seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

「こことよそ」のこと

2020-05-26 | 読書
保坂和志氏の小説「こことよそ」(「ハレルヤ」所収)を読んだ。これで4回目になるのか。最初に雑誌「新潮」に載った時と、本作が第44回川端康成文学賞を受賞した時にも読んだし、単行本が出てすぐと今回ということになる。
今回読んだのは、ずっと気になる作品ということはもちろんなのだが、その語り口というか、小説の流れをもう一度味わいたかったからだ。
それにしても、もしこの小説を外国語に翻訳するとして、翻訳者はこの文章をどのように処理するのだろう、思い悩むだろうというような文章が頻出する。

ずっと前、私がまだ組織に所属していた頃、一人前の顔をして後輩の昇任試験の小論文にアドバイスしたことがあるが、そうした採点される文章でまず気をつけなければならないのが「文のねじれ」というやつだ。
文章の中で主語と述語の関係が対応せず、意味的におかしくなる現象だが、保坂氏はこの「文のねじれ」を意図的に使っているか、あるいは自動筆記のように無意識に出てきたこの現象を小説の面白さに転用しているように思うのだ。
一例を引くと、単行本の107ページに次のような文章がある。

「私は会以来、ずっと尾崎を思い浮かべながら『異端者の悲しみ』を読んだ、死ぬというのは他の出来事と置き換えられないが誰かが死んだらいつもこんなに思いつづけるわけではないのは私は年が改まると尾崎よりずっと身近でつき合いがひんぱんだった知り合いが二人死んだが私は尾崎のことだけを思っていた。」

句読点の独特な使用もあって、この文章は主語と述語が交錯し、ねじれながら行き着く先を探っているようだ。
こうした文のねじれはしかし、この小説を書いている作家の現在進行形の思考をライブで覗き見するような感触を読み手にもたらすだろう。それが何とも言えないリズムとグルーブ感となって、何度読んでも飽きることがなく、また読みたいと思わせる魅力になっているように思う。
だが、この書き方は誰にでも許されるわけではない。この書法を真似た新人作家はおそらく大やけどを負うに違いないのだ。

それはそうとこの本の110ページに突然出てくる次の文章に思わず目を瞠った。

「……田中小実昌の面白さに出会うのはこの夕方の一ヶ月後だ、私はある晩、読みたい本がふっつりなくなり、毎月ほとんど読まないくせに買いつづけていた文芸誌の『海』の『ポロポロ』の連作の一つのどれかを読み出したらおかしくてベッドの上で深夜、げらげらげらげら笑いが止まらなくなった。……」

『ポロポロ』の話が出てくるのはここだけで小説の本筋とも関係がないといえばない。さらに言えばこの一節がなくても小説は成り立つのだが、これがあるがゆえにこの小説は面白いのであって、その意味でこのくだりは小説に不可欠だ、という言い方ができるのかも知れない。
さて、私がこの一節に引きつけられたのは、たまたまその直前に文芸誌の「文學界6月号」に掲載されている写真家の神藏美子氏の特別エッセイ「聖(セント)コミマサと奇蹟の父」を読んだからで、このエッセイは作家・田中小実昌とその父君である田中遵聖牧師の関係について書かれたものだが、その中で、田中小実昌氏が雑誌「海」の編集者だった村松友視氏から原稿を依頼され、『ポロポロ』を書いた時のことが色鮮やかに描かれている。
その部分や引用されている小説の文章を読みながら気持ちが高揚するのを私は感じて、すぐにも『ポロポロ』を読みたいと思ったのだが、あいにくわが家にはアンソロジーで編まれた短篇小説のほか、田中小実昌の本が一冊もない。私の住んでいる街の小さな書店には田中小実昌の本がどこにもなく、コロナのおかげで都心の大きな書店まで出かけることもできない、こまった……、という時にちょうど、先ほどの『こことよそ』の一節に出会った、というわけだ。

ただそれだけのことなのだが、こんな読書の楽しみ方もあるのだろう、と思う。
ちなみに『こことよそ』というタイトルだが、今回私ははじめて、ジャン=リュック・ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルが1976年に共同監督した映画に「ヒア&ゼア こことよそ」という作品のあることを知った。
小説の中では直接触れられていないので、その映画とこの小説が関係あるのかどうかは分からないのだが、そんなあれこれについて思いめぐらすのも勝手な楽しみ方である。

