seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

誕生日のガラスペン

2009-09-28 | 言葉
 誕生日のお祝いに佐瀬工業所製のガラスペンをいただいた。
 透明なガラスと紺色のガラスのねじりペンである。

 この繊細な、美しいペン先からどんな色のインクが流れ出し、どんな形の文字が書きつけられるのか。

 昨日のわたしはわざとのように、挑発するだけのためにみにくい言葉を使った。みにくい心で言葉をねじ曲げた。
 哀しくなった。みにくい言葉は何も生み出さない。

 今日、誕生日のわたしはガラスペンをいただいたので、とても幸せだ。
 ただ風にそよいでいるような静かな心で、そっとやさしく文字を書きたいと思う。

 インクを含んだガラスのペン先からこぼれるのはつよい言葉だ。
 なにものにも負けないやさしい言葉だ。
 けっしてねじ曲がることのないまっすぐな言葉だ。

 そんな言葉で、あなたとともに語りあうことを私は夢見る。

伝言ゲーム

2009-09-28 | 雑感
 世の中の仕組みは「伝言ゲーム」によって成り立っているのではないだろうかと思うことがある。
 そのゲームにおいて「情報」は血液のようなものだ。血液がうまく行き渡らなかったり、不足したり、あるいは変形したものであったりすると取り返しのつかないことになる。
 ごく最近のことだが、知っておくべき情報を知らなかったために私はある重大な失敗をしてしまったのだ。それは第三者からみれば取るに足らないことなのかも知れないのだけれど。

 その要因をよくよく考えれば、私の属する組織内のコミュニケーションが不全で、情報が十分に伝達されていなかったということに尽きる。
 けれど、その情報を知らなかったことにより、私は人に対して誤った評価をしてしまい、そのことで巻き添えのようにして必要のない軋轢を生じさせてしまったのだ。
 さらには、そのことを起因として、誰よりも大切な人を傷つけてしまった。そのことがまた私自身をどうしようもなく傷つける。

 世の中はさまざまな伝言ゲームに満ち溢れている。そこでやり取りされるのは「情報」である。
 それは政治の世界でも同様であり、情報こそが力なのだ。
 だから人は情報を血まなこになって集めようとする。持てる情報を隠そうとし、ワザとのように漏洩し、画策しようとする。
 情報をもらえないことで激しく嫉妬し、憎み、情報を得るために懐柔しようとする。

 メディアはさまざまな情報をさまざまな手段で私たちに伝えようとするけれど、本当に大切で必要な情報がそこにあるのかどうかを私たちは自分の力で見極めなければならない。

 いま、政権交代に伴い、八ッ場ダム、川辺川ダムの建設中止を担当大臣が表明したことにより、様々な課題が噴出している。
 目にする報道の多くは、地域住民の困惑や怒りに焦点が向きがちで、大臣との対峙がやや扇情的に報じられる。地元に全国から批判的なメールが数多く寄せられたことなど、そうした報道の影響と言えなくもないだろう。
 重要なのは事実に基づくデータであるが、それは現時点で明確であるとは感じられない。

 建設中止の根拠は何なのか。それは十分納得できるものなのか。
 費用対効果はどのように算出されているのか。ダムに代わる治水や利水の方策はどうなるのか。
 そうした課題の一つひとつを丁寧に伝えることこそがメディアにも為政者にも求められるだろうし、そうした情報の真偽を十分吟味し、判断することが私たちには課せられているのである。

退屈な話

2009-09-26 | 言葉
 チェーホフは私にとってなくてはならない存在の作家である。
 どうしようもなく気分の落ち込んだ時や何もかもがうまくいかないような不運の時にもそっと寄り添い慰めてくれる。

 私たちが否応なく社会的な関係のなかで生きるしかない以上、コミュニケーションは何よりも必要不可欠なものである。
 コミュニケーション不全はそのまま組織や機能の不全につながりかねないし、友情や恋愛をはじめ、人間関係そのものも成り立たない。

 コミュニケーションの手段としてもっともオーソドックスなものが手紙である。
 チェーホフは、恋人でのちに妻となるオリガ・クニッペルに430通を超える書簡を残しているが、二人は、チェーホフの健康上の理由とオリガの舞台女優としての仕事の関係から、何百キロも離れたヤルタとモスクワに離れて暮らすことを余儀なくされた。
 当時の郵便事情は現在とは比較できないほど劣悪で、届くのに何週間もかかったり、数日分が一度に届いたり、相互のやりとりもタイムラグのなかで行き違いも多々あったことが容易に想像できる。
 チェーホフの書きぶりからもその苛立ちが伝わってくる。

