seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

宮沢賢治「カーバイト倉庫」

2023-03-29 | 読書
若い頃に読んだ小説や詩の一節でなぜか忘れられず、その文のリズムや言い回しに何とも言えない魅力を感じるものが誰にも一つや二つはあるのではないだろうか。
私にとって宮沢賢治の第一詩集「春と修羅」の中の「カーバイト倉庫」がまさにそうで、確か二十歳前の独り暮らしを始めた頃に読んで感銘を受け、その後、人生の移り変わりの折節にたびたびその詩の何行かが頭に浮かび、慰められるような気持ちになることがあったのである。

しかし、だからといってこの「カーバイト倉庫」が賢治の詩の中で大きな位置を占めているかというと、決してそんなことはないようなのである。
その証拠に、私の住んでいる街の書店でも入手可能な岩波文庫や新潮文庫、角川文庫の宮沢賢治詩集にはこの作品は収載されていないのだ。編者の目にはさして重要とも思われず割愛されてしまったのだろうか。
私は若い頃、この詩を中央公論社の「日本の詩歌第18巻」の宮沢賢治集で読んだのだったが、バカげたことに引っ越しを何度か繰り返すうちにこの本を紛失してしまっていていたのだった。
そうなると無性にこの詩をもう一度この目で読みたくなってきて、電子書籍やネット、図書館にある筑摩書房の宮沢賢治全集で見つけたのがこの詩なのだった。短いものなので全文を引用する。

  まちなみのなつかしい灯とおもつて
  いそいでわたくしは雪と蛇紋岩(サーベンタイン)との
  山峡をでてきましたのに
  これはカーバイト倉庫の軒
  すきとほつてつめたい電燈です
    (薄明どきのみぞれにぬれたのだから
     巻烟草に一本火をつけるがいい)
  これらなつかしさの擦過は
  寒さからだけ来たのでなく
  またさびしいためからだけでもない

      ※蛇紋岩(サーベンタイン)の( )書き部分は実際にはルビとなります

これを一読して思わず自分の目を疑ってしまったのだが、それは自分の記憶にあって慣れ親しんできたと思い込んでいた詩作品とはどこか違和感があったからだ。これは何かの間違いではないか、誰かが勝手に書き換えてしまったのではないかとさえ思ったほどだ。
何かが違う。言葉のリズムや微妙な言い回しが何だかぎこちないような気さえする。これは一体どういうことなのか。自分は何かに騙されているのではないだろうか。

それではと昔自分が読んでいた中央公論社の「日本の詩歌」を図書館で見つけ出し、その頁を慌ただしく繰ってみたのだが、期待はあっけなく裏切られ、そこにあったのは先に引用した詩そのものなのだった。
なかば茫然としながら、私は自分の記憶を疑うしかなかったのだが、その疑念はあっけなく晴らされることになった。

諦めきれないまま書店に足を運ぶたびに様々な版の賢治詩集を捲って見ていたある日、ハルキ文庫の「宮沢賢治詩集(吉田文憲編)」にそれはあったのだ。
そこに載っていた「カーバイト倉庫」は、上記の詩のさいごの五行が次の六行に置き換わっているのだ。それこそ私が求めていたものだった。

    (みぞれにすっかりぬれたのだから
     烟草に一本火をつけろ)
  汗といっしょに擦過する
  この薄明のなまめかしさは
  寒さからだけ来たのでなく
  さびしさからだけ来たのでもない

これだ、これなのだ、私が覚えていたのは! と思わず興奮してしまった。こうでなくては。絶対にこちらのほうが良いに決まっているではないか。
この違いは一体何によるものなのか、という疑念が当然のように湧いてきたのだが、それは解説文の最後に注釈として書かれていて、ハルキ文庫に収載されている「カーバイト倉庫」ほか2編の詩は、賢治が「春と修羅」初版本に自筆で手入れをし、宮沢家に所蔵されているものに拠るものということなのだった。
このことは賢治の愛読者には当然のように知られていることなのだろうか。つまりこの詩には、初版本によるものと賢治自身がのちに手を入れたものという異なるバージョンの2種類が流布されているということなのである。

しかしそれでは私が以前手にしていた中央公論社の「日本の詩歌」に載っていたはずの詩がいつの間にか入れ替わってしまったように思えるのはどういうことなのだろう、という疑念が残ることになる。
もう一度図書館で確かめると、私が所持していたのが昭和43年発行の初版であるのに対し、図書館にあるのは昭和54年に改訂された新版なのだった。
つまり、はじめは賢治が手を入れたものを載せていたのが、改訂版を出す際に手入れ前の形に戻したということなのだ。

なるほどと、謎は解けたようでほっとはしたものの、それでもどこかにわだかまりのようなものが残るのは、絶対に手入れ版のほうが格段に良いと私自身は思っているからなのである。
ハルキ文庫の編者である詩人の吉田文憲氏がわざわざこの詩の手入れ版を採用したのも、こちらの方が優れていると評価したからなのではないのだろうか。
これはまあ、ただの一読者の思い込みなのかも知れないけれど。

皆さんはどう思われますか?

記憶と捏造

2023-03-24 | ノート
昨年秋口から今年に入って2月中旬までの4か月間ほど、必要があって昔仕事で関わったあるプロジェクトのスタートから数年間の経緯を私なりの視点で書き残すという作業にかかりきりになっていた。
具体的に言うと、豊島区の西巣鴨にあった中学校跡施設を文化芸術の創造拠点として転用した《にしすがも創造舎》をNPO法人の人たちと協働で立ち上げた経緯を関係者の一人という立場で書くという作業である。
《にしすがも創造舎》そのものは2016年12月に惜しまれながらも12年間の活動に幕を下ろしてしまったのだが、その歴史的意義や影響も含め、どのように課題やアクシデントを乗り越えながら事業を進めていったかを記録として残すことには大きな意味があると思ったのだった。

問題はその立ち上げに取りかかったのがもう18年も昔のことで、細部の記憶が曖昧になっている部分が思いのほか多いということだった。
強烈な印象とともにはっきりと覚えている出来事もあれば、ぼんやりとしてはっきりしないこともあり、それこそまだら模様の記憶なのである。
そうした時に頼りになったのが公式の会議に提出した資料であり、さらにはそれを補完する手帳のメモや組織内で情報共有するために私が書き残しておいた議事録の類なのである。
むしろ公式のものよりも、メモ書きのようなものの方が記憶を喚起され、当時の胸の高まりや不安のようなものまでを含めて臨場感を持って呼び起こされるように感じ、大いに役立ったように思う。

しかし、それらはあくまで個人的なメモ書きでしかなく、それの正確性や真実性を証明する手立てはないのだ。
昨今話題の放送法の解釈変更に係わる総務省の行政文書同様に、それを捏造された記憶であると言い張る人が現れた場合、それを反証することはなかなか難しいと言わざるを得ないのである。

今回私が書き残した文章はあくまで一担当者の視点から書く、という前提付きだから良いようなものの、別の人々がそれぞれの立場や視点からまったく異なった物語を書くこともまた可能なのである。それを否定することは誰にも出来ないのだ。

人の数だけ思い出はあり、人の数だけ真実がある。
極論してしまえば記憶は捏造されるものなのである。

であるならば、すでに幕を下ろしてしまったはずのそのプロジェクトの事業の数々が、まだまだ活発に継続しているさまを想像することなど実に容易なことではないだろうか。
10年後あるいは20年後に私の捏造された妄想がいつの間にか真実に変容して歴史に刻まれていることもまたあり得ることなのだ、と私は一人ほくそ笑むのである。