コロナ禍と演劇

2020-05-25 | 日記
夏日が続いたと思ったら今度は日照時間が極端に短い時期が続いたりと、体調管理に気を遣うこと甚だしい。
そんなこんなでストレスが溜まったせいなのか、街には急に人が溢れはじめたように感じる。スーパーマーケットや書店には人が集まっているし、昼から飲める立ち飲み系の居酒屋は呑兵衛たちで密になっている。週明けの25日にも緊急事態宣言解除との観測が出され、一気に緩みはじめたのだろうか。
そういう自分も図書館や美術館のオープンを心待ちにしている一人ではあるのだけれど…。
一方、劇場や映画館の再稼働の時期をいつにするかは難しい判断だろう。とりわけ劇場の再開時期は、制作に手間も時間も要する演劇という特殊性もあって、1週間後に劇場を開けるからといってすぐさま公演が打てるわけではないのだ。
今後何より課題となるのは、コロナウイルスが完全に収束、終息することが困難であり、ウイルスとの長期的な共生が余儀ないものであるとするならば、感染のリスクをいかに最小にとどめながら、劇場を運営するのかということである。安心して観劇できる環境をつくるためにぜひとも専門家の科学的な所見を聞きたいものだ。

雑誌「世界」6月号に劇作家・演出家の谷賢一氏が「コロナ禍の中の演劇」という論考を寄せている。
その言葉一つひとつに深く頷くしかないが、まさに今、谷氏の言うように演劇業界は焼け野原の中にいる。以下、引用。
「…この焼け野原に追い打ちをかけるのが、世間からの冷たい声だ。演劇界から窮状を訴えてみると、こんな言葉が返ってくる。『好きで選んだ仕事だろう』『演劇なんか、なくたって困らない』……。このような酷く冷淡な言葉を浴びせられ、さらには『河原乞食が、何を偉そうに』というような言葉まで投げつける人もいて、業界は萎縮している。…」

こうした意見、中傷に対し、谷氏は社会における演劇の必要性や演劇という芸術の特性、劇場の重要性を丁寧に説明してゆく。
「…劇場とは会話する場所であり、交流する場所である。そして会話と交流を通じて我々は新たな意識や価値観を得て、社会や日常を変革するエネルギーをもらう。そのために演劇はある。…」

これらの言葉が、果たして演劇人を中傷したり、演劇そのものに無関心な人々に届くのかどうか、それは分からない。
届かないかも知れないし、相手は聞く耳を持たないかも知れない、そもそも対話する気すらないのかも知れない。それでも諦めることなく言葉を発し続けることが必要なのだと思う。
谷氏が言うように、「失うのは一瞬だが、取り返すのには途方もない時間がかかる」のだから。

先週の22日(金)、演劇、音楽、映画の3ジャンルの団体が国に対し、「文化芸術復興基金」の創設を求める要望書と署名を提出し、その後、記者会見が行われた。
これも言葉を届けるための行動の直接的な表れであり、とても素晴らしい。とりわけライブハウスやクラブを含む音楽関係団体と演劇、映画関係団体の人たちが手を取り合い、連携したことの意味は大きい。さらに、これを国の省庁や政治家に直接訴えかけるという動きはこれまでになかったものではないだろうか。
演劇界でも著名で影響力の大きい人が個別に声を上げることも大切ではあるが、それぞれの業界の土台を支えているより多くの人々が連携し、団結することはさらに重要である。
心配なのは、各業界ともこうしたロビー活動や政治に訴えることに不慣れであり、政治的な駆け引きや勢力争いに巻き込まれる懸念はないかどうかということである。
そうしたことのないよう、政治家の皆さんにはこれらの声を真摯に受け止めていただくことを望みたい。