 「これはまたどうしたんです?あなたはどこにいます?あなたは私どもが全く推測に迷うほど強情に自分のことを知らせてよこしませんね。だからもう、あなたは私どもを忘れてコーカサスへお嫁にいったのだと思われかけていますよ」

 「女優よ、手紙をください、後生です。でないと私は退屈です。私は牢獄にいるようです。そしてじりじりし、いらいらしています」

 「きみからはもう久しく一行の手紙も来ない。これはよくないよ、可愛いひと」

 「残忍酷薄な女、きみから手紙が来なくなってから百年もたった。これはどういうことだね?今は手紙も正確に私の手許に届けられる。だから、私が手紙を受けとらないとすれば、そのことで悪いのはきみ一人だけだ。私の不実者よ」

 メールを送ってその日に返信がないだけでやきもきするような現代の恋愛事情からは想像もできない状況のなかではぐくんだ二人の愛情を、私たちはこれらの書簡を読むことで垣間見ることができる。
 それらは私に共感と賛嘆とは別に羨望の思いをも抱かせる。
 私たちはあまりに忙しく、優雅さや相手を思いやる心のゆとりを失ってしまっているのだ。

 さて、これまでにも何度か話題にした短編「中二階のある家」に出てくるリーダとミシュスという姉妹はそれぞれに異なる魅力を持っているが、一人の女性の二面性を分けて描いたという見方もできるのではないかと私は思っている。
 妹のミシュスはどこまでも優しくはかなげで主人公の私を慕ってくれるが、姉の言いつけに背いてまで私のもとに飛び込む勇気を持たない。
 一方、姉のリーダは自立性に富んだ美しい女性だが、私とは思想や考え方で折り合いが悪く、私をかたくなに拒否したまま受け入れようとしない。

 どの女性にもこうした二面性があり、私は様々な場面で様々な彼女たちと向き合うことになるのだが、一旦生じた決定的なコミュニケーション不全の状態や拒絶の前に男はただ立ちすくむしかない。

 「やがて、暗いモミの並木道になり、倒れた生垣が見えた……あの当時ライ麦が花をつけ、ウズラが鳴きしきっていたあの野原に、今では牝牛や、足をつながれた馬が放牧されていた。丘のそこかしこに、冬麦が眼のさめるような緑に映えていた。きまじめな、索漠とした気分がわたしを捉え、ウォルチャニーノワ家で話したすべてのことが気恥ずかしく思われ、生きて行くことがまた以前のように退屈になってきた。家にかえるなり、わたしは荷造りをして、その晩のうちにペテルブルグに向った。」(原卓也訳)

 最後の場面、主人公の私は、孤独が胸をかみ、淋しくてならないような時、おぼろげに昔を思い返しているうちに、向こうでもわたしを思いだし、待っていてくれ、そのうちにまた会えるに違いない、という気がしてくることさえある・・・というのだが、そんな日ははたしてやってくるのだろうか・・・。

 「ミシュス、君は今どこにいるのだ?」

きのうの神さま

2009-09-24 | 読書
 この数日、風邪でのどを痛めたらしく声が出ない。鬼の霍乱といえるかどうかは分からないが、老俳優もたまには弱りこむことがあるのだよ。
 幸い熱はないので例のインフルエンザではないとは思いつつ、こんな状態で劇場に足を運んだりしてよかったのかと反省する。
 しかし劇場というところは自分が病原ではないとしても、極めて閉鎖的な条件下で2時間前後も缶詰になって多数の人が同じ空気を呼吸する特殊な場所である。誰かから歓迎されざるプレゼントをいただいたとしても拒否できないところが何とも厄介である。逆のケースもまた同様である。

 私は元々のどは丈夫なほうだから声が出なくなるという経験はこれまでほとんどないのだが、一度だけ、もう30年も前、公演中に声帯を痛めて困ったことがある。
 徹夜で台本を書いたり、酒を飲んだり、タバコを吸ったりと無理な生活がのどに祟ったわけだが、仲間の役者にタバスコ入りの水を飲まされるという悪戯をされて決定的に声が出なくなった。
 回りの人間に聞くと、私の台詞はちゃんと聞こえているというのだが、自分では30センチより遠くまで声が届いているという実感がまるで持てないのだ。水の中で耳栓をしてしゃべっているようで自分の声が反射してこない。そこで無理して声を張り上げるものだから余計に声帯を痛めてしまったのだ。

