最近の新聞記事で気になったものを二本、メモしておきたい。
一本は10月1日(金)付の毎日新聞朝刊で、「芸術界のジェンダー不均衡」と題した3人の論客の意見が載っている。
その中の1人、劇作家・演出家の谷賢一氏の寄稿を興味深く読んだ。
最近、谷氏は、「丘の上、ねむのき産婦人科」という、身近だが遠い他者で異性の、しかも妊娠という最も性差が顕著になる瞬間を選んで芝居を書き、上演したばかりなのだ。
氏らは、大半の俳優たちが妊娠経験のないなか、役を演じるためにひたすら想像する。さらに、異性を想像するため、女性が男性を演じ、男性が女性を演じるという男女逆転上演にもチャレンジしている。その過程で、自身の視点からだけでは気づけない、さまざまなことを発見するのだ。
すなわち、性差だけではなく、社会的・経済的な差がその人の振る舞い=演技を決定している、ということだ。それは俳優が演じるうえでのことだけではなく、女性もこの困難な社会を生き延びるために女性という役を演じている、あるいは、演じさせられている、という気づきである。
演劇的アプローチが社会の抱える矛盾や病理を炙り出しにする好例であると思う。
次の一本は、10月11日(月)付の毎日新聞夕刊で、トピックスとして「日本女性2人が率いる『世界演劇祭』」というタイトルの記事が載っている。
これは、欧州における重要な国際演劇祭の一つ、ドイツの「世界演劇祭2023」のキュレーションを、日本の2人の女性が担うことになった、というもの。その2人とはNPO法人「芸術公社」の相馬千秋、岩城京子両氏のことである。
相馬千秋さんは、私も関わりのあったNPO法人「アート・ネットワーク・ジャパン」のメンバーでもあった人で、「フェスティバル/トーキョー」の初代のプログラム・ディレクターとして数多くの記憶に残る舞台、パフォーマンス等を企画実施している。
今回、40年の歴史ある世界演劇祭の歴史で初めてディレクターが公募され、30カ国から70を超える応募があったそうで、アジア人女性チームがディレクションを担うのも初めてとのこと。
以下、記事から引用すると、「コロナ禍によって、多くの人々の心と体がさいなまれている中、2人は『悲劇的事象のトラウマはつねに遅れてやってくる』と警鐘を鳴らした上で、『協同するアーティストとともに、あらゆる存在がケアを享受し、キュア(治療)を施されるような、新しくやわらかな世界を描きたい』と意気込んでいる」という。
ウイルスに対する決定的な特効薬がない中、コロナ禍は社会的にも個人レベルでも多くの分断と差別を助長し、得体の知れない不安と怒りが世界全体を覆ってしまった。こうした事態を解きほぐすための演劇的アプローチとして、《ケアとキュア》に光を当てたというのは卓越した提案であると思う。
得たいの知れなさや先の見えない不安はさまざまな隠喩をまとい、神話や物語となって、ともすれば人々をさらに惑わせてしまう。
そうではなく、いつの間にか纏ってしまった意味=隠喩をていねいに剥ぎ取り、事実と情報を整理し直しながら、進むべき方向を提示することが、キュア(治療)のための第一歩なのだ。
そのケアとキュアのためのアプローチとして2人が示したのが、領域横断性と多様性に焦点を当て、複雑で多岐にわたるコミュニティとの芸術的対話を目指す多面的な提案ということだ。
そう言えば、キュアとキュレーションは語源として同一の根っこを持った考え方なのだと改めて感じる。この世界演劇祭をキュレーションする2人のチャレンジが、世界をキュアするための取り組みになればと願う。
期待したい。
一本は10月1日(金)付の毎日新聞朝刊で、「芸術界のジェンダー不均衡」と題した3人の論客の意見が載っている。
その中の1人、劇作家・演出家の谷賢一氏の寄稿を興味深く読んだ。
最近、谷氏は、「丘の上、ねむのき産婦人科」という、身近だが遠い他者で異性の、しかも妊娠という最も性差が顕著になる瞬間を選んで芝居を書き、上演したばかりなのだ。
氏らは、大半の俳優たちが妊娠経験のないなか、役を演じるためにひたすら想像する。さらに、異性を想像するため、女性が男性を演じ、男性が女性を演じるという男女逆転上演にもチャレンジしている。その過程で、自身の視点からだけでは気づけない、さまざまなことを発見するのだ。
すなわち、性差だけではなく、社会的・経済的な差がその人の振る舞い=演技を決定している、ということだ。それは俳優が演じるうえでのことだけではなく、女性もこの困難な社会を生き延びるために女性という役を演じている、あるいは、演じさせられている、という気づきである。
演劇的アプローチが社会の抱える矛盾や病理を炙り出しにする好例であると思う。
次の一本は、10月11日(月)付の毎日新聞夕刊で、トピックスとして「日本女性2人が率いる『世界演劇祭』」というタイトルの記事が載っている。
これは、欧州における重要な国際演劇祭の一つ、ドイツの「世界演劇祭2023」のキュレーションを、日本の2人の女性が担うことになった、というもの。その2人とはNPO法人「芸術公社」の相馬千秋、岩城京子両氏のことである。
相馬千秋さんは、私も関わりのあったNPO法人「アート・ネットワーク・ジャパン」のメンバーでもあった人で、「フェスティバル/トーキョー」の初代のプログラム・ディレクターとして数多くの記憶に残る舞台、パフォーマンス等を企画実施している。
今回、40年の歴史ある世界演劇祭の歴史で初めてディレクターが公募され、30カ国から70を超える応募があったそうで、アジア人女性チームがディレクションを担うのも初めてとのこと。
以下、記事から引用すると、「コロナ禍によって、多くの人々の心と体がさいなまれている中、2人は『悲劇的事象のトラウマはつねに遅れてやってくる』と警鐘を鳴らした上で、『協同するアーティストとともに、あらゆる存在がケアを享受し、キュア(治療)を施されるような、新しくやわらかな世界を描きたい』と意気込んでいる」という。
ウイルスに対する決定的な特効薬がない中、コロナ禍は社会的にも個人レベルでも多くの分断と差別を助長し、得体の知れない不安と怒りが世界全体を覆ってしまった。こうした事態を解きほぐすための演劇的アプローチとして、《ケアとキュア》に光を当てたというのは卓越した提案であると思う。
得たいの知れなさや先の見えない不安はさまざまな隠喩をまとい、神話や物語となって、ともすれば人々をさらに惑わせてしまう。
そうではなく、いつの間にか纏ってしまった意味=隠喩をていねいに剥ぎ取り、事実と情報を整理し直しながら、進むべき方向を提示することが、キュア(治療)のための第一歩なのだ。
そのケアとキュアのためのアプローチとして2人が示したのが、領域横断性と多様性に焦点を当て、複雑で多岐にわたるコミュニティとの芸術的対話を目指す多面的な提案ということだ。
そう言えば、キュアとキュレーションは語源として同一の根っこを持った考え方なのだと改めて感じる。この世界演劇祭をキュレーションする2人のチャレンジが、世界をキュアするための取り組みになればと願う。
期待したい。