新しい働き方/古い働き方

2020-05-22 | 日記
この何日か3月下旬を思わせる天候が続いている。つい先日の夏日を経験した後では身体がなかなか適応してくれないようで、一日中眠くて仕方がない。
人出を避けて散歩をするように心がけてはいるのだが、3月以前の働き方や社会生活とは明らかに異なる移動手段や範囲と比べると運動量そのものが格段に少なくなっている。筋肉と神経はやせ細るが、反比例するように脂肪と体重は増え続けている。困ったものである。

さて、少し前の新聞になるが、5月9日の日本経済新聞の「今を読み解く」欄で甲南大学の阿部真大教授が「コロナ禍が問う働き方」について寄稿している。
この度のコロナ危機が、期せずして、テレワークやリモートワークといった「新しい働き方」の実効性を測る大規模な「社会実験」のようなものになったという前提に立ったうえで、現在巷間目にし、耳にもする「新しい働き方」が日本企業の「古い働き方」を変えられるのではないかという議論においては、「古い働き方」のメリットが見落とされがちであると指摘している。
以下、そのまま引用すると、「私(阿部教授)自身、勤務先の大学の要請でテレワークをはじめて気づいたことは、リアルな対面コミュニケーションのもつ情報量の豊かさと効率性である。今までリモートでも同じだと思っていた会議を実際にリモートでした時のコミュニケーションの困難さは、現在、多くの人が経験していることだろう。」「だからこそ、人々はテレワークにおけるコミュニケーションに、新しい種類の『疲れ』を感じはじめているのだろう。」

これについて同感する部分は大きい。対面のコミュニケーションにおいては、相手の身振りや複雑な表情の変化、距離が醸し出す空気感、それらを感じ取りながら交わす会話のやり取り、それらをリアルにオンライン上で代替することは現状では困難なのではないか。
いま、私たちが目にする多くのテレビの報道番組やワイドショーなどで、各分野の専門家やコメンテーターがソーシャルディスタンスを保つため、離れた場所からパソコン画面を通じて会話をするようになったが、それをずっと見続けていると、妙な苛立ちや疲れを感じるのだが、それは音声の不備や画面を通じた表情の不明瞭さとともに、人と人の会話の合間に生じるコンマ何秒かの微妙な「間」に起因しているように思える。

これを「演劇」に引き付けて改めて考えてみると、「演劇」という芸術は、その微妙な「間」や表情が生み出す空気感を材料として成り立つものなのだ。これをオンライン上で現前させるためには、まったく新しい発想の演技や演出が求められるに違いない。

コロナ禍が収束に動きはじめた時、やはりリアルなコミュニケーションを求めて「古い働き方」に回帰するのか、あるいは技術の進歩を加速させ、よりリアルな「新しい働き方」をあくまで希求するのか、その議論の帰趨は、これからの社会のあり方そのものを問いかけ、予測するものとなるだろう。

話は変わるが、今日(5月21日)の新聞紙面は、例の黒川幹事長辞任の動向に関する話題が多くの紙面を占めている。
こうした報道の裏に何が起こっているのか、本当のところは何なのか、それを読み取るのはなかなか厄介なことである。報道は発信する人間がいて、その発信には何らかの意図があるはずなのだが、それは記事の字面からだけでは読み取れない。
それはそれとして感じたのが、当の黒川氏とマージャン卓を囲んでいたのが新聞記者であったということだ。その是非はともかくとして、問題は、こうした関係がこれまでニュースソースたる人物との接点を保持するために良しとされてきた「古い働き方」にあるのではないか。
報道する立場の人たちの「新しい働き方」のあり方について、これから議論が深まり、見直しがなされることを期待したい。

名言と迷言

2020-05-13 | 言葉
5月9日付朝日新聞のコラム「多事奏論」で論説委員の郷富佐子氏が紹介しているのが英国ジョンソン首相の3月末のメッセージ映像での発言だ。
ジョンソン首相は、新型コロナウイルス感染が拡大する状況下、復職の呼びかけに応じてくれた医師、薬剤師やボランティアに名乗りを上げてくれた多くの市民に感謝し、こう締めくくったのだ。
「今回のコロナ危機で、すでに証明されたことがあると思う。社会というものは、本当に存在するのだ」
この「社会は存在する」というのは、同じ保守党の故サッチャー元首相が残した「社会など存在しない。あるのは個人とその家族だけだ」という有名な発言のもじりなのだが、サッチャー氏本人は後に「(本意が)ゆがめられた」と嘆いたという。
ご本人が実際にどう言ったかはさておき、この言葉は、新自由主義と個人主義を推し進めたサッチャー氏の信念を象徴する言葉として世の中に流布されている。