 それこそあちらこちらの医者に駆け込んだり、龍角散やらあらゆるのどに良いといわれるものを試した挙句、人づてに聞いて試したのが漢方の「梅蘭芳丸(めいらんふぁん・がん)」という丸薬である。
 声が美しいことで有名だった京劇の名優にちなんだこの薬は当時の私にとってそれこそ痛い出費だったが、だからこそだろうか、効果は覿面であった。
 以来、「梅蘭芳」は私のあこがれの俳優なのである。

 さて、そんなことでこの何日かは、劇場に出かけた以外は床に寝転んで本を読んでばかりいた。
 その一冊が西川美和著「きのうの神さま」である。
 直木賞候補にもなったし、すでに多くの方が読んでいるだろうが、とても面白く楽しめた本である。
 以前感想を書いた映画「ディア・ドクター」のための取材の過程で集めた素材をもとに、映画とは違った切り口で、あるいは異なる料理法で、映画の中では掬いきれなかった灰汁を旨味に転化したといった短編集である。
 単なるノベライズごときでないことはもちろんだが、僻地医療の実態や医療現場の周辺で起こるドラマを小説ならではの高度な表現に昇華した作品群なのだ。

 西川美和の特質は抜群のセリフのうまさにあると思うが、これはまあシナリオも書く彼女だからこそなのかも知れない。さらに、文章の間から浮かび上がってくる空間の深さや具体的な絵の鮮やかさは優れた映像作家のものだろう。
 直木賞に至らなかったのはどんな理由なのか、切れ味が良すぎて小説特有の破綻がないといえば言えるのかなと素人目には思うけれど、それは言っても仕方のないことではないだろうか。

 若返って映画監督になった向田邦子を彷彿とすると言ってもあまり異論はないと思うけれど、映画と文学、その両方の世界でこれからどんな作品を見せてくれるのか、楽しみな作家だ。

旅の仲間

2009-09-23 | 演劇
 22日、子どもたちのために世界各国で美しく幻想的な作品を創り続けているイタリアの演出家テレーサ・ルドヴィコの脚本・演出による舞台「旅とあいつとお姫さま」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 原作:アンデルセン作「旅の道づれ」、ノルウェーの昔話「旅の仲間」、台本:佐藤信、美術:ルカ・ルッツァ、出演:高田恵篤、KONTA、楠原竜也、辻田暁、逢笠恵祐。
 本作は「あうるすぽっと+座・高円寺プロデュース企画」と銘打ってあるとおり、池袋と高円寺という比較的至近な場所に立地する2つの公共劇場が共同でひとつの舞台を製作するという試みの成果である。

 同時期に距離の近い2つの劇場で上演するという興行上の冒険が観客動員という面でどう評価されるかは別にして、舞台そのものは高い緊張感と躍動感、そして美しさに満ちた素晴らしいものだったと思う。
 こうした舞台に出会えるからこそ、時にはがっかりし、絶望を通り越して怒りに震えるような思いをしながらも、劇場に通い続ける甲斐があるというものだ。

 この数日、必要があってある地域の演劇祭に参加している若手劇団の舞台を3本ほど観て回ったのだが、実はそのレベルや志の低さに落胆していたのだ。
 そのことはわが身にも当然跳ね返る。おそらく自分のやってきたことは彼らと比べて同等以上とは到底言えないのではないか。私は役者であることが恥ずかしくて堪らなくなっていた。

 「旅とあいつとお姫さま」は芝居を観ることの至福、観た芝居を語り合うことの楽しさを教えてくれるだろう。
 1時間の舞台を客席の子どもたちも集中力をもって観続けていた。
 そのことには劇場の特質もまた要素の一つとして挙げられるように思う。「あうるすぽっと」は固定席のあまり自由度が高いとは言えない半プロセニアム形式の舞台なのだが、役者の声をよく響かせ、沈黙の瞬間には役者の息遣いまで聞こえるような底知れない静寂を空間全体に作り出すことのできるブラックボックスの劇場である。観客の集中力を高めるように作られているのだ。
 その要素がよい創り手と出会った時、言い知れぬほどの高度な劇空間を出現させるのである。
 役者は誰もが素晴らしかったが、特に旅仲間とネコを演じた楠原竜也はダンサーとしての技量を存分に活かしながら、緻密な動きで観る者を幻惑するようだ。
 お姫さま役の辻田暁も無垢なるものがたちまち魔に魅入られることの官能性を示して強烈な印象を残す。
 
