ぼくがきょう、あるところから、伺った話です。あるアメリカの有名企業があります。情報を多く取り扱いますし、アメリカの保守側で軍事的なビジネスともある程度は関係があると認識できる、そこそこ有名会社です。東京にブランチがあります。もちろん、その会社の日本の幹部は、ほぼアメリカ人で、この福島第一原発の騒ぎあったときには、幹部のアメリカ人たちは近隣のアジア諸国に逃げていたそうです。騒ぎが一端静まったと言うことで、一度、東京には戻ってきたそうです。しかしながら、その会社は空調が止められていて、換気扇には目張りがされている状態だったそうです。会社の中でも緊張感のある雰囲気だったそうで、アメリカの本社から東京の現場に今回の原発に関しての情報についていくつかの注意事項がおりてきていたそうです。まず一つ目は日本政府の発表についてです。日本政府の発表は数値まではうそをついていないので、そこは確認しても良いけれども、日本政府の分析が大変に甘く、耳あたりの良いことしか言わないので、鵜呑みにするなと指示されているということです。もう一つは、日本のマスメディアに対してです。日本のマスメディアの報道内容は楽観的過ぎて、参考にするなとまで言われていると聞きました。複雑な思いがする話です。情報は欧米のメディアできちんとチェックするように言われているそうです。日本のメディアがつかんでいる情報をどこまで流せるのか、極めて微妙な感じとは思いますが、ここまで思われているのが本当なら。。。とにかく、その上で、自分たちの仕事の流れ方も含めて、自分たちで状況判断をしろと言う事や、危険が高くなったと考えられる場合、出社に関しても当人が選択できるということまでも、あるようです(勿論、欠勤分の給与はないでしょうが)。「赤信号、みんなで一緒に渡りましょう」的な感覚の強い日本の大企業とは、かなり違うのですね。そして、この企業の東京ブランチの幹部たちは、一端は東京に戻ってきているのですが、今の作業が済めば、一端はアメリカに帰国することもきめているそうです。外資系、アメリカの企業は緊急事態であっても本当にシビアな感覚だと思います。ただ、そのシビアな感覚は、個人に裁量を任せています。良くも悪くも。
さて、パニックが起こるために避難をさせるべきではないとお話をいただきました。ここでは、そのお話に直接返答するわけではありませんが、パニックについて思考してみたいと思います。パニックを起こさないということは、今回の原発の報道の中でも最も大切なことのように言われます。確かに、パニックはおこさないほうがよい、これはその通りでしょう。しかしながら、パニックを起こさないために、こういうことはすべきでないとか、こういうことは伝えるべきではないとかは、本当に正しいのでしょうか?パニックというのは、ぼくの知る限り、信憑性のある情報がどのくらい正確に伝わったかどうかが、ひとつの鍵となります。情報ができるだけ緻密に正確に伝わるとパニックは起こりにくくなるはずです。パニックは、元々想定がされていて、対策がある程度秩序が立てられて対応できるのなら、実はおもったよりも簡単にはおきない可能性が高いとぼくは思います。また、パニックは目前にものすごい恐怖があっても、その恐怖、特に死の恐怖から逃れる術がないときにパニックは起こりにくいと聞きます。墜落しつつある飛行機の中でパニックとなったとされるケースが少ないのは、そういうことかもしれません。逆に目の前に石が落ちてきているけど、慌てて逃げたらパニックになってさらに悪いケースがあったとも聞きます。こういう感覚で言うと、パニックを起こさないためには、事が起こる前にどのようなことがおきうるのか、あるいはおきないのかをきちんと伝えて、事前にはっきりと行動できるように余裕を与えておくことが実は大切な気がします。今回の流れの中で、まず情報をいろいろ汲み取ることはこの点からも大切なことだとぼくは思います。いろんな情報があれば、それだけ思考の幅が増えます。思考の幅が増えると、自分の現実の選択肢も間違いなく増えていきます。そうした観点で積み重ねていくと、自分自身がどうすべきなのか見えてくるはずです。そうすれば、パニックに巻き込まれない選択肢を考えることができます。実際、パニックと言うのはそういう風にして、回避していくしかないと思います。このブログも僕も偉そうに言えるほどのものではありません。それは、自覚していますが、しかしながら、かなり覚悟して書いています。少なくともパニックにならないための、ある一つの情報としては参照して頂けるレベルのものになるように考えて書いているつもりなのです。勿論僕が至らないため、いろいろご不満はおありかもしれませんが、僕としては恐らく限界状況の中で書いていることだけは伝えたいのです。
