知の逆転
2013-01-19 | 読書
サイエンスライター吉成真由美氏のインタビュー・編による「知の逆転」(NHK出版新書)が面白いと評判になっている。私は昨年末に新聞の書評が出てすぐに買いに行ったのだが池袋の書店でようやく見つけることが出来た。それが今では近所のそれほど大きくはない書店の棚に何冊も並んでいる。
「現代最高の知性6人が熱く語る」と帯にあるように、進化生物学・生物地理学のジャレド・ダイアモンド、言語学者ノーム・チョムスキー、精神医学者で作家のオリバー・サックス、コンピュータ科学者・認知科学者マービン・ミンスキー、数学者トム・レイトン、分子生物学者ジェームズ・ワトソンといった錚々たる人々に吉成氏が果敢に問いかける内容だ。
「はじめに」の中で吉成氏が書いているように、「もしも、膨大な時間と労力をかけ、社会の枠組みや時代の圧力にへつらうことなく、目をこらして物事の本質を見きわめようとし、基本となる考え方の踏み台を示してくれるような人がいるのであれば、ぜひその話を聞いてみたい。そういう思考の踏み台を知ることは、どれほど自分の身の回り、あるいはグローバルな問題を考えるうえで助けになることか」といった問題意識と意欲のもと、これらのインタビューは行われた。
たしかに抜きんでた世界の叡智である登場人物たちの発言はすべてを引用したくなるほどに刺激的で興味深い。いささか偏狭で頑固だなと思えないこともないとは言え……。
しょっぱなに登場するジャレド・ダイアモンドは、いきなり「『人生の意味』というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない」と言って度肝をぬく。
この章の冒頭にサマーセット・モームの「思い煩うことはない。人生は無意味なのだ」という言葉がエピグラフとして掲げられているのはもちろんジャレド・ダイアモンドのインタビューを受けてのことだろう。
たしかに意味を求めて思い煩い、無用な苦悩を感じたりするのであれば、最初から意味などないと思い定めてしまえばこれほど気軽なことはない。
意味はあらかじめ「在る」ものでも与えられるものでもなく、自ら創り出すものと考えれば少しはポジティブな言い方になるだろうか。「無」とは、何もない空疎なことではなく、座標軸の「0」のようにあらゆる存在の基盤になるものなのだ。
さらに彼はこんなことも言う。「インターネットを介して得られる情報は、実際に人に会って得られる情報にはとてもかないません。(中略)インターネットを通じた情報の流れよりも、移民と観光による実際の人の流れのほうが、社会へのインパクトが大きいということです」といった発言は極めてまっとうなものだ。
人口増加や資源の活用において、世界はすでに成長の限界に達している。世界の漁場は開発されつくし、世界の森林も伐採の限界に達している。これを食い止め、数十年先の世界が安定しているためには、消費量がいまより少なくなり、世界中で消費の量がどこでもほぼ均一になる必要がある。消費量の低い国々は高い国々に敵意を持ち、テロリストを送ったり、低いほうから高いほうへと人口移動が起こるのを止められない。消費量に格差がある限り世界は不安定なままであり、安定した世界が生まれるためには、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。たとえば日本がモザンビークより100倍も豊かな国であるということがなくなり、全体の消費量が現在より下がる必要がある……、という意見には頷かざるを得ない。
政権が替わって景気刺激策が矢継ぎ早に打ち出されているが、その根底に「成長」という「神話」のあることに懸念を感じるのは私ばかりではないだろう。一方で、ジャレド・ダイアモンドの語る文明論に頷きはしても心底納得できないねじくれた感情のあるのも多くの日本人に共通したことではないか。
しかし、1960年に30億人だった世界の人口がわずか40年後の今世紀初頭には倍になり、今や70億人を突破した地球の近未来をどのようなものにするかは、本書で語られた叡智に謙虚に耳を傾けることが出来るかどうかにかかっているのかも知れない。
「現代最高の知性6人が熱く語る」と帯にあるように、進化生物学・生物地理学のジャレド・ダイアモンド、言語学者ノーム・チョムスキー、精神医学者で作家のオリバー・サックス、コンピュータ科学者・認知科学者マービン・ミンスキー、数学者トム・レイトン、分子生物学者ジェームズ・ワトソンといった錚々たる人々に吉成氏が果敢に問いかける内容だ。
「はじめに」の中で吉成氏が書いているように、「もしも、膨大な時間と労力をかけ、社会の枠組みや時代の圧力にへつらうことなく、目をこらして物事の本質を見きわめようとし、基本となる考え方の踏み台を示してくれるような人がいるのであれば、ぜひその話を聞いてみたい。そういう思考の踏み台を知ることは、どれほど自分の身の回り、あるいはグローバルな問題を考えるうえで助けになることか」といった問題意識と意欲のもと、これらのインタビューは行われた。
たしかに抜きんでた世界の叡智である登場人物たちの発言はすべてを引用したくなるほどに刺激的で興味深い。いささか偏狭で頑固だなと思えないこともないとは言え……。
しょっぱなに登場するジャレド・ダイアモンドは、いきなり「『人生の意味』というものを問うことに、私自身は全く何の意味も見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない」と言って度肝をぬく。
この章の冒頭にサマーセット・モームの「思い煩うことはない。人生は無意味なのだ」という言葉がエピグラフとして掲げられているのはもちろんジャレド・ダイアモンドのインタビューを受けてのことだろう。
たしかに意味を求めて思い煩い、無用な苦悩を感じたりするのであれば、最初から意味などないと思い定めてしまえばこれほど気軽なことはない。
意味はあらかじめ「在る」ものでも与えられるものでもなく、自ら創り出すものと考えれば少しはポジティブな言い方になるだろうか。「無」とは、何もない空疎なことではなく、座標軸の「0」のようにあらゆる存在の基盤になるものなのだ。
さらに彼はこんなことも言う。「インターネットを介して得られる情報は、実際に人に会って得られる情報にはとてもかないません。(中略)インターネットを通じた情報の流れよりも、移民と観光による実際の人の流れのほうが、社会へのインパクトが大きいということです」といった発言は極めてまっとうなものだ。
人口増加や資源の活用において、世界はすでに成長の限界に達している。世界の漁場は開発されつくし、世界の森林も伐採の限界に達している。これを食い止め、数十年先の世界が安定しているためには、消費量がいまより少なくなり、世界中で消費の量がどこでもほぼ均一になる必要がある。消費量の低い国々は高い国々に敵意を持ち、テロリストを送ったり、低いほうから高いほうへと人口移動が起こるのを止められない。消費量に格差がある限り世界は不安定なままであり、安定した世界が生まれるためには、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。たとえば日本がモザンビークより100倍も豊かな国であるということがなくなり、全体の消費量が現在より下がる必要がある……、という意見には頷かざるを得ない。
政権が替わって景気刺激策が矢継ぎ早に打ち出されているが、その根底に「成長」という「神話」のあることに懸念を感じるのは私ばかりではないだろう。一方で、ジャレド・ダイアモンドの語る文明論に頷きはしても心底納得できないねじくれた感情のあるのも多くの日本人に共通したことではないか。
しかし、1960年に30億人だった世界の人口がわずか40年後の今世紀初頭には倍になり、今や70億人を突破した地球の近未来をどのようなものにするかは、本書で語られた叡智に謙虚に耳を傾けることが出来るかどうかにかかっているのかも知れない。