いつの間にか7月も最後の日になってしまった。この1ヶ月に間に自分がどんな仕事をしてどんな成果をあげたのかと振り返ると、記録的な猛暑続きの日々だというのにいささか背筋が寒くなってくる。
なにもビールばかりを飲んでばかりいたわけではなく、あちらこちらに出かけていたのだから記憶しておくべき事柄は今もしっかりと胸の拍動となって息づいているはずなのだ。
もう2週間ほども前に観たスウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」のことを書いておかなくてはならない。
公開直後の新聞の映画評がこぞって大絶賛していたので是非観なければと思って出かけたのだった。
その感想としては、映画史に残る大傑作かというと決してそんなことはないのだが、いつまでも心の奥底で疼くような感情をしっかりと刻み込む、忘れ難い初恋のような味わいの映画である、とでも言っておこうか。
監督はトーマス・アルフレッドソン。原作・脚本は、スウェーデンのスティーヴン・キングと評されるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト。
この映画の紹介はかなり難しい。
うっかりするとネタばれになりかねないし、多様な側面を持った映画なので、簡単な感想だけでは語り尽くすことなど到底できない。結果、ありきたりのことしか書けなくなって情けなくなる。
「孤独な少年が初めての恋に落ちた。恋の相手は謎めいた少女。だが彼女は12歳のまま、時を超えて生き続けるヴァンパイアだった……」
こんな惹句がプログラムには書かれていて、まあ、そのとおりなのだが、この映画を傑作たらしめているのは、何と言っても丹念に積み重ねられたシーンの一場面一場面であり、主役となる二人の12歳の息づかいや肌触りを写し撮った映像の素晴らしさなのである。
さらには、萩尾望都の「ポーの一族」に世過ぎ身過ぎの生活感や血の匂い、肉の発する生臭さを加味した「現実」の物語といった側面もある。
二人の初恋は自らを投げ打って相手を護ろうとする愛へと昇華し、同時に、獲得されたその永遠性は残酷さとなって観客の胸を打つ。
もっともこんなことを書いても何も語ったことにならないのは百も承知なのだけれど・・・・・・。
原作は「モールス」というタイトルの小説だが、原題は「Let the Right One in」(正しき者を中に入れよ)というのらしい。
いずれも映画を観ればなるほどという含意を持った意味深いタイトルだ。これは異なる世界と時間を生きる孤独な者同士のコミュニケーションの物語でもあるのだ。
いま大阪で起こった育児放棄による幼児の放置死事件が大きく報道されている。
いたいけな幼児2人が、かばい合うようにして食べるものもない部屋の中で孤独に死んでいった状況は、到底受け容れることはできないし、理解もできない。語る言葉さえない。
そんな悲惨な状況下にいる子どもたちがまだどこかにいるのではないか。
そうした彼らからの「信号」を察知する手段を私たちはどうすれば持つことができるのだろう。
なにもビールばかりを飲んでばかりいたわけではなく、あちらこちらに出かけていたのだから記憶しておくべき事柄は今もしっかりと胸の拍動となって息づいているはずなのだ。
もう2週間ほども前に観たスウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」のことを書いておかなくてはならない。
公開直後の新聞の映画評がこぞって大絶賛していたので是非観なければと思って出かけたのだった。
その感想としては、映画史に残る大傑作かというと決してそんなことはないのだが、いつまでも心の奥底で疼くような感情をしっかりと刻み込む、忘れ難い初恋のような味わいの映画である、とでも言っておこうか。
監督はトーマス・アルフレッドソン。原作・脚本は、スウェーデンのスティーヴン・キングと評されるヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト。
この映画の紹介はかなり難しい。
うっかりするとネタばれになりかねないし、多様な側面を持った映画なので、簡単な感想だけでは語り尽くすことなど到底できない。結果、ありきたりのことしか書けなくなって情けなくなる。
「孤独な少年が初めての恋に落ちた。恋の相手は謎めいた少女。だが彼女は12歳のまま、時を超えて生き続けるヴァンパイアだった……」
こんな惹句がプログラムには書かれていて、まあ、そのとおりなのだが、この映画を傑作たらしめているのは、何と言っても丹念に積み重ねられたシーンの一場面一場面であり、主役となる二人の12歳の息づかいや肌触りを写し撮った映像の素晴らしさなのである。
さらには、萩尾望都の「ポーの一族」に世過ぎ身過ぎの生活感や血の匂い、肉の発する生臭さを加味した「現実」の物語といった側面もある。
二人の初恋は自らを投げ打って相手を護ろうとする愛へと昇華し、同時に、獲得されたその永遠性は残酷さとなって観客の胸を打つ。
もっともこんなことを書いても何も語ったことにならないのは百も承知なのだけれど・・・・・・。
原作は「モールス」というタイトルの小説だが、原題は「Let the Right One in」(正しき者を中に入れよ)というのらしい。
いずれも映画を観ればなるほどという含意を持った意味深いタイトルだ。これは異なる世界と時間を生きる孤独な者同士のコミュニケーションの物語でもあるのだ。
いま大阪で起こった育児放棄による幼児の放置死事件が大きく報道されている。
いたいけな幼児2人が、かばい合うようにして食べるものもない部屋の中で孤独に死んでいった状況は、到底受け容れることはできないし、理解もできない。語る言葉さえない。
そんな悲惨な状況下にいる子どもたちがまだどこかにいるのではないか。
そうした彼らからの「信号」を察知する手段を私たちはどうすれば持つことができるのだろう。