 芝居は、この世界に満ちた「悪意」や「邪悪」なものが、「善」なるもの、「愛」によって駆逐される物語であると言えるが、子どもたちはどのような感想を持っただろう。
 お姫さまや高田恵篤が演じた魔物が魅力的であったように、「邪悪」なることの誘惑性をしっかり描いているからこそ、この物語は心に楔となって届いたとも言えるのである。
 悪意を知らぬ無垢なばかりの善や愛ほどやっかいなものはないとも言えるのだから、これは物語の効用と言ってよいのかも知れない。

 さて、劇場ロビーでは、「WORLD STAGE DESIGN2009~DIGITAL EXHIBITION in TOKYO」が同時開催されている。
 OISTAT(劇場芸術国際組織)日本センターが主催し、あうるすぽっとと(社)劇場演出空間技術協会(JATET)が共催するもので、WORLD STAGE DESIGN2009が韓国のソウルで開催されるのに合わせ、優秀作品をデジタル映像方式で紹介するほか、日本のデザイナーによる海外における創作活動を模型展示するなど多面的に紹介している。
 舞台芸術の国際化の進展の一端を知ることのできる興味深い催しである。その美しさは芝居そのものに関心のない人にも理解してもらえるのではないだろうか。併せて記録しておく。

進化と変化

2009-09-20 | 言葉
 ビジネスの現場でよく聞かれる言葉に次のようなものがある。
 「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」と、あの進化論のダーウィンは言っているというものだ。
 だからこそ変革は不断に行われなければならないし、イノベーションこそが企業や組織の発展には必要だという論法である。

 ところが、13日付毎日新聞の書評欄で中村桂子氏が取り上げている松永俊男著「チャールズ・ダーウィンの生涯」によれば、「ダーウィンの著書や稿本のどこにもこんな言葉はない。これも変革を正当化するために、勝手にダーウィンの名を利用しているにすぎない」のだそうだ。
 著者は、1960年以降に翻刻されたダーウィンの草稿や自伝などをていねいに確認したうえでの指摘だそうだから、おそらく正しい指摘なのだろう。

 だとすればこれは誰が言い出したことなのだろうという疑念が当然のことながら浮かび上がって来る。
 それは分からないが、《ダーウィン=進化論》というブランドイメージを錦の御旗として自己の主張を展開しているのに違いはない。
 ダーウィンの名言というだけで、疑いもせずに真に受ける愚というものを私たちは反省しなくてはならないのではないだろうか。

 しかしながら、である。
 上述のことは、松永俊男氏の指摘を100%信じるならばという留保つきの論旨にほかならない。
 私自身がダーウィンの著書や稿本の全てに目を通して確認していない以上、その指摘を孫引きしてエラソウナことをいうこと自体が意味のないことだと言うほかないのである。

 結局、すべては疑ってかかれという教訓に行き着いてしまうのだろうか。

 昨年来、「チェンジ」「変化」といったキーワードがひとつの流れをつくったということは確かなことである。
 「政権交代」は果たしてどのような変化と進化をこの社会にもたらすだろうか。
 このブログでも何度も取り上げた例の「国立メディア総合センター」構想は見直しが必須のようだが、ではそのことで何が変わるだろうか。
 「国営マンガ喫茶」などという言葉がひとり歩きし、揶揄の対象となったが、そのことでクリエーターの現場の大変な実態がクローズアップされるという利点はあったと思われる。
 無駄なハコモノというだけでばっさり廃案にするのではなく、メディア文化を国策と捉える視点が少しでもあるのならば、その予算を現場の製作者たちを応援することに使ってほしいと願わずにはいられない。
 そうではなく、結局何も変わらないのであれば、あの大騒ぎの時、現場の立場からセンター設置に異を唱えた人たちの声はそれこそ政争の具として使われたに過ぎなかったということになってしまう。
 幸い新しい大臣は単純な凍結論ではなく、多くの人の声に耳を傾けてみたいというスタンスのようだ。
 今後の動向を注視したい。

月とドッペルゲンガー

2009-09-13 | 読書
 本を読んでいて、その内容が同時期に読んでいたまったく関連のない別の小説や新聞記事のテーマと偶然のように重なり合っていて驚くことがある。それはまた読書というものの密やかな喜びでもあり、楽しみでもある。

