脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

音楽家 坂本龍一さんを悼む。

2023年04月06日 13時08分35秒 | 音楽
坂本龍一が死んでいた。日曜日の夜だったか、偶然点けたNKHの画面に、死去の文字を見て驚いた。
亡くなったのは3月28日なので、一般ニュース報道の5日前には他界していたようだ。
ガンのステージ4だとは知っていたが、ガン再発から3年もしないで亡くなられたようで、
予想外に早い経過だ。あと3~5年は健在かな、との淡い想いは吹っ飛んでしまった。

私が初めて坂本龍一の音楽を聴いたのはいつ頃だったろうか? YMOより前から少し聴いていた
と思うが、つまり20代の半ば頃から還暦過ぎの今日まで、彼の音楽に親しんできているのだ。
さしてコアなファンでもなく、コンサートに行ったこともないが、坂本の音楽性や彼の社会センス、
環境運動等の社会活動や発言には共感していた。勿論友人・知人の距離ではないが、自分の人生の
流れのサイドに当たり前に生きておられた、存在感のある先達のお一人であり、敢えて少し大袈裟
に言えば、自分の歴史の一部が剥がれ落ち欠落したようにさえ感じる。

このような同時代性の(事物の)喪失感、自分が影響を受けたり慣れ親しんだ人物の他界や事物の消失、
それら自分の一部めいたものが、次々と剥がれ落ちていくという喪失体験が増えるのが、「老後」
という時間なのだろう。そのような喪失をもはや悲しいとは、センチメンタルに想わない年齢も、
「老後」なのだと思う。悲しみよりも、残されていく身の淋しさをぎゅっと握りしめて、いかに恬淡
と最期まで生き抜けるか‥‥。

つい最近、これも偶然なのだけど、図書館から月刊『新潮』2月号を借りたら、「ぼくはあと何回、
満月を見るだろう」という坂本氏の連載手記があった。ガン治療で腫瘍マーカーが改善したとも書
かれていて、坂本さん、まだ大丈夫そうだなと思った。日記風の手記はこの2月号で完結で、文章
の末尾は、今思えばまるで墓碑銘のように「芸術は長く、人生は短し」で締め括られていた。
自分の命のロウソクの灯びを、どんな風に予感していたのだろうか。

坂本龍一さん、この世ではお疲れ様でした。音楽家として社会活動家として、最期まで節を曲げない
貴方の姿は立派だったと思います。無名の一般人の私ですが、追悼文を捧げさせて下さい。
私もあの世に行ったら、貴方という魂に一度お会いしたいですね。では、そのときまで、ごきげんよう。




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