一方、「イングリッシュ・ジャーナル」6月号の「柴田元幸の英米文学この一句」では、柴田先生が、シャーロック・ホームズが言ったとされる「Elementary,my dear Watson.」(「初歩的なことだよ、ワトソン君」)というよく知られた言葉を紹介している。
この言葉だが、実のところ、コナン・ドイルが書いたホームズもの全作品を見ても、このフレーズはどこにも出てこない。このことはホームズファンの間では、かなりよく知られていることであるらしい。

柴田先生曰く、「ホームズが一度もそう言っていないにもかかわらず、このフレーズが人口に膾炙したのは、それがいかにもホームズらしい発言、ドイルは書いていないけれど書いていても全然おかしくなかった一言だからだろう。人々の知恵が、ドイルを編集したのだ。いわば『正しい誤引用』」とのこと。

そういえば、よくビジネス書などでも引用される進化論で有名な生物学者ダーウィンの名言に「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、激しい変化にいち早く対応できた者である」というのがある。
経営トップの方々もよく引用される言葉なのだが、これもまたダーウィンの全著作のどこを探しても出てこないとのことだ。つまり、ダーウィンはそんなことは言っていないのだ。

こうした例は枚挙に暇がない。あの人ならこう言ったに違いないという誰かの思い込みや人々の共同願望が形になったものなのだろうか。
いずれにせよ、これらの言葉はその時代や世相を反映しながら、私たちの生活を味わい深いものにし、ある意味で豊かにもしてくれる。目くじら立てることではないのかも知れない。

だが、そう言っていられないのが政治の世界である。
私たちの暮らしや国としての行く末に影響を及ぼしかねない政策決定が、誰かが思い込んだり勝手に捏造された言葉の「誤引用」で左右されてはならないだろう。
それゆえにこそ、政策の意思決定の論拠やプロセスを明らかにし、後世に残すための議事録や公文書の作成・保存は極めて重要なものなのである。
ゆめゆめおろそかにしてはならない。

観客と世論

2020-05-12 | 演劇
少し前のことになるが、5月8日付の毎日新聞で同新聞と社会調査研究センターが6日に実施した全国世論調査で、新型コロナウイルス問題への対応で「最も評価している政治家」を1人挙げてもらった結果が報道されている。
トップはダントツで大阪府の吉村知事、2位が小池東京都知事、3位が安倍晋三首相だったとのこと。
この結果は意外でもあり、一方でそんなものだろうなと頷く部分もある。世論、あるいは世間とはこうしたものなのだ。
これはメディアへの露出の度合いや発信力の有無、それが多くの人々にどう伝わり、どう受け止められたかということによる、その表れなのだ。この事実は冷徹に受容し、分析しなければならない。

いま、話題になっている「♯検察庁法改正案に抗議します」とのTwitter上での意見表明が、著名な文化人や芸能人の間にも広まり、その数が240万を超えたという。(報道により差異あり)
相当な数だと思うけれど、これが世論の大勢かといえば、残念ながら否と言わざるを得ないだろう。
時の政権はもっとしたたかだし、世間というものは岩盤のように強固な頑迷さを持っている。これに抗するにはさらに大きな声が必要であり、その声を拡大するのはなかなか容易なことではない。世間の大半は無関心という鎧をまといつつ、自分の見たいものしか見ないものだ。安倍さんはなかなかよくやってるよね、という見方は上記の全国世論調査の結果を見るまでもなく思いのほか根強いのだと思う。