 最近では、たまたま赤江瀑が1970年に書いた「ニジンスキーの手」という短編小説を読んでいたところ、12日付の日経新聞に20世紀舞踊の礎を築いたバレエ団「バレエ・リュス」のことが特集されていて、そのなかでドイツ・ハンブルク市立美術館に展示されたニジンスキーが精神病を発病した頃に描いたというデッサンのことが書かれていた。
 「ニジンスキーの手」は、ニジンスキーの師であったディアギレフとの軋轢とそれによる精神的緊張がニジンスキーを病へと追い込んだという説を遠景として、ある日本人ダンサーの憎悪と野望を描いたミステリーである。
 今年は「バレエ・リュス」が結成されてからちょうど100年とのことで、各地で再評価の動きがあるという。
 同バレエ団は1929年に解散し、ダンサーたちは世界に散ってバレエを広めた。その影響は、モーリス・ベジャールが自身を「バレエ・リュス」の後継者と公言したことにとどまらず、ジョン・ノイマイヤーやマース・カニングハム、ピナ・バウシュにまで及ぶという。
 わが国の傑出した男性ダンサーである熊川哲也もまたニジンスキーの系譜のなかにあると新聞には書かれていたが、いつか「ニジンスキーの手」を原案としたドラマや映画が撮られるとしたら、あの野心的な主人公役にはやはり熊川哲也が似つかわしいだろうなどと勝手に想像してはほくそえんでいる。

 さて、北村薫の「鷺と雪」については別の機会にも触れたが、この表題作はドッペルゲンガーが謎解きのテーマになっていて、芥川龍之介の小説のほか、ハイネの詩にもとづくシューベルトの歌曲「影法師」のことが作中に出てくる。
 この詩には森鴎外の訳があって、そちらの方の訳題は「分身」なのだそうだが、その一部が小説に引用されている。

  しづけきよはのちまたには
  ゆくひともなしこのいへぞ
  わがこひゞとのすみかなる

 この「鷺と雪」を読む直前、必要があって梶井基次郎の「Kの昇天」を読んでいた。
 これは月の光によってできた自らの影に憑かれたKという青年の死を描いた散文詩のような作品であるが、このなかにもシューベルトの同じ曲が重要なモチーフとなって出てくるのである。こちらでのタイトルは原題のまま「ドッペルゲンゲル」あるいは「二重人格」と紹介されている。

 梶井の小説にはハイネの詩の訳は出てこないので、北村薫の小説を読むまでは、もしかしたらこれは梶井基次郎の巧妙なでっち上げなのではないかなどとあらぬことを考えていたのだが、シューベルトの歌曲集を漁ってみるといとも簡単に見つけることができた。(当たり前か)
 以下、マティアス・ゲルネ(バリトン)とアルフレッド・ブレンデル(ピアノ)によるフランツ・シューベルト歌曲集「白鳥の歌」D.957のジャケット解説文からその訳詩を引用する。(訳:西野茂雄)

  夜はひっそりと静まり、まちは眠っている、
  この家にぼくの恋びとが住んでいた。
  彼女がこの町を去ってすでに久しい、
  だが、その家はもとのところに立ったままだ。

  そこにはまたひとりの男が立って、
    天を仰ぎながら
  はげしい苦痛にもろ手をよじっている。
  その顔を見たとき、ぼくはぎょっとして慄えた、
  月あかりが見せたのは、ぼく自身の姿だったのだ。

  おい、兄弟、蒼ざめたもうひとりのぼくよ!
  その昔、この場所で、数知れぬ夜々、
  ぼくを苦しめたあの愛の悩みを
  なんだってむしかえしたりしているのだ?

 鴎外の訳とはずいぶん趣が異なるけれど、意味はよく分かる。そしてその《想い》の深さ、苦しさも・・・。
 これらの小説には、月と影、恋と死、昇天と墜落など、様々な隠喩が散りばめられ、その言葉の一つひとつが私たちの想像をあらぬ方向へと誘うようだ。
 「Kの昇天」には、ジュール・ラフォルグの次の詩句が引用されている。それは私の中で何度も何度もリフレインされ、鮮明な映像を結ぶ。そこに私は自分自身の姿を見てしまう。

