立春寒波というのか、今日も東京の朝は零下の冷え込みであった。
だが空は、雲一つなく冬晴れの好天、何処かへ出掛けたくなった。
午後から七年ぶりに古武道演武大会を見学しに日本武道館へ行った。
この大会は例年二月上旬の日曜日に開催されているが、入場料は500円
で、日本中の名だたる武道流派の演武が見られるが、娯楽性はほとんど
ない。日頃の鍛錬の成果である武道の表演であり、興行ではないので、
当然といえ . . . 本文を読む
趣味買いオークションはこれで最後とばかり、古木刀を千円で落札。
私以外に入札者なし。明治か江戸末期の制作品で、全長90センチ、
300gという細身だが、稽古に使われていたらしく素材はしっかり
している。柄頭には鋲が打ってあり、今日の大量生産品には見られない
古い手造りの拵えである。
だが、実際に現物が届いて開けて見たときには、一瞬がっかりした。
古色蒼然と言うよりは、あまりに汚いのである。
普通 . . . 本文を読む
八月だというのに雨ばかりで梅雨のようです。
深夜、雨音を聴いていたら、師範のことを思い出しました。
あなたが御病気を隠されて、理由も告げずに道場を解散されたとき、
解散式の当日は雨が降っていましたね。
ある方が空を見上げて、「五月雨ですね」と語りかけたとき、
「これは、オレの悔し涙だ」と口にされたのを覚えております。
あれから数年して、師範は突然他界されましたね。
医師でもあるあなたは、ご自身 . . . 本文を読む
秋風の立つような涼しい一日である。
今、霧雨が舞い、遠くから盆踊りの音が聞こえる。
私の心はどこか乱れているようだ。
私には強迫性障害の気があるので、ひとつの事が気に障り引っ掛かると、
頭がそれに占有されてしまい、他の事が手に就かない状態に陥る。
前回の投稿に記した某不動産屋の若造営業マンのことが、どうしてか、
気持ちに翳りとしてくっ付いてしまい、気持ちを乱れさせている。
無礼な人ではないが . . . 本文を読む
朝、庭に出ると風がさわやかだった。
鉢植えに朝顔が二輪咲いていた。
庭に水を撒いたら、トンボが二匹寄ってきた。
私が日課の木刀振りを始めると、
二匹のトンボが、私を取り巻き、流線を描いた。
トンボの自在なしなやかさで、刀が使えたらと思う。
木刀を振っていると、自分のその時々の心がわかる。
だからこそ、木刀を振ることで心を正すことも出来る。
鏡に映して、自分の顔形を知るようなものである。
朝だ . . . 本文を読む
「我があるから敵があり、我がなければ敵もない。」
だいぶ以前に、武術家の甲野善紀さんの講演会で耳にして、
ハッとさせられた言葉である。
江戸中期に流布したという『田舎荘子』の中の一編、
『猫の妙術』は、武術の書らしいが、初めて読んだとき大変面白かった。
甲野さんの最初の言葉は、道に通じた先人ならば、誰が述べていても
おかしくないが、『猫の妙術』から引かれているようにみえる。
『猫の妙術』は、 . . . 本文を読む
五時に目が覚める。
短い雨が気紛れに降るので、外出を控える。
雨の合間に、狭い庭先で木刀の素振りと、ヌンチャクを軽く振る。
久しぶりに杖(じょう)も振ってみた。
どの武器も、扱い方を正規に修めたものはない。
指導を受けた経験はあるが、ほとんど我流である。
近年、杖の効用が、甲野善紀氏あたりの影響であろうか、見直されている。
私も振ってみて、一番体の運動に、いい手ごたえを感じるのが杖である。
体術 . . . 本文を読む
広い野原に自然体で立つ。
肩の高さに片腕を伸ばして上げ、
掌を空に向け、小指を親指の方へとやや捻り、
目は遠くを憧れて見るようにして、
片腕を水平にグルリと廻してみる。
すると、私の体から気が放たれる。
遠くの樹木の幹や緑と呼応する。
空間から新しい大気が体に返って来る。
腕の振り廻しに合わせて、体も自然としならせて、
旋廻と逆旋廻をゆっくりと続けていると、
体の呼吸と空間が同調してくる。
. . . 本文を読む
40代に入ってから始めたものに、空手がある。
最初に入門したのは、寸止め空手をやる小さな町道場だった。
全空連の和道会に属し、T大の空手部OBや
現役のT大空手部の指導者が稽古をつけてくれていた。
しかし、いつも形(かた)の稽古ばかりやらされて、退屈気味だった。
道場主の先生に、組手稽古は何故やらないんですか?と尋ねたところ、
「危ないから…」というお返事を頂戴したときには、体から力が抜ける思い . . . 本文を読む