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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

浮遊霊とミュージカル

2016-11-21 | 読書
 数日前のこと、天王洲銀河劇場にミュージカル「マーダー・バラッド」を観に行った。
 私の住む埼玉県境の東京城北地域から新宿湘南ラインに乗り、天王洲アイルに向かいながら、この日本でニューヨーク生まれのロック・ミュージカルを観る意味は何なのかなどとぼんやり考えていたのだが、途中、電車の中で読みだした津村記久子の短編小説集「浮遊霊ブラジル」があまりに面白くてそちらに夢中になってしまう。

 「マーダー・バラッド」はニューヨークのとあるバーを舞台に4人の男女が繰り広げる愛と嫉妬と殺人の物語。休憩なし、90分間のノンストップ・ロック・ミュージカルである。
 素晴らしいスタッフ・キャストによる力のこもった舞台には違いないのだが、私の頭のなかは、劇場に着く直前まで読んでいた「浮遊霊ブラジル」所収の「アイトール・ベラスコの新しい妻」のほうに気を取られていて、何とも心もとない。
 最近の私は台詞あるいは歌詞の聞き取り能力が極端に低下していて、そのためかどうか、ミュージカルが描き出そうとする世界観にどうにも入っていけない。そもそも俳優たちに生活感がまるでないのだけれど、これは一体何に由来することなのか。
 You Tubeで垣間見たニューヨーク公演の舞台の俳優たちはいささか太り気味ではあったけれど、そこに暮らしている人間の匂いと鬱屈を放って存在し、生きていた。

 「アイトール・ベラスコの新しい妻」もまた、愛と嫉妬の話ではあるのだが、見事な語り口で、まさに私たちが生活に疲れて暮らすこの街の何気ない光景が一挙に時を遡り、空間を駆け巡って、地球の裏側で起こったサッカー選手の再婚話につながっていく。その自然で闊達な話の展開につい引き込まれてしまう。
 登場人物の一人として語られる女優のいじめを克服し、地球の裏側のアルゼンチンで自分の生き方を発見していく物語にも勇気づけられる。
 このほかの小説も表題の「浮遊霊」にちなんで死んだ人間が語り手となったものが多いのだが、まるで落語の「地獄八景亡者戯」のような面白さに笑いこけながら、ふと人間の在り様を深いところで考えさせられる。
 冒頭に置かれた「給水塔と亀」は、いささか趣が異なる小説だが、定年退職し、生まれ故郷で独り暮らしをすることになった男の日常を淡々と描いて心に沁みる作品だ。
 2013年の川端康成賞を受賞した小説で、当時、雑誌に掲載された時にも読んでいたのだが、主人公の過ごす時間の一コマ一コマの描写が読む者の身にそっと寄り添ってくる。あれからもう3年も経ってしまったのかと今さらながらに驚いてしまったが、折に触れ再読したくなる秀作である。