  哀れなる哉、イカルスが幾人(いくたり)も来ては落っこちる。

三番叟とライオン

2009-09-09 | 舞台芸術
 8日、「三番叟」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 狂言師の九世野村万蔵による「狂言三番叟」とコンドルズの近藤良平による「コンテンポラリー三番叟」の2部構成の舞台である。
 片や「伝統~受け継がれるかたち」、片や「現在~生まれいずるかたち」とあるように両者を同じ囃子方によって結びつつ、並べて展覧することによって観客の目に化学反応を起こそうという試みといってよいのかも知れない。

 三番叟は狂言が生まれる以前からある神事ともいうべき古い芸能である。
 何百年という時のふるいをかけられながら洗練されてきたその「型」はまさにゆるぎのないものだ。
 これに対し、近藤良平は新たな型を生み出そうというのか、あるいは厳然と聳えるような型の前でのたうちまわろうとするのか。
 感想はあえて控えるとして、近藤の繰り出す身体表現はかつて狂言の始原はかくあったであろうと思われるような破天荒かつ人々の耳目を惹きつけずにはおかないリズム感に躍動している。
 これが長い長い時間のなかで削ぎ落とされ研磨されながら「型」となっていくのだろう。

 「伝統は革新の連続のはてに生まれるもの」とはよく言われることだ。亡くなった八世野村万蔵(野村万之丞)氏もよくそう言っていた。
 氏のアジア全域の歴史と空間を見据えた壮大なビジョンというか大風呂敷をなつかしく思い出しながら、この2つ並べた三番叟を観ることで、あたかもそれらが循環しながら新たなものを生み出していく、そのはじまりに立ち会ったような気持ちになった。

 話は変わるけれど、劇場からの帰り、今年閉店となったばかりの池袋三越の前を通った。年内には家電量販店に生まれ代わるとのことで今は改修工事のためのシートに被われている。
 三越のシンボルでもあった青銅のライオン像がいつの間に姿をくらましたのか記憶にないのだが、あれはいったいどこに行ってしまったのだろう。

 ちょうどいま北村薫の直木賞受賞作「鷺と雪」を読んでいて、そのなかに収められている「獅子と地下鉄」にロンドン・トラファルガー広場のライオン像を模して作られたという三越百貨店のライオンの話が出てくるのを思い出した。このミステリーにおける重要なキーワードなのだ。
 小説は昭和10年前後の東京が舞台なのだが、その頃はまだ「三越即ちライオン」といわれるまでにはなっていなかった。
 人間の歴史はたかだか50年で大きく変動する。
 芸術はどうか。芸能はどうか。継承と革新という狭間で人々はそれらを次の世代につなげるために連綿と紡ぎ続ける。

 「鷺と雪」の登場人物たちはよく能を観る。小説の中には関連する話題が詰め込まれていて、そうした薀蓄に耳を傾けるのも北村薫の小説を読む楽しみ方のひとつである。
 帰りの電車に揺られ、ページを繰りながら、三番叟のお囃子が耳の中でリフレインするのを独り噛み締めていた。

能の美しさ

2009-09-08 | 舞台芸術
 先週3日、観世流の能「玉井(たまのい)」を東京芸術劇場中ホールで観る機会があったので記録しておく。
 この作品は、「古事記」「日本書紀」にある海幸山幸の神話を題材に、観世小次郎信光が脇能にしたものとのこと。

 彦火火出見尊は兄の釣針を魚に取られ、剣を崩し針にして返したが許されず、元の釣針を求めて海中に入り、海神の都に着く。竜宮の門前に玉の井と桂の木があるので木の下で様子を見ていると、豊玉姫と玉依姫が水を汲みに現れ、井戸の水に映る尊に気づき、名や理由を尋ねて竜宮に案内する。
 姫の父母は尊の話を聞き、釣針を探す約束をしてもてなすうち3年が過ぎる。
 尊は自分の国に帰ることにし、海路の道を尋ねると豊玉姫は、海中の乗り物は様々あるので安心するようにと言って立ち去る。
 尊が待つところに二人の姫が現れ、潮満玉と潮干玉を捧げ、続いて現れた海王は釣針を探し出して尊に捧げ、二人の姫たちは袖を返して美しく天女之舞を舞い、龍王も厳かに舞ううちに時が移り、尊を五丈(約15メートル)の鰐に乗せると陸に送り届け、龍王も竜宮へ帰って行く。

