脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

頭がボーッとする

2007年11月30日 17時16分32秒 | 近況
いつの間にか、もう師走である。 最近、頭がボーッとしていて、地下鉄に乗っても慣れたルートで 乗り換え駅や出口を間違えたりする。 ブログの更新にも、意欲が湧かないのである。 昨日は、近所にある名ばかりの「自然公園」で午前中散歩をした。 真っ赤に紅葉したもみじが目に鮮やかで、綺麗だなと思った。 池では、でっかい白鳥が二羽、くっきりとした白さで浮かんでいた。 夕方はワード(中級)の講習会で訓練校に行 . . . 本文を読む

安吾小論(7)

2007年11月21日 11時44分44秒 | 読書・鑑賞雑感
「未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ。  堕落自体は悪いことにきまっているが、  モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。  表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、  血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。         (中略)  道義頽廃、混乱せよ、血を流し、毒にまみれよ。  まず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。」        . . . 本文を読む

安吾小論(6)

2007年11月18日 00時08分07秒 | 読書・鑑賞雑感
かの戦争や敗戦を語る場合、 かの時代に生/死を生きた人の姿形に様々あるだろう。 前線の兵隊だけが、戦争をしていたというものでもない。 特攻隊の兵士でさえ、誰もが、強いられた戦争の中を、 生き抜けようとして死んで往ったのではなかろうか。 闇米を背負い、憲兵に叩かれ、それでも人は生きようとした。 昭和30年代生まれの私に、もちろん、その体験はない。 体験がないから語れないのでも、その資格がないのでも . . . 本文を読む

安吾小論(5)

2007年11月15日 12時55分23秒 | 読書・鑑賞雑感
ふるさと。 人はこの言葉に懐かしみの情景を思い浮かべる。 だが、人間の「ふるさと」とは、何だろうか? 安吾のいう「ふるさと」も、戦争や破壊だのとのみ、 背中合わせに考えるべきものではないのだろう。 それは誰もが「直立二足歩行」を始めて以来、 自然と失われざるを得ない風景だったのだ。 だが時に、誰の平凡な日常にも、それへの隙間がフッと開くことがある。 それは、闇の中で見出され、光の中で見失われる . . . 本文を読む

安吾小論(4)

2007年11月12日 11時57分35秒 | 読書・鑑賞雑感
もも、根源的にはから発している。 とはである。 「いやらしさ」のような安手のまがいモノ、 規制と馴れ合う共犯の遊戯ではない。 敢えて欲情を作り出し、それを望ませる慾望は、 文字が目配せするように、心を上から押し潰すものだ。 (人は慾に対して自由であり、慾を超えるように自由であるべきだ。) とは、肚の底から昇り立ち、喉元に突きつけられる力だ。 口から吐くことで、「言葉」で汚すには気高すぎる。 そ . . . 本文を読む

安吾小論(3)

2007年11月09日 10時52分33秒 | 読書・鑑賞雑感
「日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が  果して人間の歴史に何の関係があったであろうか」 作者は、物語りの流れをぶった斬るように独白する。 だが、この詠嘆には、作者の作品動機が込められている。 本来嘆くのなら、戦争を、焼け野原に行き着いた敗戦をでも  嘆くべき処で、安吾という作家は、自身が主人公を抑え、 原稿用紙の余白から顔を突き出し、時代を超えて詠嘆する。 詠嘆は現実離れした超然の姿ではな . . . 本文を読む

安吾小論(2)

2007年11月06日 20時14分06秒 | 読書・鑑賞雑感
『白痴』の主人公・伊沢は、見聞きした町の風俗の有り様に、 これが、戦争で荒んだ人心というものか、と訝るが、 仕立屋は「このへんじゃ、先からこんなものでしたねえ」と 「哲学者のような面持で静かに」応じる。 伊沢の隣家には、 三十歳の「気違い」と白痴で年下の妻が住んでおり、 「気違い」は屋根の上で演説したり、 仕立屋との垣根を、我が物顔で越えて来ては、 家鴨に石をぶつけたり、豚を突っつき廻している。 . . . 本文を読む

安吾小論(1)

2007年11月04日 14時02分30秒 | 読書・鑑賞雑感
戦後、焼け跡に拡がる混沌の中で、 坂口安吾は、昭和21年『新潮』6月号に『白痴』を発表した。 この作品は、焼け野原からの復興を目指す敗戦直後の現在から、 敗戦直前の軍国日本、廃墟と化しつつある日本に想いを交差させながらも、 誰が何に負けようが相も変らぬ、生活の路地裏噺から筆が起こされている。 「その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、  まったく、住む建物も各々の食事も殆ど変っていやし . . . 本文を読む

鴎外試論(12)

2007年11月01日 19時11分57秒 | 読書・鑑賞雑感
人は日々、生の荷車を引く。 荷の中身やその価値が問題なのではない。 車に付いている社名やら、 引く者の肩書きなど、尚更問題ではない。 無名な人間が引くカラッポの荷車であれ、 無心に懸命に引いている姿だけが、真実なのである。 人生に、カラも荷も、否定も肯定も無い。 生きている、その手応えで常に満ちていれば、 余計に何かを求めようとする自分はないのだろう。 求めることが起こらず、常に足りている心 . . . 本文を読む