なぜこのようなことを言うのかと言うと、放射性物質の影響を予測した研究の公表を自粛するように求める文書が、気象学会の理事長名で通知されていたことにもびっくりしたからです。パニックを招かないと言う言い方で、当たり前のことも自粛すると言う感覚が、学問の世界まで蔓延していると言う、恐ろしい現実があります。パニックという錦の御旗で、何も言わずにいるのが正しいとはとても思えませんし、戦後日本で、ここまでのことは、はじめての現象かと思います。日本人というのは、誰かに脅されてやるのではなくて、周りの空気を見ながら、こういう風に自粛していくのだなあと、僕のような特異な人間は、思い知らされている感じがします。僕のように、個人の判断で、しかも自分の根幹にある、ある種の”感”で動く人間には、よくわからない事です。自粛することで事態はより不透明におかしなことになります。そうするとどんどん不安が高まります。つまり、パニック神話を信じすぎて、むしろパニックを招きやすくなっていると言うことです。本末転倒。でも、今、東京のいろんな組織で同じことがおきていると僕は思います。その意味では、合理的なアメリカ企業を羨ましく思いますし、第二次大戦のみならず、今もアメリカに全く勝てない現実を改めて思い知らされます。当たり前に目の前にあることをきちんと見つめることしか始まらないという基本も、理解されにくいという今の日本です。嫌だなあ。
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放射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員(朝日新聞) - goo ニュース
2011年4月2日19時25分
福島第一原発の事故を受け、日本気象学会が会員の研究者らに、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう求める通知を出していたことが分かった。自由な研究活動や、重要な防災情報の発信を妨げる恐れがあり、波紋が広がっている。
文書は3月18日付で、学会ホームページに掲載した。新野宏理事長(東京大教授)名で「学会の関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、徒(いたずら)に国の防災対策に関する情報を混乱させる」「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」などと書かれている。
新野さんによると、事故発生後、大気中の放射性物質の広がりをコンピューターで解析して予測しようとする動きが会員の間で広まったことを危惧し、文書を出した。
情報公開を抑える文書には不満も広まり、ネット上では「学者の言葉ではない」「時代錯誤」などとする批判が相次いだ。「研究をやめないといけないのか」など、会員からの問い合わせを受けた新野さんは「研究は大切だが、放射性物質の拡散に特化して作った予測方法ではない。社会的影響もあるので、政府が出すべきだと思う」と話す。
だが、今回の原発事故では、原子力安全委員会によるSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)の試算の発表は遅すぎた。震災発生から10日以上たった23日に発表したときには、国民に不安が広まっていた。
気象学会員でもある山形俊男東京大理学部長は「学問は自由なもの。文書を見たときは、少し怖い感じがした」と話す。「ただ、国民の不安をあおるのもよくない。英知を集めて研究し、政府に対しても適切に助言をするべきだ」
火山防災に携わってきた小山真人静岡大教授は、かつて雲仙岳の噴火で火砕流の危険を伝えることに失敗した経験をふまえ、「通知は『パニック神話』に侵されている。住民は複数の情報を得て、初めて安心したり、避難行動をしたりする。トップが情報統制を命じるのは、学会の自殺宣言に等しい」と話している。(鈴木彩子、木村俊介)