さて、演劇界隈の話であるが、最近、平田オリザ氏のコロナ禍に関連した発言が炎上して、それが演劇そのものへの心ないバッシングや否定的意見を生み出しているようで何とも胸塞がる思いである。
演劇を身近に感じる立場の私から見れば平田氏はまっとうな意見を言っていると思えるのだが、その中で引き合いに出された産業分野:製造業の譬えが思いもよらないリアクションを引き起こしている。
それに対して、真意はそうではないのだといくら言おうと、聞く耳を持とうとしない人々に声は届かない。これでは議論にもならないのだ。
それにしても思い知らされるのは、演劇という業態の産業としての宿命的な非効率さであり、基盤の脆弱さである。そもそも観客数は劇場のキャパシティに限界があり、公演数も限られている。それは動員客数の少なさにも起因することで、あらゆる芸術分野の中でもその鑑賞者は稀少でしかない。支え手たる観客の総数が圧倒的に少ないのが現状だ。
さらに一口に演劇といっても、歌舞伎や宝塚歌劇、商業的なミュージカルと小劇場系の演劇はセグメントされていて、それらの観客の声が一つのうねりになることはないだろう。世論を形成するにはまだまだ遙かな懸隔があると感じざるを得ない。
社会における演劇の持つ有効性をどのように訴えていけばよいのか、課題は多いと言わざるを得ないのだ。

しかし、それでもなお、声を発し続ける必要はある。平田氏に対しての心ない意見や、おまえらのお芸術など勝手に滅びてしまえと言わんばかりの声には抗していかなければならない。
この文化を、芸術を何としても残そう、次代につなげようという明確な意思のないところには、存続も発展もあり得ないからである。

そんな時、先週末に、平成の初めから30年を超えて続いてきた「池袋演劇祭」が今年はコロナの影響から中止となったとの発表があった。
残念である。
ご存じのとおり、「池袋演劇祭」は、毎年9月の一か月間、池袋周辺の劇場で公演を行う劇団やユニットすべてが参加できる地域密着型の演劇祭であり、受賞作品を公募で選ばれた一般区民100人が審査員となって選定するという、いわば市民に開かれた演劇フェスティバルなのだ。
最近私は、この演劇祭が、演劇関係者とその愛好者という狭いコミュニティにこもりがちな舞台芸術をより広く、世論を形成するようなより多くの人々にも開かれたものとする、そんな役割を担いうるのではないかと期待していたのだ。
それは、ふだん演劇などほとんど見ないにも関わらず、演劇をあまりこころよく思っていない層の人々にも有効に働きかけるきっかけになり得るものなのではなかろうかと。

このたびのコロナ禍による中止は誠に無念としか言いようがないが、収束後には是非ともさらにパワーアップした姿を見せてほしいと願ってやまない。

体重と神経

2020-05-10 | 日記
4月からそれまで所属していた組織を離れ、肩書きも名刺も持たない生活に入ったのだけれど、劇場にも映画館にも美術館にも図書館にも行けないという生活はまったく予期していなかった。
正直途方に暮れる感があり、体重は増えるが神経はやせ細る思いである。こうした機会に積ん読だけだった本に手を伸ばし、読み耽るのも良いのでは、とも思うのだが、哀しいかな、これがなかなか時間はあるようで読書に集中できないのだ。人間は移動する動物なのである。巣ごもり状態では出来ることも出来ないではないかと駄々っ子のように愚痴ってばかりで、時間だけが過ぎていく。
だからという訳ではないのだが、日記を書くことにしようと思う。
心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、である。
これは私自身のリハビリであり、心の安定剤なのだ。

何日か前に沼田真佑著「影裏」を文庫版(文春文庫)で読んだのだが、その感想をなかなか言葉に出来ないでいる。この作品は表題作が芥川賞を受賞してすぐに出た単行本で読んだのだが、文庫には、芥川賞受賞後に書かれた2篇も収録されていて、併せ読むと作家の描く世界がより深まって感じられる。素晴らしい文章を味わい、再読、三読に値する小説であると思う。