 以上がおおよその筋立てであるが、そのラスト近く、龍王が舞い、尊を送り届けた後に帰って行く場面は何とも言えない美しさで観るものを圧倒する。それは装束や面、舞手の技量、鼓や笛、地謡が渾然となって生み出される迫力である。
 ちょうど同じ劇場の地下ホールでは、現代能とでも言うべき野田秀樹の「ザ・ダイバー」が上演されていて、そのどちらも海中にかかわる物語である点が共通していて面白い取り合わせだと思う。

 話は少し脇道に逸れるけれど、先日新聞のコラムに、プロの将棋を観戦した志賀直哉が、その感想を画家の梅原龍三郎に伝えた手紙のことが載っていた。志賀は次のように書いている。
 「精コンをあれ程傾けつくして戦い、その本統のところは少数の専門家にしか分からず、しかも一般にこれ程ウケているというのは不思議なものだ」

 能という芸術にもこの言葉は当てはまるのではないかなどと考えてしまう。
 能の継承者がどれ程精コンを傾けつくしてその芸を極めようと日々戦っているか。
 その芸の真髄は少数の人にしか理解はされず、しかも長い歴史という時間のふるいにかけられながらも人々の支持を得て根強く生き抜いてきた芸能・・・。

 それにしても「能」という古典芸能の持つ、観客に決して媚びることのない素っ気なさは見事というしかない。
 一場の舞を幽玄に舞い終わるやいなや拍手の暇も与えず橋掛かりを去ってゆく演者の姿は潔いものだ。これこそ何百年もの伝統に裏打ちされた絶対的な自信の顕れではないかとさえ思えるほどだ。

 私はクラシック音楽も好きでたまにコンサートホールに身を忍ばせることもあるのだけれど、あのカーテンコールのしつこさというか半ば強要しているとしか思えない臆面のなさには時に辟易することがある。
 それに引き換え、わが伝統芸術の何という奥ゆかしさよ、などと比較したり目くじら立てたりするのも大人気ないか。
 こんな他愛もないことをあれこれ考え巡らすのもまた舞台の楽しみ方のひとつなのだろう。

終の住処はどこに

2009-09-04 | 読書
 「彼による企画発案の商品は過去最高の売り上げを記録していた。(中略)成功の理由が何なのか、じつは彼じしんも判然とはしていなかった。いずれどこかの時点で、誰かが思いついたであろうことを、たまたまこのタイミングでこの役職にいた彼が実行に移しただけだ、という思いの方が強かった。効率的な組織というのは元来がそういう性格、構成員の代替可能性を内在するものなのだ。」

 磯憲一郎氏の芥川賞受賞作「終の住処」の中に上記の文章があって、妙な実感とともに同感するところがあり、記憶に残った。
 最近、私自身にそんなことを考えさせられる出来事があったからなのだが、個人が成し得る仕事の大半はそんなものかも知れないとも思う。
 担当していた事業やイベントで困難に遭遇し、どんなに身の細る思いで奮闘したあげくの成果であったとしても、数年経てば忘れられる。おまけにその部門のトップからは「そういえばあの頃、君も関わっていたよね」などと言われ、いたたまれない思いをする。
 割に合わないようだが、組織で仕事をするというのはそうしたことなのだ。それはビジネスだろうが、芸術だろうが同様なのだろう。また、そうでなければ組織は生き残れない。

 さて、その「終の住処」であるが、大企業に勤める優秀なビジネスマンの書いた小説ということがサラリーマンの関心を呼んだのか、はたまたテレビに出演した磯氏の素敵なおじさまぶりが若い女性の好感を引き寄せたのか、近年の芥川賞受賞作としては異例の売れ行きとのことである。
 もっともそんな目でこの小説を読むと、大半の人は驚くか、あるいは戸惑うかも知れない。
 この作品は、新聞報道等で要約された内容にはとても収斂されない謎や不可思議な展開によって構築された極めて小説的な世界を提示しているのだ。

 雑誌「文学界」9月号の磯憲一郎氏と保坂和志氏の対談で磯氏自身が「終の住処」について「要約するのが無理な小説である」と規定している。
 「僕の小説は、要約が基本的に馴染まないんですよ。具体性の積み重ねだけなんで。デビュー以来どの小説も、要約されると、気が狂った人が書いているとしか思えないようなもので・・・」

