どこまでも美しい青い空に
私の瞳もゆるやかに転がる
風が透き通り、夏が過ぎて行く
私の心にも、澄んだ水が流れている
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雨がじゃぶ、じゃぶ。
ジャブ、ストレート、左フック、
さらに連打に、右フック‥
で、私が勝ったの?
いや、私はそれらを食らって負けたのだ。
だから、横たわる私の体に、
雨がじゃぶ、じゃぶ、降り注いでいる。
私を大地に沈め、ずぶ濡れにする、
そんな雨も、気持ち良い。
いや、気持ちが良いのは、
全身で大地を感じているせいだろうか。
雨よ、降れ。
激しく降れ。
夏の暑気と、夏の物憂さを流し . . . 本文を読む
地の底で
骨、眠る
地上の喧騒の遠くを
骨は、ひっそりと眠る
そんな安らぎに
あなたを葬ることが
私の務めでもあるのか?
あなたが、
逞しくも生きて見せてくれた
その身を焼き尽くし
私は、あなたと別れる
私は、あなたの息子として
その運命を引き受けねばならない
運命とは、あなたが一生を尽くして
運んだ命のことである . . . 本文を読む
ことばのない
音符の夢にまどろむと
ピアノは、転がって、銀の鈴
首に付けたネコの気まぐれ‥
おおきなガラス窓の外の
白い雲が薄くたなびいて、水の空
初夏の匂う風の六月
生きる意味も忘れた頃に、「意味」はやって来て
私は、どうでもいいもののように捕まって
隠れんぼ、見つかった子供のように
アハハ‥と笑って
でも空は青く澄んでいて
晴れた日 . . . 本文を読む
善(よ)く士為(た)る者は武ならず。
善く戦う者は怒らず。
善く敵に勝つ者は与(くみ)せず。
善く人を用うる者は之が下と為(な)る。
(出典:『老子』小川環樹訳注、中公文庫)
『道徳経』第68章の冒頭「不争の徳」について記された個所である。
一行目は、「武士」のような言葉と、形容矛盾を抱かれる向きもあろうが、「武」の字義は、「矛」を「止」めるものの意であると言われている。そんなことと重ねて、 . . . 本文を読む
営(まよ)える魄(はく)を載(やす)んじ、
一(いつ)を抱いて、
能(よ)く離れしむる無からんか。
気を専(もっぱ)らにし柔(じゅう)を致して、
能く嬰児(えいじ)のごとくならんか。
(『老子』(中公文庫)道徳経第十章から引用)
私は、名辞以前の一(いつ)、一つの空虚を抱いて、
生まれたての嬰児のように丸くなり、
やわらかい呼吸をしながら、生きていきたい。
私とは、私の抱くである。
まるで . . . 本文を読む
永遠の太陽
私の瞳の気球が
青空を転がす
ポッカリ雲浮かぶ
古代の象が群れをなす
草原は緑に波打ち
土人たちは大地に歌う踊る
憂いなく、悩みなく、物もなし
それは遠い日
文字をもたない彼方の日々‥‥
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上善は水の若(ごと)し。
水は善く万物を利して而(しか)も争わず。
衆人の悪(にく)む所に処(お)る。
故に道に畿(ちか)し。
(出典:『老子』小川環樹訳注、中央公論社)
老子『道徳経』の中でも有名な第八章冒頭の一節です。
水の尊さと、その真に高貴な美しさを感じさせます。
老荘好きには、最も親しまれ、愛されてきた章句ではないでしょうか。
「衆人の悪む所」とは、訳注に拠れば、「低いところ」あ . . . 本文を読む