払って300万円のホンモノの表現と対応していることになる。
 だが、おそらく私たちは表現者として、必ずしも観客を「消費者」というカテゴリーで対象化しているわけではないのだ。
 では、私たちは、観客のナニと等価に自分たちの表現を営為すればよいのか……。」

 これは、商業的に成り立たない、すなわち生産効率の極めて悪い小劇場演劇なるものにかかずらわっているワレワレ自身に突き付けた問いなのである。
 そのことを私も考えなければならない。
 単なる製造者と消費者の関係性に収斂され尽くさない何か、「表現者」と「観客」の間でだけ成立するような黙契=価値とでもいうべきものがそこには秘められているはずなのだ。
 それをこそ私たちは希求したいと願う。


チェーホフ?!/黒衣の僧

2011-03-12 | 演劇
 舞台芸術のような、その瞬間に消えてしまうものに多くの人が魅了されるのはなぜだろう。その淡雪のように消えてしまった舞台の記憶や観ていた時に心の中に想起する様々な思い=感情のようなものが、それから何年も経ってから突然心の中に甦ってくるという経験は誰にもあるのではないだろうか。

 もう1か月も前、2月13日(日)に観た東京芸術劇場プロデュース:チェーホフ生誕150周年記念の公演「チェーホフ?!~哀しいテーマに関する滑稽な論考」は、そんなことを改めて考えるきっかけを与えてくれた舞台だった。
 作・演出:タニノクロウ、ドラマトゥルク:鴻英良、出演:篠井英介、毬谷友子、手塚とおる、蘭妖子、マメ山田ほか。
 チェーホフの作品「曠野」「簡約人体解剖学」「黒衣の僧」「第六病棟」「かもめ」「グーセフ」といった作品群の中からそのエッセンスを取り出し、新たに組み立て直した、というより、まったく別の作品として創りだしたような舞台である。
 これがチェーホフ?!と言われるとたしかに首を捻りたくなる作品でもある。
 パンフレットの中で毬谷友子が「『桜の園』や『かもめ』を期待していらっしゃったお客様、ごめんなさい。実は、私も最初、期待してました(笑)。」と書いていたけれど、同じ思いをした観客も大勢いたことだろう。

 元・精神科医のタニノクロウは、チェーホフの未完の博士論文「ロシアにおける医事の歴史」のための草稿にインスパイアされたそうなのだが、その文章はまるでチェーホフの作品世界の原型のようだ、と鴻英良氏が紹介している。
 私は無論のことその草稿を読んではいないのだけれど、そうした医学研究の過程で知り得た魔女や芸人たちの秘事ともいうべき医療行為が様々に変容しながらのちのチェーホフ作品に反映され、結晶していったことを想像すること自体、きわめて興味深い物語のようにも思われる。

 一つのアイデア、着想、夢や妄想、幻想がどのように伝播し、相互に影響し合い、形を変えながら新たな物語や映像を脳裏に映し出すのか。
 私たちの芸術=私の見ているこの世界はいかなるものから創られているのか。

 チェーホフの小説「黒衣の僧」のなかで、疲労困憊して神経を痛めた主人公コーヴリンがある伝説を語る場面がある。

 「千年も昔、黒い衣を着た一人の修道僧が、シリアかアラビアの砂漠を歩いていた……。ところがその修道僧の歩いていたところから数マイル離れたところで、もう一人の黒い衣の修道僧が湖をゆっくりと渡っていくのを漁師たちが見かけたのだ。
 このあとのほうの修道僧は蜃気楼だったのだ。その蜃気楼からもう一つの蜃気楼が生まれ、それからさらにもう一つ生まれて、こうしてこの黒い修道僧の姿が一つの大気層から別の大気層へと限りなく伝わって行った。
 それはアフリカでも見えたし、スペインでも、インドでも、北極圏でも見えた……。
 とうとうそれは大気圏外へ出て、今では全宇宙をさまよって、どうしても消えるべき条件に恵まれない。きっと今ごろは、火星か南十字星あたりでも見えるかも知れない。
 けれど、この伝説の肝心要のところは、修道僧が砂漠を歩いていたときからちょうど千年後に、蜃気楼がもう一度大気圏内へ戻って、人の目に映るという点なのである。
 ……けれども何より不思議なのは、この伝説がどこから自分の頭に入りこんだのか、どうしても思い出せないことだ。何かで読んだのか、人から聞いたのか。それとも、ひょっとすると、自分が黒い修道僧を夢に見たのか。思いだせないのに、この伝説が頭から離れないのだ。」

 この話にはとても心惹かれるものがある。
 芸術の成り立ち、創造の秘密といったようなものが、あるいはそこに潜んでいるのかも知れないと思えてくるのだ。