 よく引き合いに出されているのが、カフカやガルシア・マルケスを想起させるような展開ということであるが、それよりも私はこの小説を読みながら、突拍子もなく川端康成の「片腕」のような作品を思い出していた。
 どちらも書きつけられた文章が次の文章を導き、それがまた次の文章をつむぎだすという工程を繰り返しながら妄想としか言いようのない世界を構築していく。
 それはあらかじめ企図され、設計図のように構想されたストーリーなどではなく、文章をこつこつと書きつけることではじめて生まれる世界なのだ。

 このことを先の対談で作家の保坂和志氏は次のように言う。
 「ほんとに書きたいことなんていうのは『終の住処』がいい例で、書きながらしか出てこない。それはほんとに作品が、母とか妻とかが命令するように、著者に命令するんだよ。『もっとなんか突飛なことを書けよ』みたいな。その命令に従っているんだよね」

 小説が小説であることの存在理由を示している点において「終の住処」は優れた作品なのだと思う。

ザ・ダイバー

2009-09-01 | 演劇
 29日、野田秀樹作・演出の「ザ・ダイバー 日本バージョン」を東京芸術劇場小ホール1で観た。
 開演の1時間半ほど前からホールの入り口に並んで当日券を求めたのだが、こうした観劇は本当に久しぶりのことで、こうやって沢山の人と一緒に並びながら発券までのヒマをつぶすという時間の費やし方もひっくるめて芝居を観る醍醐味なのだなあと改めて感じた。それは心躍る体験なのだ。
 はからずもこの日は政権交代がキーワードとなった選挙戦の最終日。与野党の党首は池袋駅の東西に分かれて最後の演説に声を張り上げ、何万人もの人が耳を傾けたはずである。
 そうした世の中の潮目が変わりつつあることからあえて背を向け、たかだか250人ほどの小劇場の暗闇にそっと身を潜ませ、劇世界にダイバーとなって惑溺するという距離感もまた一つの体験ではあるだろう。

 さて、芝居は、源氏物語「葵」「夕顔」と謡曲「海人」「葵上」を中心的なモチーフとしつつ、現代に起こった多重人格と思われる女性による放火殺人事件を絡めた物語として描かれる。
 私はロンドン・バージョンを観ていないので比較はできないのだけれど、主人公の女を演じた大竹しのぶは、絶妙な切り返しで瞬時に転移する人格や女の感情を表出して実に見事だ。
 また、多重人格でありながら一人の人物を演じる大竹しのぶと、様々な役柄を演じ分ける野田秀樹、渡辺いっけい、北村有起哉といった3人の男優のアンサンブルが素晴らしい。
 もっとも野田が演じるのは精神科医のひと役であり、彼が途中で源氏の妻・葵になるのは別のひと役を演じるのではなく、葵の霊が精神科医に憑依したということなのだろう。
 極めてノーマルな第三者的立場で患者を観察するようで、かつ気弱なふうでもある精神科医を演じる野田が葵となってから徐々に病的な残忍さを滲ませるようで、その果てに突如垣間見せる暴力性は観客を震撼させずにはおかない。
 役者・野田秀樹はこうしたものという私の勝手な先入見を打ち破る演技だった。

 大竹しのぶに関して付け加えれば、以前テレビドラマで多重人格者を演じていたことからも、おおよそ予測できる役の造形ではあるのだけれど、直感型あるいは本能的な女優という印象を払拭する緻密な演技であったと思う。
 発声や呼吸法、切り返しのタイミング、叫び声をあげる時の抑制など、駆使されるテクニックは若い俳優のお手本にしたいほどだ。

 さらに加えて特筆しておきたいのが、ソファや椅子といった簡素な装置や扇などの小道具、衣装を様々に工夫して使い、あるいは別のものに見立てながら、現在と過去、場所など、時間軸や空間軸を自在に転換させる演出である。
 これは能をよく観る人であれば当たり前と思われることかも知れないのだが、このスピード感は、三島由紀夫が「能ほどスピーディな演劇はない」と言ったことをも想起させながら極めて新鮮なものに思える。
 おそらくは4人の俳優たちがワークショップのようにアイデアを出し合いながら組み立てていったのであろうそうした遊びの要素や稽古の積み重ねの様子までもが目に浮かぶようで実に面白い。
 
 その一方、この舞台が能の様式を取り入れることで成り立っていることは十分理解しつつも、俳優の演技における能を思わせる所作が少しばかり中途半端な表現に終わっているのではないかとの感想がないわけではない。
 そうした点も含めつつ、これからの私自身の人生の時々に折に触れて思い出すに違いない、実に見応えのある刺激的な舞台だったと思う。