坪内稔典著「正岡子規 言葉と生きる」(岩波新書)を読み始める。
「はじめに」の中に書かれている「…当時の彼(正岡子規)は、明日をもしれない命を自覚しており、食べることが一種の存在証明になっていた。…」という一節に惹かれる。
正岡子規は病を得て自身の命の有限であることを自覚しながら、やるべき事をやり、己の生を生ききった。がんサバイバーである私は、その泣き言もわがままも含めて共感を覚えるのだ。
同書の中で、正岡子規と同年生まれの南方熊楠のエピソードが興味深い。二人はともに子どもの頃から写本または筆写にのめり込んだのだが、熊楠はそれが桁外れなのだ。以下引用。
「小学生の熊楠は友人の家に遊びにゆき、そこにある江戸時代の百科事典『和漢三才図会』を読んだ。暗記して家に戻り。半紙を綴じた帳に書きつけた。図も暗記して書いた。熊楠は三年かけて百五冊のその百科事典を写してしまった。それだけでなく、中国の植物学の事典『本草綱目』五十二巻(二十一冊)も写した。古本屋から借りた『太平記』五十冊も写したし、『諸国名所図会』『節用集』なども写した。熊楠自身の言葉で言えば、『書籍を求めて八、九歳のころより二十町、三十町も走りあるき借覧し、ことごとく記憶し帰り、反古紙に写し出し、くりかえし読みたり』(『履歴書』大正十四年)ということになる。」
その天才ぶりには言葉もないが、まさにこの恐るべき筆写が熊楠の知の基礎になったのだ。
一方、子規の筆写の最たるものは明治二十四年頃から始めた「俳句分類」だが、これは古今の俳句を四季、事物、表現の形式、句調などによって分類したもので、明治二十六年に友人の竹村鍛にあてた手紙によれば、この半紙を綴じて筆写した俳句分類が、積み上げると子規の身長(163センチ)の高さになったという。
現在では考えられないこうした努力を彼らは必要に応じて、しかし楽しみながら日々積み上げていたのだ。

9日(土)午後7時30分からのNHKスペシャル「ふり向かずに 前へ 池江璃花子 19歳」を見る。水泳・池江選手の白血病からの再出発の日々を記録した番組。入院中の過酷な闘病生活や、退院から復帰に向けたリハビリの様子、そして406日ぶりにプールで泳ぐ姿をインタビューを交えて伝えている。
正直、日本新記録を出し続けていた頃と比べてあまりに痩せた姿に痛々しいものを感じたのだが、あくまで前向きに復帰に向けたトレーニングを重ねるその姿勢に心からの感動を覚える。年若い彼女から勇気を与えられた。

ドラマとスマホ

2020-05-09 | 雑感
コロナ禍によって新作ドラマの撮影が延期となり、多くの現場ではその公開時期や、すでに公開されているドラマ放映の継続に苦慮しているようだ。
その穴埋めのため、昔の作品を再放送することが多くなったように思えるが、ドラマの中で使われる通信機器が時代の流れを如実に映し出していて面白い。
つい先日もテレビ朝日系列のドラマで「特捜9」の前身である「警視庁捜査一課9係」第1シーズンの第1話が放映されていた。また、従前から平日午後の時間帯では「相棒」が繰り返し再放送されている。
「相棒」は今年20年目を迎える人気ドラマだし、「9係」もスタートは2006年だからすでに14年前ということになる。
今ならGPS機能を使って逃亡犯や誘拐された子どもの位置を確認したり、撮影した現場の写真や様々なデータを瞬時に送受信したりといったことが当たり前のように行われるのだが、15年くらい前の刑事ドラマには当然ながらスマートフォンもSNSも登場しない。それがドラマの筋立てにも反映されているようだ。
当時最新の連絡手段は携帯電話(いわゆるガラケー)であり、その型式も年代によって変遷するから、それを見ながら、「ああ、あの頃あんなの使ってたねえ、懐かしい!」などと言い合うのも昔のドラマの楽しみ方の一つではあるのだ。
先日見た「9係」では、仕事のためデートに行けなくなった女性刑事が待ち合わせの恋人に断りの電話を入れるのだが、逆にやさしい言葉をかけられ、電話を切った後、携帯電話を両手に握りしめ、それを頬に当ててうっとりとした表情を浮かべるというシーンがあったが、そんな道具立ては昔の携帯電話ならではのことで、今スマホでそんなことはしないなあと思ったものだ。(あ、これはこのシーンを否定しているのではなく、失われた懐かしいもの、という意味合いです)
道具は人の「ふるまい」をも変えてしまうものなのかも知れない。

そういえば、2011年の東日本大震災の発生時、その後の電力不足や物資の不足によって日常生活や様々な活動に支障が生じ、不便を余儀なくされたのだったが、その際の日本人のふるまいが他人を思いやり、礼節を重んじたものであり、世界的にも奇跡的なことと称賛されていたことを思い出す。
思い返せば、当時はスマートフォンやSNSが一般に活用され始めてまだ数年という時期だった。チュニジアで起こったジャスミン革命(民主化運動)でFacebookやTwitterなどが大きな役割を果たしたと言われるのも3.11の直前のことだ。当時書かれた報道記事やいくつかの論文の中では、情報技術の駆使による新たな民主主義の登場や合意形成の方途が未来志向で語られ、SNSを活用した集合知の意義が信じられていた頃だ。

あれから9年が経過したのだが、その間、世界中を飛び交う情報通信量は私たちに想像すら出来ないほどの規模で爆発的な増大を続けている。

しかしながら、そこで飛び交う言葉の中身はどうだろう。
私自身の数少ない経験からの感想でしかないのだが、今、ネット上に飛び交う言葉の数々は目を覆いたくなるような惨状を呈してはいないだろうか。匿名性の鎧をまとい、特定の人や組織を貶めるような言説や皮肉、罵詈雑言は絶望でしかない。
コロナ禍というかつてない状況下、目に見えないウイルスへの不安やいつ収束するかも分からない日常生活への影響、政治への不信など、人々の心の中で増幅する感情が噴出した一形態という面もあるには違いないだろう。
しかし、そんな時だからこそ、より良く生きようと懸命に努力する人たちの働きを鼓舞し、勇気づけ、後押しするような、良き言葉こそを聞きたいと願うのだ。

蛇足ながら付け加えておくと、このことは私たちが政治的発言をすることや、時の政権を批判することを否定するものではない。
「批判」の本来的な意味が、「物事の真偽や善悪を批評し判定すること」であるように、政治や各種政策に目を向け、批判することは広く国民の権利であり、義務でもあるだろう。
なぜなら政治はあまねくすべての人々のものだからである。自分たちの政治がより良いものとなるために声を発するのは当然のことなのだ。その先にこそ、かつて信じられていた新たな民主主義や合意形成のための集合知が生まれるのではないか。そんな気がするのだ。

無観客演劇

2020-05-01 | 演劇
無人の森で朽ちた樹が倒れるとき音はするか、という哲学上の問いがある。
存在は認知があってはじめて成り立つ。誰も聞くものがいなければ音はしない、というのが答えらしいのだが、これを援用して、観客のいない劇場で果たして演劇は成立するだろうか、ということを仲間と議論したことがある。
たった一人だけでも観客がいれば演劇は成立する、というのがその時の結論だったが、実際にはどうなのだろう。

大昔の話で恐縮だが、JRが国鉄だった頃、全面ストライキに突入し、首都圏の交通網がストップする中、無謀にも公演を強行したことがある。
改築前の池袋・シアターグリーンでの公演だったが、20人ほどの出演者に対し、来場してくれた観客はわずか5人いたかどうか。
そうした時に冷静でいられないのが役者というもので、白々とした客席を何とか熱くしようとした演技は空回りし、その日の芝居は荒れに荒れた。
理論も技術も未熟だったがゆえの失敗談なのだが、返す返すも演劇は観客との双方向のコミュニケーションによって成り立つものだということを痛感した。

現在、新型コロナウィルスの影響であらゆる活動が自粛を余儀なくされるなか、多くの表現者=演劇人、音楽家、アーティストによってオンライン発信をはじめ、様々な媒体を駆使した表現が工夫され、模索されている。
その試みのすべてを私は肯定したいと思うが、自粛期間が長期化し、表現のあり方が多様化した結果、表現の発信者と受け手の間にあった前提条件そのものがいつの間にか変異してしまうのではないかとの危惧を抱くのは私だけだろうか。
さらに、劇場や映画館、ライブハウスなどに抱く人々の意識の変化によって、それら施設のあり方そのものがどのように変容してしまうのか、今は想像することも出来ない。